「──きて、朝だから起きてって!」
「……んぁ?」
俺の耳まで届くのは聞き覚えのある少女の声。
苛立ちながら寝ている身体を雑に揺さぶってくる。列車で食屍鬼の自爆みたいなのを受けた後、多分俺は気を失った。取り敢えず身体を起こしてから目を開き、視界に映った光景。
「──は?」
「『は?』じゃないから。さっさと起きろ」
寝ていたのは日本にある俺の自室。
目の前で俺を起こしていたのは実の妹である
「アレクシアは、アレクシアはどこにいるんだ?」
「はっ? 何言ってんの? その年齢で厨二病でも発症した? キモイからやめた方がいいよ」
アレクシアの行方を尋ねてみれば
「どうなってんだよ? 俺は、確かに列車に乗って──あれ、あの自爆を受ける前に何か忘れちゃいけないことがあったような……?」
すべてが夢だったのか、それとも元の世界に帰ってきたのか。何が何だか分からない状況の中で、俺は何か大事なことを忘れているに気が付く。でもどれだけ考えても思い出せない。
俺は状況を理解するために学校の制服へと着替え、ベッドの枕元に置かれているスマホを手に取ってリビングへと顔を出すことにする。
「海斗、また夜更かしでもしたのか?」
「──親父?」
久方振りに顔を出したリビング。
そこにはいないはずの俺の親父──
「どうした海斗? 父さんの顔に何かついているのか?」
「あっ、あぁいや……何でもない……!」
俺はそう言いながらスマホで年月を確認した。今は『二千二十二年』の『七月十四日』だ。俺が神棚の餅を勝手に食べて喉に詰まらせて死んだあの日は、確か『二千二十二年』の『四月一日』だった。
「あのさ、俺が窒息死しかけた時とかって……前にあったっけ?」
「……? そんな話、父さんは知らないぞ? 望《ノゾミ》、俺がいない間に何かあったのか?」
「そんな物騒なことが起きてあなたに黙っていると思う?」
「二人とも相手にしなくていいよ。兄貴は厨二病を拗らせてるだけだから」
窒息死したあの日、そして親父が家を出ていった事実が消えている。夢だ、これは夢に違いない。俺は自分に言い聞かせながら、親父の隣の席に腰を下ろして朝食を口に運び、
「味が、する……」
「はい?」
「んぐっ、ごほっごほっ!? ……はははっ、笑わせないでくれ海斗!」
夢の中で味覚が機能することに唖然とした。母さんは眉を顰めて俺を睨み、親父はパンを喉に詰まらせながら笑い声を上げる。
「海斗、まるで私の料理が今まで味がしなかった……みたいな言い方するじゃない?」
「あ、ああごめん母さん! 別にそういうわけじゃなくてさ! 何ていうか、その……!」
母さんの機嫌を損ねてしまい露骨に睨まれてしまう。理由を説明したところで多分信じて貰えない。だからどう言い訳をしようか頭を働かせていると、
「だから相手にしなくていいって。兄貴は厨二病真っ盛りだからそういう反応をしてるだけなの」
「そ、そうなんだ! そういう時期だからそっとしていてくれ!」
「はぁ、厨二病ねぇ……?」
文香が丁度いい理由を述べてくれた。気乗りはしないが自称するしかない。俺は厨二病だということを認めて必死に弁解する。母さんは訝しげに俺のことを見てきたけど、親父が俺の背中を励ますように何度か叩く。
「海斗、父さんにも拗らせてる時期があったからよく分かる。けど人に迷惑をかけない程度に拗らせるんだぞ」
「ふんっ、あなたの遺伝みたいね」
「安心しろ海斗。母さんも若い頃は一人称が『俺や僕』だったり、『夢小説』を書いたり、『なりきりチャット』でキャラクターを演じていたりした──」
「「してないッ!」」
耳打ちするように見せかけて母さんたちにも聞こえるようぼそぼそと語る親父。黒歴史を暴露されると何故か文香も一緒になって全力で否定した。
「……あっ」
「どうした文香? お前のことを話していたわけじゃ──」
「な、何でもない! 私もう行くから! ご馳走様!」
親父が不思議そうに尋ねると文香は顔を少し赤くさせて席を立ち、スクールバックを肩にかけて逃げるようにリビングから出ていく。
「海斗、あなたも早く出ないと遅刻するでしょ?」
「あぁうん、俺もそろそろ行くよ」
「行ってらっしゃい、海斗」
「……行ってきます」
しばらく発していなかった言葉。俺は通学用のリュックを背負うと玄関で靴を履いて外の世界へと足を踏み出した。
「本当に、俺は帰ってきたのか……?」
久しぶりに歩く通学路。
整備されていない寂れた公園。ビルと一体化した行きつけのコンビニ。慌ただしく道を駆けていくサラリーマン。スマホを見ながら歩く高校生。俺が何度も見かけた知っている光景。
今の俺に何が起きているのかは分からない。ただこれだけはハッキリと言える。俺が見ているこの世界は──絶対に何かがおかしい。
「おーっす海斗! 何をしけた面してんだよっと!」
「うおっ!? あ、ああ、圭太か……」
正門を潜ると俺に肩を組んできたのは死んだはずの伊吹圭太。神棚の件を踏まえれば、異世界転生自体が無かったことになっているのかもしれない。
「はっは~ん? さては今日の予防接種が怖いのか?」
「は? 予防接種?」
「なんたって今日は『インフルエンザの予防接種』があるからな。注射が怖くて萎えてんだろ?」
「ちげーよ! いい歳して注射なんて怖がらねぇって!」
俺はからかってくる圭太に反論しながら疑念を抱いていた。もし異世界転生自体が無かった世界ならばこの世界は本当は現実で、戻ってくるときに別の世界線を飛んでいるんじゃないかと。近未来を舞台にしたアニメや漫画でそんな感じの設定を見たことがある。
(魔女の馬小屋やスクランブル交差点の事件も……無かったことになってるな)
自分のクラスは『二年二組』の教室。
圭太と別れた後、窓際後列の席に着いてスマホを操作して魔女の馬小屋など手当たり次第に検索をかけた。けれど検索欄に何もヒットはしない。検索をかければかけるほど異世界に関与する手掛かりは次々と潰されていき、
「……そうだ。あのラノベを調べれば」
異世界の眷属たちを生み出した根源でもある『陰なる魔王の無双ライフ ~チート級の終焉スキルでSSSランク勇者共の人生を終わらせます~』という雪兎の父親が連載するラノベだけが残る。
俺は長すぎるタイトルを節々で思い出しながら検索欄に打ち込み、検索をかけたのだが、
「──ヒットしない?」
何もヒットしなかった。
似たようなラノベはいくつもあるが作者は
しかしどれだけスライドしてもあの題は見つからないまま。まるで作品自体が無かったかのように抹消されている状態。
(じゃあ雪兎なら……!)
ユキウサギ先生。
正体は息子の
(ここはユキウサギがいない……。二人が筆を握っていない世界線なのか?)
考えても答えは出ず、自身の置かれた立場も結局は分からない。行き詰った状況でスマホに一件のメッセージ通知が届く。
『おはようございます(#^^#) こんにちは、嬉しい日です( *´艸`)』
「そういえば……『
SNSでやり取りをしているテンプラさん。
海外に住んでいるイタリア人らしく友達を作るために日本語の勉強をしているらしい。アイコンが天ぷらだから多分日本の天ぷらが好きなんだと思う。
『おはようございます! 今日は何かあるんですか?』
『おしごとでニホンに、きてることができるです( ;∀;)』
『そうなんですか!? いいですね!』
出会ったきっかけはほんの些細なこと。
SNSのタイムライン上で『こちらはなんのまんがです? おしえてください』という呟きを見つけ、リプライでタイトルを教えてあげたときからだ。
その日から色々とおススメの日本のアニメや漫画を教えたり、イタリアの雰囲気を写真で送って貰ったりしてる。
『おしごとおわったら、天ぷらお食べにいきます( *´艸`) すごくたのしみです(*^_^*)』
『おしごとがんばってください! ニホンをたのしんで!』
『
拙い日本語で顔文字を多用する変わった人。
声も顔も名前も知らないけど悪い人じゃない。会話の内容からして純粋な感じがする。……とかいって実際はごついおじさんとかかもしれないけど。
「うぃ~! 海斗うぃ~!」
「うおっ……ってお前かよ
脅かすように背後から両肩を揺さぶってくる男子生徒。クラスメイトの
「海斗、俺の購買に付き合ってくれぇ~! 一生のお願いだからさぁ~!」
「いーやーだぁーよッ! 一生のお願い何回使ってんだお前は!?」
「じゃあジュース一本奢るから!」
「ふーん、ジュースは『三百ミリ』じゃなくて『五百ミリ』のペットボトルだよな──」
「おはようございます。少しいいですか、霧雨海斗君」
俺が誘いを断ろうとしていると間に割って入ってくるのは一人の女子生徒。犬丸はその女子生徒の顔を見ると露骨に焦り始め、俺の背後に身を潜める。
「今日は霧雨君が日直ですよね。黒板掃除がまだ済んでいませんけど?」
「ご、ごめん委員長……。日直だってこと忘れてた」
「それと東堂君? その明るい髪色は校則違反になるから、色を落としてくるよう先日注意しましたよね?」
二年二組の学級委員長である
「反論反論! いいんちょーだって明るい髪色だと思いまーす!」
「は? これは地毛ですが?」
「そんなこと言ってさぁ? ほんとは染めてんじゃないの?」
生きていて目にすることのない白色の長髪を持つこと。その髪色と冷たい態度を取る性格から付いたあだ名は雪女。表では誰も口には出さないけど、裏ではそう呼ばれている。本人も多分気が付いているし、
「なら重曹でこの髪を洗ってみますか? 疑いが晴れるなら私は一向に構いません」
「あ、あははっ……そ、それは~」
「色を落とせるものなら落としてみてください東堂君。それとも私が先にその派手で奇抜な髪色を重曹で洗い流してあげましょうか?」
何よりも当の本人が白髪の地毛を一番気にしている。からかわれた西条は睨みを利かせながら隠れている犬丸にぐいぐい距離を詰めた。
「海斗ヘルプヘルプ! なんか援護してくれぇ~!」
「いや、冗談でもからかったお前が悪いだろ……」
「おーいお前らぁ! 予防接種があるから廊下に名簿順で並べぇ!」
明らかに犬丸が悪いので俺は即座に見放す。そのタイミングで担任の先生が教室へ顔を出し、廊下に並ぶよう呼びかけた。
「よ、予防接種だぞ海斗! 早く行こう! 実は楽しみだったんだよなぁ~!」
「意味分かんねぇよ……って、おい引っ張んな!」
犬丸は西条から逃げる口実を見つけ、俺の腕を強引に掴むと廊下まで引きずっていく。そんな俺たちを眺める西条は呆れたように溜息を付いていた。
「委員長こえぇ~……目で殺されるとこだった……」
「本人も気にしてるんだからさ。あんまり髪色については触れんなって」
「あ、いいこと思い付いた。今度いい感じの美容室紹介してみっかな? ほら、ヘアカラー沢山あるとこ!」
「俺の話聞いてた……?」
全く反省する様子を見せない犬丸。そんな会話を交わすと俺と犬丸はクラスは廊下に名簿順で並び、接種会場として使われる体育館までだらだらと歩く。
「二年二組の皆さんはこちらの列に並んでくださ~い!」
俺たちは看護師らしき女性に誘導され、体育館の左隅の列に並ばされた。前は上級生の三年一組のクラス。手当たり次第に予防接種を行っているらしい。
(味覚も嗅覚もある……この世界は流石に現実か? 夢だとしても調べる方法がないと断定もできないしな……)
俺は順番が来るまで身の置かれた状況を改めて整理する。そんな俺の横を通り過ぎる二人の人物。
「
「りかい、です」
「理解じゃなくて了解ね」
長袖の白カッターシャツの上にスーツの赤いベスト、更に黒のコートを肩に羽織った白い髪と赤い瞳の女性。その隣で歩くのはパーカーの上にジャケットを羽織った、水色のメッシュが入った黒髪の男性。
一般人とはどこか違う雰囲気に並んでいる生徒たちは一斉に注目する。
「おい見ろよ。あれって海外の女優さんか?」
「隣の人はマネージャーかな?」
「てかさ、委員長みたいに髪が白くね……?」
(そういえば、異世界転生する前もこの人たちを見かけてたような……)
喉に餅を詰まらせて死ぬ前。
予防接種で俺はこの二人を何度か見かけていたことを思い出す。海外から来訪した有名な医者なのかと勝手に決めつけていたが、今の俺からすれば白髪の女性の姿は女優でも医者でもなく、
「……アーネット家」
「──!」
真っ白な髪色と赤く染まった瞳から、血染めの皇女や雪月花の三人の家系『アーネット家』の血筋を継いでいるように見えた。そんなふとした呟きが聞こえたのか、紫苑と呼ばれた女性は足を止めて俺の方を見つめてくる。
「どうしたの? 何かあった紫苑?」
「……なにもない、です」
踵を返して体育館から出ていく二人。何かマズイことでも口にしてしまったのか、と二人の後ろ姿を見つめていれば、
「次の方どうぞ~」
「あっ、はい」
自分の番が来たため、仕切りの向こう側へ顔を出して予防接種を受ける。特に変わった様子もなく、数学や国語の授業すらも普通で、何気ない学校生活が過ぎていき、あっという間に放課後の時間となった。
身支度を終えて犬丸と歩む帰路。ファーストフード店へ買い食いする高校生。夕飯の買い出しに赴く母親と娘。すべてが普段通りの世界。
「授業ぜーんぶ寝ちったわ~! 寝る子は育つっていうし万事オーケーだよな~!」
(俺が元の世界に戻ってきたとしたらあの世界はどうなったんだ? アレクシアたちは……公爵を倒せたのか?)
脳裏を過るのは異世界。
吸血鬼は人間たちを追い込むために眷属や現代世界の技術を引用している。人間の戦況は俺が一人いてもいなくても変わらない。
でもアレクシアの傍に俺がいるかいないか。それはきっとあいつ自身の立場を大きく変えるような気がする。
「ん、んん?」
「……? 犬丸、どうしたんだ?」
「あれって、委員長っぽくない?」
帰路の途中で見かけたのは委員長の西条。道の隅で立ち止まり、オシャレな美容室の店内を覗いている。俺は黙って横を通り過ぎるか、それとも回り道をするかで迷っていれば、ふと西条がこちらへ視線を向けてきた。
「霧雨君と東堂君?」
「い、委員長! 奇遇だなこんなところで!」
「……私と会うのが嫌そうに見えますけど?」
「き、気のせいだって気のせい! ちょっと驚いただけだって! それよりも美容室なんか眺めてどうしたんだ?」
怪訝そうに半目になる西条。俺は何とか誤魔化しつつも犬丸と一緒にそばまで歩み寄って、話題を美容室へと強引に変えた。
「特に深い理由はありません。ただ染めようかと考えてただけで」
「染めるって何を……」
「この悪目立ちする白い髪をです」
「嘘? その髪、染めちゃうの?」
西条はそう言いながら白髪を手で軽く撫でて見せる。銀色ではなく白色。日光に照らされて輝くわけでもなく、ただ純白を強く主張するだけの色。俺は渋い顔で口を閉ざすと西条はこう語り始めた。
「この白い髪のせいで私は何度も苦しめられてきましたから」
「一体何が……」
「幼稚園の頃には避けられて、小学生の頃には仲間外れにされて、中学生の頃にはいじめられた。今では『雪女』なんて呼ばれて気味が悪いと陰口を言われる。……全部この白い髪のせいで」
片手で白い髪を強く握りしめる西条。
表情を強張らせながら身を震わせるほどの辛い過去を語られ、俺は何と言葉を返せばいいのか分からなくなる。というよりもそこまで交流のない委員長が、俺や犬丸なんかに過去を打ち明けたことへの驚きが勝っていた。
「それならいっそ、黒に染めた方が苦しめられることもありません」
「委員長……」
「無駄話をし過ぎましたね。すいません、塾の時間なのでこれで失礼します」
西条は軽くお辞儀をすると踵を返して帰路に就く。
俺と犬丸は美容室の前に残されてしばらく立ち尽くした。犬丸に関しては今朝の件を深く反省しているのか、何とも言えぬ表情でただ俯くのみ。
「……海斗、一生のお願いがあるんだけどいい?」
「えっ? ああ聞くだけ聞くけど……」
美容室に視線を移し真剣な表情でそう尋ねる犬丸。俺はこの世界について考えることを後回しにして、犬丸の一生のお願いの内容へ耳を傾けることにした。
―――————————————
翌朝の二年二組。
委員長の西条花蓮は自分の席で数学の予習に励んでいた。朝方の教室は騒がしく、生徒たちは昨晩のトレンドを話題に他愛もない談笑をする。
「うわやべぇ、古典の課題やってねぇわ。悪いけど答え写させてくんね?」
「ははっ、俺じゃなくて委員長に頼んでみたら?」
「無理無理、何言われるかわからんねぇだろ? あと最近ずっと機嫌悪いしさ。正直声かけづらいんだよな……」
西条は丁寧に失礼がないように優しく接しようと、からかわれたならノリに乗ろうと心がけてきた。しかし高校生にとって敬語は距離を感じさせる年頃で、西条自身は過去に孤立していたためコミュニケーション能力が未発達の状態。
そのトドメとして異端な白い髪。すべてが最悪の方へと転がった末、このような現状になってしまった。
(私だって、普通に学校生活を送りたい。送りたいけど、どうすればいいのかわからない。相談だってする相手もいない。こんな私が受け入れられる場所なんか──)
「おいおいまじかよお前ら!? どうしたんだよそれ!」
後方から聞こえてくる男子生徒の驚く声。西条は何があったのかと振り返り、
「イメチェンイメチェン! けっこーイケてない?」
「うそっ……」
その光景を目にして思わず唖然とする。それもそのはずで視線の先にいる霧雨海斗と東堂犬丸の髪は──西条と同じ真っ白な髪色をしていたからだ。
「けどお前ら白髪って……年寄りでもないのに気味悪いだろ?」
(そう、白い髪なんて気味悪く思われるだけ……)
「いやいや、俺は白い髪好きだからさ」
「俺も俺も~! すっげぇ好みっていうか~!」
「──!」
霧雨と犬丸が男子生徒に堂々と断言する姿。西条は反射的に二人に背を向けて予習をする素振りを見せる。
「てか黒髪の方がナンセンスじゃね~? 今の流行りは白っしょ~!」
「何言ってんだよ東堂……。白の方が恥ずかしいだろ、ジジイくせぇぞ」
「堂々としたらどんな髪色でも恥ずかしくねぇって~! むしろ誇らしい気分的な?」
自信満々に語る東堂。シャープペンシルを握る西条の脳内に浮かんでいた数式は過去の辛い記憶をフラッシュバックさせる。
『ぎゃははっ、こいつシラガが生えてる! おばあちゃんだおばあちゃん~!』
『ちょっと近寄らないでくれるおばーちゃん? お年寄りの臭いが制服に染みつくからさぁ~!』
『西条ってくそめんどくね? シラガの癖にいちいち髪色どうこう言ってくんの。あんなんだからずっとハブられてんでしょ?』
『ごめんね、ごめんね花蓮っ……。お母さんのせいでっ、辛い想いをさせてばかりで……ほんとに、ごめんねっ……』
いじめ・孤立・陰口・母の涙。思い返しても何も良いことがない。それでも西条花蓮が髪色を染めずにこの日まで過ごしてきた理由は──
「ちなみに俺たち学校の卒アルもこれで撮るから! なっ、海斗~?」
「あぁもちろん! 俺は
──自分の白い髪が好きだったから。
両肩を小刻みに震わせ、顔をぐしゃぐしゃにしながら頬に伝せる涙。手が震えて数字は落書きとなり、予習用のノートに涙の染みがつく。
「お前らも一回白に染めてみろって~! 意外に気に入るかもよ?」
「まぁちょっとは考えてみようかな……」
「はぁ? 男なら即決即断でしょ~! 迷うとかダサいぞ~?」
クラスメイトたちを挑発するようにニタッとした笑みを浮かべる犬丸。その隣で霧雨は委員長に関する件を安堵するのと同時に、
(……? 安心した分だけ物凄い不安が押し寄せてくるような……?)
何か忘れてはならないことが増えた気がした。