あの後、私たちは宿屋の主人によって各々が一人部屋へと案内された。私はベッドの上で仰向けになり特に何も考えないまま、暗闇に包み込まれる窓の外を眺めて時間が過ぎるのを待つ。
(……あの女はまだ戻ってこないか。こんな遅くまで一体何をしている?)
宿屋へ一度も姿を見せていないティア・トレヴァー。私たちへ面倒事を押し付けるだけ押し付け、当の本人は行方知れず。酒場で豪遊している可能性を考えてもみたが、あの性格上それはあり得ないだろう。
「もしもし? もしもーし! アレクシア・バートリさーん!」
廊下側から聞こえてきたのはナタリアの声。私は居留守をするために口を閉ざしながら、じっとベッドの上で固まる。
「おやおやぁ、おかしいですねぇ? 部屋にいないんですかぁ?」
どうせ用件はロクでもない内容。このまま諦めてくれることを願い、窓の外をぼーっと眺めてナタリアが諦めてくれるのを待つ。
(出航日は明後日。明日は町の中を歩き回ってみるか──)
そんなことを考えていれば室内が揺らぐと共に扉が蹴破られ、ナタリアが「いるじゃないですかぁ!」とベッドで寝ている私に満面の笑みを向けた。
「……扉を破壊するほどの用件か?」
「はい! カイト・ハルサメさんが部屋にいないんですよぉ!」
「用を足しているだけだろう」
「それがそれがぁ、宿屋のどこにもいないんですねぇ! 主人に聞いたら一時間前に宿屋から出て行ったみたいでして!」
「そうか」
興味がない私はナタリアに背を向けた態勢へ変える。すると首を傾げながら覗くようにして顔を近づけてきた。
「実は実はですね。私はカイト・ハルサメさんを担いであの洞窟まで行こうとしたんですよぉ」
「それが?」
「カイト・ハルサメさんはあの洞窟へ襲われに行ってるかもしれませんねぇ」
「……だとしたら?」
「今すぐ探しに行かなくていいんですかぁ? カイト・ハルサメさんがくたばるかもしれませんよぉ?」
そう尋ねてくるナタリア。私はこの女はロクでもないことを企んでいると察し、身体を起こすと疑いの目を向ける。
「まるで私をあの
「いえいえ、そんなつもりはありませんよぉ! アレクシア・バートリさんが行かないのであれば私が一人で調べに行くだけですのでぇ!」
「……仕方ない」
放っておけばこの女は知らぬところで面倒事を増やす。私は仕方なくベッドから降りると、部屋の隅に置いていた武器を装備した。その姿を目にしたナタリアは表情が一瞬にして明るくなる。
「行くぞ」
「はい、ではでは早速カイト・ハルサメさんの捜索に行きましょうかぁ!」
壊れた部屋の扉を踏みつけ廊下へ赴く。意気揚々と階段を降りようとするナタリアを他所に、私は廊下の奥を見つめながら立ち止まった。そんな私にナタリアが気が付くと勢いよく振り向く。
「おやおやぁ? どうしたんですかぁ?」
「あの男は連れて行かないのか?」
「はいはい、クリスさんは疲れて寝てるんですよぉ! 昔から寝起きはクソ悪いので騒ぐと怒られるんですねぇ!」
クリス・オリヴァーは前日まで続いた派遣任務から、休息を一度も取れていないと述べていた。ナタリア曰く「怒られるから起こしていない」らしいが、
(……この女が気を遣えるとは思えんな)
常に爆弾を抱えて歩いているようなコイツが、そのような気配りができるはずがない。私はその返答に不信感を抱きながらもナタリアと共に宿屋を出て浜辺まで向かう。
「お前は歩くのが遅いですねぇ!」
「歩幅に差がありすぎるだけだ」
「ではでは、私が担いであげましょう!」
「お前のような
「制御すればいいだけですよぉ?」
レインズ家の血筋を継いだ者は身体の発達が早い。成長期を何度も迎えるため、筋肉質な肉体に加え、身長は著しく伸び、体重は著しく増える。その証拠にナタリアの身長はキリサメよりも高く、身体つきもあの皇女より
「暗いな」
「暗いですねぇ! あ、ここにランタンがありますよぉ!」
ナタリアがわざとらしく指差したのは、不自然な位置に置かれた二つのランタン。最初に訪れたときはランタンどころか物一つ置かれていない。不信感が増していく最中、私とナタリアはランタンを拾い上げる。
「おやおや、びしゃびしゃですねぇー!」
「潮が引いたからな」
膝丈まで海水に沈んでいた通路は、潮が引いたおかげで歩きやすい。私はナタリアが前方をランタンで照らしながら突き進んでいく光景を後方で眺める。
「あ、古井戸ですよぉ!」
あの空洞も潮が引いているおかげで足元の岩が浮き出ていた。ランタンで照らしてみれば、干潮から避難そびれたヒトデやナマコなどが張り付いている。
「私たちは運がクソいいですねぇ! 下に降りれるようになってますよぉ!」
「……」
予想していた通り、干潮の時間帯になれば古井戸に溜まっていた海水は跡形もなく消えた。しかし奇妙なことに下へ降りるためのロープが既に準備されている。
「さぁさぁ、早く降りてカイト・ハルサメさんを探しましょうよぉ!」
催促するナタリアを無視して、私は転がっていた石を拾い上げると試しに古井戸へ落とした。耳を澄まして待機していれば、数秒後に固い地盤に衝突する音が聞こえてくる。
(……深くはないか)
古井戸の底までの距離を測ると私はロープに手を掛けた。
「ではでは、私は先に降りてますねぇー!」
瞬間、ナタリアはロープを使わずにそのまま飛び降りていく。水飛沫が飛び散る音が底から聞こえ、私もロープを伝ってすぐさま降下した。
「臭うな」
「はい、クソみてぇに臭いですね!」
鼻を刺激する廃棄物の激臭。ブーツ越しでも伝わるヌメリに気色悪さを感じ、足元をランタンで照らしてみれば、痙攣した小魚や中身のない貝殻が転がっている。
「アレクシア・バートリさん! こっちに道がありますよぉ!」
ナタリアが指差す方向には先へと続く道。私たちは暗がりをランタンで灯しつつ、通路の壁に手を触れながら進んでいく。
「妙だな」
「はいはい?」
「あまりにも作りが雑過ぎる」
古井戸を手掛けた人物とは思えないほどに雑な作りの通路。壁は触れるだけでボロボロと剥がれ、足元はデコボコと決して歩きやすくはない。私が通路に違和感を覚えつつ歩いていると、
「……どうした?」
先頭を歩いていたナタリアが急に立ち止まった。私はこの女の隣に立ち、通路の先を見据えてみる。
「ずぅーっと奥に誰かいるんですよぉ」
「なぜ分かる?」
「向こうから足音が聞こえるんですねぇ」
耳を澄ましてみると確かに通路を歩く足音が聞こえてきた。しかもこちらへと徐々に接近している。
「お前が朝方見かけた人影か?」
「さぁ、どうなんですかねぇ?」
私たちがしばらくその場で通路の奥を警戒していると、見えてきたのは二つのランタンの灯りと二つの人影。向こうも私たちに気が付いたのか、一定の距離で歩みを止める。
「おい、そこにいるのは誰だ?」
「お前は……」
「ん? その声は……」
こちらにそう問いかけてきた声の主は宿屋で寝ているはずのクリス・オリヴァー。その声に思わずボソッと呟くと、クリスが私だと気が付きこちらへと近づいてくる。
「やっぱりお前さんだったか」
クリスは私と顔を合わせると構えていた銃を下ろした。その背後には私たちが捜索するはずだったキリサメが、驚きに満ちた表情でこちらを見ている。
「ど、どうしてアレクシアがここにいるんだよ!?」
「どういう意味だ?」
「ナタリアが『アレクシア・バートリさんが独りで古井戸の底を調べに行ってしまいました』って言ったから、俺は後を追いかけようとここまで来てさ」
「……お前は?」
「俺は『カイト・ハルサメさんが独りで古井戸の底を調べに行ってしまいました』とナタリアから聞いていてな。そしたらお前さんがまだここにいるって言われたもんで、二人で探して──」
クリスが状況を説明する途中で私は左肘をナタリアの脇腹に打ち込む。しかしナタリアは前を向いたまま、その肘打ちを左の手の平で難なく受け止めた。
「やはりこんなことだろうと予想していた。このランタンもあのロープもお前が事前に用意していたものだな」
「お前さん、俺たちを嵌めたのか?」
「さぁ? 私には何のことだか分かりませんねぇ?」
「おやおや、この先には進まないんですかぁ?」
「一人で行け。私は宿に戻る」
「俺もそうさせてもらう。帰ろうカイト」
「あぁそうだな。はぁ、アレクシアが無事で良かったぜ……」
キリサメとクリスもナタリアを置いて私と同様に通路を引き返す。私は古井戸の穴を見上げ、ロープへと手を掛けて壁を登ろうとし、
「──ダメですよぉ」
「お前さん何をして……!?」
駆けてきたナタリアが底まで降ろしてあったロープを握りしめ、その馬鹿力で勢いよく引き千切る。そして千切れたロープをその場に投げ捨てた。私はナタリアを睨みつける。
「……脳細胞が死んだのか?」
「折角ここまで来たんですからねぇ! もっともっと奥まで行ってみましょう!」
「こんなアホなことをして……俺たちはこの後どうやって井戸から脱出する?」
「奥まで進めば他に道があるかもしれませんよぉ? さぁさぁ、抜け道を探しに行きましょうかぁ!」
あまりにも馬鹿げた行動にキリサメは声も出せない。私とクリスは冷めた視線をナタリアへ送っていた。当の本人は唯一の抜け道を潰した行動に対し、微塵も反省していない。むしろ満足そうに通路の奥へと突き進んでいた。
「すまん。一番あいつのことを知っている俺が止められていれば、こんなことには……」
「いやいや、クリスは悪くないって! 全部ナタリアの意味不明な行動のせいだろ!」
私は二人の会話を耳にしながら古井戸の穴を見上げる。血涙の力の一つであるフラクタル。蔓を伸ばせばここから上がることは容易いだろう。だがクリスやナタリアがいる前で使えば、私の身体に吸血鬼の血が流れていると露呈する。
「ほらほらぁ! 先に進みますよお前たち!」
「あそこまで
「まぁナタリアは俺らがどう思っているかなんて気にしてないんだろ……」
「イカれた女だ」
私たちは各々で愚痴を呟くと、ナタリアの後に続いて古井戸の通路を進むことにした。
(長いな……)
古井戸の底へ人工的に作られた通路。数分ほど歩き続けているが、未だに前方は暗闇が広がり、抜け道どころか行き止まりの壁すらにも辿り着かなかった。
「こういうとこってさ、なんか出てきそうじゃね……?」
「この通路の奥には
「お前さん、その
「あの女が朝方に見かけた人影とやらだろう」
今のところは私たち四人以外に人の気配を感じない。そこにあるのは延々と広がる暗闇と何滴もの雫が
「んー……ナタリアの見間違いな気もするけどなぁ」
「その可能性を否定できない。私もこの眼では見ていないからな」
「ということは誰もいなかったら……俺たちは今この古井戸で仲良く探検をしているわけか」
「笑えん冗談だ」
私がクリスの冗談を鼻で笑うと、前を歩いていたナタリアがしゃがみ込んだ。そして白い物体らしきものを拾い上げる。
「ナタリア? そこで何を拾って──」
「これですよぉ」
「うぉおぉおぉッ!?!」
ナタリアが差し出したのは人間の頭蓋骨。キリサメは驚きのあまり、大声を上げて壁に背を衝突させた。
「……白骨化した遺体か」
私はランタンを足元に置き、白骨化した遺体を調べる。骨格をよく観察するがここへ迷い込んだ獣ではない。こんな場所へ作り物を置くことも考えづらい……となれば、あの頭蓋骨は本物だ。
「それを見せろ」
「はいどうぞぉ!」
頭蓋骨を渡すように要求すればこちらへ雑に投げ渡す。私は片手で受け取り、頭蓋骨の隅々まで観察を始めた。
「人間の骨が落ちているってことは……俺たちが今いるこの古井戸は吸血鬼の隠れ家か」
「そうですねぇ! きっと襲撃者になってくれますよぉ!」
「……だりぃことになったな」
ナタリアとクリスが会話を交わしている最中、私は最後に頭蓋骨の口元を調べ、動かしていた手を止める。
「吸血鬼共の隠れ家か。私はそうは思わん」
「何か分かったことでも?」
「これを見ろ」
私が頭蓋骨の口の中を見せつければクリスたちはよく見えるようにとランタンの灯りで照らす。
「牙が生えている……まさか吸血鬼の?」
「あぁ、死体は人間のものじゃない。吸血鬼共の死体だ」
口元に生えているのは鋭い牙に不自然な形状をした骨格。吸血鬼共の死体だと確信へと変わっていくクリスに変に期待を高めていくナタリア。私は手に持った頭蓋骨を指先でなぞり、険しい表情を浮かべた。
「お前さん、何か気になることでも?」
「……死体の状態が妙だ」
「はい? 野郎だったこいつの状態がですかぁ?」
「灰に変わっていないのも妙だが、白骨化するにしても表面が綺麗すぎる。人間の血を摂取できずに餓死したとは思えんほどにな」
自然に白骨化したのではなく何かに溶かされたような骨。それこそ味が無くなるまでしゃぶられた、という表現が相応しい。私はそう説明をし、奥まで続いている通路を進むことにする。
「今度はお前さんが先頭を歩くのか?」
「あぁ」
「なるほどなるほどぉ、アレクシア・バートリさんも野郎を殺すことに興味を持ってくれたんですねぇ?」
「お前と一緒にするな」
吸血鬼の奇妙な白骨死体。私はナタリアを後方に控えさせながら、先頭で慎重に歩を進めていく。
「待て」
通路の奥から漂ってくる腐敗臭と肉塊同士が擦り合うような音。私はその場にキリサメたちを待機させ、近くの壁に手を触れてみれば、
「……粘液?」
ベトベトとした粘液が壁全体に付着していた。蜘蛛の糸程の粘着性はないが嗅ぎがたい異臭を漂わせている。
「おい! そこに誰かいるのか?!」
奥から聞こえてきたのは男の声。クリスはホルスターに入った銃をいつでも取り出せるように体勢を変える。
「お前は誰だ?」
「こっちに来るな!」
「お前は誰だと聞いている」
「いいから黙ってその道を引き返すんだ!!」
「話が通じないということは吸血鬼か──」
私がそう言いかけると肉塊を擦り合わせるような音が止まった。周囲に腐敗臭だけでなく不穏な空気まで漂い始める。
「逃げろッ!! とにかくそこから今すぐ逃げッ──」
姿の見えない男が声を荒げた瞬間、奥の通路から数本の触手がこちらに向かって迫ってきた。私は二本の触手を回避し、鞘から剣を抜いて次に迫ってきた触手を斬り捨てる。
「だりぃことになったな……!」
後方でクリスは一丁ずつ左右の手で構え、的確に触手を撃ち落としていく。
「ギチッ、ギチギギッ……」
「あ、あいつは……?!」
「おやおやぁ、クソみてぇに大きい野郎ですねぇ!」
「いいや、アイツは"大きすぎる"」
そして奥からこちらに這いずってきたのは触手の生えた肉塊。見た目は海で良く見かけるが、古井戸の通路を圧迫するほどの巨体を持つ"シーアネモネ"──イソギンチャクだった。