「あ"ッくあ"ぁぁあぁあッ!!? この煮えたぎる焔は一体──がァッはッ!?」
燃え盛る獄炎に包み込まれたカムパナは悲鳴を上げながら日本刀から手を離す。私は狼狽えた隙を逃さず、自身の胸元に刺さった日本刀を引き抜き、カムパナの喉へ刺し返した。
「喚くな」
刺傷によって鈍痛が走る胸元。私は堪えながらも炎上するカムパナを祭壇まで蹴り飛ばせば、獄炎の熱風に吹かれた銀の鐘が天井で鳴り響く。
「ふっふふふっ! 地獄の業火、貴方にそのような力があるとは……!」
カムパナは喉に突き刺さる日本刀を躊躇わず引き抜き、不敵な笑みを浮かべた。のべつ幕なしに溢れ出る真っ黒な血液。祭壇は黒く染め上げられる。
「加護か災禍……。いえ、貴方は白薔薇の
「貴様に答える義理はない」
カムパナの肌に浮き出た黒薔薇の模様は黒く灯れば、肉体を包み込んでいた獄炎が跡形もなく消え失せる。呪印の力とやらで血涙の力を相殺したらしい。
(……血涙と呪印の関わりか)
修道女とカムパナに通ずる獄炎。その獄炎を消し飛ばす呪印。やはり二つの力に何かしらの相関関係がある。私は左の手の平にフラクタルの蔓を忍ばせ、右手に握りしめた刀剣を逆手持ちに構えた。
「ふっふふふっ、いいでしょう。素晴らしく、素晴らしいでしょう。黒薔薇の開花を、呪印の覚醒を試す相手に──ヒュブリス、貴方は最適解です!」
丁度いい試験相手が見つかった。そう言わんばかりにカムパナが日本刀の剣先を床に掠らせる。その動作を目にした私は、刀剣を全力で真上に振り上げる。
「……ッ!」
刃が両肩を超えた瞬間、私の刀剣と衝突するのはカムパナの日本刀。その一振りは先ほどとは比べ物にならないほど重く、鋭く、身体の芯まで響いた。
「軽い、ふふっ、とても軽いですね! 貴方の肉体が散りゆく花弁のように軽く、短命すらこの身で感じてしまいます!」
(この女、黒薔薇の開花とやらで肉体を強化しているのか……)
吸血鬼共で例える伯爵以上の怪力。近しい存在は実習訓練で対峙した原罪の
(正面から押し切ることは愚策だ)
「……? この
私が空いていた左手を手前に引き寄せれば、カムパナは体勢を崩してしまう。その足元には蒼い蔓。私は鍔迫り合いの最中、左手に忍ばせていた植物の蔓を密かに床へ張り巡らせていた。
「無防備だったな」
体勢が崩れたことで弱まった怪力。私は衝突させていた日本刀を押し返し、そのままカムパナの首元を斬り落とそうと試みる。
「無防備という言葉は誤りです。正しくは『恐れ知らず』と賛美するべきでしょう」
「やはり貴様とは噛み合わんな」
刃が迫ればカムパナは微笑みながら空間移動を行う。移動先は恐らく死角。私は回り込むだろうとすぐさまその場を振り向くが、
「ええ、貴方とは噛み合いませんね」
「……っ」
カムパナは死角へ回り込むことはせず、体勢を立て直した状態でその場に現れ、日本刀で私の右肩を貫いてきた。肌や筋肉を容易く斬り裂き、私の視線の隅に日本刀の剣先が映り込む。
(……煩わしい力だ)
空間移動の速度、姿を消した状態の持続時間、移動範囲。これらの力が黒薔薇の開花によって大きく成長している。
(この女の移動先を予測するのが現状不可能なら──)
右手に持った刀剣を後方のカムパナに向け、大きく振りかぶる。そして左手は顔の前へ移動させた。
「次は貴方と噛み合うことを祈りましょう」
心の底からそう祈るように囁くカムパナ。日本刀と共にその姿は視界から忽然と消え去る。私は周囲を窺いながら刀剣を背後へと振り下ろし、
「……? この
妙なことを呟くカムパナが姿を現した位置は私の目の前。肌に浮かんだ茨の模様を一度だけ黒く灯し、私を日本刀で薙ぎ払おうとした。
(──全方位に仕掛ければいい)
顔の前まで移動させていた左手で半面を覆い、蒼色の装飾が施された仮面を装着する。微かに
「
「──! この顔は……ッ!」
そう呟きながらカムパナを睨みつけた瞬間、背後の影から一斉に飛び出すのは仮面を付けた女の頭部。
「うぐッ、がは……ッ!?」
飛び出した女の頭部はカムパナの肉体へ強烈な頭突きを何発も叩き込む。私の耳に届いたのは胸部を覆う
(この手は二度も通じんな。詰む前に仕留めるしかないか)
息の根を止められるかどうかを考える余地はない。止めなければこちらが
「ふっ、ふふふっ! とても素晴らしい、素晴らしいです! それでこそ黒薔薇に仇成す者に相応しい!」
もう一度迫りくる強烈な頭突き。カムパナは悦びに満ちた顔で日本刀を振り上げ、女の頭部を軽々と弾き返す。そしてその場から姿を消し、礼拝堂の壁を駆け回った。
「あぁ鐘の音が、天高く響き渡る鐘の音が……私の心を洗い流すかのよう!」
(……あの速度に追いつくのは困難か)
女の頭部を次々と向かわせるが、呪印の空間移動やらカムパナの機動を多用した身のこなしによって、頭突きは一度も当たらない。そもそも女の頭部の速度が足りていない様子だった。
「鐘の音を、鐘の音を、私に祝福を! 黒薔薇に鳴らす誓いの鐘の音を!」
「騒がしい女だ」
「……? 次に貴方が鳴らすその音と名前は……」
「──
上製本から蒼色の文字が飛び出し、長椅子やら銀の鐘やらに文字が刻まれる。その瞬間、文字を刻まれた物体がカムパナの元へ高速で突進を仕掛けた。
「祝いの証である鐘を、神愛である祝福を、鐘を、祝福をッ!!! マニア様より授かった鐘を粗末にするなど愚かに、軽率に、謀反な行為ッ!!! その器で収まることのない罰を受けるがいいでしょうッ!!」
銀の鐘を粗末に扱ったことでカムパナの顔が憤怒に支配されたものへと変わる。私はただならぬ気迫に眉を顰めながらも、礼拝堂を駆け回るカムパナに狙いを定め続けた。
「さぁ、その身に罰と罪を刻む時ですッ!!」
「──ッ!」
日本刀を全力で振り払いつつ、凄まじい形相で向かってくるカムパナ。私は半身を逸らし、日本刀の一太刀目を寸前で回避する。
「有り余る罰を、深淵を掲げる罪を、信じることを諦めた貴方の肉体に──私の刃で刻んでみせましょうッ!!」
(この女、私の動きを読んでいるのか……?)
隙を作るための蒼い蔓は斬り捨てられ、呼び出した女の頭部は影の根元から斬り落とされてしまう。私からの反撃のすべても捌き切り、こちらに一つ二つと切り傷が増やしていく。
「──ッ!」
「アレクシアッ!!」
すべての行動が読まれている。すべての行動が最適解となっている。まるで事前にその先を見てきたかのように。キリサメの叫びと共に右腕が肩から斬り落とされ、床に転がった。
「ふふっ、拾わなくていいでしょうか?」
「その口を閉じろ」
痛みに悶えている時間はない。振り下ろされた日本刀を受け流し、カムパナの顔を目掛け、左手に握りしめた刀剣を斬り上げる。
「ええ、閉じて差し上げましょう──」
カムパナは私の刀剣を素手で掴んだ。刃を伝うのはカムパナの変色した黒い血液。しかし痛みなど感じていない様子で、狂った笑みを浮かべると、
「──貴方の半生という名の幕を」
「ごほ──ッ」
私の腹部に日本刀を深く突き刺し、持ち方を変えると右脇腹まで斬り裂いた。そして追撃だと言わんばかりに蹴りが打ち込まれ、後方の壁に背中を衝突させる。
「ふっ、ふっふふ、ふふふッ! この美しき光景をご覧くださいマニア様ッ! 貴方から授けられた呪印は、黒薔薇の開花は……あのヒュブリスすらを上回っているのです!」
(黒薔薇の、開花……血涙とは、比べ物にならんな……っ)
(……これは詰み、か)
多量出血による冷や汗。脈の血流が弱くなり、呼吸をすることすらままならない。点滅するような眩暈と朦朧とした意識の最中、私は壁に背を付けながら倒れないよう、その場で踏ん張った。
「ヒュブリス、貴方はたった今後悔しているのでしょう? 黒薔薇の手を振り払ったことが愚かだったと」
(……身体が、動かん)
「ですが先ほど死刻の鐘は鳴らしてしまいました。貴方にはもう救いの手を差し伸べることはできません。貴方が歩む生と死の瀬戸際で、希望の光と内に秘める意志が失われていく感覚を、身体が冷めていく感覚を味わいながら──」
カムパナがゆっくりとこちらまで歩み寄ると日本刀の刃を私の首に押し付ける。私は立っているだけで既に限界。身体の自由も利かないため、なすがままになってしまう。
「──鐘の音と共に天高く昇りなさい」
「やめろカムパナぁあぁぁあぁッ!!!」
空いている手で小さな銀の鐘を鳴らし、日本刀に力を込めたカムパナ。視界の隅に映るキリサメは必死にこちらまで駆けてくる。だがあの男の足では間に合わないだろう。
(最期の最期まで……世話の焼ける男だったな)
どこまでも手間がかかった。どこまでも世話を焼いた。人に無関心だったはずの私が何故そこまであの男に、キリサメという異世界転生者に僅かな関心を抱いていたのか。
(……眷属を始末するための情報源としては優秀だったが、それ以外の伸びしろは何もなかった)
眷属の情報を手に入れるための情報源だったから。里親であるシーラが悲しむから。何故無能に近しいあの男を傍に置いていたのか。
(……考えても無駄か。来世の私に託すしかないな)
幸運なことに転生者としての証は剥奪されてはいないだろう。この場で命を落とそうがまだ来世がある。私は詰みとなったこの状況を受け入れようとした。
「ゥア"ァェエ"ァア"ァア"ァア"ー-ッ!!!」
「お前は──きッぐあぁあぁッ!?」
だがカムパナの真横にあの鋏女が現れる。憎しみと怒りが込められた金切り声を上げながら、カムパナの肉体を鋏で上半身と下半身を真っ二つにし、
「ゥア"ァァア"ェエ"ア"ァァア"ァア"ー-ッ!!!」
何度も何度も細切れに斬り刻んだ。黒い血飛沫と黒みを帯びた血肉が辺りに散らばる。キリサメは顔面を蒼白させ、その惨状を眺めていた。
「ゥア"ェエ"ァッ、ア"ァァア"ェィエ"……ッ」
カムパナだった残骸の上で鋏女は両肩を震わせる。そして私の方へゆっくりと振り返り、じっと何かを言いたげな様子で見つめた。
「ェア"ェエ"ィア"ァア"……ッ!?」
が、鋏女の両脚が真横に斬り捨てられる。その隣に立っていたのは肉片にされたはずのカムパナ。何事もなかったように蔑みと怒りが含まれた視線を鋏女に送っていた。
「手駒のお前が私に歯向かうとは何と愚かしいッ!! マニア様から有難き呪印を授けられたというのに、神愛よりも深き狂愛を拒むなど……ッ!!」
「ェウ"ゥア"ァィッ……ゥア"ァェエ"ゥウ"ァア"……ッ」
鋏女の両腕を斬り落とし、痛めつけるように何度も斬り刻むカムパナ。鋏女は悲痛な叫びを上げながらひたすらに耐えている。
「ゥア"ェエ"ィイ"ァァッ……ゥア"ァァア"……ッ」
(まさか、私の為に時間を稼いでいるのか……?)
反撃はせず、ただじっと耐えているだけの鋏女。私が立て直すために時間を稼いでいる。自身が苦痛に苛まれようと、私を庇うために耐えているのだ。
「アレクシア、大丈夫か!?」
「……厳しいな」
鋏女の意図を汲み取っていると、キリサメが私の元まで駆け寄って身を案じてくる。私は壁に背を付けながら、怒り狂ったカムパナを見つめた。
「アレクシア、カムパナについて気づいたことがあるんだ」
「話してみろ」
「カムパナと最初に会ったとき、俺たちの声が遅れて聞こえてくるって言ってただろ? でもさ、今は普通に会話が成立してるんだよ」
「……確かにな」
呼吸を整えながらスパイラルで傷の治療を続ける。そしてキリサメの話に耳を傾けつつ、斬り落とされた右腕を蔓の神経で結び、接着しようと試みていた。
「それでこれは俺の予想だけど──今のカムパナは多分『未来の音』が聞こえるはずなんだ」
「……未来の音だと?」
「カムパナはララさんの弾丸だけを避けようとしなかったんだ。まるで外れることが分かっているように。……けどララさんのエンジェルバレットだけは避けられなかった」
「避けられなかったのは『弾丸の外れた音が変わらず聞こえ、当たらないと気を抜いたから』……とでも言いたいのか?」
「そう、そうなんだよ! もし『数秒先の音』が聞こえるのなら、その可能性があるなって!」
数秒先の音。過去の記憶を辿ってみればカムパナのぼやきがいくつか脳裏に浮かんできた。
『……聞こえにくいですね』
『……?』
黒薔薇の開花とやらが始まる前。カムパナは確かに妙なことをぼやいていた。次に脳裏に浮かんだのは黒薔薇の開花後。
『この
『この
『次に貴方が鳴らすその音と名前は……』
今思えばカムパナは私が血涙の力を使う前に必ずそうぼやいていた。初回はともかく、二度目から全く通用しなくなったことを踏まえれば、キリサメの憶測がより信憑性を増すばかりだ。
「……予知みたいなものか」
「あぁそうだと思う! けどカムパナは未来が
「簡単に言ってくれるな。音が聞こえるだけでも煩わしいのに変わりは──」
そう言いかけた途端、私たちの隣に鋏女の上半身だけが飛ばされてくる。呪印が与えられている以上死ぬことはできない。鋏女は「ェゥァア"ァア"……」という微かな呻き声だけを上げていた。
「邪魔が入りましたね。改めて幕引きといきましょう」
カムパナは肌の薔薇模様を黒く発光させつつ、日本刀の矛先をこちらに向ける。キリサメは息を呑むと私へ視線を送ってきた。
「下がれ。次はあの女を仕留める」
「けど、お前の腕はまだ……」
「……あぁ、右腕はまだ不完全だ。少し時間がかかる。だがそんな時間をあの女が与えてくれるとは思えん」
私の返答を聞き、倒れているティムたちを見つめるキリサメ。意を決したように刀剣を引き抜くと、私を守るようにカムパナと向かい合った。
「……何をしている、退け」
「絶対に退かない。お前の右腕が治るまで、絶対に」
「正気か? お前の力量であの女には敵わんぞ」
「分かってる。でも今お前を守れるのは俺しかいないだろ」
「だがお前は……いや、そうか……」
キリサメは震える身体を何とか押さえ込み、向かってくるカムパナを睨む。私は右腕の治療を優先するか、それともキリサメを強引に下がらせるか。普段なら迷うべきではない選択に私はなぜか頭を悩ませ、言葉を詰まらせてしまう。
「あぁ来訪神、その判断は非常によくありません」
「そんなこと分かってるけどさ。判断が間違ってても、やり抜かないといけないことだってあるんだよ」
「そうですか。では貴方にも鳴らして差し上げましょう──」
カムパナが取り出すのは小さな銀の鐘。キリサメに見せつけるように突き出し、小刻みに揺らすと、
「──死刻を告げる鐘を」
キリサメの前まで空間移動をし、日本刀を斜めに振り下ろした。キリサメの腕力では受け止められない。私は蒼い蔓を伸ばしてキリサメを下がらせようとしたが、
「この、音は……ッ!?!」
「うッぐぁあぁぁあぁッ!?!」
キリサメはわざと刀剣をその場で落とした後、懐から取り出した蒼色の物体で日本刀を受け止めた。当然だが腕力が足りず、キリサメの両腕が折れる音が響き、私のすぐ隣の壁に吹き飛ばされる。
「それは──カルキノスか?」
キリサメが手に持っていた蒼色の物体は、無風の渓谷で相まみえたカルキノス。金剛石以上の硬さを誇っているのか、甲羅には傷一つ付いていない。
「は、はははっ……メルがこっそり入れておいてくれてさ。……ぐぁッ、いってぇッ」
無理に両腕を動かそうとし、痛みに表情を歪めるキリサメ。私はいつ忍ばせたのかと思い返す。
『クスクスッ、そう言ってくれると思ったぜ色男ォ。しない後悔よりする後悔ってやつだァ。ジョーカーの面倒を見てやんなァ』
『あぁ! ありがとな、メル!』
(……あの時か)
無風の渓谷から北へ逃亡することになったあの時。確かにメルはキリサメの懐に何かを忍ばせていた。それがカルキノス本体だったらしい。
「アレクシア、必要な時間ってさ……これで足りたか?」
「あぁ問題ない」
「ごめん、すげぇかっこ悪いけど……後は任せてもいいか?」
「……あぁ」
キリサメがほんの数十秒稼いだことで、右腕を不自由なく扱える域まで治療することに成功した。私は落としていた刀剣を拾い上げ、自身の額を何度か叩く。
「あぁヒュブリス。安らかに眠れる機会すらも失うなんて、貴方は何て愚かしく、強情で、謀反人なのでしょ──」
私を憐れむカムパナ。その気に食わない顔まで足元にあった木片を蹴り飛ばす。カムパナはその木片を顔だけ動かして回避した。
「もう貴様の下らんぼやきも聞き飽きた。もう貴様の黒薔薇の開花とやらも見飽きた」
「ふふっ、やっと気が合いましたね。私もそう考えていた頃合いでした」
カムパナは抜刀の構え、私は刀剣を逆手持ちにする構えを取り、
「終わりにしましょうヒュブリス! 勝利の鐘の音を、勝利の祝福を、私が貴方から奪い取ってみせますッ!」
「そうか。やってみろ」
決着をつけるためにその場から駆け出した。