「さぁ中に入って。誰かに見られないうちに」
私たちが連れてこられたのは女性が住んでいる家屋。外の様子を窺いながら招き入れると入れないよう、入り口に木の棒を置いて胸を撫で下ろす。
「はぁ、あなたたちだけでも無事で良かったわ」
「誰だ君は?」
「私は
最後の一言を強調するように伝えると両手に水が汲まれた桶を持って、玄関の前に立つ私たちの足元へ置いた。
「
「ええそうよ? どうかした?」
「あっ、いいえ……どこかで聞いた覚えがあっただけなので」
ティアナは『ポズウェル』という名前に表情を険しくさせる。ブルーナはやや不思議そうに首を傾げつつも置いた桶を指差す。
「とりあえず……これでその泥塗れの足を洗いなさい。話はそこからよ」
「は、はい、ありがとうございます」
「あとこれもあなたたちのものでしょ? こっそり回収してきたの」
感謝の言葉を述べるティアナ。
私たちは縁側へ腰を下ろし桶の水に浸してあった白い布で泥が付着した足を拭く。その最中にブルーナは家屋の棚から長老の家に置いてきた私たちの武装やブーツを取り出すと私たちに返してきた。
「あの、キャップは……じゃなくて、アライグマを見かけたりは?」
「アライグマ? 見てないけど……」
「……そうですか」
アライグマのキャップも寝床へ置き去りにしている。ティアナは彼の行方を尋ねたがどうやらブルーナが長老の家へ立ち入ったときにはどこかへ消えていたらしい。
「とにかく、私はあなたたちの武器を取り返してきた。これで少しは信用してくれる?」
「ああ、だいぶマシになったが」
「マシになったって……まぁいいわ」
私の答えを聞いたブルーナは呆れた表情を浮かべるが、すぐに言及するのを止めて一息つくために縁側の隅へと腰を下ろす。
「ブルーナさん、どうして私たちを助けてくれたんですか?」
「誰だって助けるわよ。何も知らない人たちを騙して……あんな怪物のイケニエにするってなったら」
「じゃ、じゃあ! あの化け物は何なのだ?! 足切り沼になんであんなのがっ……!」
顔を強張らせて声を上げるユユ。ブルーナはしばし口を閉ざして俯いた後、私たちの目を一人ずつ見つめてから、ゆっくりと言葉を紡いで人魚様について語り始めた。
「このアクレイドには『
「伝承? おとぎ話の類か?」
「ええ、おとぎ話に近いわ。でも人魚様が存在する時点でおとぎ話じゃなくなった」
ブルーナは意味ありげな一言を告げるとその場に立ち上がり、木製の棚から一冊の本を手に取ってペラペラとページを捲ると私たちに見えるよう床に置く。
「何十年も前、このアクレイドの一人の青年が住んでいたわ。その青年は父親の家業を継ぐ漁師だった。毎日のように南西にある海岸まで出向いて……漁業に励んでいたの」
そこに描かれているのは決して上手いとは言えない青年の絵。小舟に乗って網を使いながら魚を捕獲している絵だ。
「そんなある日のことよ。青年がいつものように魚を捕っているとき……上半身が人間、下半身が魚の女性を引き上げた」
「下半身が魚、ですか……?」
「そう、瞳は真珠のように綺麗で絶世の美女とも呼べる女性。青年はその姿を見て……彼女が『人魚』だとすぐに理解したの」
次のページに描かれているのは網に引っ掛かった美しい人魚と驚きのあまり尻餅をついている青年。ティアナは下半身が魚の尾びれになっている絵を険しい顔で観察する。
「その人魚の名前は──
「ミザリー……」
「出会った青年と人魚は互いに一目惚れして……毎日決まった時間に決まった場所で会うようになったわ。だけど時間が経つにつれてもっと一緒にいたいと望むようになる。でも人魚は水のある場所じゃないと生きられない。だから──」
「村まで人魚を運んだのか」
私の一言にブルーナは小さく頷く。
案の定、捲られた次のページには人魚を木製の荷車で運んでいる青年が描かれていた。
「青年は村人に黙って村にある池まで人魚を運んだの。これで互いに会える時間はもっと増えて、二人はより惹かれ合っていくわ」
「バレたりしなかったんですか?」
「……最初は誰にも気が付かれなかった。けど子供たちがたまたま人魚の姿を見てしまう。それから日に日に見られる回数が増えていって……名前のない池は『人魚の池』と呼ばれるようになったわ」
描かれているのは水面に浮かんでいる姿を子供に見られる人魚。
「そしてついには……青年と人魚が会っているところを村人に見られてしまうの。人魚なんて存在は吸血鬼と同様に災いを呼んだり人類の敵になるかもしれない。だから青年は村人から『二度と人魚と会わない』よう忠告されるわ」
互いに見つめ合う人魚と青年の姿を木陰から覗き見する村人の絵。村人に囲まれて問い詰められている青年の絵。不穏な展開にティアナもユユも表情がやや曇っている。
「青年はその日から人魚と会うことはしなかった。……でもそれは数ヵ月だけ。彼は約束を破って人魚の池にまた行ってしまうの」
そう言って次のページを捲るブルーナ。
そこに描かれていた絵にティアナとユユは目を見開く。
「赤い、池?」
「どうして赤くなってるのだ……?」
人魚の池は真っ赤に染め上げられていた。青年もティアナたちと同じく唖然としているのか、その場に立ち尽くしているように見える。
「人魚の血よ」
「……えっ?」
「ミザリーは青年が会いに来ない理由を『自分が人魚だから』と考えた。だから人間に変われば、
血塗れの状態で、上半身だけで地上に這いつくばる人魚。真っ赤な池の隅に浮かぶのは人魚の尾びれだ。
「けど彼は恐怖のあまりその場から逃げ出したわ。そして本当に、二度と人魚の池に顔を出すことがなくなった」
背を向けて逃げ出す青年とその背中に手を伸ばそうとする人魚の絵。人魚の表情は悲しみに満ちており、必死に呼び戻そうとしていることが絵から伝わってきた。
「……その後、人魚はどうなったんですか?」
「次の日から姿を消してしまったのよ。おかしいと思った村人たちは『池に人魚の死体があるんじゃないか』って数人で捜索を始めたわ」
ブルーナが次のページまで捲る。
そこに描かれていたのは人魚の池に浮かぶ数々の死体。
「そしたら捜索しに向かった村人はどうしてか行方が分からなくなって……。数日経過した頃に、村人の死体が人魚の池に浮かんでいた」
「ひ、ひどいのだ……」
「奇妙なのは死体の状態。女性は上半身だけの死体で、男性は首を切り落とされた状態で見つかったのよ」
絵として描かれているのは両脚が綺麗に切り落とされた女性の死体と乱雑に首だけ切り落とされた男性の死体。周囲で見ている村人たちは尻餅をついたり、恐れおののいたりしている。
「村人はこの一件で『人魚が生きている』『人魚の仕業だ』と確信した」
「「……」」
「そんなことがあったから誰も近寄らず、誰も手入れもしなくなった人魚の池は……腐敗した泥水が溜まる足切り沼と呼ばれるようになったわ」
ティアナとユユは口を閉ざして表情を強張らせていた。それもそのはずで人魚は上半身だけで生き延びたことになる。更に私たちは足切り沼でこの伝承通りの死体を目にした。
二人は信じたくない伝承を信じなければならないことに酷く葛藤しているようだ。
「あの長老は『イケニエを捧げないと村に災厄が降りかかる』と言っていたが本当か?」
「ええ、残念なことにそれは本当よ。イケニエを捧げない年は必ずといっていいほど疫病が蔓延して……作物もすべて枯れてしまう。私はこの目で酷い惨状を見てきたわ」
あの言葉は言い訳ではなく真実。しかし脳裏を過っている些細な疑問は晴れないまま。私は顔を上げるとブルーナを見つめる。
「なぜ村から出ていかない?」
「それは……呪われているから」
「呪われている?」
「人魚様の呪いよ。この村に一度でも立ち入った
人魚様の呪い。
二度と出られないと聞いたユユはやや顔を青ざめて息を呑んだ。
「あなたたち、リンカーネーションでしょ?」
「えっと、一応はそうなのかな……」
「実は一週間以上前に……たまたまこの村に立ち寄った女商人の馬車へこっそり手紙を滑り込ませたの。リンカーネーションに助けを求める為にね」
商人の馬車。
どこかで見た覚えがあると私とティアナは横目で一瞬だけ視線を交わす。
「多分、ブルーナさんの手紙届いてないと思います。そんなに前に出したのならとっくに来てるはずなので……」
「ええ、分かっているわ。あの商人もきっと呪い殺されたんでしょ。村から出ていこうとしたから」
人魚様が実在する話は信じるに値する。
だが村の外に出ると呪い殺されるという言い伝えがどうも引っ掛かっていた。それはティアナも同じようで疑心を抱いているようだ。
「私たちはこれからどうすればいい?」
「村から出たらあなたたちも呪い殺されるわ。だからこの村に住むしか……」
「そ、そんなの嫌なのだっ! グローリアに帰れる方法は……!」
「……ごめんなさい。でもそれしか方法はないの」
生きるためにはこの村で一生過ごすしかない。申し訳なさそうな表情を浮かべるブルーナと絶望するユユ。空気が重くなったそのタイミングで、
「お母さん……?」
「……! ごめんねサリア、起こしちゃって!」
目を擦って眠そうにする少女が家屋の奥から姿を見せる。ややブルーナの顔立ちに似ていることから娘だと窺えた。
「もしかしてブルーナさんの……?」
「ええ、そうよ。私の一人娘」
「お母さん、そのお姉さんたちは?」
「リンカーネーションの方々よ」
その言葉を聞いた瞬間、眠そうだった目をパチパチと何度も瞬きさせるサリア。私たちはどうしたのかとしばらく眺めていれば、
「えっ!? リンカーネーションの人っ!?」
「わわっ、何なのだっ?!」
「えっと、そんなに騒ぐことなのかな……?」
ドタバタと足音を立てながらこちらまで駆け寄ってきた。私たちを見つめるキラキラとした瞳にティアナとユユは動揺を隠せずにいる。
「ごめんなさい、サリアはリンカーネーションのことが大好きで──」
「ねえねえ、お姉さんたちってきゅーけつきと戦うんだよね!? どんなきゅーけつき倒したことあるの!?」
「あははっ……えっと、どんな吸血鬼だったかなぁ……?」
ティアナが困り果てた顔で私に助けを求めてくるが、わざと視線を逸らして擦り付けられないようやり過ごす。
「サリア、お姉さんたちを困らせちゃダメよ。もう夜遅いから早く寝なさい」
「えぇえ~っ? ……分かったよ、お母さん」
見兼ねたブルーナが寝るよう促すとサリアは名残惜しそうに寝床へ帰っていった。ティアナは愛想笑いで手を振って見送る。
「君は子供が苦手なのか」
「ううん、そういうわけじゃないよ。なんか、動揺しちゃって……。さっきまですっごく深刻な話をしてたから」
「……? 子供に動揺する要素はないが」
「あっ、ヘレンの理解力の方が深刻みたいだね……」
小首を傾げている私へ毒舌交じりの返答をするティアナ。どういう意味かを尋ねようとしたがブルーナは思い詰めた表情で唐突に口を開く。
「あの娘はね、今年のイケニエ候補になってるの」
「サリアちゃんがイケニエ? まだ幼いのにどうして……」
「年々必要なイケニエの数が増えているからよ。更に言うとね、この村はただでさえ女が少ない。だから娘のサリアも候補になってるの」
言われてみれば村の中にいる女性はごくわずか。
比率で言えば圧倒的に男性が多く、誰が見ても不自然に思うぐらいには違和感があった。
「それじゃあ、私たちを騙して連れてきたのも……」
「ええ、イケニエの数を揃えるためよ。いつからか村の男たちは女をさらってはこの村でイケニエにしているわ」
イケニエの数が少ないなら外から連れてこればいい。何といえばいいのか分からないティアナとユユ。ブルーナは机に置かれた和時計を見るとその場に立ち上がる。
「村の中にいい隠れ家があるの。あなたたちはしばらくそこに隠れてて」
「……? 隠れる意味はあるのか?」
「見つかったらまたイケニエにされるでしょ」
「村の外に出られないなら隠れていても見つかるはずだが──んむっ」
私の口を押えるティアナ。横目で彼女の顔を見てみると「余計なこと言わないで」と引き攣った笑みを浮かべている。
「じゃあ案内するわね。私についてきて」
そして口を押えられたままブルーナが知っている隠れ家まで三人で向かうことになった。