ЯeinCarnation   作:酉鳥

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第12話『vs人魚ミザリーA』

 

「こ、こんな荒っぽいやり方が対策……?」

「ば、馬鹿力なのだぁ……」

 

 唖然としているティアナとユユ。

 私は噴き上げられた水と泥、そして切り落とされた両脚が雨のように降り注ぐ中で、人魚ミザリーが数十メートルほど吹き飛んでいった方角を眺める。

 

「でも良くやったのだ! これであの怪物も倒せて一件落着──」

「……? 仕留めたとは言っていないが?」

「はへっ?」

 

 瞬間、沼地の底から無数の黒い髪が触手のように飛び出してきた。付近に浮かんでいる切り落とされた両脚にシュルシュルと巻き付くと次々に沼の中へ引きずり込む。

 

「きゃああぁっ!? あ、足に巻き付いたわ……!」

「──! ここまで伸びてきて……!」

 

 そして人質の女性の右脚に巻き付けば凄まじい勢いで引っ張られ始めた。ティアナはすぐさま刀剣ルクスを引き抜くと髪の毛を斬り捨てようと振り下ろしたが、

 

 キィンッ──

「きゃっ……!?」 

 

 ティアナの刀剣が軽々と弾かれる。

 髪とは思えない硬度を持っているのか聞こえてきたのは金属同士が衝突する音だった。

 

「いやぁあ"ぁあぁああッ──」

「っ……! ごめんなさいっ……!」

 

 うねる髪の毛が右脚に巻き付き、そのまま沼底へ引きずり込まれる女性。助けようと伸ばした手が虚空を掠めれば、ティアナは自身の不甲斐(ふがい)なさに顔をしかめた。

 

「君たちはここから離れろ。巻き込まれるぞ」

「でもヘレンっ……」

「そ、そうなのだティアナ! 早く逃げないと私たちが襲われるのだ!」 

 

 私たちに急かされたティアナは少しだけ躊躇(ためら)う様子を見せたが、すぐにユユとサリアの元まで駆け寄るとこちらへ振り返り、

 

「ユユとサリアちゃんを避難させたらすぐに戻ってくるからねっ! だから、待っててよ!」

「……? 戻ってこなくても──」

「ぜーったいに戻ってくるからっ!」

 

 私に向かってそう叫ぶとこの場から去っていった。

 そんな彼女の後ろ姿を見つめた後、私は鞘から白い刀剣を抜いて右手に構える。

 

「彼女が戻ってくる前に……片を付けるか」

 

 沼底から突き出して荒れ狂う黒い髪。

 私を沼へ引きずり込もうと四方八方から伸びてきたが刀剣を逆手持ちに切り替え、

 

「所詮は髪だな」 

 

 左脚を主軸にその場で一回転し、触手のようにうねる髪をすべて斬り落とした。刃が触れても先ほどのような金属音はしない。

 

「──オマエは、ダレ?」 

 

 何処からともなく呼びかけてくる女性の声。

 当然だがティアナたちじゃない。この場にいるのは私ともう一匹だけ。

 

「何だ。君は喋れるのか」

 

 人魚ミザリー。

 いつの間に足切り沼に戻っていたのか、中央付近で黒い髪を漂わせてこちらをじっと見つめていた。よく見ればミザリーの紅い瞳は人間のように横に長いわけではなく、魚の目のように円形だ。

 

「ナゼ、ワタシの、ジャマする?」

「君の存在は人類にとって害を及ぼすから……とでも言っておこうか」

「アア、アア、ソウカ……」

 

 喋れはするが言葉はカタコト。

 男爵(バロン)よりも流暢(りゅうちょう)に喋れていない。だがこちらの言葉は伝わっているようで、ミザリーは何度も小さく頷いている。

 

「オマエは、恋したことは、アルか」 

「恋? 急に何の話をしている?」 

「オマエは、ヒトメボレした相手に、着飾ったことは、アルか」

「……どちらもないが」

 

 急に何を言い出すのか。

 理解が及ばない問いかけだが私は戸惑いつつも返答はした。

 

「ナイ、だろう」

「君は私に何が言いたい──」

「だからオマエは、愛していたヒトに」

 

 ミザリーが私の言葉を遮ると辺りが小刻みに揺れ始め、水面に波紋が広がる。何が起きているのか。それはミザリーの姿を見て悟った。

 

「ステられたことは、ナイ」

 

 彼女は煮えたぎるほどの怒りとどす黒い憎しみに支配されていると。紅い瞳は怒りの炎でより色味を増し、漂っていた無数の黒い髪は周囲の木々を斬り刻む。

 

「サイショの、キッカケは、オマエたちニンゲン」

(この圧、さっきよりも……)

「ワタシをステた……あの、ニンゲンッ……だから」

 

 最初に対面した時よりも明らかに格が違う。例えるなら男爵が子爵へと成長したかのような変化。

 ミザリーは怒りに声を震わせてこちらへ睨みを利かせると、  

 

「恋もシらないオマエに──ジャマしていいリユウは、ナイ」

 

 触手のようにうねる髪の毛が目にも留まらぬ速度で私へ伸びてくる。格だけじゃなく速さも先ほどとは比べ物にならない。

 

「君の考え方は変わっているな」

 

 だが私は刀剣を通常の持ち方へ切り替えてそれらをすべて斬り捨てて見せた。その光景を遠目で見ていたミザリーは不気味な笑みを浮かべ、沼の中に身を潜める。

 

「隠れるのが好きなのか?」

 

 人魚特有の厄介な行動。

 私は最初にしたように沼地からミザリーを引きずり出すため、左拳を振り上げて沼底へ叩きつけようとした。

 

「キィヒッ♪」

「──!」

 

 気味の悪い笑い声と共に私の顔へ泥がかけられる。

 視界が閉ざされて何も見えない状況下、四肢の肌に巻き付くのは針金のような黒い髪。毛先の一本一本が生きているのか、微かにピクピクと震えていた。

 

「オマエの、アシ、キレイ」

 

 距離を詰めてきてるであろうミザリーがざらざらとした手で私の左脚を撫でてくる。その情報からミザリーの位置の憶測を立てながらこう問いかけた。

 

「君はなぜ人間の脚を求める?」

「ジメンの上で、イキルため」

「地上で生きるため? なら何人も殺す必要はないだろう」

「キィハッ、キィッハハハハッ!」

 

 何が可笑しいのか高笑いするミザリー。

 耳を塞ぎたくなるような不協和音に少しだけ頬を引き攣る。

 

「オマエ、着飾ったコト、ナイんでしょ」

「……? そうだが?」 

「リユウなんて、オマエたちニンゲンとカワラない」

 

 そう返答したミザリーは私の右脚へ石肌のような頬を愛おしそうに擦り付けてきた。そんな不可解な言動に私はただ無言を貫く。

 

「ワタシにとってニンゲンの脚は──アクセサリーとイッショ」

「アクセサリー?」

「ナニをつけていくか。タクサンあればあるほど、ワタシはタクサン着飾れる」

 

 要約するにオシャレのため。

 両脚のある人間からすれば到底理解ができない理由だ。 

 

「だから君は村人たちにイケニエを用意させていたのか?」 

「アア、アア、ソウだ」

「……村人がイケニエを用意しなかったら?」

 

 私の一言に頬ずりしていたミザリーの動きが止まる。なぜ動きが止まったのか。泥で視界が塞がれている状態でもその理由は分かった。

 

「井戸水に、毒をナガす。ビョウキさせて、ショクリョウへらす」

「……」

「ソウすれば、ミンナ、脚のイケニエ持ってくる」

 

 ミザリーはこちらを見上げて笑っている。

 悪気のない笑みで、清々しいほど澄んだ声色で……ただ笑っているから。

 

「ワタシはニンゲンになって、チジョウで暮らす」

「そうか」 

「ダカラ、オマエの脚も、ヨコせ」

 

 沼底へ沈んでいく私の身体。

 ミザリーの怪力に引っ張られているせいか、靴底がついていたはずの沼が底なし沼となって、足先から膝丈まで徐々に沈み始める。

 

「話を聞けて良かったよ」

「アア? ナニが、イイ?」 

「君の邪魔をする理由がより増えたんだ」

 

 全身に力を込めると四肢に巻き付いていた黒い髪が蜘蛛の糸のように千切れていく。顔を向けた先はミザリーのいる位置。暗闇に閉ざされた視界の中、私は振り上げていた左拳を、

 

「オマエ、マサカ、ワタシが見えて──」

「いいや勘だ」

 

 迷わず振り下ろした。

 左拳に伝わるのはクッキーが割れていくような確かな感触。恐らくは顔面の肉と骨なのだろうが然程硬いものではない。

 

 ピクッ──ピクッ──

「君は魚類として死ぬのか」

 

 衣服の裾で目元の泥を拭い足元を見てみると転がっているのは頭部だけが潰れた死体。陸に打ち上げられた魚のように痙攣している。

 呆気ない閉幕だったとその場を後にしようとした途端、

 

「シュルシュルッ──」

「……いや、まだ死なないか」

 

 終わりではない。

 そう告げるように黒い髪が動き出す。私は一旦数メートルほど距離を置いて、ミザリーの様子を窺うことにした。

 

「さて、何をしてくれるのか」

 

 黒い髪の標的は周囲に散らばる無数の脚。

 巻き付いてミザリーの元まで引き寄せてはその形を膨らませていく。

 

「……君はどこまで成長する?」

 

 二メートル、三メートル、五メートル。

 私の視線は少しずつ上がっていき、気が付けば見上げている状態になっていた。

 

「ああ、ああ、白い小娘。オマエはとても私の邪魔をしてくれた」

 

 その成長した姿を何と表現すればいいのか。

 一番近しい生物だとするなら膨らんでいるフグだろう。膨らみ部分に切り落としてきた人間の脚が無数に張り付き、顔の部分にミザリーの上半身が代わりに埋め込まれている見た目だ。

 

「やけに太ったな。食べすぎたんじゃないか」

「ニンゲンの言葉で語るなら……やけ食い(・・・・)だ」

 

 鱗で頑丈に覆われる背中。

 張り付いた人間の脚は神経が通っているのか奇妙に(うごめ)いている。

 

「人魚なら踊り食い(・・・・)の方が似合う」

「自分の運命を分かっているじゃないか」

「……? それはどういう意味だ?」

「ああ、ああ、オマエはな白い小娘──」

 

 (アゴ)を外して大口を開くミザリー。

 その口内はヤスリのように牙が無数に生えており、喰らい付けば二度と引き剥がせないと悟らせるほどに凶悪なものだった。

 

「──私に生きたまま喰われるんだ」

 

 捕食者の咆哮と殺意を込めた威嚇。

 背中を覆っていた(うろこ)を天高く噴射して鱗の雨を上空から降り注がせた。

 

「もはや人魚とは呼べないな」

 

 私は数メートルの巨体を持つミザリーを視界に捉えその場から駆け出す。降り注ぐ鱗は右手に握りしめた刀剣で(さば)きつつ、ミザリーとの距離をほんの数秒で詰め、

 

「所詮は的がデカくなっただけだろう」

 

 風船のように膨らんでいる腹部へ飛び蹴りを放った。

 

「……? これは……?」

 

 だが私の右脚がめり込むだけ。

 ミザリーの巨体は一ミリも動かず、放った蹴りの衝撃を腹部で吸収し、

 

「──ッ!」

 

 衝撃を跳ね返すようにして私の身体を吹き飛ばした。

 自身の蹴りがそのまま返ってくるかのような感覚。私は沼地の上を何度か転がった後、地面に刀剣を突き刺して大木に衝突する寸前で踏みとどまる。

 

「白い小娘、たしか『的がデカくなっただけ』とほざいていたか?」 

「ああほざいていたよ。けど『攻撃が通りやすくなった』とは言っていない」

 

 最も柔らかいであろう腹部は打撃を跳ね返す。

 背中は硬い鱗で覆われて打撃は通らないだろう。私はならばと刀剣を構えてその場から中腰の状態で駆け出す。

 

(……今度は斬ってみるか)

 

 打撃ではなく刃ならどうか。

 先ほどと同じように鱗を捌き切って距離を詰め、高く跳躍すると膨らみの部分に刀剣を深々と突き刺す。衝撃が跳ね返ってくることはない。そのまま刀剣は腹部へ沈んでいくのだが、

 

「……ッ!」

 

 周囲に飛び散った黄土色の液体。

 こちらの衣服に付着した途端、凄まじい勢いで溶けていく。私は即座に大きく飛び退いて沼地の上で一度だけ転がった。

 

「君の血液は酸なのか?」

「ああ、ああ、私は捕食者だから。そう、そうだろう」

 

 ミザリーの血液が強力な酸に変わっている。

 しかもただの酸ではない。肌に付着すれば皮膚が焼けただれ、衣服はあっという間に溶けてしまうほど。私は衣服を確認して酸が付着した箇所を浸食が進む前に破り捨てる。

 

「白い小娘、私に喰われる準備ができたじゃないか」

「……? 君に溶かされたんだが」

 

 布の面積が削られたことで肌の部分がひどく露出していた。ミザリーは捕食者の視線で私の全身を舐め回すように見てくる。

 

(しかしありえない成長速度だな。膨らんだ腹部と鱗で固めた背中で打撃の耐性を付け、酸性の血液で刃も通さなくなった)

 

 不壊の加護のおかげで溶けていない刀剣。

 加護がなければ武装すらも失っていただろう。あらゆる耐性を持ったミザリーを遠目で眺めつつ、酸で焼けただれた右頬に手を触れる。

 

(何よりも気掛かりなのは……流暢に喋れるようになったことだが)

 

 不可解なのはカタコトだった言葉が普通の人間と変わらない領域まで成長したこと。文法がたまにおかしいが、それ以外は特に違和感はない。

 

「……? 身体が……」

 

 ミザリーを見据えている最中、力が入らなくなる両脚。急に視界もややぼやけた状態となり私は何事かと目を凝らす。

 

「君の血液は酸でもあり毒でもあるのか」

「オマエ、よく分かったな」

「ああ、私ならそう成長(・・)するからだ」

 

 間違いなく人魚ミザリーは著しい成長を遂げている。何がきっかけとなったのか、本当にミザリーがかの伝承の人魚なのかは分からない。

 けど人類の手に負えないよう成長している──そう強い確信を得た。

 

「ああ、ああ、喰らわせてもらう」

「……なるほど。おまけに動きも早いのか」

 

 瞬間、巨体に似つかない速度で目前まで迫ると黒い髪でこちらの身体を何重にも拘束する。振りほどこうにも毒のせいで全身に力が入らない。

 

「君は何者だ? 吸血鬼が変異した存在か?」

「眷属」

「眷属? それは何だ?」

 

 苦痛を味合わせるために身体を締め上げ、私を数メートルの高さにある口の前までゆっくりと運ぶ。その最中に返答した『眷属』という言葉。眉をひそめて目前にあるミザリーの顔を見つめれば、

 

「エサに答える義理は──ない」

「……っ」

 

 凶悪な口で私の左肩を覆うように喰らい付いてきた。

 その口は無数の牙でうねうねと波打ち、削り落とした血肉を貪り始める。押し寄せる嫌悪感と意識が飛びかけるほどの眩暈に思わず頬を引き攣った。

 

「……仕方ないな」

 

 黒い髪に締め上げられる肉体に力を込めた……瞬間、ミザリーの動きがピタッと止まる。

 

「私の、牙が折れている……?」

 

 覆っていた口を剥がすと無数の牙は削れているか折れている状態。

 

「君の牙がお粗末なだけだが」

 

 レインズ家の動術である受動。

 肉体で受け止めた負荷を筋肉の原動力に変える動術だ。私はこれを利用して肉体の強度を鋼へと変えていた。

 

「前から思っていたが……」

 

 理解が及ばず停止しているミザリーの脳。

 私は強度を上げた肉体で黒い髪を引きちぎり、

 

「キア"ア"ァア"ァッ──!?!」

 

 ミザリーの(あご)上顎(うわあご)を両手で掴んで引き裂いた。悲鳴と共に飛び散る酸の血液に両腕が焼かれたが、

 

「君の声は頭に響くな」

 

 気にすることなく地上へ着地をした後、ミザリーの膨らんだ腹部まで駆け出す。

 

「白い小娘っ……エサが、捕食者の私に抵抗するかッ……」

 

 衝撃を吸収してその弾性で跳ね返す腹部。

 ただ打撃を叩き込んでも意味が無い。私は握っていた右拳を開くと、緩急を付けながら膨らんだ腹部へ掌底打ちを放つ。

 

「フッ、愚かだな。オマエ、吹き飛んだことを忘れたのか?」

 

 動術の鼓動を込めた掌底打ちはどんどん弾性のある腹部に沈んでいく。ミザリーはその光景を嘲笑うように眺めていたが、

 

「──波動」

「ウギィア"ァア"ァッ!!」

 

 そう呟いた瞬間、衝撃は内部へと浸透し背中の硬い鱗が粉々になる。そして背中からは酸性の血液が激しく噴き出した。

 

「白い小娘ッ……オマエ、何をしたァアァッ……!?」

「人類の英知を試しただけさ」

 

 アベル家の動術である波動。

 対象の外部ではなく内部へ衝撃を伝わせる動術だ。弾性があろうが強靭な硬さを持っていようが……それらを貫通して内部から破壊していく。

 

「ああ、ああ、オマエは手を抜いてッ……!」

「……? 手を抜いた覚えはないが?」

 

 とめどなく噴き出す酸の血液。私は離れた位置でこちらを睨みつけてくるミザリーを見上げ、足元に落ちていた刀剣を拾い上げた。

 

「単に私が君の脅威を見誤っていただけだ」

「……ッ!」

 

 向けるのは余裕の微笑み。

 ミザリーは全てを悟ったかのように頬を引き攣った後、自身の血液をあえてまき散らして酸の雨を降り注がせる。

 

「少しぐらいは──」

 

 右手に刀剣を握りしめ矛先をミザリーに向ければ、捕食者と獲物の立場が入れ替わる。そして酸の雨が私に触れる……その瞬間、

 

「──耐えてくれ」

 

 一筋の白い閃光がミザリーの真横を通り過ぎ、酸の雨は重力に逆らって四方八方へ飛び散った。私の立ち位置もミザリーの背後へと一瞬で移動し、

 

「ガグァア"ッ──?!」

 

 その数メートル以上もある巨体が縦に真っ二つとなり、重苦しい音と血液が溢れ出す音と共に左右へ横転した。

 

「君は脆いな」

 

 しばしミザリーの死体を見つめ、刀剣に付着した血液を振り払い鞘へ納める。随分と呆気ない終わり方だった。

 

「……? 本物の雨か」

 

 ぽつぽつと空から落ちてくる雨粒。

 通り雨ではなく本格的に降り出した類の雨だろう。私は足切り沼に背を向け、ティアナたちと合流しようと歩き出した。

 

 ──ボトッ

「……?」

 

 その時、足元に物体が転がる音が聞こえる。何気なく視線を下ろして見てみれば、

 

「これは腕か?」

 

 誰かの右腕が転がっていた。

 白い肌とちょうど良い肉付きの右腕。血液は真新しいものだ。まるで今さっき斬り落とされたような──

 

「……? ああ、私の腕か」

 

 自分の身体を確認してみれば右肩から先がない。

 血がドボドボと溢れ、足元の沼地を穢す。私は至って冷静に思考を巡らせると背後から気配を感じ、

 

「ああ、君だったか──」

 

 振り返った瞬間、意識が飛んで目の前が真っ黒になった。

 

 

――――――――――――――――

 

 

「はぁはぁ……や、やっと村から出られたぁっ!」

 

 同時刻。

 がら空きの正門を通って村から出たティアナたち。その頃にはサリアは泣き疲れて眠ってしまっていた。

 

「ティアナ、グローリアに戻って救援を呼ぶのだ!」

 

 ユユはそんなサリアを抱えてそう強く訴えかける。

 しかしティアナは考える素振りを見せた後、ゆっくりと首を横に振った。

 

「ユユ、あなたはサリアちゃんをグローリアに連れてってあげて」 

「な、なにを言ってるのだ!? ティアナはどうしようと……!」

「私は足切り沼まで戻るよ。……ヘレンを一人にはできないから」

 

 バディを置いてはいけない。

 一方的な約束も交わした。

 だからこそティアナは共に行けないという意志を示すとユユの両肩に手をゆっくりと置く。

  

「サリアちゃんのこと、頼んでもいい?」

「わ、私一人で大丈夫かな……?」

「大丈夫、自信を持って!」

 

 ティアナは俯いて不安を募らせるユユを鼓舞した。その言葉が芯に届いたのかユユは深呼吸をしてから強く頷き、顔を上げてティアナと視線を交わす。

 

「分かった。私に……いや、我に任せるのだティアナ!」

「うん! その意気だよユユ!」

 

 いつもの振る舞いになったユユ。

 ティアナは彼女の両肩から手を下ろして微笑むと、空から落ちてきた雨粒が頬にポツンと伝わった。

 

「……雨?」

 

 そして天候が鬼雨(きう)へと変わる。

 ティアナとユユは顔を見合わせ、互いに向かうべき場所へ歩き始めた。

 

「ユユ、サリアちゃんのことよろしくね?」

「うむ、我に任せるのだ!」

 

 足切り沼へ歩き出すティアナ。

 ユユはサリアを馬の後ろに乗せる……が、ティアナの後ろ姿を見つめると口をごもらせ、

 

「……ティアナ!」

「……? どうしたのユユ?」

 

 彼女の元まで駆け寄った。

 ティアナは立ち止まり不思議そうな顔で振り返る。

 

「ティアナに……天使の加護があらんことを」

 

 ユユはティアナの右手を両手で包み込み、目を閉じて祈りを捧げた。伝わってくるのは微かな温もり。雨粒で冷めていたティアナの右手を癒すようにして、ユユは必死に祈り続ける。

 

「ユユ、天使の加護って……?」

「今、我に宿るエンジェルナンバーをティアナに半分こしたのだ。エンジェル家に伝わるおまじないだから、効果があるか分からないけど……」

 

 エンジェル家のおまじない。

 与えられた天使の加護を誰かに分け与えるもの。しかし効果があるとは言い切れない。つまり気休めにしかならないものだが、

 

「ありがとうユユ! 絶対に帰ってくるからね!」

 

 ティアナはとびっきりの笑顔を見せた。

 雨空のどんよりした空気を明るくさせるほどの笑顔。ユユは一瞬呆気に取られたが、同じように返そうと笑顔を浮かべ、

 

「うむ、ティアナ! 必ずヘレンと戻ってくるのだぞ──」

 

 そう返答したユユの笑顔がティアナの視界から消え失せる。

 

「──えっ?」

 

 笑顔が消え失せた。

 そう感情を言い表すものではなく物理的(・・・)に消えた。ティアナに分かることは握り返しているユユの手の感触はあるが──首から上にユユの頭がない事実。

 

 ドサッ──

「ゆ、ユユ……?」

 

 支えを失ったようにその場に倒れ込むユユの肉体。視界に隅に転がるのは笑顔を浮かべるユユの頭部。

 

「あらあら大変ですね。綺麗な足が汚れちゃってまぁ」

 

 唖然とするティアナに声をかける何者か。それは清らかで誰もが聞き惚れる美声。ティアナも無意識のうちにその声のする方へ顔を向けた。

 

「あなたは……誰ですか?」

 

 見惚れるほど美しい黒い長髪。ムダ毛も荒れもない(つや)の良い肌。深海のような深々とした色合いを持つ瞳。

 身に纏うのはサイズの合っていない布切れ一枚。豊満な胸部からすらっとした太腿までを覆い隠し、濡れているせいかやや透けた状態だ。 

 

「ああ、分かりませんよね」

 

 その女性は「それもそうか」と納得すると隠し持っていたアクセサリーを投げ捨てる。

 

「この残骸で分かるのではありませんか?」

「──」

 

 それはヘレンが首に飾っていた十字架のネックレス。見た目は泥と血に塗れており、激しい死闘を繰り広げたのかやや削れている状態だった。

 

「ああ、可哀想……間に合わなくて可哀想。私に殺されて(・・・・)可哀想」

 

 意味するのはバディのヘレンが戦死したこと。

 空しく転がっているネックレスはぬかるんだ泥に沈んでいく。ティアナは何も言葉が出ず、そのネックレスを見つめた。

 

「……そっか。もう喋らなくていいよ」

 

 女性の正体がミザリーであること。

 ヘレンがミザリーに敗北して殺されたこと。そのすべてを悟るとティアナは小さく頷き、

 

「ここで、死ねッ……!!」

 

 目を見開きながら──抑え込もうとして抑え込めなかった暴言と殺意を剥き出しにして刀剣を引き抜いた。

 

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