「無理を、し過ぎたな……」
大聖堂の床に転がるゲリュオンの兜。
私は折れた銀の大剣を手放すと吐血をしながらうつ伏せに倒れる。全身を駆け巡るのは倦怠感と頭痛。そして強引に再生したすべての斬り傷が鈍痛に変わり、喉まで吐き気を催してくる。
(……呪印に頼らなかっただけマシか)
仮に『鐘の呪印』を発現せざるを得ない状況下だった場合、例え勝利を収めたとしても記憶を失っていた可能性が高いだろう。不幸中の幸い、と自分自身を納得させて転げ落ちたゲリュオンの兜へ視線を移した。
(先にあの鎧を正気に戻すべきだな……)
何とか這いずりながらゲリュオンの兜まで近づくと血の雫を一滴だけ垂らす。しかし他の眷属のように苦しみ出すことはなくただその場で硬直するのみ。私は眉を顰めてしばらく様子を窺っていると、
「私はこちらだ、若人よ」
「……本体はお前か」
兜のすぐ隣に落ちている紅銀石の大剣から声が聞こえてきた為、気怠い肉体で這い寄って紅の模様が刻まれた刃を見つめ、正気に戻そうと血の雫を垂らす。
「不必要な血を流す必要はない──バートリ嬢の娘」
「……正気に戻ったのか?」
「ああ、首を刎ねられ我に返ったのだ。迷惑をかけ申し訳ない」
血の雫を垂らさなくともバートリ卿の名を挙げたゲリュオン。上位の眷属となれば原罪による支配も困難になるらしい。
「食屍鬼共の侵攻はどうなった?」
「既に進行を取り消している。タイラントにも帰還するよう命令を下した」
「……そうか」
雪月花の領土への進軍は停止。
間に合ったのか間に合っていないのかは不明だが、与えられた役目はきちんと果たした。私は余計に疲労感が圧し掛かり小さなため息をつく。
「私の涙を飲め、
「……」
「バートリ嬢の血を継いでいるのなら治癒能力が働くはずだろう。さぁ
紅い刃から滴る一滴の銀の雫。私は『お嬢』という呼称に頬を一瞬だけ引き攣った後、人差し指で銀の涙をすくうと唇に付け、
「その『お嬢』という呼び方はやめろ」
不機嫌な様子を露わにして口へと含んだ。
奇妙なことにいつものような頭痛はなく負荷となる支障が完治されるのみ。やはり肉体が適応を始めている。
「……バートリ嬢は敗北したのだな」
「ああ、公爵との抗争で命を落としたらしい」
「不甲斐ない。私がこの身を
身体の節々に支障がないかを立ち上がって確認する他所で、過去を嘆いているゲリュオン。私は大聖堂の書物へ視線を向けると、
「後悔は償いにならん。償いになるのは
「……そうだな」
それだけ伝え大聖堂の奥まで歩き出す。
特殊銀の大剣は折れて使い物にならなくなり、大型の回転式銃は交戦中に破壊され、シレクスはそもそも反撃用の武装。今の私に残された武装は刀剣のルクスα、自動式銃のディスラプターα二丁、銀の杭が六本詰められたホルスターだけ。
「……っ!」
唐突に感じる威圧。
私はその場で振り向けばそこに立つのは頭部を失ったゲリュオンの巨体。こちらへ手を伸ばしてきたため、再び支配されたのかと血涙の力を発現させようとしたが、
「……? 何をしている?」
傷つけないよう私の身体を掴むと自身の右肩へ乗せる。更には目的である書物の前まで歩き出す始末。何がしたいのか分からず、険しい顔を浮かべやや困惑する。
「お嬢、私があの場所まで運ぼう」
「……この距離が歩けないとでも?」
「床には硝子の破片や鋭利な瓦礫が転がっているだろう。お嬢が怪我をすれば私の罪が増えてしまう」
「お前は──勝手にしろ」
妙に物腰が柔らかくなったゲリュオンの返答。
小言を言ったところで恐らく意味はない。私は口に出そうとした言葉を呑み込むと素直に諦めて運ばれることにした。
「お嬢、私が読み上げるべきか?」
「必要ない。黙読で十分だ」
「ならばお嬢、この大聖堂を掃除しておこう」
「必要ない。掃除をして何の意味がある? ……あと」
私は過保護が過ぎるゲリュオンの右肩から飛び降りると半目で見上げ、
「私を『お嬢』と呼ぶな」
「……一考の余地がある」
不快な顔を露わにしつつそう忠告をする。
理解の及ばない答えを返すゲリュオン。私は無視をして書物を手に取り、やっとのことで千年の空白を読み解く時間が始まった。
「これが『栄光の分裂』の本書か」
アダールランバで見かけた『栄光の分裂』と記載された書物の続編。私は手始めにこの本書の中身に目を通すことにする。
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我々人類にとって栄光とは転生者そのものである。しかし転生者の迫害が始まったことにより掲げられていた栄光は消失した。統率の取れぬ事態にアーネット家は新たな栄光を生み出そうと試みた。
だが『六千五百三十五年』……内部で掲げる栄光の相違が起きたことで、人類同士の戦争『グロリア戦争』を引き起こしてしまう。この戦争によってアーネット家は五つに分裂する。各々が掲げる栄光を抱えて。
この歴史的事件の名を『
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「アーネット家が、分裂したのか?」
しかしこの事実は今まで目にしてきたものと辻褄が合う。例を挙げるならグローリアと雪月花は同じアーネット家出身だというのに住んでいる環境は全く異なっていた。これは過去に分裂をしたことが原因だと考えるのが妥当。
私は古ぼけた紙を捲って次の文へ視線を移す。
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五つに分裂したアーネット家と栄光。それらは
『聖書の言葉こそ栄光の象徴である』と掲げた
『揺るぎない信仰心こそ栄光の象徴である』と掲げた
『神が与えた恵みこそ栄光の象徴である』と掲げた
『神の器である教皇こそ栄光の象徴である』と掲げた
『昼の女神へメラこそ栄光の象徴である』と掲げた
転生者が消えたことで人類はいずれかの宗派を、栄光を信じたのだ。
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「なるほど。血迷って転生者を迫害し、下らん栄光を理由に殺し合った挙句……アーネット家も分裂したというわけか」
吸血鬼共と転生者を勝手に結び付け、半ば暴走気味になりながら差別や迫害を行った。更にはどうでもいい栄光などで戦争まで至り、吸血鬼共に抗える唯一無二のアーネット家が分裂する始末。
喜劇でも読んでいるのかと錯覚するほど愚かな行為に眉を顰め、隣にある文章へと目線を動かす。
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『栄光の分裂』が起きた五年後。
『六千五百三十年』に吸血鬼が支配下を拡大しようとランドロス全体で人類と吸血鬼の戦争が起きた。人類の領土は次々と陥落するが数か国は襲撃をどうにか跳ね除け、次の襲撃を受ける前に南の方角へ逃亡を図る。
しかし大移動の最中に吸血鬼からの奇襲を受けてしまった。そこで人類にとって想定外の出来事が起こる。そう、四卿貴族である哀しみの
バートリ卿と人類は共闘をし吸血鬼たちと死闘を繰り広げ、ルスヴン卿は吸血鬼と人類の間で怒りの咆哮を上げて地上を削り取ると海へと変えた。この歴史的瞬間を『
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「手を貸しただと?」
あの人間を嫌いのルスヴン卿が手を貸した。私は理解が及ばないまま紙を捲って、次の文章へ目を通した時、
「……そういう、ことか」
この時代へ転生したことで生じた謎の一つ。何故私の知らぬ大陸があったのか。その不可解な謎は古ぼけた用紙に描かれた地図を見て納得した。
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五栄教は一つに交わることはないままアーネット家はロストベア大陸へと散らばったが、どの宗派も『転生者』の名を継がせ吸血鬼を粛正する『ReinCarnation』という組織を設立した。転生者の迫害を行った人類の愚行を刻むために。
同時期に女神教を崇拝するアーネット家は白薔薇十字団の指令の元、ロストベアの最南端から『薔薇』の名を与えた新たな地『
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「リンカーネーション……。私たち転生者の存在が消されていたのはこれが理由か──」
「やっと見つけた」
大聖堂の入り口から聞こえる女性の声。聞き覚えのある声に私は書物を手に持ったまま振り向く。そして視線の先に立つ人物へ睨みを利かせた。
「……
「惜しい」
「なら殺しに来たか?」
「違う、ただの生け捕りだ。君を殺せとは命令されていない」
血染めの皇女
「私があの皇女を破壊しよう、お嬢」
「……! 待て、あの女は──」
ヘレンを敵とみなしたゲリュオンはその場で地を蹴り一瞬で距離を詰める。振り上げる右拳。標的であるヘレンに向かって真っ直ぐ振り下ろされた。
「なッ、んだとッ……!?」
刹那、ゲリュオンの鎧に大穴が空く。
右拳を突き出して微笑むヘレンと飛び散る銀の破片。鎧の残骸は床へと両膝を突いて倒れ、ヘレンは自身の右手を開いたり閉じたりを繰り返し小首を傾げた。
「眷属というのは……外にいた鉄の食屍鬼とあまり変わらないな」
鎧型の食屍鬼とゲリュオンを比較して変わらないと述べたヘレン。実際は雲泥の差だが、それすら感じさせない皇女としての圧倒的な
「どうやってここまで辿り着いた? 私がゲリュオンを止めてまだ間もない。大聖堂まで来るのに食屍鬼共や百足共がいたはずだろう」
「立ち塞がる食屍鬼はすべて粛正し、あの奇妙な怪物は頭を叩き潰したよ。後は城壁を登ってきただけさ」
「……規格外だな」
「君が言えることか?」
ヘレンは容易いと言わんばかりに平然とした態度で答える。私は右手に握りしめたルクスαを逆手持ちへ切り替え、背中のホルスターから左手でディスラプターαを構えた。
「本来なら後数分早くこの聖堂へ辿り着くはずだったが……雪月花の手助けをして時間がかかってしまったよ」
「手助け?」
「私たちリンカーネーションは雪月花の方々に加勢
吸血鬼共の襲撃を受けた雪月花に手を貸している。ヘレンの返答からして過去形。つまり既に雪月花の領土での戦争は既に終戦しているとも受け取れるだろう。
「君が求めていた千年の空白。このアモンアノールで手に入って何よりだよ」
「……お前は女神教の人間か?」
「わざわざ聞くまでもないだろう。女神へメラを崇拝するグローリアの人々全員が女神教の宗派で……私もその一人に決まっているとも」
金剛石で作られた十字架の首飾りを指で摘み、ヘレンはこちらへ見せつけてくる。
私は訝しげな眼差しを送りつつも、残骸として散らばるゲリュオンの破片へ視線を移した。
「グローリアの状況は?」
「大混乱だ。とある男が原因でリンカーネーションと私の立場が危うくなっている」
「……その男の名は?」
「教皇オルフェン。ついさっき君が習った歴史をなぞるとするなら
教皇オルフェン。
今まで歩んできた何百の人生でその名を耳にしたことはない。しかし黒薔薇の呪印が刻まれた太腿が「私は知っている」と言わんばかりに疼いてくる。その奇妙な感覚にしばし俯いた。
「そうだ。君には礼を言っておこう」
「……礼?」
思い出したようにこちらへ穏やかな表情を見せるヘレン。私は何のことが分からず眉を顰めていれば、
「ああ、おかげでこの手を汚さずに済んだよ──」
調子のいい声色でそうゆっくりと言葉を並べながら、
「──君がキリサメ・カイトを殺してくれて」
清々しいほどの微笑みを私に見せた。