「……終わったな」
ステンドグラスの向こう側に隠されていた四つ目の銀の鐘。私はカムパナの頭部でそれを打ち鳴らした後、ゆっくりとカムパナの顔から手を離した。
(……あの男は気を失ったか)
両腕を負傷したキリサメは壁に背を付け気を失っている。私は酷く荒れた状態の礼拝堂を軽く見渡した。
(問題は呪印とやらが解けているのか否か──)
「ふッふふふッ、げほッ、ごほッ……」
疑念を抱いている私の足元で不敵に笑いながら咳き込むカムパナ。私は転がっていた刀剣を拾い上げ、トドメを刺そうと試みるが、
「その肉体は……どうなっている?」
カムパナの肉体を目にした途端、手の動きを止めてしまった。
「はぁッごふッ……ふッふふッ……狂愛の黒薔薇は、美しいでしょう?」
肌に浮かび上がっていた黒薔薇の模様。具現化でもしたのか、皮膚を突き破るように肉体を纏うのは黒い茨。花園のように無数に咲き誇るのは黒い薔薇。その奇妙な光景に私は思わず険しい顔をする。
「……呪印は解けているようだな」
数秒経過しても肉体再生が始まらないカムパナ。私は呪印が解呪できたのだと確信したうえで、剣先をカムパナの心臓付近へ近づけた。
「この場で始末することは容易いが貴様は転生者だ。吸血鬼共に変えるまでは拘束させてもらう」
転生者のカムパナを殺したところで次の時代に転生し、何事もなかったように同じ悲劇を繰り返すだろう。私はカムパナの肉体を纏う黒い茨を斬り捨てようと試みる。
「ふッ、ふッふふッ……その必要は、ありませんよヒュブリス……ッ。貴方が手を下さずとも……私は、マニア様の元へ還るのです……ッ」
何が可笑しいのか笑い続けるカムパナ。私は黒い茨に刀剣の刃を触れさせ、カムパナの顔を見下ろした。
「何が言いたい?」
「この黒薔薇は……マニア様へ、狂愛へ捧げる献花……ッ。マニア様は呪印を私へ授け、私は授けられた呪印を、黒薔薇を開花させ……最期にマニア様へ捧げる……ッ。それが、黒薔薇の使徒が果たさなければならない使命」
「……まさか貴様」
私はカムパナのうなじに刻まれる転生者の紋章を視認する。しかし紋章は完全に消え去り、代わりに黒色の薔薇を象徴する紋章が刻まれていた。これが表すのは『カムパナが転生者としての資格を失った』という事実。
「……答えろ。貴様はなぜ四つ目の銀の鐘を用意していた? この場になければ敗北を喫することは無かったはずだ。マニアとやらを恐れていたのか?」
「ふッふふふッ! ごふッごほッ……ええ、私はマニア様を恐れていました……ッ。黒薔薇の開花と共にこの身を捧げる覚悟が決まらない時、授かった呪印を解くために」
「ならなぜ黒薔薇の使徒になった?」
「それは答えたでしょうヒュブリス……? げほッ……私は、心の底から、人間共を憎んでいると。私が望む世界は、愚かな人間共が転生者に支配され、その薄汚い顔を泥水にへばりつかせ、命乞いをする世界。マニア様ならそれを実現できると、確信したのです」
黒色の血液を吐き出しながらそう答えるカムパナ。吐血をした際に肉体が僅かに揺れたことで、黒色の薔薇もまた静かに揺れた。
「下らん理想の為に道化を演じたのか」
「ふッふふッ……! 貴方が最も理解しているはずでしょうヒュブリス? 人生というのは──誰もが演じなければならない道化芝居だと」
「……っ!」
カムパナがそう告げた瞬間、黒色の茨が私の肉体へ纏わりつく。振り解こうとするが茨の棘に返しが付いているのか、力のみでは黒い茨を引き抜けない。
「黒薔薇の使徒は十人……。私がマニア様への献花となることで、黒薔薇の使徒に空きができるでしょう……ッ」
「何をするつもりだ……?」
「ごほッ、ふッふふふッ、呪印は呪印を絶つ者へ引き継がれる……ッ。喜ばしいことですねヒュブリス、貴方はマニア様に、次の黒薔薇の使徒として選ばれたのです……」
纏わりつく茨がカムパナの肉体から黒い薔薇を引き抜き、私の左脚へ移植するため距離を詰めてくる。私は蒼色の獄炎で身体全体を覆いつくし、茨ごと灰に変えようとしたが、
(この茨、血涙の炎を吸収して……)
身体を締め上げる茨が獄炎を瞬く間に吸収してしまう。ならばと蒼い蔓で引き剥がそうと試みるが、蔓が茨に触れた途端、事細かに斬り刻まれる。
「──ッ」
左脚に刻まれた転生者の紋章。それを貫くように一輪の黒い薔薇が突き刺さった。全身を駆け巡るのは痛みではなく吐き気と嫌悪感。
「貴様、何を……ッ」
左脚へ液状のナニカが流れ込み、肌の上から
「……っ」
拘束していた黒い茨が力を失くし、私の肉体は解放される。しかし身体に上手く力が入らず、膝を突くどころかそのままうつ伏せに倒れた。
「小賢しいことを……っ」
私は何とか右腕に力を込め、ホルスターから銀の杭を一本だけ取り出す。そして未だに炙られた感覚の残る左脚へ突き刺した。転生者の紋章が刻まれた箇所から赤黒い血が溢れ出す。
「げふッごふッ……はぁッはぁッ、くッふひゃッひゃひゃ……ッ。何をしようともう遅いでしょうヒュブリス……。既に貴方は黒薔薇の使徒として呪印を授かっているのです」
荒い呼吸を繰り返しつつ嘲笑うカムパナ。私は血塗れとなった左脚を血涙の力で再生し、制服の布で何度か拭った。
「……間に合わなかったか」
転生者の紋章へ付け加えられるように刻まれた黒い薔薇の証。私は眉間にしわを寄せると自身の左脚からカムパナへ視線を移す。
「呪印を解く方法を答えろ」
「あぁヒュブリス、とてもお似合いですよ……。その左脚に刻まれた呪印。貴方はマニア様へ……狂愛の代償として何を捧げるのでしょうか──ごふッ!?」
カムパナはこちらの問いに返答する気配がない。私は強引に情報を吐かせようと、黒い薔薇が咲いた胸元へ無言で銀の杭を突き立てる。
「聞こえなかったのか? 私は『この呪印を解く方法を答えろ』と貴様に命令しただろう」
「ふッふふふッ、呪印を解く前に『狂愛の代償』を心配しなくてもよいのですか──かッはッ!?」
「余計なことを口走るな」
突き立てた銀の杭へ力を込め胸元を抉るように円を描けば、カムパナは黒い血液を吐き出した。そして私の右手を凄まじい形相で掴んできた。
「くッふッ……ふッひゃひゃひゃッ!! 愚かな人間共を殺し続けなさいヒュブリス……ッ。さすれば黒薔薇の開花は、貴方へ一歩ずつ歩み寄ることでしょう……ッ!」
私が握りしめた銀の杭を自ら心臓へと刺し込んでいくカムパナ。引き離そうとするが、死闘による疲労とカムパナの怪力が原因で止めることができない。
「あぁ鐘の音よ。生者の我らに祝印を与え給え。死者の我らに、呪印を与え給え。我らが求めるは栄光……咲き乱れる黒薔薇は、
例の文言を呟く途中でカムパナの声が消え失せ、私の右手から手が離れていく。右手に残るものは銀の杭が心臓を貫いた感触。
「……アーちゃん!」
黒い薔薇の苗床となったカムパナの亡骸。私は呆然とした様子でその亡骸を眺めていると、礼拝堂の入り口からルーナが姿を現した。
「アラン、ティム、ノーマン、ララ……! みんな、どうして……っ」
視界に映り込んだのは自身の班が壊滅した光景。ルーナはアランたちの元へ急いで駆け寄り、その身を案じ始めた。
「……これは酷い有様ね」
(あの女は……)
ルーナの後に続いて姿を現した女性。後頭部で一つ結びにした長い白髪。リンカーネーション制服にも似た白い制服。黒い布の手袋を装着し、冷静に礼拝堂を一望する。
「派遣されてきて正解だったわね」
「
「ええ、言われなくても」
(エリザ……?)
聞き覚えのある名前。私の脳裏に過ったのはドレイク家の一件が幕を閉じた後、医療室で交わしたエイダとの会話。
『この粉末が原因だとよく気が付けたな』
『エリザが一瞬にして見抜いたのよ』
『誰だそいつは?』
『三ノ戒、
「ところで負傷者は何人かしら?」
「全員で六人……!」
「そう、
エリザにそう指示を出されたルーナはアランとララ、ティムとノーマンを二人組にまとめる。そして次は私の元へと駆け寄ってきた。
「アーちゃん、あの子のところまで移動する……!」
「私は問題ない。あの男だけ治療を──」
「それは容認できないわ」
ルーナから差し出された手を振り払おうとすると、アランへ右手、ララへ左手をかざしていたエリザが私の言葉を遮る。
「なぜだ?」
「あなたが抜けたら五人になるのよ。五人っていうのは奇数で、私にとって縁起が悪い数字なの」
「下らん拘りを私に押し付けるな」
「拘りじゃないわ。それと黙って治療されなさい」
エリザは文句を垂れる私にそう吐き捨て大きく深呼吸をし、胸元に飾られた橙色の
「我が主ヘメラよ。我らは汝へ栄光を捧げ、汝より救いを授かりし者。我らが栄光を阻むは罪。我らへ汝の加護を与え給えば、我らが栄光なる器へ
エリザが唱え出したのは加護の詠唱。唱えれば唱えるほど、周囲に散らばる長椅子の残骸などが光の粒へと変化し、エリザの両手に集束していく。
「三ノ戒──
最後にそう唱えた後、光の粒が集束した右手をアランへ、左手をララにかざした。光の粒は二人の肉体へ少しずつ吸収され、欠損していた片足や斬り傷が再生していく。
「……この二人はもう大丈夫ね。次の怪我人に移るわ」
アランとララの怪我をあっという間に完治させ、エリザは次にノーマンとティムの治療へ取り掛かる。そして一分も経たずに怪我を完治させてしまった。
「最後はあなたたち二人……だけど」
私のすぐそばまで気を失ったあの男を連れてきたルーナ。エリザは私たちを交互に見つめ、半目になりながら首を傾げた。
「その子は両腕の骨が折れているのにあなたはほぼ無傷なのね」
「だから言っただろう。私は問題ないと」
「……でしょうね。じゃあその子だけを治療するわ」
エリザは素っ気ない返答をし、仰向けに寝かされたこの男の両腕に手をかざす。私は治療されるこの男をじっと見つめた。
「お前はなぜこの町に顔を出した? 派遣されたのか?」
「ティアに伝えられたのよ。ネクロポリスに負傷者がいるから向かえって。いくら何でも突然だと思わない? その情報を信じる根拠もないのに、ティアはどうかしているわ」
「なら何故この町に?」
「……別件があったのよ。わざわざ顔を出したのもその別件が目的」
ティア・トレヴァー。あの女がなぜこちらの状況まで把握しているのか。私は思考を張り巡らせたが、血涙の酷使によって頭痛が襲ってきたため、考えるのをすぐに止めた。
「アァァアァアァア……ッ」
瞬間、礼拝堂の入り口から亡者の呻き声が聞こえてきた。私たちが視線を向けてみれば、少女の肉体を抱えた亡者が倒れている鋏女へ歩み寄る。
「ゥァア"ァア"ェ……ッ」
鋏女と亡者は少女の亡骸を二人で抱きかかえると、ぐったりとした様子でその場へ倒れ込んだ。彷彿とさせるのは『一つのベッドで静かに眠る三人の家族』だ。
「ア……リ……ガ……ドウ……ッ」
私に向けて感謝の言葉を述べる亡者。その言葉を最期に鋏女や亡者はその場で動かなくなった。呪印が解け、死を迎えることができたのだろう。
「私たちルーナ班がこの町に少しでも早く来ていたら……町の人はみんな……」
「ルーナ、あなたは『後悔に効く薬』を服用した方がいいわ」
「後悔に効く薬……?」
「ええ、
冗談なのか真剣なのか。どちらか分かりにくい返答をすると、ルーナから私へ視線を移してきた。
「ところで、この子の名前を教えてもらえる?」
「あぁ、この男は……」
口を閉ざし言葉を詰まらせる。口に出せなかったのは呂律が回らなかったことが原因ではない。迂闊に名を出すことを躊躇ったわけではない。
(この男は──誰だ?)
どれだけ考えても名前が出てこなかった。この男と共に行動していた記憶は残っている。だが名前がどうしても出てこない。自身に何が起きているのか分からず、右の手の平を見つめる。
「アーちゃん、大丈夫……?」
「……あぁ」
「じゃあルーナ、あなたがこの子の名前を教えてくれる?」
「その子はT機関のカイト・キリサメ。少し前に、アーちゃんとルーナ班へ来た」
カイト・キリサメ。私はその名前を聞いて「そうだった」と思い出す。しかし名を一瞬でも忘れたことが信じられず、ふと左脚の紋章へ顔を向けた。
『ふッふふふッ、呪印を解く前に『狂愛の代償』を心配しなくてもよいのですか?』
カムパナが述べていた狂愛の代償。私は無言のまま左脚の紋章へ手を触れる。黒薔薇の証はどれだけ擦っても消えはしない。
(まさか代償として捧げているのは──)
狂愛の代償に対するとある憶測。それらを遮るように天井から吊り下げられた銀の鐘は、掠れた鐘の音を礼拝堂へ響かせた。