「エ"ェゥィア"ァァア"ァア"ー-ッ!!」
「貴様……ッ」
私の首を掴む鋏女の右手。特有の怪力で締め上げ、「さっきはよくも」と言わんばかりに壁へ何度も叩きつける。真っ白な壁には亀裂が走り、背骨は軋むような音を立てた。
「……未練がましい女だ」
このままでは身体が持たない。私は自身の首を掴んだ鋏女の右腕に両足を絡ませ、全身に力を込めると、
「ゥェエ"ウ"ィア"……ッ!?」
鋏女の右肘から先をあらぬ方向へと折り曲げた。私は力が弱まった隙に鋏女の右手を引き剥がし、壁を背にしながら距離を置いた。
「アレクシア!」
「お前たちは先に行け」
「何言ってんすか!? 流石のあんたでもどうにもならないっす!」
「ここで始末しなければ延々と追われ続ける。目的の邪魔をされるのも癪に障る。それに──」
私は鞘から刀剣を引き抜いて逆手持ちへ切り替える。そしてこちらへゆっくりと振り向く鋏女の巨体を見上げ、
「──私は追われる立場にもう飽きた」
頭部に埋め込まれている銀の鐘を冷めた眼差しを送った。一瞬だけ左目の色が変わってしまったのか、ティムは「目が赤い……?」とボソッと呟く。
「ティム、先に進もう」
「いいんすか?」
「大丈夫だって! アレクシアが自分で言ってたろ? 『吸血鬼共を死滅させるまで死ぬつもりはない』ってさ!」
「それは、そうっすけど……」
キリサメは私に目配せするとティムの右腕を掴み、地下への階段まで引っ張り始める。鋏女が獲物として定めているのは私だけのようで、キリサメやティムたちを追いかけはしない。
「アレクシア、後で絶対に合流しろよ! 絶対だぞ!」
「あぁ」
私の返事を聞いたキリサメは、ティムを連れたまま地下への階段を足早に下りていく。徐々に遠のいていく足音。私は完全に聞こえなくなったのを確認し、左手でホルスターから銃を取り出す。
「……私の意図を汲んだか」
私は血涙の力を呪印を持つ鋏女に衝突させようと考えていたが、ティムが同伴していたことで表へ出せない。しかしキリサメがその意図を汲み取り、ティムを引き離すよう誘導したのだ。
「ア"ゥエ"ェゥエ"ィァア"ァー-ッッ!!!」
大型の鋏を両手に握りしめ、凄まじい剣幕で向かってくる修道女の巨体。私はその場で銃を握った左手をゆっくりと上げ、修道女の胸元へ狙いを定める。
「──
撃ち出されるのは蒼色の獄炎が纏った数発の弾丸。鋏女は気に留めることもなく、そのままこちらへ突進してきたが、
「ィゥア"ァィァア"ゥア"ァア"ー-ッ!?!」
弾丸が胸元を貫き、全身が蒼色の獄炎に包み込まれた途端、悲鳴にも似た金切り声を上げながら近くの壁に何度も衝突する。私はその様子を眺めつつ右手を振り払った。
「
手元に現れたのは見開き状態の本。周囲の家具へ蒼色の文字を刻み込み、修道女の巨体へ突進させる。
「ァウ"ゥウ"ィェ……ッ!! ァァア"ゥェエ"ェ……ッ!!」
「……丈夫だな」
室内に響き渡るのは激しい衝突音。耳を澄ませば筋肉が潰れ、骨が砕ける音も聞こえてくる。しかし呪印の効力によって肉体が頑丈になっているのか、衝突させていた家具の方が粉々になってしまった。
「ゥア"ウ"ィィエァアァアー-ッ!!」
「──ッ」
瞬間、反撃だと言わんばかりに鋏を力任せに投げてくる修道女。私は僅かに反応が遅れ、制服のスカートを掠める。その切れ味が故にスカートの下の太腿から流血してしまう。
「
無風の渓谷にてヒュドラから得た肉体再生の力。肌の切り傷は瞬く間に完治し、傷跡として肌がやや青みを帯びる。
「やはりこの力は……虫唾が走るな」
もはや吸血鬼共と変わらぬ再生力。この力を使うこと自体が、吸血鬼共と同類だと誇示しているのではないか。私は表情を曇らせつつ、肉体の再生は多用しないと心に誓う。
「ア"ィェエ"ウ"ゥェエ"ア"ァァア"ー-ッ!!」
「距離を詰めるつもりか」
鋏女は自身の射程距離まで持ち込もうと炎上したまま突進を仕掛けてきた。私は逆手持ちにしていたルクスαを握り直す。
「ェゥアッ? ェゥウッ、ァイェアァァア……ッ?」
「……? 何をしている?」
だが鋏女は部屋の中央で足を止めてしまった。床に落ちているナニカをじっと見つめ、呻き声を上げている。
「亡者の男から受け取った写真?」
落ちていたのはスカートの
「ゥァアァッ、ェアィウゥウゥウ……ッ!! ィエェアァアァアァー-ッ!!」
「この女、何をして……?」
鋏女は落ちている写真を拾い上げると腹の底から金切り声を部屋に響かせる。そして手当たり次第に壁や家具に頭突きをし、東側の壁に空いていた穴の奥へ消えていった。
(あの行動、まるで自身を責めているような……)
あまりにも奇怪な行動。私は険しい顔を浮かべ、頭突きで粉々になった家具を眺めていれば、
(……本棚の仕掛けはもう一つあったのか)
キリサメたちが下りた階段から対称の位置。飛び散る本や木片の下敷きになった階段を見つけた。私は鋏女が戻ってこないことを確認し、新たに現れた階段まで歩み寄る。
(どちらが正しい道かは知らんが、手間をかけ仕掛けを組み込んでいる。つまり、どちらも隠そうとするナニカがあるはず)
蝋燭の火が適切な位置に飾られ、紅色の絨毯が敷かれた階段。妙に彩られた通路に違和感を覚え、私は一段ずつ階段を下っていく。
(悪趣味な部屋だ。あの司祭は拗らせている)
ほんの数十秒で視界に映ったのは、銀の鐘が至る場所に置かれた私室。誰の部屋なのか、と考えずとも容易に部屋の主がカムパナだと想像できた。
(当の本人はいない。ただの私室なら外れか)
私はしばらく部屋の中を歩き回るが、めぼしいものは見当たらない。どこを調べようが趣味の悪さが際立つのみ。
(……あの記録が唯一の情報源になりそうだな)
ふと視線を移した先には一冊の日記が机に置かれていた。つい最近書き込んでいたのか、日記の隣には黒い薔薇で装飾された
(呪印とやらの手掛かりがつかめるかもしれん。時間は惜しいが目を通しておくか)
私は情報を求めカムパナの日記を手に取った。一枚だけページを捲ってみると、ページの隅に刺々しい茨の模様が、その中心に黒い薔薇の紋章のようなものが描かれている。
(芸術品、筆記具、日記……。あの司祭は黒い薔薇を好んでいるのか?)
黒い薔薇に関連する私物が多いことを不審に思いながら次のページへと捲れば、今度はカムパナの筆跡で書かれた記録が目に入った。
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麗しき
貴方様から頂いた神の御言葉よりも喜ばしい申し付け。ネクロポリスの人間共へ永鐘教を広めるという命……果たすことに成功しました。マニア様が仰っていた通り、愚かな人間共は『約束された平穏』をエサにすると我が我がと食い付きます。余所者の虚言を信ずるなど……なんて浅はかなことでしょう。
私は引き続き愚かな人間共に銀の鐘を作らせた後、貴方様から授かった呪印を刻ませ、ロストベア一帯の支配という命を果たしてみせます。
すべては黒薔薇の名の下に
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(マニア……? 展示室に置かれていた像の女か?)
内容からするに日記ではなくマニアという人物に向けての報告。私は展示室の彫像が『
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愛しき
貴方様から頂いた呪印を銀の鐘へ刻むことに成功しました。呪印を覚醒させる下準備として人間共を皆殺しにした後……男共は生ける屍へ、女共は呪印の刻まれた銀の鐘を埋め込み、手駒として扱えるよう手を施しました。
しかし予期せぬ事態として、無風の渓谷を超えた先に厄介な者共が蔓延っているようです。者共の名は『魔女の馬小屋』と呼ばれるカルト集団。無知な
貴方様が望むのであれば迅速に排除いたします。すべては貴方様が望む通りの未来を描いてみせましょう。
すべては黒薔薇の名の下に
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(魔女の馬小屋に
魔女の馬小屋はともかく、異世界転生者の存在を把握しているという事実。私は不穏な空気に表情を曇らせつつも次のページを捲った。
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我が主
昨日、貴方様を疎む者共が
以前お伝えした魔女の馬小屋についてですが、マニア様が予言していた通り、こちらが手を下さずとも教団自体が自然に消滅……。邪魔な存在は消えましたが、今度は厄介事に巻き込まれてしまいました。
厄介事というのは呪印を与え、亡者に成り果てた町の男共です。どこから呪印の解呪法を知ったのか、四つ目の銀の鐘をネクロポリスまで運ぼうと企てております。すぐに手を打とうと一考しましたが、呪印が解ける危険性も考慮し、私も手駒も動くことができません。
亡者共の侵攻はこの間にも進んでおります。失念していました。マニア様、どうかこの私に知恵をお貸しください。
すべては黒薔薇の名の下に
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(……やはり銀の鐘が呪印を解くための鍵だったか)
亡者が自身の肉体を犠牲にしてまで運ぼうとしていた銀の鐘。カムパナの記録によれば、四つ目の銀の鐘が揃うことで呪印が解かれる可能性があったらしい。以前述べた『銀の鐘を恐れている』という憶測は正しかったようだ。
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美麗なる
『
亡者共が運ぶ銀の鐘を破壊させた後、帰還した愚者共を私と手駒たちで直々に始末します。マニア様の、私たち
しかし愚者共の中にも奇妙な人物が紛れ込んでおりました。異世界転生者を付き添いにする無頓着な女です。十戒の肩書きを持つ女もいましたが、警戒すべきはあの無頓着な女かと。もしやマニア様が過去に仰っていた『神嫌いの転生者』の可能性が高いのではないでしょうか。生け捕りにするか否か、マニア様の判断に任せます。
それと差し出がましい申し出かとは思いますが、もし私がロストベアを支配した暁には、黒薔薇の使徒としての昇進をご一考頂けないでしょうか。私は保身に走る
マニア様、私は貴方様の栄光を──転生者の栄光をこの世に取り戻します。
すべては黒薔薇の名の下に
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「転生者だと? あの司祭は、私と同じ転生者なのか?」
そこにはカムパナの筆跡で『私たち転生者』と書かれている。素直にこの意味を受け取るのならカムパナは転生者であり、マニアという名の人物も転生者。
(理解が及ばんな。転生者は吸血鬼共を粛清する使命を負わされている。その使命を放棄してまで……掴もうとする栄光とは何だ?)
吸血鬼側に付いている様子はないと憶測を立てていたが、もはやカムパナは吸血鬼など眼中にないのだろう。脳裏を過るのはゼンツァで暴れていた吸血鬼共。あの女は転生者の使命を放棄し、吸血鬼を野放しにしていた。
「……記録はここまでか」
私はカムパナの記録を見開きのまま机に置く。私の存在を、神嫌いの
(だが妙なのは記録のやり取りだ。この一冊に書き込み、マニアとやらの元に送っているとして……向こうの返事はどう確認している?)
マニアが黒薔薇十字団とやらの頭部。カムパナへの返事を辿れば、内部の情報を更に収集できる。私は周囲の探索をし、返事の手紙などがないかを確認した。
(……見当たらんな)
しかしどれだけ探し回ろうが手紙は一通も見当たらない。私はもう一度記録を調べようとその場を振り返った時、
「……?」
カムパナの筆跡が載ったページが、何も書かれていない真新しいページへと変わっていることに気が付く。私は机まで歩み寄り、そのページを見下ろしていると、
『死刻の鐘Kampanaへ』
(……どういう原理だ?)
文字が自然と記録に浮かび上がってきた。その文字はカムパナとは別の筆跡。私は口を閉ざし眉を顰めつつも、書き記されていく文を眺めることにした。
『転生者の名を偽る者たちは用が済んだら始末なさい。ただし例の神嫌いの転生者は生け捕りにするよう。必ず、生け捕りにするよう。もしワタクシの前にその者を差し出せば、No.10からNo.8への昇進を許しますわ。貴女の欲望も現実となることでしょう』
(……書いているのはマニアとやらか)
十中八九、記されている文はカムパナへの返事。内容は私を生け捕りにしろという命令。私はマニアという人物と過去に面識があるのか。遠い過去の記憶を辿りながら、記録を眺めていると、
『
そこで書かれている文が途絶える。私は妙に思いながらも文の続きが記されるのを待機していたが、
『──アナタ ダレですの?』
その一文が記された瞬間、記録から一本の黒い茨が天井まで突き出した。私は嫌な予感がし、その場から後退りをする。
『アナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレアナタダレ』
「下らん小細工を」
突き出した一本の黒い茨から次々と新たな茨が飛び出し、壁の至る箇所に深々と突き刺さる。私は茨の隙間を掻い潜り、階段を駆け上がるとカムパナの部屋を後にした。
「……判断が遅ければ詰みだったか」
後方を確認してみると私の後を追ってきたのか、蜘蛛の巣のように茨が張り巡らされている。カムパナの部屋には戻れない、と階段の最後の一段を上り切った。
「ェゥア"ァ……ッ」
「──ッ」
瞬間、どこかへ姿を消したはずの鋏女が地上で待ち伏せをしていた。私はすぐさま鞘から刀剣を引き抜く。
「ゥア"ァェッ……。ィア"ゥウ"ェエ"ァア"……ッ」
(……? 付いてこいとでも言いたいのか?)
だが鋏女は襲ってこない。左手に亡者から受け取った家族写真を握りしめ、私に背を向けながら壁に空いた穴を歩いていく。まるで「付いてきてほしい」と言わんばかりに。
「ァア"ィゥウ"ェ……ッ」
「……何かあるかもしれんな」
哀愁が漂う鋏女の背中。私は警戒を怠らないよう、その背に銃口を向けながら後を付いていくことにした。