「……やっぱりおかしい」
ゆっくりとした速度で上昇していくエレベーターの中、俺は圧し掛かる僅かな重力を感じつつも階数のランプを眺め、眉間にしわを寄せてそう呟いた。
「このエレベーター……三階じゃなくて最上階に向かってるよな?」
一階で見つけたメモ曰く青の塔は四階の構造。更にエレベーターは一つ上の階までしか行けないはずだった。けれど俺が乗り込んだエレベーターは二階から四階へと上昇していく。
どうして三階をすっ飛ばせたのか。そんな理由をエレベーターの中で考えていると最上階への到着を告げる電子音が響き渡った。
「考えても仕方ない。今は俺にやれることをやるだけだ」
警戒しながらエレベーターを降りる。
靴底で踏みしめるのは青いカーペットが敷かれた一本道の廊下。窓からは青い光が差し込み、絵画には青い肖像画や青い林檎が描かれ、花瓶には青い薔薇が生けられているようだった。
「何でこの塔の奴らは青色にこだわるんだ?」
一階や二階に続けて最上階ですらも青色を強調する様式。そんな様式美でもあるのか、と廊下を歩いている最中、見覚えのある顔が絵画として飾られていることに気が付く。
「この絵画、アレクシアか……?」
絵画に描かれていたのは赤い薔薇に口づけするアレクシアの横顔。その儚い横顔に秘められたのは揺らがぬ強い意志と死を受け入れる覚悟を感じさせ、微かな迷いを宿す瞳はどこか孤独を宿しているようだった。
「何だよこれ。アレクシアの絵画ばっかり飾られてて……」
周りをよく見渡してみるとほとんどの絵画がアレクシアを描いている。吸血鬼の心臓へ杭を突き刺すアレクシア。女の子に優しく微笑みかけるアレクシア。子供には見せられない過激な行為をするものまで用意されていた。
「青の塔、青色……。もしかしてアレクシアのイメージに合わせて青色にしたのか?」
魔女の手帳には『青の塔の連中はアレクシアに執着していること』を示唆した記録が残っていたはず。……と『眠りにつくアレクシア』の絵画の前に立ち止まり、細かく描き込まれた顔立ちや目元、手入れされていない髪の毛を一点ずつ観察する。
「ここに並んでいる絵画──どれも上手だよね」
自分の声ではない誰かの声。
すぐ隣から聞こえてきたその瞬間、俺の呼吸が止まり目を見開く。窓から差し込んだ青色の光は紅い光へと転換し、青と紅が混ざりに混ざって周囲は紫色へと染まり果てた。
「ただ、母上の裸体はあまり目に入れたくはないかな……」
乾いた笑い声と共に聞こえる誰かの声。俺の呼吸が止まったのは気配がなかったからじゃない。突然、すぐ隣に現れたからじゃない。
「初めまして、キリサメくん。僕の名前はノア──
ここにいるはずのない公爵が、吸血鬼を統べる親玉がそこにいたからだ。公爵は自身の身分を名乗ると紅玉のような瞳で俺に微笑みかけてくる。
(シ、シエスタッ……生存補正を百パーセントに振り切ってくれッ……)
俺は胸中でシエスタに生存補正を上げるよう指示した。公爵を前にすれば心の声ですら震えてしまう。俺は確かに恐れているがこれは公爵からの威圧感が原因じゃない。
俺が怖いのは公爵を公爵と感じさせないその
(シエスタっ……聞こえないのかシエスタっ……!?)
シエスタに呼びかけるが全く反応がない。心なしか能力補正を掛けたはずなのに身体も重い気がする。まるで奇術自体が機能していないかのような現状。けど俺は公爵とは対称の、少し離れた位置に人影があることに気が付き、
(くそッ……ニーナの仕業か……!)
その人影をハッキリと捉えて理解が及んだ。
壁に背を付けて立っていたのは原罪のニーナ・アベル。ニーナは気が付いた俺に微笑しつつ軽く手を振ってきた。
「大丈夫、身構えないで。僕はただ君と話をしに来ただけなんだ」
きっとその言葉に嘘偽りはないのだろう。
だけど無理があった。公爵よりも多く呼吸をしたら死ぬ。公爵の前で言葉を発せば死ぬ。公爵の前で頭が高ければ死ぬ。すべてが死へと直結するのではないか。そんな錯覚を覚えて俺の身体は無意識のうちに両膝を突くと額を床に付けた。
「はは……ニーナ、僕ってそんなに怖いのかな……」
「獅子を前にした鴨が怯えないと思う?」
「んっと、怯えるだろうね……」
公爵はそう返答し額を床に付けた俺の後頭部を見下ろす。そして面倒くさがっているニーナへ優しくこう提案をした。
「ニーナ、
「……あんた、何を言ってるか分かってる? そいつの奇術はどんな面倒事を起こすか分からないの。それにあの『クズ』を呼び覚ます可能性だって──」
「僕がいる以上、何も起こさせない。だからニーナ、止めてあげて」
「はぁ、分かったわ」
ノアにそう頼まれたニーナは奇術を封じる災禍を解除し、俺は呼吸と言葉を発せるほどまで平常心を取り戻すと、床にへばり付いていた額を離してその場にゆっくり立ち上がる。
『おいおいおい、だいじょーぶかこのやろーてめー! あちきは死んじまったと思ったぜぇー!』
(ああ、大丈夫だシエスタ)
脳内に聞こえてくるシエスタの声。
この時、俺は初めて気が付いた。能力補正は身体能力だとかそういう部分だけじゃなく、力の差がある相手の前でも少しは冷静でいられるようになる
「公爵が、どうしてここに?」
「僕は君とね……母上の話がしたくて顔を出したんだ」
「母上って……。アレクシアのことか?」
「その通り。君が今まで行動を共にしてきた……あの人についての話だよ」
そう言いながら俺からアレクシアの絵画へ視線を移す。公爵から敵意は一切感じない。だからこそ警戒しようにも警戒しきれない。俺は一瞬たりとも気が抜けないと息を呑んだ。
「あの人と旅をしてみて……どうだった?」
「どうって……。色々巻き込まれて大変だったとしか言えない」
「ははっ、そうだよね。僕らの眷属も八体やられちゃったんだし、そこそこ苦労してもらわないと困るかな」
自分の仲間がやられたというのに公爵は笑いごとで済ます。強者故の余裕なのか、それとも本当に談笑気分でいるのか。探れない内面に俺は腰に携えていた鞘へ、右手を置いておこうと動かした途端、
「止まれ」
「うぐっ……?!」
公爵のたった一言で全身が動かなくなった。呼吸はできるし目は動くし口は動かせる。けどそれ以外が微動だにしない。
「警戒しているのは君だけじゃない。僕だって君を警戒している。変な気は起こさないで貰えると助かるかな」
(俺なんかを警戒しているのか……?)
遠回しに『殺そうと思えばいつでも殺せる』と警告し、俺を警戒していると打ち明ける公爵。多分俺というより奇術の『主人公補正』のことを指しているのだろう。それが意味するのは使い方次第では実力の差が歴然としているこの現状も覆る可能性があるということ。
「さて、手短に話を済ませよっかキリサメくん。僕は君にとある提案をしたい」
「提案?」
「そう、君が母上を説得して──僕ら吸血鬼の味方になってほしい」
「……! 味方って、俺とアレクシアを吸血鬼にでもするつもりじゃあ……!」
「違う違う。君を『
異世界転生者と転生者して勧誘したい。
その言葉で脳裏を過るのは魔女の馬小屋で対峙した異世界転生者たちとネクロポリスで遭遇したカムパナ。つまりは吸血鬼の肩を持つ異世界転生者と転生者になってほしいのだろう。
「これを見てごらん」
公爵が懐から取り出すのは一台の黒いスマホ。手慣れたように何度かタップすると横画面にして俺にとある映像を見せてくる。
「この映像に映ってる場所は……」
「僕ら吸血鬼が統治する国だよ。思っていたよりも穏やかだよね?」
映し出される城下町の映像。
太陽の光を遮る為に灰色の雲で国の外側が覆われ、紅い瞳を持つ恐ろしい吸血鬼と人間が共に生活をしていた。あの吸血鬼が店を開き、人間とコミュニケーションを取っているのだ。
「どうして人間が吸血鬼なんかと暮らして……?」
「それは『
「
「人間は吸血鬼の為に『血液』を定期的に献上し、吸血鬼は人間の為に『食料』を定期的に献上する。互いの血を巡らせるための誓い。人間は右腕に青い腕輪を、吸血鬼は左腕に赤い腕輪を付けて暮らしてもらっているよ」
巡血の誓い。公爵曰く、この誓いを破った者は処罰を受けることになるらしい。だからほぼ破綻することはないだとか。しかしあまりにも都合がよすぎる。
そんな疑心を抱いている俺に公爵は気が付くと次の映像を俺に見せてきた。その映像に映るのは若い二十代ぐらいの女性。
『ええ、最初は吸血鬼と暮らすなんてとても怖かったです。ですが意外に話が通じる人も多いし、襲われそうになった時も他の人が助けてくれたりもしました。過剰に血を渡さなくてもいいので……この生活に私は満足しています』
吸血鬼に対する恐怖心や未来に対する不安。それらを感じさせない頬を緩ませた安堵の笑み。陰できっと脅しているに違いない。そう思い込みたかったがその屈託のない笑顔に嘘偽りを一切感じなかった。
公爵は畳み掛けるように次の映像を見せてくる。そこに映るのは十代後半の青年と鋭利な牙を覗かせる吸血鬼の女性。
『はい、そーですね。俺が彼女に一目ぼれしちゃって……思い切って告白したら快く受け入れてくれたんです!』
『快くじゃないわよ。別に、あの時はあんたが必死だったからつい、仕方なく気持ちを受け取ってあげたっていうか……』
『でも泣いてたじゃないか。人間の頃から告白されたことが一度もなかったから嬉しいって──』
『い、言うんじゃないわよ! いつもよりたくさん血を要求されたいの!?』
どこからどう見ても仲睦まじいカップルにしか見えない。吸血鬼と人間の関係性だけが違和感を抱かせ、それ以外は人間同士のカップルと変わりがなかった。
「分かって貰えたかな? 僕らはランドロス大陸で共存しているんだ。もちろん異世界転生者も例外じゃない」
「共存? 四卿貴族のバートリ卿だって人間と吸血鬼の共存を望んだんだろ? それを阻止したのはお前なんじゃ……」
「それは互いの思考に相違があったから。僕は人類と吸血鬼の『平等』な世界を求め、彼女は吸血鬼より『人間が優位』な世界を求めていたからね」
「人間が優位な世界……?」
理解が及ばず復唱すると公爵はスマホを懐にしまってから赤い光が差し込む窓へゆっくりと視線を移す。
「バートリ卿は僕らにこう論じた。『人間は神に最も愛された種族』であると。『私たち吸血鬼は表には顔を出さず、人間を襲わず、ひっそりと暮らすべきだ』と」
「それの何が優位なんだよ? 元通りに戻るだけじゃ……?」
「じゃあ互いの立場は平等と言える? 僕らがどうして鳴りを潜めなければならないのか……君には答えが出せるかな、キリサメくん?」
「吸血鬼は無差別に人間を襲ってるからだろ。お前の国が共存し合っていたとしても、それ以外の場所で吸血鬼は色んな人の命を奪って──」
俺の返答に思わず吹き出す公爵。真面目に答えているのに笑われた俺は言葉を止めて軽く睨みつける。
「なら君たち人類は野党やならず者をすべて管理しきれていると言えるかい? 大陸すべての悪を……裁くことは可能かな?」
「それは……」
「キリサメくん、君も母上も見えているのは理想だけみたいだ。そもそも吸血鬼をこの世から消すなんてもう不可能。今は理想を追い求めず、現実を見なければならない。踏まえて、僕らの方針は一つに決まった」
「方針?」
瞬間、公爵は背中から蝙蝠の羽根を一枚だけ生やす。そしてその大きな羽根で窓の半分を隠す。羽根で遮られたことでアレクシアの絵画の左半分が青色に、左半分が窓から差し込む紅い光で右半分が赤く染まった。
「平等にする──人間と吸血鬼の数を」
「平等に?」
「平等は共存の下地だからね。どちらかが優位になってはいけないんだ。本当はロザリア大陸もロストベア大陸もすぐに支配することだってできたけど……それは公平じゃないからね」
平等を主張する公爵。
その事実は吸血鬼と戦っていた者たち全員が手の平の上で踊らされていると述べているに近い。俺は青色と紅色に染まったアレクシアの絵画を見つめ無言になってしまう。
「さぁキリサメくん。答えを聞かせてほしい。母上を説得して……僕らと平等な世界を生きてくれるかどうか」
「けどアレクシアはお前たちのせいで捕まってるだろ。どうするつもりだ?」
「君が説得してくれるならグローリアに出向いて助けるとも。母上を勧誘する為の計画は既に失敗してるからね」
「アレクシアを、助けられる……」
公爵は勧誘するように手を差し伸べてくる。手を握ればアレクシアをすぐにでも助けられる。一瞬だけ迷ってしまったがふと気掛かりなことが思い浮かび、絵画から公爵へと顔を向けた。
「もし俺とアレクシアがお前たちの味方になったら……それ以外の、グローリアのみんなはどうなるんだ?」
「……? 数が増え過ぎたら減らすかな?」
「友達を、大切な仲間には手を出さないで欲しいと頼んだら?」
「認可はできない。それは平等じゃないからね」
迷いのない答え。俺は軽く目を見開いた後に息を呑んで少しずつ公爵に対して敵意を剥き出しにする。
「その手は……握れない」
「どうしてかな?」
「お前は人間の命を数合わせとしか思っていない。一人一人に家族や友達がいて、今を一生懸命生きていることを知らない。そんな冷え切った手を、握れるわけねェだろッ……」
今の俺にできる精一杯の睨み。
相手は吸血鬼の頂点に君臨する公爵だ。殺されてもおかしくはない。けど言わずにはいられなかった。きっとアレクシアだったらそう言っていたはずだから。
「そっか、ごめんね」
公爵は複雑な表情でたった一言そう答える。そして羽根をしまうとニーナのいる方角へ歩き出し、俺のすぐ隣を通り過ぎ、
「……母上に伝えておいてくれないかな?」
「伝えるって何を?」
「公爵の僕を粛正しても未来は変わらない──
「
俺の言葉を最後まで聞き終えることなくニーナと共に窓の影に溶けて消えた。辺りは静寂にしばし包まれると身体の力が抜けて俺は壁に勢いよく背を付ける。
『なんじゃねあのやべぇやべぇラスボスはよぉ?! このわたしが震えちまったぜぇい!』
(あいつは公爵だよ。まさに吸血鬼のラスボスだ)
『ぺっぺっぺっ! ラスボスを煽り倒すなら今じゃけんのぉ! ぺっぺっぺっぺぺっ!』
(お、お前……ほんと調子いいな……)
賑やかなシエスタの声に俺は苦笑すると大きく深呼吸をして壁から背を離す。気疲れしてしまったがまだ何も終わっていない。俺は青に染められた廊下を早足で突き進んだ。
「ここは、なんだ?」
辿り着いたのは広い空間。
視界に映った景色に対して最初に抱いた印象はとても広いというシンプルなもの。その広い空間にカメラや照明器具が至る所に置かれている。
天井を見上げれば無数の照明が鉄の格子に張り付いていた。どこか既視感のある景色に俺は険しい表情を浮かべ、カメラと照明が取り囲む中央へ視線を移す。
「まさかテレビのスタジオか?」
既視感の正体。
それはテレビの番組でよく見かけるスタジオ。天気予報や時事ネタを映し出す大きなディスプレイ、司会の人が立つ豪勢な机、そして出演者を座らせるいくつかの席だ。
「いやぁ、流石だねぇ。ここまで足を運んでくれるとは感激だ」
「──っ! 誰だッ!?」
舞台裏から聞こえてくる拍手音と野太い男の声。俺は音のする方へと即座に身体の向きを変える。しばらく見つめていると舞台裏から出てきたのは、黒のカーディガンを背中に羽織り、両袖の部分を胸の前で結んだ格好をした──
「そしてようこそ私の番組『モノクロウム』へ」
いかにもテレビ局のプロデューサーらしい三十代半ばほどの男性だった。