「──んっ? あ、れっ……?」
ベッドの上でふと目を覚ますティアナ。
薄っすらと開いた瞼の向こうに映るのは白い天井。すぐに病室だと悟ったティアナは、自分があの後どうなったのかと記憶を遡っていれば、
「よぉ、目ぇ覚ましたか嬢ちゃん」
「あなたは……」
ぼさぼさの緑髪を掻きながら一人の男が姿を見せた。
しわの付いた白衣を纏い、胸元に飾られているのは
「じ、じじ、十戒のエヴァン様ですか……!? も、申し訳ありませんこんな状態で挨拶なんて!」
三ノ戒
「あー、いらねぇいらねぇそういうの。俺はただの医者だ」
「で、ですが……!」
「それにお前は怪我人じゃねぇか。素直に寝てろよ」
だがエヴァンは怠そうな素振りを見せたためティアナは「分かりました」と返事をし、ベッドの上で素直に横になった。
「……まずお前を褒めてやらねぇとな」
「褒めるというのは……?」
不思議そうな顔をするティアナ。
そんな彼女の頭にエヴァンは手を乗せて穏やかな表情でこう伝える。
「あんなひでぇ怪我でよく生き延びた」
「酷い怪我……。そういえば、私って……」
「ああ、両腕は使い物にならねぇうえに、
ティアナは自身の肉体の状態を思い出し、両腕や両脚を急いで確認する。けれど特に痛みもなく、何なら普段通りに動かせるよう完治していた。
「私ってどの病棟に運ばれたんですか?」
「第四病棟だ」
「第四病棟……!?」
「どんだけ自分があぶねぇ状態だったか……これだけで分かったんじゃねぇか」
医療に長けたアークライト家が管理する第四病棟。
それは『命を預かる医師』と『命を預ける患者』がいる病棟だ。つまり運ばれてきた時のティアナは後少しで命を落とす状態だったことを意味する。
「ちなみにだが、俺んとこまで連れてきたのは次期皇女様だったぜ」
「次期皇女……ヘレンがここまで私を?」
「ああ、あいつは泥塗れの状態で死にかけのお前を担いできてな。挙句の果てに『彼女を加護で治せ』とだけ言ってどっか行きやがった」
エヴァンは呆れたように説明をすると今度はティアナの頭から額まで手を移動させ、
パチンッ──
「い、いたぁっ……!?」
力加減なしのデコピンをした。
ティアナは突然の痛みに額を両手で押さえてうずくまる。
「次は説教だ説教。結果として助かったのはいい。んだが、さっさと逃げてこなかった……いや、役割分担ってのをできねぇのは大馬鹿だ」
「そ、それは……」
「無傷の次期皇女様はともかく……お前だけでも報告の為にグローリアへ戻ってこりゃあ、十戒をあの村に派遣できたかもしれねぇだろ」
誉め言葉の次は厳しい説教。
エヴァンに険しい表情で詰められ、ティアナは何も言い返せずに視線を逸らしてしまう。
「嬢ちゃん、答えろ。何でそんな馬鹿なことをした?」
「それは友達を、放っておけなかったから……」
「……詳しく聞かせろ」
ティアナの思い詰めた顔。
エヴァンはその顔を見るとそばにあった椅子をベッドの横へ移動させ、ゆっくりと腰を下ろして詳細を尋ねる。
「ヘレンは、私にとって大切な友達です。友達を一人にするなんて、私にはできませんでした」
「……はぁ」
「でもヘレンは何も悪くありません! ヘレンは、最初に私だけ帰還するよう提案してきました! だけど私が『勝手についていく』って──」
友人の無罪を訴えるティアナ。
エヴァンは「分かった分かった」と落ち着かせる素振りを見せ、白い布の仕切りの向こう側へ視線を一瞬だけ送る。
「久しぶりだ。嬢ちゃんみてぇに清々しいほどの友達想いなやつを見るのは……そうだろ、シェリル?」
「……そうかも」
呼びかけに応じると姿を現すのは落ち着いた女性。
身長は百六十ほど、衣服は清楚を彷彿とさせるミニスカートの隊員服。赤いフレームの眼鏡をかけ、肩まで届くほどの銀髪ボブ。
付けているカチューシャには『Endless』と刻まれ、胸元を飾るのは
の十字架だった。
「う、うう、嘘ぉ?!
「どうも」
「あっ、えっ? ど、どうも……」
七ノ戒
落ち着きのないティアナに対してシェリルは一言だけ挨拶すると、何を思ったのか床の上で両足を抱えて座り込む。
「シェリル、嬢ちゃんは嘘をついていたか?」
「いや?」
「はぁ、だろうな。こんな子が立派な嘘つけるはずがねぇよ」
ため息をつくエヴァン。
何のことかさっぱり分からず、ティアナはぽかんとした顔で呆然としてしまう。
「わりぃな嬢ちゃん。軽く事情聴取をさせてもらった」
「事情聴取、ですか?」
「裏でカロルと手を組んでいねぇかってことだが……まぁ嬢ちゃんは被害者か」
「うん、これで判明した。単独犯に違いなし」
シェリルはすっと立ち上がるとティアナの隣まで歩み寄り、両頬に手を添えて自身の顔をゼロ距離まで近づける。
「エンジェル家の候補生を三名も無駄死にさせた罪は許されない。処罰はしっかり受け止めて貰うつもり」
「カロル先生は、どんな処罰を?」
「えっ、グローリアから追放だけど?」
「つ、追放!? しょ、処罰ですかそれ……!?」
瞳を覗き込まれながら驚くティアナ。
しかしシェリルもエヴァンも至って冷静な振る舞いのまま、互いに顔を見合わせた後にこう説明をする。
「妥当だ妥当。前々から色んな機関をかき乱してやがったからな」
「いえす。いずれ起きることが今回起きただけに過ぎない」
当然の報い。
二人の話を聞いたティアナは生徒たちから不評だったことを思い出し、「そうですよね」と愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
「というか、お前はいつまで顔近づけてんだっ……!」
「あっ、いててーっ」
「ったく、患者とは最低一メートルは距離を取れって言っただろうが」
何故かティアナにゼロ距離まで顔を近づけているシェリル。
エヴァンはやや怒りを露わにしつつ、シェリルの右耳を摘まむと強引にティアナとの距離を取らせる。
「まぁとにかくだ嬢ちゃん。もうしばらくここで安静にしてろ」
「それはそう」
「はい、分かりました」
「じゃ、お大事にね」
シェリルを連れて病室から出ていくエヴァン。
たった一人残されたティアナは完治した両腕を動かして自身の手の平を見つめる。
『うむ、ティアナ! 必ずヘレンと戻ってくるのだぞ!』
脳内をちらつくのは屈託のない笑顔を見せるユユ。
ティアナはゆっくりと手の平を見つめたまま両手で顔を覆い隠すと、
「うっ、くぅっ……ごめんねっ、ぐすっ、ユユっ……」
自身の不甲斐なさと仲間を失った哀しみに涙をこぼした。
――――――――――――――――
場所はアルケミスのA機関本部。
私は会議室へと呼び出され、入り口に最も近い位置で円卓を囲まされていた。
(……十戒が総出だな)
向かい側に座るのは四人の人物。
誰もが宝石を元に加工された十字架を付けている。宝石の十字架が意味するのはその者が十戒と呼ばれる精鋭に位置するということだ。
「ではヘレン・アーネットよ、我らの問いに嘘偽りなく答えるのだぞ」
(右目の眼帯に老いた顔つき……マシュ・オリヴァーか)
最初にこちらへ呼びかけてきた四十代半ばの男は六ノ戒
彼が援護射撃を務めれば一匹たりとも吸血鬼が前線を上げることができず、前線から死傷者が出ることがないと噂で聞いたことがある。あの黒い眼帯で隠した右目は死闘の末に負った傷だろうか。
「ぎゃははっ、もしてめぇで嘘をついてよぉ? そっから俺様にぶん殴られても文句言えねぇよなぁ?」
(赤い髪に野蛮な気性の粗い性格……。ならヴェスタ・レインズで間違いないだろう)
拳を鳴らす三十代前半の野蛮な男。
彼の名は一ノ戒
一度でも前線を出れば目の前の吸血鬼をすべて灰に変えるまで自陣に戻ってこないだとか。風の噂だと百匹の伯爵を相手にしたとき、右腕一本を失いながらも伯爵全員を粛正して生還したらしい。
「拳を鳴らすのはよしなさいな。あたい、そういう野蛮な音……嫌いなの」
「ぎゃっはは、冗談キツイぜぇ……リアナの姉御よぉ? んなもん、いつも姉御がへし折ってる首の音と変わんねぇだろぉ?」
「じゃ、あんたが嫌い。これでいい?」
(真っ赤な口紅に、真珠のイヤリング……。なるほど、彼女はリアナ・プレンダーか)
黒のネイルを塗っている三十後半の女性。
彼女の名は二ノ戒
種族の違う吸血鬼を装えるほどの変装の腕前を持ち、人類にとって天敵である吸血鬼の情報をたった一人でかき集める偵察の達人。
一度でも変装をしてしまえば立ち振る舞いだけで判別するのは十戒たちにも分からないだとか。
「あ、あのー……そろそろ本題に入りませんか?」
「ネェ~ル~? 進行と記録はあんたの仕事なんだから、あたいたちに文句言わないでちょうだいな」
「は、はい! 申し訳ありません!」
(見るからに下っ端……いや、ネル・イザードだな)
雑用を任せられている二十代前半の男性。
彼の名は八ノ戒
落ちこぼれの家系と呼ばれているイザード家の血筋を継ぎながら十戒に任命されている人物だ。しかしこれといった武勇伝のようなものは聞いたことがなく、今もこうして雑務を任せられていることから十戒の中でもあまり立場は良くないらしい。
「えっと、今回この場にあなたを呼ばせてもらったのは……お分かりの通り、アクレイドで起きた事件についての聞き込みをしたかったからです」
「……? 前にすべて話したつもりだが?」
「我々が貴殿から直接、話を聞きたかったのだよ」
マシュが険しい顔で私に返答する。
こちらに注目する視線からは信憑性に対する疑心とかすかな敵意を感じさせた。
「皇女ちゃん。あたいたち、あんたが口にした『眷属』ってワードが気になっちゃってるの。もう一回、説明してもらえない?」
「人魚ミザリーはストーカー卿という人物によって、眷属という種族に変わったと口にしていた」
「はっ、んで眷属の使命ってのが『ロザリア大陸の監視』ってのだろぉ?」
ネイルを乾かしているリアナ。
私が知っていることだけを淡々と説明していればヴェスタが鼻で笑い、前のめりになってこちらを見つめてくる。
「ああ、私が聞いた情報はそれだけだ」
「ぎゃははっ、意味わッかんねー! 監視なんてお高く留まってねぇでいつでもかかってこいよカス共がッ!」
「……そういえば、こうも言っていたか」
ヴェスタは円卓を手で何度も叩いて高笑いする。
そんな彼を少しだけ眺めた後、ミザリーが最期に言い残した言葉を思い出し、
「『傑作は、ストーカー卿の元で続々と生まれ……オマエたちも十戒も、眷属に、至高のお方に蹂躙される』と」
十戒と一人ずつ視線を交わしながらゆっくりとそう伝えた。
すると不快に思ったのか、危機感を覚えたのか……私以外の全員が眉をひそめて互いに顔を見合わせる。
「アーネット家の小娘よ。眷属であるミザリーは強敵であったか?」
「多少、骨はあったが……伯爵と何も変わらないな」
「じゃあ皇女ちゃん、ミザリーって眷属とあたいたち……殺り合ったらどっちが死んでた?」
鋭い視線をこちらに送ってくるマシュの質問に答えると、リアナが満足そうに乾かし終えたネイルを見せつけ、からかうように微笑みつつ問いかけてくる。
「断言はできないが……。候補生の彼女ですら眷属を相手に抵抗できていた。十戒の君たちなら善戦できるだろう」
「善戦できる、ねぇ?」
「……? 間違っていないだろう?」
舐められたものだ。
リアナから送られるのはそう言わんばかりの冷めた視線。私は
「んじゃあよぉ、俺様たちとてめぇで殺り合ったら……どっちがくたばんだァ?」
席を立ちこちらに詰め寄ってくるヴェスタ。
右手を円卓にドンッと突き立て、脅迫するようにして野蛮な顔を近づける。私は特に動じる気配もなく、視線だけヴェスタに向けた。
「相手にならない」
「ぎゃははっ! んだよ、ビビってんのかぁ? つまんねぇ答えだなぁ──」
「……? 君たちじゃ私の相手にならないという意味だが」
「あぁ?」
獲物を睨みつけるギラッとした捕食者の目。
狂犬として本性を露わにするヴェスタは威圧をかけるように私の顔を覗いてくる。
「フフッ、可愛いわねぇ皇女ちゃん。あたい、そーいう怖いもの知らずな
更にリアナがいつの間にか背後へ回り込み、座っている私の頭を自身の胸元へ抱き寄せる。そして彼女は私の両頬をネイルが塗られた爪でなぞり、耳元でそう囁いた。
「下がるのだ小僧共。若気の至りに突っかかるその安い自制心をしまえ」
「はいは~い」
「チッ、クソつまんねぇッ……!!」
敵意を抱いている二人を静止させるマシュ。
ヴェスタとリアナは意外にも素直に言うことを聞き、最初に座っていた円卓の席へと戻っていく。
「ところで……ネェ~ル~ちゃん? あたいたちが進行しちゃってるけど大丈夫そ?」
「も、申し訳ありませんっ! お話の邪魔になるので口を開かないようにと……!」
「ん~、それじゃあ進行の意味ないじゃない。あんた、十戒としての自覚をそろそろ持ったらどう?」
リアナは席に座ると黙っていたネルに八つ当たりをし始めた。しかしマシュはその様子を止めることはない。
「ヘレン・アーネット、貴殿が嘘偽りなく情報を開示したことを感謝するぞ。……だがまだ話は終わっていない」
「……? まだ話があるのか?」
「その通り、貴殿自身の問題を解決していないのでな」
私自身の問題。
そのようなことを言われても心当たりが何もない。マシュはこちらの反応を予期していたのか、出口へと視線を送ると両扉が開いて一人の男が姿を見せる。
「……俺に何か用ですか?」
青色の髪と鋭い目つき。
服装からしてアカデミーの候補生だと窺える。何なら同じAクラスで見かけたような記憶も微かにあった。
「よく来てくれた。貴殿にはこれから皇女の付き添いを務めて貰う」
「この皇女の付き添い? 俺が?」
席に座っている私を見て露骨に嫌そうな顔をする青髪の男。
私はしばらくその男をじっと見つめた後、
「誰だ君は?」
「は?」
彼の名前を尋ねた。
覚えられていないことに驚き、その場でポカンとする男。マシュはやや呆れた様子で顔を右手で押さえる。
「彼はカミル・ブレインだ。貴殿と同じAクラスに配属されているはずだが……覚えていないのか?」
「ああ、興味がないからな」
「てめっ……名前は覚えてやるのが普通だろうが」
Aクラスのカミル・ブレイン。
私が淡白な理由を述べるとドスの聞いた声でキレてきた。
何となく察するのは面倒事が起きる予感。すべてを語られる前に退出しようと私は席を立った。
「私に付き添いは必要ない」
「俺もこいつと組むのは無理です。人の名前も覚えられねぇ間抜けなんて、こっちから願い下げだ」
「貴殿らに拒否権は与えられんぞ。この命令は皇女の両親であるエゴンとディアナからのものであるからな」
父親であるエゴン・アーネットに母親であるティアナ・アーネット。
私は少しだけ頬を引き攣ると隣に立っているカミルを横目で見る。
「ヘレン・アーネット。貴殿の身勝手な行動、協調性の欠落、次期皇女としての自覚の無さ……それらを改めなければならんのだよ」
「はぁ、じゃあ俺はこいつの教育係ってことですか?」
「言い方を変えればそうなるな」
今まで両親は黙認をしていたがついに手を出してきた。
いつか来ることは分かっていたがこんなにも早いものか。久々に嫌気が差したことで私はカミルの横を通り過ぎる。
『ヘレン様……昨日の夜からずっとあそこで石蹴りしてない?』
『聞いた話だと三日前から同じことしてるみたいよ。食事がなくても眠らなくても……生きていられるから』
『うそっ!? あの子、ほんとは人間じゃなくて
聞こえないはずなのに聞こえてくる使用人の声。
どの声に耳を傾けても負の感情だけが含まれている。人間として接してもらったことなんてない。私を見る目はアーネット家か、それとも化け物か。
「私の器ではこの国を治められない。……母君と父君にはそう伝えてくれ」
「ちっ、おい待ちやがれ皇女!」
幼少期の嫌な記憶。
それらを過らせながらそれだけ言い残すと、カミルの呼び止める声を無視して会議室を後にした。