「あの皇女、一体どこ行きやがった?」
会議室を去っていったヘレン。
その後を追いかけ、カミルはA機関本部からアルケミスの街中へ飛び出した。
「ちッ、急に呼び出された挙句……あんな面倒事を任せられるとはな」
辺りを捜索してもヘレンの姿は見当たらない。
カミルは軽く舌打ちをしてから広場の中心にある噴水の前へと歩み寄り、石を削って作られたベンチへ腰を下ろす。
「相変わらず目つきが悪いようだな、カミル」
「ああ? んだよ眼鏡」
「眼鏡は保護具であり僕ではない、と前に言ったはずだが?」
「んなことどうでもいい。俺は今、機嫌がわりぃんだ」
項垂れたカミルに声を掛けてきたのはニコラス。
買い物の途中だったのか右手には果物が入った
「当ててやろう。十戒からヘレンの付き添いを命じられた……違うか?」
「気持ち悪いなお前。何で分かるんだよ」
「僕はいずれその時が来ることは予期していた。今のヘレンに対して『上の者たちの危機感が焦燥感に変わる』という結果でさえも」
ニコラスは赤い
「これは?」
「P機関が収集した機密記録だ。中には『吸血鬼の情勢』が書き記されている」
「あ? 機密記録だって? 何でソレをお前が持って──」
そう言いかけ、カミルは何かを察する。
大きな溜息をついた後、その視線は右後ろへと向けられれば、
「おっさん、盗みを働きやがったな?」
「おー、怖いねぇカミルくんは。そんな睨まないでくれよ」
そこに音もなくベンチの後ろに二十代後半の男が立っていた。
その名はパーシー・プレンダー。ヘレンやカミルと同じAクラスに所属する名家の血筋を継いだ男だ。彼は葉巻を指の間で挟んで口から離すと煙を吹かし、ニタッとした笑みを浮かべる。
「この件は僕からパーシーに頼んだ」
「頼んだだと? おい眼鏡、お前は何を考えてそんなこと……」
「悪事を問い詰めるのは後にしろ。まずはこの記録に目を通せ」
押し付けられるように渡される記録書。
カミルは気に食わない顔で受け取った後、渋々その内容に目を通すことにした。
「……冗談だろ?」
「それがカミルくん、冗談じゃないのよ。おじさんもそれ見てたまげちゃってさ」
カミルの顔は一文ずつ読み進めていく度に険しくなっていく。
そして読み終わる頃には自分は何を見せられたのか、と言わんばかりの複雑な表情へと変わり果ててしまった。
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♦P1029:最重要機密記録
この記録は統治者のディアナとエゴン。後は各十戒にのみが読むことができるものよ。長々と書くとネイルがインクで汚れるから手短に書くわね。
数ヵ月前から吸血鬼の侵攻がなぜか激しくなっているわ。
根源は公爵が支配するランドロス大陸からの侵攻。あたいはP機関の支部をロストベアの最南端に位置する『クルースニク』から、最北端の『灰の裂け目』まで配置していた。
今ね、その支部が一つずつ潰され始めて……風の渓谷まで侵攻が進んでいるわ。だからあたいは何が起きているのかを調べるために、雪月花の領土まで潜り込んで吸血鬼ちゃんたちから情報を盗んでみたわ。
結果として分かったのは──バートリ卿が公爵に敗北したことが原因だってこと。案の定、雪月花の国『アモンアノール』と『アモンイシル』は支配されちゃってたわ。
でも不思議なことに他の皇女や皇子が新たに建立した国は無事だったの。おかしいわよね。あたいが考えるに……ロストベアの侵攻と支配には
どちらにせよ、どんどんあたいたちのところまで侵攻してる。このままだとロザリア大陸にも吸血鬼が大量に流れ込んできて、セリーナちゃんを失ったあの時が再来してしまうかもしれないわ。
あたいからのあんたたちへの提案はただ一つ。
あたいたち十戒で侵攻を『灰の裂け目』まで押し返すの。あわよくば公爵や原罪を仕留められれば上々でしょ?
念のために注意喚起。これ機密だから外部に漏らさないように。もし漏れてしまったらグローリア全体に、ロザリア大陸全体に混乱を招くわ。じゃ、お返事よろしく。ちゅっ。
記録者:二ノ戒リアナ・プレンダー
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「ってことはだ。お前が言ってた『危機感が焦燥感に変わった』ってのは……」
「そう、眷属の目的が『ロザリア大陸の監視』だと発覚した。この結果から吸血鬼の狙いがロザリア大陸であるとほぼ確定してしまい、ヘレンの両親は焦りを感じ始めたんだ」
アクレイドで起きた事件により裏の目的と繋がるのがロザリア大陸だと発覚した。ニコラスからの説明を聞いたカミルは、二度目の大きなため息をついてニコラスへ記録書を乱暴に返す。
「だからどうした? この件とあの皇女の教育に何か関係でもあるのか?」
「次期皇女となるはずだったセリーナ・アーネットが過去に戦死し、残されたアーネット家の跡継ぎはヘレンだけ。そのヘレンがあのような状態だと……」
ニコラスはそう言いながら記録書を受け取ると果物が詰まった籠を持って立ち上がる。彼が視線を向けたのは少年と少女が噴水の水を覗き込んでいる微笑ましい光景。
「グローリアを国として機能させることも、そこに住まう人々を生かすことも難しいだろう」
「ニコラス、どこに行くんだ?」
「入院しているティアナの見舞いだ。君も来るか、カミル?」
「ああ? 俺はその女と関係が──」
ティアナの見舞いに向かおうとするニコラス。
カミルは即決で断ろうとしたとき、以前ヘレンと行動を共にしていた人物がティアナだったことを思い出すと言葉を止める。
「……いや、俺もついていく」
「そうか、君も少しは考えがあるようで安心した。パーシー、君はどうする?」
「おじさんはパスだぜ。院内じゃあ
パーシーは断りを入れつつも葉巻を二人に見せつけた。
そんなだらしない理由を聞いたカミルたちは呆れながらも、パーシーを置いて噴水広場を後にする。
「そういやお前、ティアナってやつと仲はいいのか?」
「僕が彼女と話したのは一度だけだ」
「あ? じゃあ何で見舞いなんて……」
サウスアガペーまで向かう馬車内。
カミルは背もたれに体重をかけながら真正面に座っているニコラスへ疑心を抱いた。
「けじめ」
「けじめ?」
「……これ以上は聞かないでくれ」
表情を曇らせて視線を逸らしてしまうニコラス。
カミルは何か思い悩むことがあることを察すると、サウスアガペーに到着するまでそっとしておくことにした。
「ニコラス、ティアナは第四病棟にいるのか」
「ああ、怪我がそれほどまでに酷かったと報告を受けた」
第四病棟の入り口。
中へ入るとニコラスは受付で手続きを行い、カミルと共に病棟の廊下を歩いてティアナの病室まで向かう。彼女の病室が近づくにつれ、ニコラスの表情も徐々に険しくなり始める。
コンコンッ──
「失礼する」
ティアナの病室の前に到着すると二度ノックをし、呼びかけと共に病室内へと足を踏み入れるニコラス。カミルもその後に続いて顔を覗かせるとそこにはベッドの上で本を読んでいるティアナがいた。
「ニコラス? わざわざお見舞いに来てくれたんだ!」
「つまらないものだが見舞いの品も用意した」
「わぁ~っ! ありがとう!」
果物が詰められた籠を見ると目を輝かせるティアナ。
しかし喜んでいる彼女の姿を目にしてもなお、ニコラスの表情が晴れることは無い。
「ティアナ・イザード。派遣任務の件、僕は君に謝罪しなければならない」
「えっ、謝罪? どうして?」
「任務内容を伝えた時、僕は君らをもっと強く引き留めるべきだった。エンジェル家の三姉妹が殉職し、君らを危険な目に遭わせたのはすべて僕の管理不足。……すまなかった」
ニコラスは申し訳なさそうに謝罪をの言葉を述べつつ、きっちりとした体勢で九十度の腰を曲げて頭を下げる。
カミルは隣で頭を下げているニコラスを見てやや唖然としていた。
「ううん、ニコラスのせいじゃない」
「けど君らに行かせる判断を下したのは紛れもない僕だろう。もっと僕がしっかりとしていれば、こんな悪い結果には──」
「ねえニコラス、本当に悪い結果なのかな?」
ティアナは穏やかな表情で自責の念に囚われたニコラスへ問いかけると、ベッドの隅にある掛け布団を退かし、
「だってほら、失ったものばかりじゃないでしょ」
「……! 報告にあった要救助者の……?」
同じベッドで眠っているサリアを見せた。
ニコラスは静かな寝息を立てて眠っているサリアを見ると少しばかり驚き、赤縁の眼鏡を中指で押し上げる。
「失った命もあったけど、救えた命だってあった」
「それはそうだが……」
「全部が全部、悪い結果じゃないよ。抱え込まないでニコラス」
励ましの言葉と怪我人とは思えない眩しい笑顔。
そんなものをぶつけられてはニコラスもやるせなさだけが残り、ぎこちない笑みを浮かべながら、
「君の、心遣いに感謝するよ……ティアナ」
言葉を何とか紡ぎながら今度は感謝の言葉を述べた。
ティアナはゆっくり頷くと無言で隣に立っているカミルを見上げる。
「あなたは?」
「カミル・ブレインだ。休養中のとこ悪いが、お前に話したいことがある」
「話したいこと?」
やっと自分の番が回ってきたと言わんばかりにカミルは軽く自己紹介した後、十戒に呼び出されてヘレンの教育をするよう命令されたことを語る。
「う~ん、ヘレンの付き添いはなぁ~」
「初対面でこんなことを聞くのも変だが……ヘレンは教育すればどうにかなると思うか?」
「ぜぇっ~たいにならない!」
「はぁ、だろうな」
返ってきたのは強調と即答。
カミルは絶望交じりの深く大きなため息をつき、病室の壁に背を付ける。
「そういやニコラス、さっきこいつに謝ってただろ」
「ああ、それが何だ?」
「ヘレンには謝ってねぇのか?」
「勿論、謝罪はした。しかし返ってきたのは『確かに君のせいだな』という肯定だけだ」
ややキレているのか右手を震わせながら眼鏡を押し上げるニコラス。
二人は気遣いの欠片もないヘレンの返答にドン引きし、苦笑せざるを得なかった。
「空気が読めねぇ、独りよがり、他人への関心が微塵もねぇ。こんな問題児をどうやって教育すりゃあいい」
「あははっ……思いつかない、かも?」
「僕視点だと既に不可能という結論に達しているぞ」
何の作戦も思いつかない二人。
ニコラスは果物ナイフを手に取ると籠に入っていた林檎の皮をむき始める。
「あっそういえば、不思議なことが一個だけあったよ」
「はっ? 不思議なこと?」
「えっとね、死んだと思ってたヘレンが生きてたんだけど……」
ニコラスとカミルは顔を見合わせる。
その後にティアナへ向けられた視線に含まれるのは「何を言ってるんだ?」という疑問符と「頭大丈夫か」という心配。
「ほ、ほんとだからね!? ほんとのほんとに死んだはずのヘレンが生きてたの!」
「眼鏡、こいつの言葉を訳してくれ」
「僕の推察ではヘレンが与えられた加護の片鱗を目にしたと結論付ける。あとカミル、眼鏡は保護具の名称であり僕の名前ではない」
「あ? 眼鏡は眼鏡に変わりねぇだろうが」
果物ナイフの先端をカミルへ向けるニコラス。
ティアナは睨み合う二人を見上げながら頬を引き攣っていると、深い眠りについているサリアの寝顔を見てふとあることを口走る。
「小さい頃のヘレンも──あんな感じだったのかな?」
ボソッとティアナが呟けば同時に視線をベッドへ向ける二人。
サリアの寝息だけが聞こえる病室内でティアナはそう思い詰め、ぽつりぽつりと思っていたことを喋り出す。
「もしも子供の頃、ヘレンが普通の女の子だったら……。加護のせいとか、環境のせいとか、何か理由があって変わっちゃったんじゃないかな?」
「あり得なくはねぇ。人間性が捻じ曲がるきっかけってのは、ほとんど外部の要因が理由だからな」
「……じゃあ、どうにかなるかも」
希望を見出したティアナ。
そんな彼女の顔を見たニコラスはじっと見つめた後、皮を剥いた林檎の実を今度は切り分ける。
「ティアナ・イザード。君は『変わったのなら戻せる』と言いたいのか?」
「うん、私たちに心を開いてくれるきっかけさえあれば……きっと変わってくれると思う」
「どうだろうか。僕は彼女から心を開くとは思えないが」
半信半疑で林檎の皮を剥き続けているニコラス。
ティアナは何か方法がないか、何かヘレンの心を揺さぶれる方法はないかと考え始め、
「あの、いいこと思いついたんだけど──」
パッと思いついた作戦を口頭で伝える。
しかし話を聞けば聞くほどニコラスとカミルの顔は呆れていき、話が終わるころに二人は落胆したように両肩をすくませていた。
「ねえ、やってみない二人共? きっとこれならヘレンも心を開いてくれると思うよ」
「はぁ、そんな単純な話で済まない気はするが……。何もしないよりはマシか」
「……そこまで言うなら君を信じてみようティアナ」
良い作戦は現状ティアナの案だけ。
ニコラスは賛成すると切り分けた林檎を小皿の上に一つ置く。しかしその林檎との形を見たカミルは眉間にしわを寄せた。
「……おい、眼鏡」
「何だ?」
「林檎を立方体に切るバカがどこにいやがる?」
切り分けられた林檎の形は立方体。
カミルは妙にイライラした様子でニコラスへ睨みを利かせる。
「君に説明してやる。口の中に丁度納まる形というのが立方体だ」
「はっ、ペットにやるエサみてぇだな。……そのナイフを貸せ」
カミルはナイフと林檎を奪い取ると慣れた手つきで切り分け、あっという間にくし形を林檎を小皿の上に並べた。
「カミル、見た目に反して器用すぎない!?」
「あ? これぐらい普通だろうが──ちょっと待て、いま見た目に反してって言ったか?」
「い、言ってないよ! 気のせい気のせい!」
ティアナはカミルに睨みつけられて冷や汗を掻くと、小皿に並べられたくし形の林檎の中から、一つだけ形の違う立方体の林檎を手に取り、
(ヘレンのこと、やっぱり放っておけない)
勢いよく口の中へ頬張った。