アカデミーが長期休みに入り一週間後。そう、今日は出発初日。
私は事前に聞かされていた出発日時などを忘れることなく、集合場所へ向かうための馬車をアルケミスで探していた。
(ノースイデア行きの馬車は……確か向こうだったか)
グローリアの首都アルケミスから北に位置するノースイデアと呼ばれる街。合流する場所はその街だと伝えられた。
のんびりと乗り場の方角を確かめた後、止めていた足を動かそうとし、
ドンッ──
「何だ?」
背後から誰かがぶつかった。
特に強い衝撃を受けたわけでもない。そよ風に吹かれた程度の衝撃とハーブティーのような爽やかな香りを感じただけ。ぶつかった直後はほんの些細な出来事に過ぎなかったのだが、
「っ──!」
振り返ると些細でもないことに気が付く。
ぶつかってきた本人は勢いよく弾き飛ばされ、硬い石の床へと倒れていく最中だった。手提げの鞄からは小物などが宙に飛び散っている。
(間に合うか?)
私はすぐさま手を伸ばし彼女の腕を掴もうとする。
だがどれだけ早くても間に合わない。そんな一秒にも満たない空間の中、彼女は上半身をややねじらせると、
「今日は
倒れかけている体勢のまま身体を横に回転させ、その最中に左手を一度だけ地面へ軽く突いた。その勢いで真っ逆さまの状態で軽く宙へと飛び上がり、右手に持っていた手提げの鞄を宙で薙ぎ払い、散らばった小物をまとめてすくう。
(この奇抜な動きは機動か)
動術の一つである機動。
トレヴァー家が改良した動術。その特徴は『回避と機動力で相手を蹂躙する』こと。
吸血鬼と人間の治癒力は優劣が生まれる。踏まえれば人類にとって常に無傷で戦い続けられるかという点が重要。その目的を成し遂げるために考案された動術だ。
この動術を象徴する言葉は、
(……彼女はトレヴァー家の血筋を継いでいるな)
力で風は掴めず。
そよ風のように舞い、狂風のように斬り刻む。その言葉に相応しい動きを見せた彼女は、背を向けたまま
「失礼しました。前がよく見えないもので」
その顔を見ると思わず小首を傾げてしまった。
「君は……キツネか?」
しかしそんな見た目はどうだっていい。
私が一番注目したのはキツネをモチーフとした仮面で顔を覆っている箇所だった。
「人ですよ。貴方と同じアカデミーの生徒です」
「そうか。君とは初対面だな」
「いいえ、貴方と同じAクラスに
アカデミーの生徒というだけでなく所属も同じAクラス。
私はAクラスの教室を脳内で想像して彼女の存在を思い出そうとする。
「覚えていませんか? 左斜め前の席に座っているティア・トレヴァーです」
「ああ、まったく覚えていないな」
「
結局、誰一人として顔も名前も出てこない。
ティアは皮肉を述べてきたが私は敢えて触れずに、彼女が付けているキツネの仮面を横から覗き込む。
「前がよく見えないのは仮面のせいだろう?」
「ええ、そうかもしれません」
衝突した原因は明らかに仮面のせいだ。
視界が狭まっているせいでぶつかったとした思えない。
「分かっているのならどうして外さない?」
「こう見えて
赤面症だと述べるティア。
もし本当なら対人関係に問題が生じるはずだが、特に動悸や激しくなることもなく、平然とした様子で私と会話をしている。
「君からはその片鱗すら窺えないが」
「今、このお面を外したら私の顔はきっと真っ赤になっていますよ」
「なるほど。顔が真っ赤に……」
人の顔が真っ赤になったときどんな風になるか。
試しに頭の中で真っ赤な顔になっているティアナを思い浮かべてみる。ぷくぷくと両頬を膨らませて顔が真っ赤になるティアナを何かに例えるなら……。
「タコみたいだな」
「せめて
苦言を
手提げの鞄の中身を覗いて足りないものがないことを確認すると私と仮面越しに視線を交わし、
「では急いでいますので。またどこかでお会いしましょう」
用事があるのか足早に去っていった。
私はその後ろ姿を見つめ、無言で後を付いていく。
「「……」」
ティアは明らかにこちらの存在に気が付いていた。
それもそのはずで特段距離が離れているわけでもない。ティアは私の前を歩きつつ警戒を怠っていなかったが、私自身は特に平然とした態度で背中を見つめて後を付いていく。
「すみません、私に何か用でも?」
「何もないが」
「……そうですか」
十メートルほど進めば、歩みを止めてこちらへ振り返る。
不信感が含まれた眼差しを送られたが、私の何食わぬ態度を見てしまっては信用せざるを得ない、とティアは再度街中を歩き出した。
「本当に何も用はないんですか?」
だが十メートルほど進むと、やはり納得がいかないようで立ち止まってこちらへ振り返った。 勿論、ティアの質問に対する返答は同じだ。
「何もないが」
「……分かりました」
本当にティアに用はない。
今更、気が付いたのだがどうやら真意が伝わっていないようだ。また同じことを聞かれたときは言い方を変えて答えよう。
「貴方は私に用があるんですよね?」
と思った矢先、質問の内容が若干変わった。
どうしたものかと私はその場でしばらく考える素振りを見せる。奇妙な反応にキツネの面越しにティアも動揺していた。
「君に用はない」
「そ、そうですか」
考えに考え抜いた返答でティアはついに言葉を詰まらせ前を見ると、歩くペースを速めて前方にある馬車の停車所へ向かう。
私が探していたノースイデア行きの馬車も一台だけちょうど視線の先にある。
ガタッ──
「……」
ガタガタッ──
「……」
最初にティアが、次に私がと順番に馬車へ乗り込む。
そして私はティアの向かい側の席に座って、対面にいるティアを見つめた。
「ノースイデア行きの馬車、出発しま~す!」
「「──」」
タイミング良く動き出す馬車。
私とティアは互いに無言のまま見つめ合う。不思議なことにこの数秒、数十秒、一分は時間が過ぎていく感覚をより鮮明にさせてくれた。
「あの」
「何だ?」
「どう考えても私に用がありますよね……!?」
と、どうでもいい感覚に浸っていればティアが黙っていられず声を上げる。身体を前のめりにさせて私にキツネの面が付いた顔を近づけてきたため、
「君に用はないが?」
何度目かの同じ言葉を返す。
これにはティアも不信感と苛立ちを抑えきれないようで、私の両肩に手を置くと問い詰めるように軽く揺さり始めた。
「何なんですか貴方は? 同じ道ならまだしも馬車まで同じなんてありえないですよね?」
「……? 今、そのあり得ないことが起きているが?」
「奇遇とは思えません。貴方に何か目的があるからこのような出来事──」
そう言いかければティアはふと何かに気が付き、両肩から手を離して自身の席へとゆっくり腰を下ろす。
「もしや、貴方はこれからリパ島へ?」
「ああそうだが」
「なるほど、
ティアは大きな溜め息をつくと手提げの鞄からハンカチを取り出して、お面の下に伝わるであろう汗を拭いた。
「私も貴方と同様にリパ島へ向かう予定です」
「何だと? 君もリパ島へ?」
「はい、ティアナ・イザードに誘われました。メンバーについて聞かされていなかったので奇妙だとは思いましたが……まさか貴方が誘われているとは」
彼女はティアナに誘われていた。
その事実を耳にした途端、何か嫌な予感がして独りでに険しい顔をしてしまう。
「ヘレン、貴方が危惧しているのは他のメンバーについてですね?」
「あぁ君と私、そしてティアナだけだとは到底思えない」
「分かりますよ。この三人では噛み合いが悪いですから」
私たち三人の構成は考えられない。
ガタガタッと揺れる馬車の中でティアは共感するともう一つの疑問点を挙げる。
「おかしな点はまだあります」
「集合場所についてか?」
「はい、ティアナは貴方や私と共に集合場所へ行こうとしなかった。彼女の性格上、誘わないのは考えられません」
ティアナは誰かと共に行動したい性格。
同じアカデミーの寮にいてアルケミスからノースイデアに向かうのなら、彼女は間違いなく「集合場所まで一緒に行こう」と誘ってくるはず。
「考えられるのは──」
ティアが自身の推測を言いかけた途端、ノースイデアに到着したようで馬車が停止する。私たちは顔を見合わせ、順番に馬車から降りてみると、
「む? そこにいるのはティア殿と皇女殿ではないか?」
声を掛けてきたのは身長が百五十センチほどの少女。
二つ結びにした薄みを帯びた金髪と、明らかに似つかない大人びたワンピースを着た格好をしている。大きめのリュックを背負い、私たちの元まで歩み寄ってくる。
「誰だ君は?」
「ははっ、皇女殿も冗談がお上手だ──」
「冗談じゃないが」
私がそう正直に答えると金髪の少女は凍り付く。
そしてしばし動かないでいるとハッとした様子で我に返り、つま先立ちをして威厳を張りながら私を見上げてきた。
「エ、エレナ・オリヴァーだ! 我々O機関を統率する教官マシュ・オリヴァーの愛弟子だぞ!? それに貴殿は北の森で私のことを伯爵から助けてくれたではないか!」
「何一つとして覚えていない。見間違いだろう」
「ならば名前ぐらいは覚えておけ馬鹿者! 私を怒らせると怖いんだぞ!」
睨みを利かせられても見栄を張った子供の抵抗にしか見えない。
隣でやり取りを聞いていたティアは、私が余計なことを言う前にエレナへこう問いかける。
「エレナ、貴方もこれからリパ島へ?」
「その通りだが……『
「ええ、そうですよ。詳しいことは歩きながら話をしましょう」
目的地はノースイデアの北門。
エレナとティアが横並びで前を、私が後を追いかけるようにして単独で歩く。
(これは私に対する嫌がらせか?)
厄介なことにメンバーがもう一人増えた。
さらに言えば関わったことが一度もない。ティアナの考えていることが分からず、足かせが付いたかと錯覚するほど重くなっていく足取り。
「二人共、門が見えてきましたよ──」
「ヘレン・アーネットぉお"お"ぉぉお"ぉッ!!!!」
ティアの声をかき消す雄たけび。
周囲の民衆が何事かと声のする方へ注目すれば、砂煙を上げながら一直線に向かってくる赤い狂犬の姿が映る。
「ヘレン、ソニアを頼みましたよ」
「我々では手に負えん」
「……君たちは薄情だな」
サッと両脇に逃げるティアとエレナ。
私は軽い悪口を述べてから火の玉のように突進してくるソニアを前に私は大きく深呼吸をし、
「今日の今日こそテメェをぶっ殺がしてやりますからねぇえぇえぇッーー!!」
「君の相手をしている時間はないと──」
飛び上がった勢いで右拳を振り下ろしてくるソニアを見据え、
「──前にも言ったはずだが?」
「うぐがぁあ"ぁあッ?!!」
半身で拳を回避してから逆に右拳をソニアの鳩尾へ打ち込んだ。
ソニアは乾いた空気と叫びを漏らすと一瞬にして気絶してしまう。
「グッジョブだ皇女殿」
「素晴らしい手捌きですね」
「……ここまで骨身に染みる言葉は初めてだな」
親指を立てて賞賛するエレナとティア。
そんな二人に嫌味で答え、その場にソニアを放置して歩みを進めようとすると、
「おーい、こっちこっち!」
ティアナの呼び声が聞こえてきた。
私たち三人はそちらの方へ視線を向けると、
「みんなのこと待ってたよ~!」
ティアナ以外の数人がその場に待機している状態。
荷物を持っていることから間違いなくリパ島へ向かうメンバー。もっと言えばそのメンバーは紛れもない──
「うぅ、お腹が空きましたぁ~」
「フローラ、さっきサンドイッチを食べたばかりよ」
(……やはり名家を寄せ集めていたのか)
──Aクラスに所属する名家の血筋を継いだ者たちだった。