「……
「誰だお前はと聞いている」
「名乗るべきはそちらでしょう。面会を求めたのはあなたたちです」
唖然としているキリサメと使用人のルミ。私は玉座で高圧な態度を取る女の顔を見上げ、しばらく睨み合う。
「あの使用人は私とこの男の名を知っていた。
「……氷の皇女とまで判別がつくのなら、私の名も勿論ご存知でしょう」
「知らん。だから聞いている。誰だお前はと」
私がそう返答すれば、玉座に座っていた女が突如立ち上がる。一歩ずつ床を踏みしめ、私の元まで歩み寄れば、周囲の空気を徐々に凍らせていく。肌を貫くのはルーナの加護とは違う──威圧と眼光による寒気。
「やはりあなたは不敬者ですね」
「……その紅い瞳と白髪、まさかお前はアーネット家の人間か?」
左目は前髪で隠れて窺えないが、右目は紅色に染まっている。吸血鬼共を除けば紅色の瞳を持つのは、神に最も愛されたとされるアーネット家の人間のみ。
「不愉快極まりないですね。私が
「……つまりお前が雪月花とやらの一人か」
「雪月花……。かつてはそう呼ばれていましたが、今はエメールロスタを統べる皇女。雪月花として一括りにされるのは不愉快です。そしてこの紹介状に書かれている無用な文も──極めて不愉快」
スノウは不快感を露にしながら私を睨みつけると、読めと言わんばかりにこちらへルーナからの紹介状を投げ渡してきた。私は視線をしばし交わした後、紹介状に目を通してみる。
「ルミ」
「は、はいスノウ様。いかがなさいましたか?」
「その
「……! 今、俺のことを来訪神って──」
使用人のルミにそう呼びかけるスノウ。キリサメは来訪神という単語に反応をし何かを言いかけたが、スノウから鋭い視線を向けられ言葉を詰まらせてしまう。
「しかしその者はグローリアの流れ者です。スノウ様の身にもしものことがあれば……」
「私がこの不敬者に後れを取る、とでも?」
「い、いえ、決してそのような意味では……!」
ルミは焦燥感に駆られながらも否定をし、キリサメの傍まで小走りで駆け寄った。そして半ば強引に玉座の間から連れ出そうとする。
「ま、待てよ! こっちだって色々と心配することがあるんだって──」
「私に構う必要はない」
「け、けどさ!」
「私はこの女と話をするだけだ。お前は自分の身を案じろ」
納得がいかない様子でルミに引きずられていくキリサメ。私は後方で両扉が閉まる音を耳にし、投げ渡された紹介状を今度はスノウに投げ返す。紹介状に書かれていた内容はこうだ。
『スーちゃんへ
大切なルーナ班の一員、アレクシア・バートリとカイト・キリサメの二人がアダールランバに行きたいって。だから入国許可証をあげてほしい。二人は信頼できるって私が保証する。アーちゃんの方はちょっと生意気かも。
けどアーちゃんはネクロポリスの司祭を倒して、町の人たちとルーナ班を救ってくれた。実力も保証できるから……お願いスーちゃん。
ルーちゃんより』
紹介状とは呼べない内容。例えるなら幼児が幼児へ書いた手紙に近い。最初は目を疑ったが、ルーナが継いでいるのは礼儀知らずのレインズ家の血。その時点ですべてを察した。
「……その紹介状の何が不快だった?」
「ここに記された『ネクロポリスの司祭を倒した』という一文です。鵜呑みにするのであれば──あなたは
その一言を耳にした瞬間、しかめっ面でホルスターから銃を引き抜くと、銃口をスノウの口元に向ける。
「……貴様、あの女と同じ黒薔薇の使徒か?」
不快感を覚えた内容が黒薔薇の使徒であるカムパナの死。私はスノウが同様の黒薔薇の使徒かと疑念を抱き、銃を突き付けて問い詰める。
「いいえ、私は黒薔薇の使徒ではありません」
「ならなぜ不快だと?」
「不敬者、あなたが黒薔薇の使徒に刃を振るえるほどの猛者には見えません。要約するに……この紹介状は虚偽に固められた産物」
スノウは銃口を突きつけられてもまったく動じない。私をただ真っ直ぐ見つめ、ルーナからの紹介状を偽りだと訴えかけた。ふと脳裏を過るのはネクロポリスで読んだカムパナの記録。
『昨日、貴方様を疎む者共が
(……なるほど。この女がネクロポリスに刺客を送り込んでいたのか)
スノウはネクロポリスを支配する黒薔薇の使徒を懸念していた。制圧するため何度も精鋭を送り込んだが、その全員が還らぬ人となる始末。私が自作自演をしたと決めつけている理由は恐らくそこが関係する。
「だったらネクロポリスまで顔を出せばいい。あの司祭も鐘を埋め込まれた女も、今頃土の下で静かに眠って──」
「ですが聞き入れましょう。アダールランバへ入国する為の許可証をあなたたちへ譲渡します」
「……何?」
カムパナを葬った証など持ち合わせていない。私は面倒な話になると思い込んでいたが、スノウは何食わぬ顔で許可証を譲渡すると述べてきた。
「その前に一つ、あなたへ問いましょう」
「……何を問う?」
「あの紹介状を真実と反論するか。それとも虚偽と認めるか。どちらを選びますか?」
ルーナからの紹介状を私に見せつけ、無表情で問いかけてくるスノウ。私はしばし口を閉ざすと、突きつけていた銃口を下ろしてからこう答えた。
「私はあの
「真実、とあなたは反論するのですね?」
「あぁ、真実を虚偽で塗り替える必要はないだろう──」
そう言いかけた途端、スノウは持っていた紹介状を真っ二つに破り捨て、
「……ッ」
掌底打ちをこちらに向けて放ってきた。その紅い瞳には凍てついた殺意が込められ、私を敵とみなしているように見える。
「何のつもりだ?」
顔に向かってくる右手による掌底打ち。私は手首を狙い、銃を握っていた左手を振り上げ、その軌道を大きく逸らす。
「話し合いの余地はないか」
そして流れるように銃口をスノウに突き付け、引き金を引いた。撃ち出された弾丸は真っ直ぐスノウの鼻先に向かっていく。
(この女、弾丸を……)
だがスノウは俊敏な動作で弾丸を難なく避ける。一メートルもない近距離での発砲を避ける動体視力。私は思わず後方へ飛び退いて距離を置く。
「……私の中で黒薔薇の使徒は
スノウはやや赤く腫れた右手を冷静に凝視し、変わらず無表情で淡々と語り始めた。
「それは
ふと視線を逸らして握っていた銃を確認すると、銃身自体に亀裂が走り、弾倉が床に零れ落ちていた。引き金を引いてみるがまったく反応しない。
「──理という一線を踏み越えた異例」
スノウが真横へ右手を突き出せば、どこからともなく飛んでくるのは大鎌。凍てついた氷の刃が空気を斬り裂き、その持ち手は右手へ綺麗に着地をした。透き通るほど美しい湾曲の刃は二枚に重なり、触れてはならないと私の脳が警鐘を鳴らす。
「……理の一線とやらを越えているのは貴様の方だ」
背中を向けられる相手ではない。私は右手で刀剣を引き抜き、左手にもう一丁の銃を握りしめる。この貧しい武装で抗える可能性はゼロに等しいだろう。
「それは当然のことでしょう」
スノウは隙だらけの構えで大鎌を器用に手元で回す。空気を斬り裂くたびに風を切る音が響き、玉座の間に寒波が到来した。
「理を踏み越えた異例を討てる者は──理を超えた異例だけです」
そう言って地を蹴ると凄まじい速度でスノウが向かってくる。伯爵、もしくはそれ以上の機敏な動きに私は銃を片手で構え、
「なら貴様も消えるべきだ」
何発かの弾丸で牽制を試みた。しかしすべて動体視力だけで避け切ると、身体を回転させながら大鎌を振り上げ、
「ええ、いつかはそうなるべきかと」
冷気と威厳が込められた二枚の刃を私に向かって振り下ろした。
「ですが今はあなたが
「それは
刀剣で受け止めるのは愚策。私はその場で上半身を大きく後方へ逸らし、右脚を主軸に身体を一回転させ、
「
勢いを乗せた左脚でスノウの顎を蹴り上げた。上手く蹴りを打ち込めた感覚はある。しかし左脚に走る鈍痛に、私は思わず顔をしかめてしまう。
(……やはり
スノウが先ほどから多用しているのは動術の起源でもある鼓動。心臓の鼓動を利用し、アーネット家の人間が扱える動術。
心臓の鼓動一回分を乗せれば、人間の肉体を粉々にすることが可能な殴打を放てる。それほどまでに圧倒的な強さを誇る動術だ。
先ほど銃身に亀裂が入ったのも、鼓動を使用した掌底打ちに銃が触れたことが原因。私の左脚も鼓動を扱う最中の肉体に触れたせいで酷く痙攣している。
「乏しい抵抗ですね」
空いている手で私の足首を掴み、壁際に軽々と放り投げる。鼓動を乗せられた投擲によって、私の肉体は高速で風を切り、
「……ッ!」
壁へ背中を衝突させたと同時に右肩が外れ、いくつかの臓器が潰れる音と苦痛が全身を駆け巡った。右肩を犠牲に受け身を取らなければ、間違いなく死んでいた。
「この程度でしょうか。黒薔薇の使徒を排除した異例の力は」
(……血涙の力で敵うかも怪しい。今考えるべきはどう生き残るかだ)
血涙の力を解放したところで勝機は薄さは変わらない。どう勝つかではなく、どう生存するか。私は考え方を変え、玉座の間の部屋を視線だけで見渡した。
(最善策はフラクタルであの窓から逃走。懸念すべきはあの男が使用人に連れて行かれたことだが……。恐らくあの男は異例とやらの枠には入っていない)
キリサメが持ち合わせているのは
(最悪の展開は……あの皇女が地の果てまで追いかけてくることぐらいか)
グローリアから逃亡の身でありながら、氷の皇女からも逃亡しなければならない。私はそんな笑えない冗談を思い浮かべつつ、玉座の間の向かいにある窓を見据え、
(……上手くいかんことばかりだ)
刀剣を逆手持ちで構え、スノウに向かって駆け出した。目的はスノウを始末することではなく、その後方にある窓からの逃亡。
「あなたは私に生を求めず、死を求めるのですね」
左手に構えた銃弾をすべて撃ち尽くし、逆手持ちにした刀剣に力を込める。スノウは湾曲した大鎌の刃を淡々と私側に向けた。
「どうだろうな」
射程距離に入った瞬間、こちらの腰目掛けて振り抜かれる大鎌。私は刃が触れる寸前で飛び上がり、宙で一回転しながら窓側へと向かう。
「死に急ぐのではなく──生き急ぐの誤りでしたか」
「……っ」
しかしスノウはそのままもう一度身体を捩じらせると、宙を舞う私の肉体目掛けて、大鎌の刃を振り抜いてきた。逆手持ちにした刀剣で二枚の刃を受け止めるが、その衝撃で入り口付近まで吹き飛ばされてしまう。
(あの馬鹿げた得物は何だ……?)
刀剣と大鎌の刃触れた瞬間、鳴り響いたのは金属が擦れた時とは違う甲高い音。刀剣は一瞬で粉々になってしまう。すべてを防ぎ切れなかったようで、私の腹部は大きく斬り裂かれ、激しい痛みと出血を伴った。
「あなたは国外逃亡を図ろうとしたのでしょう?」
(……読まれていたか)
トドメを刺そうと大鎌を構え接近するスノウ。私は防ぐ術がない為、座の間にある石柱の陰に転がり込んだ。
(この女……ッ)
だがその石柱を平然とした顔で真っ二つに斬り裂いてしまう。頑丈な石柱に大鎌は難なく二枚の刃を通したのだ。背後に隠れていた私の前髪も微かに切れるほど容易く。
「そろそろ摘みましょう──異例なる存在を」
「……ッ!」
次なる一撃。私は避けようと試みたが、足元の血だまりで足を滑らせて体勢を崩す。目前まで迫るスノウの大鎌。薙ぎ払われた二枚の刃は私の首を刈り取るように迫り──
「失礼します、皇女殿下!」
精鋭であろう兵士が玉座の間に駆け込んだことでスノウの動きが静止し、
「不敬者。断りもなしに面会を試みるとは」
「ふ、不敬をお許しください! ですが、ですがどうしてもご報告せねばならないと……!」
「……いいでしょう。その報告を聞かせてもらえますか?」
「はい、エメールロスタ南西部の山林に──新たな『
兵士の一言によってスノウの表情がより険しいものへと変化した。