ЯeinCarnation   作:酉鳥

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10:24『お母さんを信じて』◎

 

 石像内部からがむしゃらに飛び出す俺とカミルさん。

 外で待っていたヘレンがプーパとマグリスを抱えたカミルさんを受け止め、フローラさんとエリザさんがアレクシアを抱えた俺を受け止めてくれる。

 

「カミル、君はやはりタフだな」

「おい、生還した奴に掛ける言葉じゃねぇだろ」

 

 カミルさんは文句を言うとヘレンから離れて自分の足で立つ。そして両脇に抱えていたプーパとマグリスをドサッと地面に落とし、右肩を軽く回して身体の状態を確認した。

 

「二人共、無事で何よりよ。一時はどうなるかと思ったわ」

「えへんっ、ちなみに私は我が主と共に信じていたので無事なのは分かっていました!」

「フローラ、あなたが一番そわそわしてたわよ」

「そ、それはお腹が空いてたからでっ……」

 

 受け止めてくれたエリザさんとフローラさんは俺たちをその場に座らせると無事を喜び、いつものやり取りを交わす。そんな二人を目にした俺はドッと身体に疲労を感じて仰向けに倒れた。

 

「……じっとしていなさい。すぐに治療するわ」

「すみません、お願いします……」

 

 エリザさんから加護による治療を受けている間、辺りの状況を視認してみる。脅威だった巨大な石像はもはや瓦礫の山となり、上下が反転する空間も消失済みだ。

 

(やっと、これで──)

 

 緊張の糸が切れて身体にドッと疲れが圧し掛かる。俺はふと石像の残骸の近くに立っている金の銅像を見た。あんなもの、あそこに立っていたっけ。

 

(──あれ、動いてるのか?)

 

 銅像じゃない。

 あれは二メートルを優に超えた金の鎧だ。磨かれていないのか少しだけ薄汚れている。そいつは金属の擦れ合う音を立てながら、巨大な瓦礫を握り潰しては放り投げを繰り返して何かを探していた。

 

(あの人は十戒じゃない。じゃあ一体誰なんだ……)

 

 右腕を上げた時、身体がこっち側に向いて金の鎧の胸元が見える。そこに薄っすらと刻まれていたのは黒い薔薇の紋章。俺はすぐに目を見開くと、

 

「黒薔薇の使徒だッ! まだ黒薔薇の使徒がそこにいるッ!!」

「「「──ッ!」」」

 

 大声を張り上げて大柄の鎧を纏う人物を指差した。その場にいる人たちが全員注目をするとそいつは俺の方を向いて辺りを一望する。

 

「おや、皆さまどうされたのですか? 私が目障りでしたかな?」

「おいてめぇ、何者だ? いつからそこにいやがった?」

「これはこれは、大変失礼いたしました。私の名は──黒薔薇の使徒No.3オルフェン」

「あ? オルフェンだと?」

 

 十戒の人たちが俺の方へ視線を移す。言いたいことは分かる。きっと「倒したはずじゃなかったのか」という疑問だ。

 

「オルフェンなはずがない! あいつは確かに死んだはず……!」

「おお言葉足らずでした。私が本物(・・)のオルフェンでしてな。皆さまがその目にしていたのは私の偽物ですぞ」 

「は? 偽物?」

 

 俺が疑念に満ちた声を上げると瓦礫の中から、斬り落とされたオルフェンの頭部を右手で掴み上げ、俺たちへと見せつける。

 

「聞き覚えはありませんか? 家畜に自分と同じ名前を与えれば不思議と愛着がわくという一説。……少し興味があったので試してみたくなりましてな。私と同じ名の家畜が殺された時、どれほどの絶望を味わえるかを知れるので」

「……てめぇ、何を言ってやがんだ?」

「しかし一説に過ぎませんな。このような家畜に絶望どころか愛着すら湧かなかった」

 

 オルフェンはそう吐き捨て、偽オルフェンの頭部を軽く握り潰す。頭蓋を砕いて飛び出すのはぐちゃぐちゃの脳みそと脳汁。それを合図にその場にいる十戒たちが臨戦態勢へと切り替えた。

 

「対して皆さまが手を取り合う情景は素晴らしいものでしたぞ。私は皆さまに大変嫉妬してしまいましてな。私も皆さまと親密な関係を築きたいと思わせるほどには」

「君は私たち友人にでもなりに来たのか?」

「ええ勿論ですとも。皆さまの交友関係の輪に加わることができれば──さぞ絶望に満たされるでしょうに」

「……何だと?」

 

 ヘレンが率先して本物と名乗るオルフェンへゆっくり距離を詰める。対してオルフェンはその場で金色の鎧を大きく揺るがしながら教祖のように両手を広げる。

 

「信頼のおける仲間が無慈悲にも次々と殺害され、救いたかった人が既に死を迎え、自身の居場所も愛する家族も何かもが失われるとき──何ものにも代えがたい絶望が私を満たしてくれますからな」

 

 鎧によって顔色を窺えない。

 だがその語り口調からはやや高揚を感じさせ……カムパナから事前に聞かされていた『狂気の王』という呼称に相応しい。

 

「絶望とは深淵なる闇。希望の光を見出せる惨状を絶望とは呼ばない。揃うのは救えぬ舞台と歔欷(きょき)の歌唱のみ。絶望とはそういうものです」

「……」

「絶望を愛し絶望を渇望するのが私です。皆さま、本物の私についてご理解いただけましたかな──」

 

 長々と絶望について語り続ける最中、ヘレンは中腰の状態でオルフェンの懐まで一瞬で潜り込む。そして殺意が込められた赤い瞳でオルフェンを見上げ、

 

「話が長すぎる」

 

 それだけ呟くと白の刀剣でオルフェンの巨体を斬り上げる。耳を劈く刃と金属の衝突し合う音。オルフェンは瓦礫の山へと軽々と吹き飛び、辺りは砂埃と破片となった欠片が散らばる。

 

「血染めの皇女。こうして対面すれば絶望的な相手ですな」

「……そう易々と死んではくれないか」

 

 しかし砂埃から拍手をしながら姿を現すオルフェン。斬り上げられた鎧の個所に深々と刀痕(とうこん)が刻まれているにも関わらず、オルフェンは何食わぬ顔で立っている。

 

「しかし、ああ、誠に遺憾だ。ここまで整った舞台で皆殺しにしても私が絶望に満たされぬとは……仕方ありませんな、この辺りで退場させてもらいますぞ」

 

 風に吹かれてオルフェンを取り囲むのは黒い薔薇の花弁。ヘレンは後を追いかけようとせず、警戒するようにオルフェンを睨むだけ。

 

「おおそうでした。皆さまの為に置き土産(・・・・)も用意しました。是非ともこの後も絶望を堪能してくだされ」 

(置き土産……?)

「ではまたお会いできること──楽しみにしておりますぞ」

 

 最後に少しだけ俺とアレクシアの方を見ると本物のオルフェンは黒い薔薇の花弁と共に姿を消す。

 

「……」

「……どうしたんだよ、アレクシア?」

 

 オルフェンは跡形もなく消えた。これで一区切りがついたはず。それなのに隣に座っていたアレクシアは何かに気が付いたかのように表情を青ざめていた。

 

「すぐに私から離れろ」

「え? 離れろって──」

 

 そう言いかけた途端、アレクシアの心臓の位置から蒼い獄炎が点火する。何が起きたのか分からず、エリザさんたちも一瞬だけ思考を停止させたが、

 

「エリザ、フローラ、彼女から離れろッ!」

 

 アレクシアの腹部に突き刺さる金剛石の杭。そこに亀裂が入っていたことにヘレンが気が付き、エリザさんたちに向けてそう叫んだ。

 

「フローラ、彼を運んで!」

「は、はい!」

「ま、待ってください! 一体何が……!」

 

 ヘレンの呼びかけで我に返った二人。

 フローラさんは俺を抱えるとエリザさんと共にアレクシアから急いで距離を取る。何が起きているのか分からず、動揺する俺に答えを突きつけるようにして、

 

「──何だよ、これ」

 

 アレクシアは蒼色の獄炎に包み込まれた。周囲へ引火し石の瓦礫すらも炎上させる消えぬ獄炎。突き刺さっていた金剛石の杭が粉々になると更に獄炎は火力を強めていく。

 

「何してんだよアレクシア!? 血涙の力を止めろ!」

「……止められん」

「は?」

「制御が効かん。止めることも弱めることもできん」

 

 血涙の暴走。

 アレクシアは眉を顰めつつも抑え込もうとしているが全く制御できていない。どうして急に暴走し始めたのか。エリザさんはアレクシアのある箇所に異変を見つけると指差す。

 

「待って、あの黒い薔薇は……?」

「黒い薔薇ですか?」

「首の後ろをよく見なさい。さっきまであんなものは付いていなかったはずよ」

 

 エリザさんが指差す箇所。

 それはアレクシアの首の後ろ。寄生しているかのように黒い薔薇が生えていた。その場にいる誰もが暴走の根源をその薔薇だと予想する。

 

「チッ、これがアイツの言ってた置き土産か! ……おい、自分でその薔薇を千切れねぇのか!?」

「いいえ不可能ですね。彼女は両腕を拘束されています」

 

 アレクシアはまだ両腕を拘束されている。この状態で千切ることはできない。カミルさんはティアさんにそう言われると険しい顔で項垂れる。

 

「問題ない。私が彼女のそばまで近づき薔薇を取り除けばいいだろう」

「だがヘレン、お前も燃やされたら……」

「カミル、私が死ぬことはない。燃えながら近づけばいい」

「そういう意味じゃねぇ。もっと賢いやり方を考え……おい、待ちやがれ!」

 

 不死の加護によって死なないヘレン。

 カミルの意見を押し切って自らの意志で蒼色の獄炎の中へと足を踏み入れた。

 

「この程度かオルフェン。とても安い絶望だ」

 

 ヘレンの肉体を焼き尽くす獄炎。

 皮膚を(ただ)らかせ骨や筋肉が見えても歩みを止めることは無い。一言で表すならば奇怪な光景。見慣れている十戒の人たちは見守るだけだが俺はその怪物っぷりに顔を青ざめていた。

 

「来るな、下がれ」

「心配するな。私は君の血涙で死ぬほど(やわ)じゃない」

「話を聞け。この炎には──」

 

 揺らめく蒼色の獄炎。ヘレンは(ただ)れた顔で平然とそう述べながらアレクシアの元まで後少しの距離まで辿り着いた。

 

「──呪印も込められている」

「……ッ!!」

「ヘレンッ!!」

 

 瞬間、蒼色の獄炎がより一層火力を増してヘレンの肉体を消し炭にしてしまう。それも人間の原型すらも残らないほどに。

 その光景を目の当たりにしたカミルさんは声を張り上げてヘレンの名を呼んだ。

 

「──なるほど。これは近づけないな」

「お前……」

「やあカミル、私のことがそんなに心配だったのか?」

「チッ、心配させんじゃねぇ!」

 

 が、ヘレンはそよ風が吹くと共にカミルさんの隣へ何食わぬ顔で蘇生する。カミルさんは心配して損したと不機嫌な様子を露わにし、ヘレンの頭を引っ叩く。

 

「ヘレン、無事で何よりですが……状況は悪化しました。このままでは彼女の炎が燃え広がり、グローリアが……いえ、最悪の場合ロザリア大陸が焼け野原になるかと」

 

 ティアさんの言う通りだった。

 ヘレンが近づくことができなければ打つ手がない。俺たちを他所に蒼い獄炎は炎上の範囲を広めていく。それもゆっくりではなくかなりの速度で燃え移っていた。

 

「……ニコラス、聞こえるか?」

『はいヘレン、聞こえています』

「アルケミスにいる全リンカーネーションに住民の避難をするよう通達してくれ。出来る限りアルケミスから離れた場所まで遠ざけるんだ」

『承知しました。僕に任せてください』

 

 ヘレンはニコラスさんに避難命令を出すよう指示をし俺の方へと近づいてくる。こちらに向けてきたのは決断を終えたような顔。嫌な予感がして俺は表情を強張らせる。

 

「彼女は殺す(・・)しかない」

「……は?」

「接近は厳しいが距離を取れば殺すことはできる。残念だが受け入れてくれ」

 

 声色から分かった。

 既にアレクシアを殺すことを心に決めていると。ヘレンは俺から貸していた白の刀剣を取り上げるとアレクシアへ殺意を向けた。

  

「待てよ! ここまで来たのに殺すなんて……!」

「確かに彼女の命の価値は高い。だが数万の命と彼女の一人の命、どちらを取るべきかは君にも分かるだろう?」

「だけど……!」

 

 その先の言葉は何も浮かばない。ヘレンの主張は至極真っ当だ。俺の反論なんて駄々をこねているようにしか聞こえないだろう。

 俺は思考を張り巡らせてアレクシアを殺さずに済む方法を考える。ふと思い浮かぶのはアレクシアが自身の血涙について話をしていた時の記憶。

 

『なぁアレクシア、その炎ってさ……触れたらどんなものでも燃えるのか?』

『……私の意志次第で変わる』

『それって人間相手でもか?』

『人間相手は私の意志を反映できん。原因は私が無意識のうちに敵意を抱いているからだと伝えられた』

 

 裏切りに遭ったヒュブリスの時代。

 それが原因で人間に対し無意識で敵意を抱き誰も信頼できない状態になっている。だから獄炎はどんな相手でも燃やし尽くしてしまうと。アレクシアはそう話していた。

 

「聞いてくれ! あの炎を通り抜けられる方法が一つだけある!」

「その方法は?」

「あの炎はアレクシアが『心を許す相手』だったら燃えないんだ! その相手がここにいれば近づけるはず……!」

「ならその相手は誰だ? 君か?」

 

 ヘレンに聞かれた俺はそこで気が付く。遠くに避難している俺まで炎の熱波を感じていることに。俺はアレクシアに心を許されていないとすぐに悟るとヘレンから視線を逸らし首を左右に振った。

 

「この場にいるメンバーだったらあなたが彼女と最も親しいはず。それでも拒まれているなら……他に誰がいるのよ?」

「それは、その……」

 

 エリザさんに問われて色んな人物が頭の中を過る。

 思い当たる人物はただ一人。アレクシアの師であるテレシアという転生者だけ。しかしそんな都合よく現れるはずもない。

 

「……君の提案は使い物にならない」

「待ってくれ! 後少しだけ考える時間を……!」

 

 ヘレンは呆れた様子で当初の『アレクシアを殺す』という計画を遂行しようと動き出す。俺は諦めきれずに呼び止めようとした──その瞬間、

 

「あらあら? この辺りで火事でも起きてるのかしら……?」

 

 後方から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。十戒の人ではない声に全員が振り向いてその女性へ注目する。

 

「──シーラさん?」

 

 立っていたのはシーラさん。

 俺とアレクシアの里親でサウスアガペーにいるはずの人物。蒼色の獄炎の中でアレクシアも呆然とした様子でシーラさんを見つめる。

 

「……アレクシアちゃん?」

 

 シーラさんはアレクシアの存在に気が付く。獄炎に包み込まれた我が子を見て何を思ったのかは俺には分からない。けど少しだけ唖然とした後、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ると一歩ずつアレクシアの元へと前進を始める。 

 

「駄目ですシーラ叔母さん! 今の彼女に近づいたら……!」

「平気よエリザちゃん~。私はアレクシアちゃんと少しお話するだけだから」

 

 エリザさんが呼び止めてもシーラさんは足を止めない。かといって躊躇うことも恐れることもない。ただアレクシアに真っ直ぐ向かっていく。

 

「久しぶりねアレクシアちゃん。今そっちに行くわね」

「……炎が、消えていく?」

 

 不思議なことにシーラさんが近づけば近づくほど獄炎は収束を始めた。シーラさんが一歩踏み出せばその歩幅分だけ獄炎も消えていく。まるでシーラさんに怯えるように。

 

「少しだけ背が大きくなった? ついにアレクシアちゃんにも成長期がきたのかしら?」

「シーラ、来るな」

「聞いてアレクシアちゃん。今日の朝ね、お母さんまたパンを焦がしちゃった。でもウェンディちゃんと一緒に作ったら綺麗に焼けたのよ~」

「シーラッ……」

 

 でも怯えているのは炎じゃなかった……怯えているのはアレクシア自身だ。シーラさんを失いたくない。その想いが確かに取り巻く獄炎を引き下がらせていた。

 

「アレクシアちゃん、怖がらないで」

「来るな、シーラッ……」

「すぐそばに行くから」

 

 獄炎はアレクシア自身を纏う程度まで縮小したがそこからは炎が収まる気配がない。それでもシーラさんは歩く速度を変えず、真っ直ぐアレクシアのそばまで近づき、

 

「……ッ!」

「シーラっ……」

 

 飛び火したことでシーラさんが表情を苦痛に歪めた。アレクシアは反射的に少し声を荒げながらシーラさんの名前を呼ぶ。 

 

「……私は平気よ。お母さん、火傷するのは慣れっこだもの」

「シーラ、私にっ……」

「お母さんは大丈夫、心配しないで」

「私に、近づくなッ……」

 

 アレクシアの周囲を漂っていた獄炎に一本の裂け目が入る。シーラさんを受け入れるか受け入れないか。そんな葛藤を表すかのように獄炎は強まったり弱まったりを繰り返していた。

 

「ねぇアレクシアちゃんっ……昔、本試験を受ける前にっ……サインをお願いしてきたときのこと、覚えてる?」

 

 蒼の獄炎が築き上げた一本道。その道を怖気づかず一歩ずつ前進していくシーラさんが呆然と立ち尽くすアレクシアにそう話しかける。

 そこで俺はやっと気が付いた。アレクシアが心を許す相手に見せていた一面を。

 

シーラ(・・・)の前で情けない姿を見せるな』

シーラ(・・・)にもシーラなりの考え方がある。それを受け入れてやるのが私たち子供としての役目だ』

 

 アレクシアは滅多に人を名前で呼ばない。俺のことだっていつも『あの男』や『この男』という呼称だった。俺が記憶している限りでは名前を呼んでいたのは師匠のテレシアという人物と──里親のシーラさんだけだ。

 

「あの時、お母さんに教えてくれたわよねっ……。信じないことは簡単だけど、誰かを信じることはすっごく難しいってっ……」

「駄目だ、来るなッ……」

「お母さんね、やっと分かったの……。あの言葉は、アレクシアちゃん自身が抱えてた苦しみなんだってっ……」

「やめろ、やめろシーラッ……」

 

 表情がたちまち崩れるアレクシア。怖がっているのか、怒っているのか、泣きそうになっているのか、何の感情が先行しているのかは分からない。ただ様々な感情が込み上げて自分でも何が何だか分からなくなっている……俺にはそんな顔に見えた。

 

「何も言うなッ……。それ以上ッ……私に、私に信じさせないでくれ……」

 

 ヒュブリス時代に執筆された過去の手記。そこには師の意志を継ごうと身を削りながら努力を重ねたが、同志だったはずの仲間に裏切られて追放されたと書かれていた。

 

(アレクシアが……心を開こうとしてる……)

 

 しかし裏切り者だとしてもそれは師が守ろうとしたものに変わりない。その結果、信じた自分が悪い、期待した自分が悪い、と自分を責め立てて孤立を選んだ。そんなアレクシアが酷く葛藤しながら信じてしまいそうになる自分を拒もうとしている。

 

「お母さんはアレクシアちゃんをずっと信じている。アレクシアちゃんをずっと愛している」

「シーラ、やめてくれッ……」

「あなたが何度生まれ変わっても──私はアレクシアちゃんの母親よ」

 

 アレクシアの元まであと一歩のところまで辿り着き、シーラさんは優しく微笑んだ。蒼色の獄炎はアレクシアの身体に纏わりついている。障害のように囲んでいた炎のように決して消えはしない。

 

「だからね、アレクシアちゃん──」

 

 だけどシーラさんは大きく手を広げる。見つめる先は我が子の顔。愛する娘を迎え入れるようにそのまま最後の一歩を踏み出すと、

 

 

【挿絵表示】

 

 

「──お母さんを信じて」

「……っ!」

 

 獄炎を纏っていたアレクシアの身体を優しく抱き寄せた。頭に巻いていたスカーフは激しく燃えると地面へ舞い落ちる。その光景を目にした俺たちはシーラさんも燃やされてしまうと身構えたが、

 

「燃えて、ない……?」

 

 シーラさんの身体に引火することはなかった。むしろ獄炎は徐々に消え始めるとあっという間に鎮火し、アレクシアの首の後ろに植え付けられていた黒い薔薇も活力を失くし枯れ落ちる。

 

「お帰りなさい、アレクシアちゃん」

 

 抱きしめられるアレクシアは微動だにしない。ただ母親の胸の中に顔を埋めて小さく肩を震わしているように見えた。俺は二人の邪魔をしてはいけないと駆け寄ることはせず、その場に立ち上がり胸を撫で下ろす。

 

「ヘレン、今の彼女を処分するとは言いませんよね?」

「言えないさ。……まったく、母親には敵わないな」

 

 こちらまで歩いてくるティアさんにそう尋ねられたヘレンは白い刀剣を鞘に納めた後、シーラさんに抱擁されたアレクシアの姿を眺めながら感心するようにぼそっと呟く。

 

「……おい、どういうことだ? あの炎には呪印が混じってんじゃねぇのか?」

「あなた、分からないの? シーラ叔母さんが彼女を救えたのは……」

 

 ティアさんの後に続いてこちらに歩み寄るのは怪訝そうなカミルさん。エリザさんは二人の姿を遠目に眺めつつ微笑みながらこう答える。

 

「呪印の狂愛よりも──我が子を想う母親の愛が強かったからよ」

 

 十五時を告げる鐘の音。

 澄み渡る青空から差し込む太陽の光は──俺たちの勝利と二人の家族愛を祝福していた。

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