裸足のまま連れてこられた場所は沼地。
湿気と泥の臭いが充満する居心地の悪い空間。そこでは既に拘束されていたであろうティアナが裸足のまま膝を突いていた。
「ヘレン……!」
「やはり君は温厚すぎるな」
「それは……ごめんなさい」
人質となったナナたちのために抵抗しなかった。その選択を合わせてもらったことを悟ったティアナは申し訳なさそうに私へ謝罪する。
「ご苦労じゃったな。タローにジロー」
「ふふん、僕ちゃんにとっちゃ楽勝よ」
「調子に乗るなジロー。人質で揺さぶっただけだろうが」
居合わせた長老に褒められて鼻の下を伸ばす調子者のジロー。タローは不満げな様子で文句を言うが、ジローは子供のように舌を出して
「ねえ、ナナたちはどこにいるの? 本当に無事なんだよね?」
「ほっほっ、当たり前じゃろう。……タロー、ここへ連れてきなさい」
疑心を抱いているティアナ。彼女へ見せつけるように長老はタローへ命令すると木陰から三人の人影を連れてこさせた。
「わ、私たち~!」
「つ、捕まってしまいましたわぁっ!」
「わ、我としたことが不覚だった……!」
「良かった……! 三人とも、無事だったんだね!」
裸足のまま歩かされてきたのは行方を暗ましていたエンジェル家のナナ、ミミ、ユユ。ティアナは三人が無事だったことにほっとした様子で一息つく。
「くっくっ、美しい脚をもつイケニエが五人も……。これは人魚様も大喜びするわい」
「イケニエ?」
「銅の階級の失踪者が記録をこう残していた。この村は足切り沼に住まう人魚様にイケニエを捧げていると」
「失踪者の記録……? 待って、それじゃあ失踪したT機関やP機関の人たちって!」
私は書庫で呼んだ記録をティアナに説明すると、おおよその憶測が立ったようで目を見開き長老を見上げる。
「ほっほっ、そうじゃ。あの者たちには人魚様のイケニエになってもらった」
「なるほど。君たちはリンカーネーションの正義感を利用して……彼らを罠に
「その通り、この村まで誘い込んだんじゃよ。『吸血鬼に襲われている』と一芝居打ってな」
廃村で抗争があった様子もキャンプ地にしていた痕跡もない。
「そ、そうだよ! わ、私たちもぉっ!」
「この方々から『村が吸血鬼に襲われてる』と助けを求められましてぇ!」
「いざ来てみたら……不意を突かれて捕まってしまったのだぁ~!」
同じように誘われたと主張するナナたち。
ティアナはやや敵意を込めた目つきで長老やタローたちを交互に視線を移す。
「どうしてそんなヒドイことするのっ……」
「人魚様の
「リンカーネーションに助けを求めればいいでしょっ! こんなイケニエを用意しなくても解決できッ──きゃうっ!」
その話を遮るようにタローが横から前蹴りを入れてティアナを横ばいにさせる。タローの表情からは「お前に何が分かる」と怒りに満ちている様子だった。
「人魚様をどうにかできるヤツなんて誰もいねぇんだよッ! リンカーネーションだろうが神様だろうが、あんな怪物はどうにもならねぇ!」
「だけどっ……」
「年々捧げるイケニエの数も増えたせいでわしらも苦しい日々を送っているんじゃ。どうか分かってくれ」
ティアナやナナたちを強引に立ち上がらせるタローとジロー。彼らは四人の背中を押して足切り沼へと追いやっていく。
「ほらほら、僕ちゃんとこの村のためだと思って……素直にイケニエになってよ、神の遣い様?」
「ちょ、ちょっとおやめになって──ひッ?!」
「つべこべ言うんじゃねぇ。痛い目に遭いたくねぇなら足切り沼に入れ」
抵抗しようとしたミミに突きつける鋭利なナイフ。彼女は短い悲鳴を上げると素直に命令を聞いて足切り沼へと降りる。私たちも脅されながらも次々と足切り沼へと降りるよう命令された。
「ひ、ひどい臭いですわっ」
「うっ、ぬめぬめしてて……き、気持ち悪いっ……」
「わ、我々にこのような仕打ちをしてただで済むと思うなよ!」
足首まで沈むほど腐敗臭のする泥と生物が住めるとは思えないほど濁った水。粘着するような泥は両脚を固定するように引っ付き身動きが取れない。
ナナたちは各々がしかめっ面を浮かべて苦言を吐いていた。
「早く上げるのだっ! 我々エンジェル家のマミーが容赦しないぞ──」
「しっ、みんな静かにして」
口元に人差し指を当てて静かにするよう指示を出すティアナ。向けている視線の先は足切り沼の中央だ。汚染水に近い沼の中で──
「おお人魚様っ! あなた様のためにイケニエを用意いたしました! どうぞ召し上がってくだされ!」
「なにが、いるの……?」
人魚様と呼ばれるナニカ。
ティアナは目を凝らしているが沼の水が濁っているせいでハッキリと姿は捉えられない。しかし揺れる水面から徐々に私たちの方へ近づいてくることは分かる。
「い、いやっ……は、早く離れようみんなッ!」
「そ、そうですわねっ!」
ナナたちは背を向けると沼から這い上がろうと試みるが、両腕を後ろで拘束されているうえ湿気の影響でかなり滑るためまったく上ることができない。
「ヘレン、早く逃げて!」
立ち位置的には私が最前線。真っ直ぐこちらに向かってくるナニカを見据えているとティアナが逃げるよう呼びかけてきたのだが、
「……? 無視されたが?」
「えっ?」
沼の中に潜むナニカは私を無視するとナナたちの方へ真っ直ぐ向かっていく。更に言えばティアナすらも無視してナナたちの元へ突き進む。
「ナナを狙ってる……! ナナ、早く逃げて!」
「へっ、へっ? わ、私……!?」
三人のうち狙いを定めたのはナナ。
ナニカがじりじりと距離を詰める最中、ティアナはナナにそう呼びかけるのだが、
「だ、だめっ……ど、泥で滑って上がれないっ……!!」
何度も沼から這い上がろうとして落ちてはを繰り返すだけ。左隣に立っていたミミはそれを見兼ねて、ナナへ手を伸ばす。
「に、逃げますわよナナッ! もうすぐそこまで来てますわッ!!」
「ま、待って、待ってよぉお"っ! あ、足が沈んで上手く動かなッ──」
恐怖に顔を引き攣りながらそう言いかけた途端、ナナの身体が沼の中へ一瞬にして引きずり込まれる。
ブクブクブクッ──
「ナ、ナナっ……? どこに行きましたのっ……?」
「へ、返事をするのだナナッ! ナナッ!」
ミミやユユの呼びかけに返答はない。
ただ水面が泡立つだけでほぼ静寂が支配している沼地。ミミたちはしばらく唖然としていると結果を与えるかのように沼の中央にナニカが浮かんできた。
「──ナナ?」
浮かんできたのはナナの肉体……の半分。
詳しく言えば両脚が綺麗に切り落とされた肉体。口元からは腐敗臭のする泥が垂れ落ち、人形のようにプカプカと浮かぶ。
「ひッ、ひぃいぃいいぃいぃッ!?!」
「あ"あ"ぁッ……あ"ぁあ"ぁぁあ"ぁぁぁあ"!!!」
瞬間、悲鳴を上げるミミとユユ。
ティアナは声にもならず両手で口を押え、私は真顔でその死体を見つめる。
「おお、人魚様のお気に召したようじゃっ!」
「まだいるぜぇ人魚様。こんだけイケニエを用意したんだからこの村を呪わないでくれよ」
しかし村長とタローはナナの死体を目にし歓喜する。まともな精神状態とは思えない反応をされ、ミミとユユは顔を青ざめて沼から這い上がろうと土の壁に張り付いた。
「い、いやぁあぁぁあッ!! どなたか、どなたか手を貸してくださいましッ!!」
「嫌だッ嫌だぁぁあッ!! 死にたくない死にたくないぃッ!!」
生を求めて沼から這い上がろうとする二人。そんな彼女たちを死へ誘おうと再びナニカが水面を揺らしてミミたちへ近づいていく。
「あの生物は動くものに反応している」
「……! 二人共、動いちゃだめ! 動くと狙われて──」
「助けて、助けてぇえぇええッ!!」
「わ、私の話を聞いて!」
錯乱状態のせいで聞く耳を持たないミミたち。ティアナはそれでも叫ぶのだが僅かな反応すら示さなかった。
(仕留めるしかないか)
沼の中に潜む人魚様と呼ばれる怪物を始末するしかない。私は横を通り過ぎてミミたちの方へ突き進むナニカに近づこうとした時、
「……止まった?」
揺れ動いていた水面が
「お、お二方! さっきの化け物はどこに行きましたの!?」
「わ、分からない。突然消えたから……」
こちらに人魚様の行方を尋ねられても私たちにも分からない。ティアナの返答を聞いたミミはしばらく辺りを警戒をしていたがハッとした様子で我に返り、
「い、今が好機ですわ! ユユ、陸に上がりますわよッ──」
右隣にいるユユへそう呼びかけた途端、沼の中に引きずり込まれてしまう。突然のことでユユは呆気に取られていた。
ゴボゴボゴボッ──
「ミ、ミミ……?」
呼びかけたところで返答はない。
代わりに体内の酸素が泡となって水面に浮かび上がるだけ。私たちはしばし硬直すると足切り沼の中央付近へ振り返る。
「あ"ッ……あァあ"ぁあ"ああァ!!?」
「うそっ……」
人形のように浮かんでいた。ミミだったものがそこに。両脚を切られた状態で口に泥を詰められた状態で、ひどく歪んだ表情でそこに。
ユユは腰が抜けたことで尻餅をつきティアナは顔を青ざめて後退りをする。
(私が仕掛けようとしたことに……勘付いたのか?)
私が迎撃の行動を取ろうとした時、人魚様は位置がバレないように潜伏し始めた。恐らくは私のことを警戒しているか、野生の勘が鋭いのか。言い切れるのは人魚様という存在は子爵以上の知能を持つ怪物だ。
「ユユ、今すぐ立たないと!」
「こ、腰が抜けて動けないのだっ……」
「くっ、私がそっちに行くから待ってて!」
ティアナは泥に足を取られながらもユユの元まで向かおうとする。このままでは二人もイケニエとなってしまう。そう考えた私はその場にしゃがみ込むと両腕を縛っていた麻縄を力技で引き千切り、
「そろそろ頃合いか」
沼の底に溜まった泥を両手に握ると遠目で監視していた長老たちの目元へ投げつけた。
「うぐぬぉッ!?! なんじゃっ……」
「ぐそッ、泥が目に入って……!!」
「僕ちゃんの目がッ、よくもッ……!!」
視界を奪われて混乱する長老たち。
私はその隙に沼地を全速力で駆け抜けてティアナとユユのそばまで近寄り、
「うおぉおっ……?!」
「ヘ、ヘレン! な、なにしてるの……!?」
「……? 君たちは荷物だ。荷物は抱えるものだろう」
二人を両脇に抱えてその場で数メートルほど跳躍する。そして陸へ着地をしてから足切り沼を後にして村へと駆けていく。
「お、お前……」
「……? どうした?」
「ぬ、抜け出せるならどうして最初からやらなかったのだッ!? もっと早くお前が動けば、ナナもミミも……きっと無事でッ……!」
右脇で怒りに身を震わせるユユ。
私は視線を合わせることもなく淡々とこう述べる。
「君は気付いていないだろうが……二人目を引きずり込んだ時点で、人魚様の気配は既に消えていた」
「へっ?」
「それが行動を起こした理由だ。君は幸運だったな」
忽然と消えた人魚様の気配。
イケニエを喰らって満たされたのか、それとも別の理由で身を引いたのか。私の説明を聞いたユユはやるせない顔でそっぽを向く。
「もし人魚様が残っていたら、私たち全員がイケニエに……」
「その結末は避けた。問題はこれからどうするかだが──」
「ねえあなたたち! こっち、こっちよ!」
村と足切り沼を繋ぐ道で声を掛けてくるのは女性。私はその場に立ち止まると静かに女性を見据える。
「……君も同族か?」
「あんなとち狂った連中と一緒にしないで」
「どうやら違うらしいな」
目の前の女性はイケニエを求める村人とはどこか違う。私が少しだけ警戒心を解くとその女性は手招きをする。
「村人に見られない裏道があるわ。私についてきてちょうだい」
「ま、待つのだ! ほんとに信じていいのか?」
「構わないだろう。何か起きても大抵のことはどうにかなる」
「な、なんなのだその理由は……」
私は信用ならないと主張するユユを黙らせると、女性に導かれるがまま裏道を通ることにした。