(……進化している)
荒れ果てた大聖堂。
私の右頬を掠める紅銀石の大剣。思っていたよりも傷が深いのか大量の血の雫が宙へ飛び交う。明らかに成長を遂げているのは負傷の程度も把握し兼ねないほどの敏捷性。
「
反撃として銀の大剣で一度だけ叩き斬り、流れるように左手で顔半分を押さえ呼び出すのは女の頭部。狼狽えさせる為にゲリュオンへ何度か頭突きを打ち込んだ。
しかし凄まじい強度のようでむしろ女の頭部の仮面に亀裂が走り、大きく仰け反ってしまう。
(……掠り傷もつかんのか)
敏捷性以外に成長を遂げている鎧の強度。頭突きや特殊銀の大剣では鎧に痕跡すら残せない。更に言えば牽制が出来ないことで距離を置けず常に近接戦の現状。
「──ッ」
銀の籠手による掌底打ちを鳩尾に叩き込まれる。風穴を空けられたのかと錯覚してしまうほどの威力に握りしめていた銀の大剣を手放す。私の肉体はそのまま宙へと打ち上げられた。
屈むゲリュオンの姿を見た私は嫌な予感がし、即回避行動を取ろうとしたが、
(避けきれんッ──)
俊敏な動きに回避が間に合わない。
ゲリュオンは落とした特殊銀の大剣を拾うとそのまま突き上げ、私の胸に深く刺し込んだ。口から血を吐く隙も与えず、私を突き刺さした銀の大剣を力任せに女神像へ投擲し、
「──ッ」
女神像の胸部付近へ磔にされる。
身体を逸らしたことで即死は免れたが、心臓付近の大動脈は銀の大剣が突き刺さり損傷した。溢れ出る血液は女神像の表面をなぞりながら床へと染み渡っていく。
「若人よ、アナタも罪を背負う者か」
磔にされた私を見上げるゲリュオン。胸を貫通した銀の大剣は女神像に深々と突き刺さっている為、少し力を込めた程度では抜けることはない。
「なぜ、そう思う……?」
「アナタは縛られているだろう」
「何の話を……」
「敵を前にして容赦している。持てる全てを見せず、朽ち果てようとしている。私にはそう見えるのだ若人よ」
手を抜いている。ゲリュオンの言及に対して否定も肯定もせず、私はただ口を閉ざして視線を逸らした。
「アナタは罪を背負うが故に縛られているはずだ」
「……」
「私を早急に破壊することは雪月花の命運に大きく関わる。その縛りが雪月花の命運を傾かせ、アナタ自身の罪を増やすことになるのだ」
自身を始末しなければ食屍鬼の進軍は止められない。雪月花が壊滅すれば罪を増やすのは私。そんな分かり切ったことをゲリュオンに告げられ、咳き込みながら吐血を繰り返した。
「若人よ、罪を増やすのは……自身を縛るのは止すがいい。アナタは私のように数多の罪を背負える鎧ではないだろう──」
ゲリュオンの言葉を遮るようにして呼び出すのは女の頭部。左手で顔を押さえながら女神像に頭突きを打ち込んで木っ端微塵に破壊する。私の肉体は胸に銀の大剣が突き刺さったまま、床へと静かに着地をした。
「……ッ!!」
そして胸に突き刺さった大剣の刀身を両手で掴むと、腕に力を込めて徐々に引き抜く。肉が抉れて血も絶え間なく溢れ出すが、スパイラルで損傷した肉体を再生してどうにか止血を試みた。
「はぁッ……はぁッ……」
胸から引き抜かれた銀の大剣。
私の呼吸はやや乱れ、鋭い頭痛が脳内を刺激する。しかしスパイラルによって胸の刺し傷や体内の損傷はすべて完治済み。すぐさま銀の大剣を右手で構え、ゲリュオンに睨みを利かせる。
「貴様は……『罪を償わなければならない』と言ったな」
「そうだ若人よ」
「見方によっては私も貴様と同様に『罪を償う』身の上と変わらんだろう」
蒼色の獄炎を全身へと纏わせ、蒼い蔓で大剣の持ち手と右手が離れぬよう頑丈に結ぶ。左手には見開き状態の上製本、背後に浮かばせるのは蒼く発光した文字が刻み込まれた女神像の残骸。
「だが罪の重さは貴様とは比べ物にならん」
「……若人よ、アナタの罪が私よりも重いと?」
「ああ、貴様の図体を含めても勝るほどにな」
その言葉を耳にしたゲリュオンは紅銀石の大剣を一度だけ振るう。銀の兜の下から覗かせる紅い瞳はより鮮明に、より輝きを灯す。
「ならば若人よ、この場で定めようではないか。私とアナタ──どちらが償いの機会を与えられるのかを」
互いに地を蹴って距離を詰め大剣を全力で薙ぎ払う。擦れ合う大剣から鳴り響く甲高い音。私は浮かばせていた女神像の残骸をゲリュオンの鎧へ一斉に衝突させ、
「若人よ、力を解放したのかっ……?」
振り上げた銀の大剣を頑丈な胴体へと叩き込んだ。先程とは違い、光沢を纏っていた銀の鎧へ微かに傷がつく。ゲリュオンは私が本気になったのかと問いかけてきたが、
「どうだろうな」
紅銀石の大剣を自身の大剣で両手で受け止め、挑発するように首を傾げる。ゲリュオンからの強暴な一撃に両腕と床が軋む音が耳まで届くが、私は顔色一つ変えずに左手の人差し指を上へ向け、
「だが深く考えるのは止めた」
足元から蒼い角柱を具現化させるとゲリュオンの腕を突き上げる。軽くなるのは受け止めていた紅銀石の大剣。私はその隙に巨体の懐へ前転しつつ潜り込み、
「今の私が考えるべきなのは──」
加速を付与させた肉体で右手に握りしめた銀の大剣を巧みに振り回し、何度もゲリュオンを斬り刻んだ。更にその最中で左手を手繰り寄せるよう動かし、脇腹や両脚に角柱を衝突させる。
「──貴様を正面から破壊すること。たったそれだけでいい」
「うぐッ……身を亡ぼすつもりか若人よッ……」
銀の大剣が折れないように立ち回る。相手の隙を狙う為に受け身で交戦する。長期戦を持ち掛けて相手の欠点を洗いざらい見つけ出す。本来ならば様々な策を練るべきだろう。
しかしゲリュオンは他の眷属のように特殊な能力は持たない。脅威なのは戦闘技術と巨体特有の怪力のみ。消極的な立ち回りをすればするほど追い込まれる。
「いいだろう、私もアナタの戦術に応えようッ……!」
ならば採用すべきは自ら飛び込み、自ら仕掛け、自ら一太刀を浴びせる前衛的な戦術。ゲリュオンは受けて立つと言わんばかりに、紅銀石の大剣を払い除けるように振り回す。
私は一歩も後退せず右脚を主軸に回転させ、渾身の力を込めた銀の大剣を紅銀石の大剣にぶつけた。その衝撃で互いに仰け反ってしまうが、
「「……ッ!」」
体勢を即座に整えると幾度となく大剣をぶつけ合う。青白い火花は眩い閃光へと変わり、立ち込める砂煙は風を切る二本の大剣によって宙に斬撃を刻んだ。
どちらも二歩以上は引き下がれない戦況が続き、ゲリュオンは銀の鎧に、私の衣服と肉体に斬り傷が増えていく。
「手ぬるいぞッ」
「──ッ」
真っ直ぐ振り下ろされる紅銀石の大剣。私の左腕が肩から斬り落とされ、露呈された断面と共に噴水のように血が溢れ出るが、
「誰が、手ぬるい?」
「……! 驚かせてくれるな若人」
蒼い蔓によって切断面同士を接着させ肉体をスパイラルで再生した。ゲリュオンは僅かに動揺した後、追撃を食らわせようと紅銀石の大剣を斜めに振り下ろす。私もまた対抗する為に反撃の一手を繰り出し、
「次は貴様の番だ」
「ぬぅッ……!?」
紅銀石の大剣を持つ右腕の籠手を砕くように破壊した。銀の破片が宙を舞い、ゲリュオンは狼狽えた声を漏らす。
「良い一手だった。しかしこれならどうだ若人ッ!」
(まだ早くなるかっ……)
紅い瞳を更に輝かせ神経を昂らせるゲリュオン。更に速度を上げた剣術によって瞬く間に私の脇腹へと刃の斬り込みが入る。衣服を裂き、皮膚を裂き、内臓を裂いて上半身と下半身が切断されかけ、
(
「──」
自身の肉体に付与する遅延。
全身の神経が途切れる間に刃が斬り抜けた切断面へ意識を集中させ、肉体を元の状態へと再生した。青みを帯びる皮膚以外に外傷が残らない私の肉体。ゲリュオンはその光景を目にし言葉を失う。
「若人、アナタは何者だ?」
「貴様に答える義理はない」
至近距離での死闘。
肉体を両断されようが再生する私に対し破壊されたゲリュオンの鎧は元に戻ることはない。劣勢だった戦況は徐々に覆り始める。
「何故だッ……何故、捨て身をしてまでアナタはッ……!」
「……」
「雪月花を救う為か、力を持たぬ民を救う為かッ……!?」
私の気迫に押されたのかついに後退りをするゲリュオン。新品同様の銀の鎧は所々砕け、銀の兜は痛々しい斬り傷が刻まれている。それでもなお私は前進を止めず、
「……情けない面を見せてばかりのどうしようもない男がいる。前にも立てず隠れてばかりの男がな」
「なに?」
「だがその男は私の知らん場所で眷属を始末して見せた。誰の手も借りずたった独りでだ」
右脚が綺麗に斬り落とされれば、ゲリュオンが右脚に装備する銀の
左肩から右脇腹にかけて骨格を砕かれれば、ゲリュオンが両肩に装備した銀の
細い腹部を三度斬り込まれれば、胴体に装備した銀の
「その男に『後は頼んだ』と託された」
「ぐぬぉッ……!?」
「託すのも託されるのも反吐が出る。だがそうやって背中を押された以上──」
何人もの幻影が私の背中を押している。
託すというのは身勝手な押し付けに過ぎない。託した相手の背中を押し続け、決して後退させてはくれないもの。非常に愚かしい行為。
「──引くに引けんだろう」
しかし人類は愚かしい行為を繰り返して成長を遂げてきた。託す者が託された者へ、託された者が託す者へと変わっていく。そうやって次の時代を築き上げる。
私は衰えてきたゲリュオンの首を刎ねようと、特殊銀の大剣を逆手持ちに切り替え、ゼロ距離まで詰めようと試みれば、
「私はアナタを賞賛しようッ……!」
ゲリュオンもまた紅銀石の大剣を逆手持ちに切り替え、体勢を前のめりにしながらその一歩を踏み出そうとする。
「なッ……!?」
が、その一歩を踏み出した瞬間に体勢を崩す。足元に転がるのは先ほど破壊した女神像の残骸と私が大量に流した血痕。
「まさか若人、アナタの狙いはッ……」
「もう遅い」
女神像が立っていた場所に転がるのは短剣の
ゲリュオンを後退させたのは女神像の残骸が散らばった場所まで誘導し、足元を滑らせて体勢を崩させる為だ。
「身動きがッ……」
「貴様に引導を渡す」
どれだけ巨体であろうと重心は必ず存在する。摩擦を失えばどんな者であろうと体勢は保てない。奇怪な技能を持たないのなら対人戦に通ずる正攻法を使うのが定石。
「未来永劫、この世に生まれ変わることなく──」
「私の償いは、まだ終わらないッ……」
体勢を崩した状態で乱雑に薙ぎ払う紅銀石の大剣。逆手持ちで斜めに斬り下ろし的確に首筋を狙う特殊銀の大剣。二本の大剣が距離を詰めた──刹那、私とゲリュオンの肉体はすれ違い、互いに大剣を振るい終えた体勢で硬直する。
「「……」」
上空で回転するのは特殊銀の折れた刀身。
大聖堂に響くのは折れた刀身が回転して風を切る音のみ。私とゲリュオンはその音を背中で無言で聞く。そしてしばらく経つと私とゲリュオンの間に落下した刀身が床へ突き刺さり、
「──永久に眠れ」
私は逆手持ちに握りしめた折れた大剣を軽く振るい静かにそう呟いた。
「……諸行無常」
紅銀石の大剣を手放すゲリュオン。
銀の鎧を被った巨体が重々しい音を立てて右膝を突けばゆっくりと俯き始め、
「アナタは──罪と人を背負いすぎたのだ」
中身の詰まっていない空っぽの兜だけが床へ空しく転がった。
────────────────────
「最近リンカーネーション大人しいだろ? やっぱり悪事がバレたからか?」
「そりゃそうでしょ。面目丸つぶれだからオルフェン様に従うしかないんだろうよ」
(チッ、どいつもこいつも駄弁ばかりほざきやがって……)
栄光の国グローリア。
カミルは見回りの為にイーストテーゼを歩いて正門へと向かっていた。民衆からリンカーネーションに対して否定的な会話が聞こえ、カミルは不機嫌な態度で壁を一度だけ蹴り上げる。
(……ここだったか。あのクソジジイを保護したのは)
辿り着いたイーストテーゼの正門。
そこはオルフェンと初めて出会った場所。数年以上も前の、雨が激しく降る梅雨の時期に独りの老人オルフェンが訪ねてきた。
『皇女、こいつが避難してきたってうるせぇマルタ―ドの市民だ』
『マルタ―ドの市民……。吸血鬼の侵攻を許したのかもしれないな』
身を震わせながら座り込んだオルフェン。雨に濡れたせいで顔を真っ青にし、泥まみれの状態で俯く。
『私は吸血鬼に追われております! 原罪に、原罪に目を付けられてしまいッ……! い、命からがら、ここまで逃げてきましたッ……!』
『あぁ? 原罪に追われているだ?』
マルタ―ドで吸血鬼の奴隷されていたオルフェン。家畜以下の扱いを受けながら道具として使われていた。そんな過酷な環境に耐え兼ねたオルフェンは吸血鬼の目を盗んで逃げてきたと述べる。
『おい皇女、原罪に追われてるなら帰らせるぞ。厄介ごとに巻き込まれるのは御免だ』
『な、何を仰りますかッ……!?』
『それはこっちの台詞だジジイ。てめぇ一人の命と一国の命を天秤にかけてみろ』
オルフェンを門前払いにしようとするカミル。
原罪に目を付けられれば必ずグローリア全体に被害が及ぶ。合理的に考えるカミルに対して皇女であるヘレンが下したのは、
『カミル、私たちでこの人を保護しよう』
『あぁ!?』
『ほ、本当ですか皇女様ッ……!?』
保護するという決断。オルフェンの泥水で濡れた身体を支えて、倒れないように正門を潜らせる。
『てめぇ正気か? 俺らに一文の得もねぇぞ』
『カミル、私たちが一文の得を求めてどうする? 求めている人々へ与えることが……リンカーネーションの使命だろう』
露骨に嫌な顔をするカミルに面と向かって返答するヘレン。カミルは舌打ちをするとバツが悪そうに視線を逸らした。
『ありがとうございます、なんという慈悲深いお方だ……。このオルフェン目は、あなた様のお言葉に感銘を受け──』
『ああ面倒、面倒ね。こんなところまで逃げていたなんて』
オルフェンの声を遮るのはヘレンたち以外の声。
激しい雨の中に立つのは黒を基調とした衣服に、二つ結びにした長い白髪に黄色の髪が混じる髪型を持つ女性。
『あっああぁあっ!? げ、原罪がここにまで……!?』
『あんたたち。あいつを殺って』
原罪の後方から姿を見せるのは三体の刺客。伯爵の爵位を持つ吸血鬼。原罪の指示で三体同時に向かってくるとヘレンは前線に立つ。
『カミル、この人を頼む』
『……ああ』
そして腰に携えた白の刀剣を右手で引き抜き、左手に金剛石の杭を三本握る。輝かせるのはアーネット家特有の紅い瞳。
『お前たちは私の前を通れない』
『──ッ!?』
ヘレンは先頭を突っ切ってきた伯爵の胸元を刀剣で貫き、地面へと叩きつける。二番目の伯爵は空いた右手で胸倉を掴み上げてから投げ飛ばし、三番目に迫りくる伯爵へ衝突させた。
『あー、すっごく面倒ね。面倒な奴が面倒なことしたらもっと面倒になるのに』
地面へ叩きつけた伯爵がヘレンの右足を掴んできたが、三本のうちの一本の杭を胸元へ投擲しつつ突き刺し、左足の踵で平面を踏みつけて心臓を杭で貫く。雨に混じりながら灰へと変わり、その光景を原罪が気怠そうに眺めた。
『面倒か。暇よりましだろう』
残りの二匹。
体勢を立て直すと互いに視線を交わして左右から高速で詰め寄る。ヘレンは左手に持っていた二本の金剛石の杭を真上へと放り投げ、
『……は?』
動術の鼓動を乗せた拳で両側にいた伯爵の胸元を軽々貫いた。二匹の伯爵はヘレンに鋭い爪を突き立てて抵抗したが、不死の加護で肉体は再生し、原罪は目を丸くする。
『連携は良かった。速度も申し分ない』
自由落下してくる金剛石の杭。ヘレンは拳で貫いた左右の手の平で一本ずつ受け取ってから同時に腕を引き抜く最中、
『けど運が悪いな』
心臓に杭を突き立てて灰へと変えた。彼女の全身は真っ赤に染められ雨粒が血を洗い流そうと降り注ぎ、舞い散る灰は泥水と混ざり跡形もなく消えていく。その姿は異名通りの血染めの皇女。
『あんた、化け物すぎない?』
『君ほどではない』
『まっ、いいわ。あんたとやり合うつもりはないから』
原罪に睨みを利かせるとやってられないと言わんばかりに紅の瞳で雨空を見上げる。ヘレンは警戒を強め、刀剣を拾い上げると鞘へと納めた。
『一応聞いておくけど、そいつを渡す気はないのよね皇女様?』
『もちろんだ。助けを求める人々を見捨てるつもりはない』
『ふーん、私はそいつを引き取るのをオススメしないけど?』
『君のような暇人が顔を出すからか?』
『違うわ。そいつが崩壊を招く種になりかねるからよ。これは脅しじゃなくて忠告よ血染めの皇女』
ヘレンに対して忠告してくる原罪。オルフェンを殺すために吐いた嘘ではない。なぜ人間側に忠告をするのか。ヘレンはその意図を読めずにいたが、
『……それでも彼を見捨てるわけにはいかない』
嘘であろうと真実であろうと考えを変えるつもりは一切なかった。自身の答えを出すと原罪は呆れたようにヘレンの顔を見つめ、
『あっそ、せいぜい飼い犬に手を咬まれないことね』
雨粒と共に影の中へ忽然と姿を消した。雨音だけが周囲を包み込む中でヘレンは後方へ振り返り、オルフェンへ温情に満ちた眼差しを送る。
『もう大丈夫です。吸血鬼は追い払いました』
『ありがとうございますっ……ありがとうございますっ……』
そう声をかけた途端、オルフェンは両膝を突いてヘレンの右手を両手で強く握りしめる。その姿はまるで女神を讃えるかのような振る舞い。
カミルは気味の悪い光景を思い出して気分を害して舌打ちをする。
「貴方はいつも機嫌が悪いですねカミル」
「……あぁ? お前、そんなとこで何してんだ──」
正門の陰から聞こえてくるのはティア・トレヴァーの声。途切れて見えるのは門を背にして座り込んでいる後姿。カミルは疑心を抱きながらもティアの姿を覗き込み、
「──何があった?」
酷く汚れた格好に唖然とした。
見る限り外傷は負っていない。しかし鞘ごと真っ二つに折られている刀剣の状態。まるで弄ばれたかのような有様にカミルは気味悪さを覚える。
「さてはお前、ヘレンを止めようとしたな?」
「ええ、時間を稼ごうとしました。……少し条件を提示して」
「条件だって?」
「『十回でも貴方の首を飛ばすことができた暁には
カミルは門に背を付けると両腕を組む。
見上げるのは澄んだ青空とグローリアを照らす陽の光。だがティアとカミルは丁度影に隠れ、太陽に照らされることはない。
「何回飛ばせた?」
「惜しいの一言に尽きます」
「はっ、一回も飛ばせなかったのか」
鼻で笑うカミル。ティアはしばらく無言で俯いた後、カミルを狐の面越しに見上げた。
「惜しいとしか言っていませんが?」
「んな条件出されたらアイツも手を抜かねぇだろ。本気になったアイツの首なんて俺でも飛ばせねぇ」
「カミル、それは私よりも貴方の方が格上という前提がありませんか?」
「ああ、そんなみっともねぇ姿にはならねぇからな」
カミルはティアから冷たい眼差しを送られるが無視を決め、空を移動する雲の後を視線で追う。
「……カミル、貴方はヘレンを変えられないと思いますか?」
「ああ、
「そうですか」
「はぁ、とにかくこれで懲りただろ。アイツの過去に首を突っ込むな」
わざとらしくため息をつくカミル。
正門のそばで日光浴していた二匹の小鳥が飛び立つ。カミルもまた見回りの仕事を果たそうと正門から離れようとし、
「カミル」
「何だ? まだ何か言い足りねぇのか?」
ティアに呼び止められる。まだ諦めきれていないのかと足を止めて振り向けば、
「実は右足を挫いたので歩けません。……手を貸してもらえますか?」
「T機関の冷酷な狐は『じゃじゃ馬』らしいな」
「……
そんな些細な頼みごとをされ、カミルは呆れながらもティアを背中に背負う。背負われると思っていなかったティアはやや身体をビクつかせた。
「意外に軽いもんだな」
「ええ、機動を活かすために食事制限をしていますので」
「だからすぐ足を挫くんだろ」
「……本当に貴方は、
耳元で聞こえる不機嫌な声色。カミルは鼻で笑うと手負いの狐を背負い医務室へと向かうことにした。