「ェア"ァゥウ"ゥ……」
(……この女はどこへ向かっている?)
再び姿を現した敵意のない鋏女。私はその巨体に連れられ、壁の穴を潜りながら次々と部屋を移動する。これで五つ目だが、相も変わらず部屋の景観は代わり映えしない。
「ア"ァア"ゥエ"ェ……ッ」
「この扉は……」
ふと鋏女が身体の向きを変える。鋏女が向いた先には異様な存在感を放つ鉄の扉。 私は側まで歩み寄り、扉を開こうと試みる。
(……例の仕掛けか)
当然のように開かない。更に鍵穴すらも見当たらない。私はマイクとやらの仕掛けが関係していると小さな銀の鐘を取り出し、周囲を軽く見渡した。
「ゥア"ァァア"……」
(なるほど。この女は私を利用するために……)
鋏女の目的は鉄の扉を開かせること。私は大人しく扉を見つめている鋏女を他所に、やや色が荒んでいる壁に違和感を覚える。
「壁の裏側か」
指先で触れてみれば壁紙が容易く剥がれ、露になる小型マイク。私は銀の鐘を近づけて小刻みに揺らす。
「ェゥウ"ア"ァア"ァ……ッ!」
(……扉の先には何がある?)
鉄の扉が開き切る前に、向こう側へ無理やり巨体を捻じ込んでいく鋏女。鼻元へ漂う僅かな血の臭い。私は鋏女の後を付けて、扉の向こう側へと足を踏み入れる。
「ア"ァェゥァア"ァアァ……ッ!」
「これは──人の顔か?」
真っ先に目に入ったのは切り抜かれた顔の肉塊。銀製の棚へ標本のように並べられ、丁寧に保管されている。
「……いや、ネクロポリスに住んでいた女の顔か」
そのどれもが女の顔。男の顔は一つも見当たらない。つまり銀の鐘を埋め込まれる前の、修道女たちの本当の顔だろう。
「ェア"ッ! ァア"ゥゥウ"ウ"……ッ!」
(……この女は何を探している?)
私が顔の標本を観察している最中、鋏女は何かを探すように部屋の中を歩き回る。そして無数に並べられた銀の棚の向こうへ姿を消してしまった。
「この部屋には何もないか」
どこを見渡そうが目に入るのは顔の標本だけ。カムパナや呪印についての情報は得られない。私は居心地の悪い部屋を出ていこうと背を向けた。
(あれは……)
視線に一瞬だけ映り込んだのは標本の隙間から垣間見える石の台座。私は銀製の棚を動かし、その台座を調べることにした。
「……この身体は子供か?」
石の台座に乗せられていたのは小さな肉体。心臓が抉られていたり、片腕がそぎ落とされていたりと酷く遺体は損傷している。しかし残された毛髪からするに、恐らくは少女。
「アァアァア……ッ! ェア"ァァゥ……ッ!!」
私の背後から聞こえるのは鋏が床に落ちる音。その場で振り返ると鋏女が一歩ずつ、少女の遺体を見つめながら、石の台座まで近づいてくる。
「……?」
石の台座から少し離れた位置。置かれているのは大型の獣を捕えるための檻。転がる空っぽの皿。枯れ果ててしまった白い『ペチュニア』の花。檻の中は糞尿塗れとなり、無数の蠅が飛び交っていた。
「……」
檻の外側に落ちている二枚の紙切れ。私は無言でそれらを拾い上げ、書かれている文に目を通してみる。
『おねーさんが、わたしのなかにわるいばいきんがいるって。おかーさん、おとーさんとはあえないって。わるいばいきんやっつけたら、またあえるって。だから、おねーさんとがんばらないと』
台座に乗せられた少女の日記。恐らく『おねーさん』というのはカムパナを指している。私は続きの文へ静かに視線を移す。
『きょう、すっごくいたかった。いっぱいちゅうしゃされて、たくさんいたかった。おねーさんが、わるいばいきんをやっつけるおくすりって。いまも、いたいしくるしいけど、がまんしないと。おかーさん、おとーさんまっててね』
(……カムパナ自身が手を加えていたのか?)
子供らしい拙い文章。一枚目にはこれ以上何も書かれていない。私は口を閉ざしたまま、二枚目へ目を通してみる。
『おねーさんが、あとちょっとがんばったら、おかーさん、おとーさんとあえるって。もうおててがうごかないけど、わるいばいきんのせいだから、やっつけたらなおるって。おかーさん、おとーさん、はやくあいたいな』
思考がまだ幼いからこそ疑う心を持ち合わせていない。カムパナの言葉を信じ続けた少女の、最期に書かれた日記へ視線を移す。
『おねーさんが、あしたなおるっておしえてくれた。おかおをきって、なおすんだって。うれしいな。もうすぐ、おかーさんのおいしいごはんをたべれる。もうすぐ、おとーさんといっぱいおさんぽできる。あしたが、すっごくたのしみ』
私は少女の日記から台座に乗せられた少女本人へ視線を向ける。未熟な顔を切り取られ、銀の鐘を埋め込まれる前に息絶えた。恐らく痛みに精神が耐えられなかったのだろう。
「ア"ェァウ"ゥア"ァア"ァア"ッ!!」
「……そうか。お前は──」
両手に握りしめる家族写真。少女の亡骸を前にして悲しみに明け暮れた金切り声。私は一つの結論に辿り着く。
「──母親なのか」
この鋏女の正体は呪印を与えられた少女の母親。なぜ少女がカムパナに特別扱いされていたのか。その答えは傑作として生み出された母親の遺伝を継いでいるから。
「ェア"ウ"ゥッ……ェウ"ェア"ウ"ゥァア"ァァア"ッ……」
母親はただひたすらに金切り声を上げる。自身のかけがえのない一人娘を実験体として扱われた怒り。微かに生き延びているのではないか、抱いていた希望を砕かれ与えられた絶望。
「ゥエ"ェア"ァア"ァア"ェァッ!! ィア"ァア"ェア"ァア"ァー-ッ!!」
母親は怒りに身を任せ、両腕を振り回しながら銀の棚を次々と吹き飛ばす。無造作に顔の標本が宙を舞った。
「ゥア"ァエ"ェエ"ェッ……ア"ェゥィア"ァァア"……ッ!!」
そして何度か地面へ両拳を叩きつければ、先ほど落とした鋏を拾い上げ、
「ゥア"ァェエ"ァア"……ッ! ェァウ"ゥウ"ア"ァア"ッ! ア"ァァア"ェア"ァア"ー-ッ!!」
自身の頭部に深々と突き刺した。埋め込まれた銀の鐘を抉ろうと鋏を上下左右に激しく動かす。辺りに飛び散るのは黒ずむ血飛沫と肉片。
「ェア"ァゥウ"ァア"ッ……ア"ゥェッ、ゥウ"ア"ァァア"ーーッ!!!」
しかし銀の鐘は抉り出すことができない。母親は次に自身の肉体へ何度も鋏を突き立てて、命を絶とうと試みる。
「ェア"ィゥウ"アァアッ……!! ア"ァェゥィア"ァ……ッ!!」
(……死を遠ざける呪印か)
どれだけ鋏で肉体を傷つけようが再生してしまう。死を迎えることができず、血飛沫と肉片が飛び散るのみ。
「アァアァアアァ……ッ」
「この声は……」
金切り声とは違う呻き声。扉の方へ顔を向ければ、身体の一部が凍結した亡者が鋏女の元まで歩み寄ってくる。
「ィァア"ェエ"ア"ァァア"……ッ?」
「アァアァア……ッ!」
「……あの亡者は父親か」
家族写真を手渡してきた亡者は少女の父親だった。少女の父親は自身の肉体を傷つける母親の両腕に掴みかかり、懸命に引き止める。
(この亡者が私の元まで辿り着いた……。今頃地上は亡者共で溢れているのかもしれんな)
しかしルーナが亡者共に後れを取るはずがない。害意があれば侵入する前に、一人残らず凍結させるだろう。恐らく墓地で見かけた光景と同じく、地上では修道女たちを亡者共が押さえ込んでいる。
「ェァアァッ……ゥェィア"ァア"ッ……!!」
「アァアッ……ア"ァア"ァゥウァア"ッ……!!」
「……っ」
少女の無残な遺体を前に父である亡者と母である修道女が泣き叫んだ。その声が私の耳元まで届けば、脳内にとある光景が流れ込んでくる。
『おかーさんおかーさん! 今日ね、おとーさんと森をおさんぽしたの! わたしね、ペチュニアのお花がいっぱいあるとこ見つけたんだ!』
『あら、私の好きなお花じゃない! どこで見つけたの?』
『んーっとね、ずっとずっとおくだよ!』
映し出されるのは食卓を囲んだ家族。楽しそうに話す少女。その話に耳を傾ける凛々しい母親。そして二人を見守る父親の三人。
『よかったら今度は三人で見に行かないか? 本当に綺麗な花畑だから、君にも見せてあげたいと思ってたんだよ』
『もちろんよ! ……そうだわ、お弁当も持っていきましょう!』
『やったぁー! わたし、おかーさんのお弁当大好き!』
『はははっ! 俺の方がもーっと好きだぞ!』
『じゃあ私の方がもっともぉーっと好きだもん! おとーさんに負けないぐらい!』
下らない張り合いをするほどに幸せな家族。ペチュニアの花畑でお弁当を食べているのんびりとした家族。
「アァアッ……ア"ァゥッ……」
「ェアァッ……ゥア"ァェア"ッ……」
そして現実に引き戻された私の視界に映るのはすべてを奪われた家族。一人娘を弄ばれ、呪いを与えられた両親。脳裏に流れた二人の面影はどこにもない。
「……」
お互いに身を寄せ合い泣き叫ぶ二人。私はしばしその光景を見つめ、無意識のうちに右拳を強く握りしめると、
「カムパナとやらは──どこにいる?」
少女の亡骸に背を向け、部屋を後にした。
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「この階段、どこまで続いてるんだ?」
「知らないっすよ。でもだいぶ降りてきてるんで、そろそろ下に着くはずっすよ」
蝋燭の僅かな灯を頼りに一段ずつ慎重に下りていくティムとキリサメ。二人はアレクシアと別れた後、五分ほど階段を延々と下り続けていた。
「何だよここは……?」
「多分第二教会みたいなもんすね。相変わらずどこを切り取っても悪趣味っすけど」
二人が降り立ったのは一本道の廊下。真っ白なタイル状の床に、隙間から光が漏れる真っ白な壁。見上げるほど高い天井には銀の鐘が何百個と吊り下げられていた。
「この場所って地下だよな……。どこから光が入ってくるんだろ?」
「あんた、今まで何を見てきたんすか? どうせ自分らには理解できない
キリサメとティムは天井を見上げながら奥まで続くであろう両扉の前まで歩を進めていく。両扉は一回り大きく、銀の装飾など彩られている。
「……警戒した方がいいっす」
「えっ?」
「向こう側、誰かいるみたいなんで」
気配を感じ取ったティムはキリサメに忠告をすると刀剣を引き抜き、両扉へと手を触れた。そして後方で控えるキリサメに視線を送り、
「……ッ!」
力任せに扉を開く。瞬間、天井に吊られた銀の鐘が歩いてきた方角から共鳴するように一列、二列と鳴り始めた。後方から迫りくる鐘の音にキリサメは思わず振り返る。
「貴方たちは迷える子羊か。それとも銀の鐘に招かれた生者か」
広がる光景は大聖堂。地上の教会とは比較にならない広さに高い天井。百人程度であれば簡単に収まる。その大聖堂に佇むのは二人に背を向けたカムパナ。
「カムパナ……やっと会えたっすね」
「貴方たち二人は道半ばで命を落とし、辿り着くのはあの無頓着な女だ……と、私はそう予想を立てていました。しかし貴方たちが訪れてしまうとは」
大聖堂の鐘が一斉に鳴るとカムパナはゆっくり振り返る。その冷めた顔に今まで皮を被っていたのだと二人は息を呑んだ。
「あんた、何が目的なんすか? 呪印ってやつで、あんたは何がした──」
「私の目的はたった一つ。我が愛しきあの方による──人類と吸血鬼の支配」
「人類と吸血鬼の支配……? 何だ──」
「ありのまま受け取ればいいでしょう。私たちは人類と吸血鬼を支配するために、呪印の力を覚醒させているのです」
言葉を遮るように返答するカムパナ。キリサメとティムは違和感を覚えつつも、その話に耳を傾けることにした。
「
「隠蔽されていた真実? 何を言ってるんす──」
「リンカーネーション。その名を与えられた者たちにはこんな紋章が与えられているのでしょう?」
カムパナが髪をかき上げると、うなじに刻まれているのはリンカーネーションの紋章。キリサメとティムは思わず目を丸くした。
「なっ……!? なんであんたに付いてるんすか……!?」
「それは私がリンカーネーションだからでしょう」
「はっ?」
「リンカーネーションとは本来長き時を渡り歩き、転生者として吸血鬼を粛清する使命を背負った者たち。貴方たちは転生者ではありません。転生者を偽った愚かな人間共、私たちこそが正しき転生者です」
カムパナが祭壇に乗せられた刀を持ち上げると、隅に控えていた修道女が何かをティムたちの方へ転がす。
「うッ……何があって……」
「はれ? こ、ここはどこですか……?」
「アラン先輩、ララ先輩!」
「げほッ……ちッ、しくじっちまったぜ……」
「ノーマンさんも……!」
修道女が運んできたのはアラン、ララ、ノーマンの三人。そして馬車の積み荷に乗せられていたはずの武装。ティムとキリサメはすぐにアランたちの身を案じる。
「ですが貴方たちは認めようとはしません。なので私がこの場で披露してあげましょう。正しきリンカーネーションの力を」
「あれは日本刀……? なんでカムパナが、いやなんでこの世界に本物が……?」
カムパナが腰へと差すのは日本刀。戸惑うキリサメを他所にアランたちはその場に立ち上がる。
「ティ、ティム……今すぐ陣形を……」
「けどアラン先輩、身体は大丈夫なんすか?」
「僕らは気を失っていただけです……。負傷は、していません」
「それにここを切り抜けなきゃあ、生きては帰れねぇんだろ?」
「もぉブチンッと怒りましたぞ……。絶対ズタボロにしてやります……」
アランたちは武装を拾い上げ、慣れた様子ですぐさま陣形を組んだ。ララは特大の狙撃銃を持ち上げると、カムパナを睨みつける。
「ティム、早く構えてください……!」
「……分かったっす! やるだけやってやりますよ!」
ティムは覚悟を決めてアランの隣で刀剣を構えた。キリサメは戦いに巻き込まれないよう自然と後退する。
「さぁ、よく耳を澄ましましょう。今この瞬間に鳴らす鐘の音は貴方たちの──」
カムパナは陣形を組んだアランたちを静かに見据え、手元にある小さな銀の鐘を鳴らすと、
「──死刻を告げる」
滑稽だと言わんばかりに嘲笑った。