ティアナは十戒のパティと共に王の間まで続く廊下を歩いていた。目的はヘレンの親からサインを貰うためだ。
「も、もうすぐエゴン様たちの部屋にっ……」
「ぷっははっ! 君、緊張しすぎじゃない~?」
赤いカーペットには埃一つ落ちておらず、壁には美しく描かれた白い薔薇の絵画。刻一刻と迫りくる面会にティアナは息を呑んでいた。
「だ、誰でも緊張しますよ! このグローリアで一番偉い人に会うんですから!」
緊張するティアナを茶化すパティ。
二人は軽い談笑を交えながら歩いているとついに王の間の前へ辿り着く。ティアナはパティがノックする合間に自身の身だしなみを確認していたのだが、
バァンッ──
「ハーイ、来たよお二人さ~ん!」
「パ、パティ様、ノックもしないんですか?!」
ノックもせず、何なら乱暴に両扉を蹴って開いた。
扉の向こう側で王座に腰を下ろすのは、ヘレンの父親エゴンと母親のディアナ。二人は礼儀も何もないパティを同時に見る。
「がっははっ!! 扉を蹴って開けるとは……貴様は面白いなぁパティ!」
「両手がほら、こーんな風に塞がってるから」
豪快な笑い声をあげる父親のエゴン。
彼に対してパティはヘラヘラとした態度のままズボンのポケットに両手を突っ込み、手が使えないアピールをする。
「はぁ、無礼極まりない。あなたは本当にいい性格していますね」
「いやぁ~、本日もお褒めに預かり光栄だね」
「褒めていません」
無礼者パティへの不快を露わにするディアナ。しかしパティはそんな様子も気にせず、生意気な態度を貫いて言葉を受け取る。
「パティ、隣にいるのはアカデミーの生徒でしょうか?」
「うん、そうだよん。二人と話がしたいって言うから連れてきたって感じ」
「ほぉう、話というのは一体なんだね?」
注目を浴びたティアナは少しだけ狼狽えると意を決し片膝を突く。そして顔を上げるとエゴンとディアナの二人と視線を交互に交わした。
「エゴン様にディアナ様、申し遅れました。私の名はティアナ・イザードです。本日はお二人に折り入って頼みたいことがあり、パティ様と共にこの場へ顔を出させていただきました」
「がっはは、パティよりも礼儀正しいな! 聞かせてくれ、私たちに頼みたいこととは何だ?」
「はい、ご令嬢のヘレン・アーネット様をリパ島へ連れていきたいと考えているので……その為に必要なサインを私が代わりに頂いてもよろしいでしょうか?」
頭を下げて頼み込むティアナ。
だがエゴンたちから答えは何も返ってこない。十秒、二十秒と経過していく度に、地雷を踏んでしまったのかと不安に駆られる。
「何だ、そんなことか!」
「ふぅ、身構えて損しました」
「……え?」
おそるおそる顔を上げてみると目に入ったのは、晴々しい笑顔を見せるエゴンと胸を撫で下ろすディアナ。
「お、お許しいただけるんですか……?」
「構わん構わん! サインならばジャンジャンしてやるぞ!」
「あの娘にここまで尽くしてくれる友達ができたなんて……私は泣きそうですよ」
「そ、それではここにサインを……」
ティアナは懐からペンと書類を取り出しつつ二人の前まで歩み寄る。すると呆気ないほど簡単にサインをして貰えたため、ティアナは複雑な気持ちで速やかにパティの隣へと戻った。
「ほらぁ、緊張する必要なかっただろう?」
「は、はい。もっと厳格な方々なのかと……」
「ぷっ、厳格……ぷっははははっ! あの二人が厳しいって? お、面白すぎる、ぷっははは!」
「おい、笑うでない貴様!」
ティアナの発言に腹を抱えて爆笑するパティ。
エゴンは玉座から立ち上がりつつ必死に声を荒げる。その声に込められているのは怒りではなく、恥ずかしいという感情に近いものだった。
「君は勘違いしているから教えたげる。あの二人はね、子育てというか教育が下手なんだ」
「教育が下手?」
「親なのに娘との向き合い方が分からないんだよ。だからブレイン家の人間を使って、あれやこれや娘との接触を試そうとしてるってわけ」
「その話、本当ですか……?」
パティの言葉を信じきれず、ティアナはエゴンたちへ顔を向ける。
二人は決して否定はしない。ただ分かりやすく表情を曇らせ、肯定せざるを得ない雰囲気を漂わせているようだった。
「ふぅむ、そうだな。パティの言葉に嘘はないぞ」
「あの、一体何があったんですか?」
ティアナの問いに二人は口を開かない。
話す気などさらさらないようでただ玉座で俯くのみ。ティアナは右拳を無意識のうちに握りしめると右足を一歩だけ前へ踏み出し、
「エゴン様、ディアナ様、何があったのか教えてください。私なら力になれるかもしれません」
落ち着いた口調でそう伝える。
二人はやや驚いた表情を浮かべた後、王女のディアナが真剣な眼差しを彼女へ送った。
「ティアナ・イザードさん、これは私たち家族の問題。
「……っ! 部外者だとしてもっ──」
「はいはい、落ち着いて~。君はもう少し論理的に言葉を交わした方がいいよ」
ティアナが声を荒げそうになった瞬間、隣に立っていたパティが両肩を抑えて止める。その顔は未だにヘラヘラとしたものだ。
「ディアナ、君が正しい。これは君たち家族の問題だ」
ヘレンの両親である二人の前まで歩を進めるパティ。
彼女はディアナの発言に賛同すると、その場をうろうろと徘徊し始める。
「けどね、二点だけ君は間違っていた」
「間違っていたというのは?」
「一つ、この娘は決して
パティは一言一句ハッキリとした口調で反論する。玉座に座る二人はパティがティアナの肩を持とうとしているのだろうと察し、眉を一瞬だけピクつかせた。
「友人だから何ができるというのです」
「ん? 真正面のぶつかり合いだよ?」
「ぶつかり合い? それはどういう意味だパティ?」
わざわざ説明するのか。
そう言いたげに呆れた素振りを見せたパティ。彼女は演説でもするように両手を広げてこう語り出す。
「ぶつかり合わないと、言葉を交わさないと互いの思考なんて分からない。けど君たちは親なのに自分の子供と距離を置いている」
「「……」」
「折角だから言わせてもらうけど……君たちはヘレンの居場所を奪ってるだけだよ」
「ぬ? 私たちが奪っているだと?」
何も分かっていない二人。
パティは家庭環境が想像していたよりも深刻な状態だったことを自然と察知し、ヘラヘラとした顔から真面目な顔つきへ変える。
「今の彼女が本当の自分を出せる場所……それは君たち親の前なんだ。君たちはそんな場所をいつまでも閉鎖しっぱなしだろう。ぶつかりもしないし」
「「……っ」」
「だからヘレンは本当の自分を殺してしまった。いいや、君たちがヘレンの心を殺したって言った方がいいかな?」
辛辣な言葉を並べ続けるパティ。エゴンとディアナは正論を撃ち込まれると表情を険しくさせ、反論する余地すらない様子だった。
「対してこの娘は何度も衝突していた。家族と比べたら友人っていうのは浅い関係だけど、ヘレンと真正面からぶつかって、問題を解決しようと努力を惜しまなかったよ」
(パティ様、どうしてそのことを知って……?)
「というわけでディアナ王女、二分二十三秒前……私が君に『真正面のぶつかり合い』と答えた意味が分かったかな?」
無言のままパティを見つめるエゴンたち。
険悪な空気が王の間に漂い始めたところでパティは態度を変えることはしない。
「さぁ総括しよう。この
「パティ様……」
そこで初めて気が付いた。
パティは最初からヘレンについての話をしようとしていたと。決してティアナを庇おうとしたわけではなく、むしろティアナを利用しようとしているのだと。
「ふっ、確かにそうだ。今の私たちではあの娘と向き合うことはできんな」
「あなた、いったい何を言って……?」
「ディアナ、私は友人であるその娘にヘレンを託してみようと思う」
「──! あなた、本気で言っているのですか!?」
穏やかな笑みを浮かべるエゴン。
王女のディアナは彼の発言に驚きを隠せないまま思わず立ち上がる。
「お前も薄々勘付いていただろう? 自分の娘と向き合えなかった私たちに原因があるのだと」
「それは……」
「パティ、お前が出した結論を信じてみようではないか。そしてティアナ・イザード、私たちに何があったのか、ヘレンに何があったのか……すべてを話そう」
エゴンがティアナに向けるのは信頼の眼差し。
彼は否定的なディアナを落ち着かせた後、ぽつりぽつりと過去を語り出した。
────────────────────
冗談を言ったせいで部屋を飛び出していったティアナ。
私は彼女を探しにさざ波の音を耳にしながら別荘の外を歩いていた。
「足跡……。ティアナはどこまで走っていった?」
砂浜に残されているのはティアナが履いているサンダルの跡。私はその足跡を辿り、別荘を正面に見て東側の方角へ向かうことにした。
(私は、何をしているのだろうか)
足跡を辿る最中にふと浮かんだこと。
それは自分が人並みの青春を送っている事実に対しての疑問。本来の目的は『カミルの付き添いを離すため』だったが、
「分からないな。何を考えてこんな戯れを用意したのかが」
意外にも呆気ない。
呆気ないというのはティアナたちによる私への接触。もっと強引に距離を縮めてきたりするのか、と身構えていたのだがそんなこともなかったため、疑心暗鬼になっていた。
「見つけた」
凸凹とした岩が積み重なる
そこに腰を下ろしているのはティアナ。白いサンダルを履いた両脚を足首まで海に浸からせ、水平線の先をじっと見つめていた。
「……ティアナ」
「……」
ティアナへ呼びかけるが返答はない。怒っているのだろう、と私はゆっくりと隣へ腰を下ろす。
「すまない。あれは冗談のつもりだったんだ」
「……」
「理想の男性とは。この問いに正式な回答をするのなら、そもそも色沙汰に興味がない。だから理想もないというのが答えだ」
足先から足首まで浸透するのは冷たい海水。暑苦しい夜をどこか涼しく感じながら無言のティアナへ謝罪の言葉を自身の考えを述べる。
「ヘレン」
「……どうした?」
するとティアナはおもむろに口を開き、私の名を呼んだ。
その声には怒りも悲しみも込められていない。隣にいる友達へ呼びかけるようなものと変わらない声。
「私たちといて、楽しい?」
「どうしてそんなことを……」
「教えて、ヘレン」
穏やかな笑みを浮かべて問いかけてくるティアナ。
私はしばらくティアナと顔を合わせた後、足元へ視線を下ろす。そして海面に映り込む自分自身の顔を、何とも言えない表情で見つめた。
「分からない」
「……」
「私の目的はブレイン家の彼を引き離すことだ。『楽しんでいるのか』という問いに相応しい答えは……思いつかないな」
普段ならば「楽しんでいない」と即答していた。
だが今はどう表現すればいいのか分からず、戸惑うことしかできない。するとティアナは何やら覚悟を決めて深呼吸をし、小さな口をゆっくりと開いた。
「実はね、少し前にヘレンの両親と会って来たの」
「──! 君がどうして私の親と?」
「ヘレンは知らないと思うけど、リパ島を利用するには親のサインが必要なんだ。それを知られたら断っちゃうと思って、私が代わりにサインを貰ってきたの」
その話を聞いた私は思わず動揺をしてしまう。
私の動揺からティアナは『触れてほしくない話』だと悟ったらしく続けてこう語る。
「その時に聞いたよ。ヘレンが苦しんでいるのは──十聖の加護が原因だって」
「……」
私は無言のまま俯くことしかできない。
脳裏を過るのは幼少期の記憶。あれは五歳にも満たないときだったか。
『ヘレン様~? 起きていますか~?』
『うん! おきてるよアメリア!』
『わぁ~、ヘレン様は早起きなんですね!』
私のそばにはブレイン家の使用人がいた。
彼女はアメリア・ブレイン。ブレイン家の血筋を継いだ十代半ばの女性。私だけの専属の使用人でもある。
『わたしは寝なくてもだいじょーぶなんだ! 昨日の昨日の昨日からずぅっ~とおきてるんだよ!』
『あははっ、ヘレン様はすごいですね~!』
生まれた時に与えられた十聖の加護。
私はまだ加護について理解していなかった。寝なくてもいい身体で、疲れもたまらない身体で、食べなくてもいい身体だとは。
『むっ! アメリアしんじてないでしょ!』
『いえいえ、勿論ヘレン様のことを信じてますよ~?』
アメリアはもちろん信じない。
私だってただ他の人物よりも丈夫な身体なんだろうと納得し、みんなそれが普通なんだと思い込んでいた。
『パパ、ママ、おはよ~!』
『がっはは、今日も元気いっぱいだなぁヘレン!』
『ヘレン、よく寝れましたか?』
『ううん、寝なくてもだいじょーぶだったよ!』
当然、母上と父上も加護の存在に気が付いていない。
私が嘘をついているのだといつも聞き流した。でもまだその時は母上や父上と仲良く散歩をしたり、遊んでもらったりしていた。
『アメリア、私とディアナの代わりに……ヘレンのことを頼むぞ?』
『はい、お任せください!』
けれど母上と父上はグローリアを統治する立場だ。
だから私のそばにいる時間が多かったのは使用人のアメリア。文字の読み書きや動術の稽古を私に教えてくれた。
『みてみてアメリア~!』
『あらヘレン様、この写真は……?』
『ママからもらったの! ずっと遠くにあるお花畑なんだって!』
私が見せたのはロストベア大陸にある綺麗な花畑の写真。綺麗なものに目が無かった私は母上に見せて貰った写真に心奪われた。
『この青い花は……ネモフィラですね』
『ネモフィラ?』
『ネモフィラというのは春頃にいっぱい咲く花なんです。今は冬の時期なので……来年の春に見れるかもしれませんね』
青くて可憐な花として知られるネモフィラ。
アメリアはその花について幼い私に色々と教えてくれた。
『そーだ、アメリア! 春になったらいっしょに見に行こうよ!』
『おお、いいですね~! エゴン様とディアナ様も誘ってみましょうか』
『うん! お弁当も作ってみんなでいこ!』
そして四人で花畑を見に行く約束も交わしたのだ。
この時までは何の問題もない幸せな日々だったかもしれない。
『ヘレン様、今日はもう遅いのでここまでにしましょうか』
『えぇ? アメリア~、もっと遊ぼうよ~!』
『……そうですね。少しだけならいいですよ』
ただあの頃の私には人の顔色を窺う能力はない。
子供が大人しくなるのは疲れたときか眠いとき。もしそれらが消えた子供の相手を続ければどうなるのか。
『アメリア、あそぼ~!』
『けほっごほっ、す、すみませんヘレン様……。今日は少し、休ませてください』
過労によって身体を壊す。
アメリアは目に濃いクマを付けていたのに、調子の悪そうな声をしていたのに、その変化に気が付かなかった。
『えぇ、やだやだやだ! ずっとひとりで起きてて寂しかったもん!』
『っ……! わ、分かりました……す、少しだけですよ……』
駄々をこねて遊んでもらうよう強要した。その日からアメリアは私の前に姿を見せなくなる。いや、私を避けるようになったというべきだろうか。
『アメリア!』
『ヘ、ヘレン様っ……!? ど、どうしてここが分かって?』
『お城を走り回って探したの! 今日は何して遊ぶ~?』
それでも毎日毎日、私はアメリア探し回った。
避けられていることを察せなかったから。
コンコンッ──
『アメリア~?』
『ひっ……ヘ、ヘレン様、私の部屋にどうして!?』
『えへへ、絵本をよんでもらおうと思ったの!』
それは日に日にエスカレートしていく。日中に隠れているアメリアを探すだけに留まらず、夜中にアメリアの部屋へ訪れるようになった。
そして──その日は訪れてしまう。
『ここに隠れてたらアメリア驚くかな……?』
あの日は部屋に帰ってきたアメリアを驚かそうとベッドの中に隠れてたときだ。
バタンッ──
『帰ってきた……』
ベッドの中で息をひそめる。驚いた顔が頭に浮かんで思わず笑いそうになった。怒られるかもしれないと少しだけ不安になった。
バサッ──
『わぁっ!』
色々と考えながら足音が近づいた途端、勢いよく飛び出す。アメリアはどんな顔をしているのか。きっと面白い顔をしているに違いない……とその顔を確認した。
『アメ、リア……?』
違った。何もかもが違った。
確かに彼女はアメリアだ。でも彼女は私をもうヘレンとして見ていなかった。顔を青ざめて、身体を身震いさせて、まるで私を見る目は──
『いやぁああぁあぁあッーー!?!』
『ア、アメリア?』
──
悲鳴を上げたアメリアに私は作り笑顔を浮かべる。驚かせすぎたかもしれない。幼い私は謝ろうとしたが、
『ば、化け物っ……!!』
『きゃあっ……!?』
『ち、近づかないでッ! 来ないでぇえぇッ!!』
アメリアが棚に並べられた本を投げてきたため、両腕で顔を覆った。何が何だか分からず、ただ本をぶつけられる時間が続く。
『ヘレン様は人間じゃありませんッ!! 私たちとは違う、化け物なんですッ!!』
『ち、ちがうよアメリア! わ、私は、人間だよ!』
『だったら、どうして、本をぶつけられてるのに……痛がらないんですか?!』
『──えっ?』
その時、やっと気が付いた。
硬い本が身体にぶつかっているのに痛みがまったくない。そもそも痛みというのがどんなものかすら、想像もつかないことに。
『あぁあぁあッ!! いつもいつも夢の中にも出てくるんですよぉお!! アメリア、アメリアって追いかけてきてぇえ"ッ!!』
『ア、アメリア、ち、ちがうの……』
『ヘレン様は、ヘレン様は何なんですかぁあ"ぁあ"ーー!?』
発狂するアメリア。
初めて見た彼女の姿に私は声を出せず、ベッドの上で固まることしかできなかった。
『どうした?! 急に叫び声が──アメリア、ヘレン!?』
『あぁあ"ぁッ、あ"ぁあ"あぁぁあぁあッ……!!!』
『一体何があったのですか!?』
その後はよく覚えていない。
母上と父上が駆け付け、発狂するアメリアを連れていき、私は別の使用人に自室へ戻された。今でもあの光景は脳裏にこびりついている。
『ねえ聞いた? アメリアが精神疾患でパーキンス家の病棟へ送られたらしいわ』
『原因はヘレン様にずっと付きまとわれてたからみたいだけど……』
後日、私はアメリアが精神疾患になったことを知った。
その原因が私にあるということも。
『いいですかヘレン。アメリアに会いに行ってはいけませんよ』
『えっ、どうしてママ?』
『アメリアは重い病気にかかってしまったからです。しばらく他の使用人と過ごしてもらいますね』
母上には遠回しにお見舞いに行くなと言われた。
当時の私は詳しいことこそ分からなかった。だからきっといつか治る風邪のようなものだと認識を誤っていただろう。
『……アメリアに、謝らないと』
あの時はアメリアに謝らなければならないと必死だった。必死だったからこそ母上の言うことを聞けず、黙ってパーキンス家の病棟に行ってしまった。
『アメリアと仲直り、できるかな……』
病棟の廊下を歩きながら見たのは一枚の絵。
私とアメリアがいつの日か話した青い花畑で笑っている姿。子供なりに頑張って描いた絵をプレゼントしようとアメリアの元へ訪れたのだ。
『いた、アメリアだ』
病室をこっそり覗くと窓の外を眺めるアメリアが見えたため、私は大きく深呼吸をしてから病室へ踏み入る。
『ア、アメリア……』
ベッドのそばまで近づいてから声をかけると、アメリアはゆっくりと私の方へ振り返った。その顔は酷くやつれており、肌の色も白くなって不健康な状態。
『こ、このまえはごめんなさい。わ、私、アメリアにひどいことしてたんだよね?』
『……』
『こ、これ! アメリアのために描いてきたの!』
返事はない。
だから無理やりにでも明るくしようと笑顔を浮かべ、アメリアに似顔絵を渡す。アメリアは真顔で受け取ると、じっと似顔絵を見つめた。
『あんまりうまく描けなかったけど、どうかな?』
『……』
『びょ、病気が治ったら一緒に見に行こうね!』
アメリアは受け取った似顔絵を私を交互に見る。
どんな言葉を返してくれるのか。仲直りできるのか。不安と期待を胸に募らせていた私に対してアメリアは、
ビリッ──
『──えっ?』
ビリッビリッ──
似顔絵を目の前で破り捨てた。迷いもためらいもなく、溜まっている
『……気持ち悪い』
『ア、アメリア……?』
『気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いぃいッ! あ"ぁあ"ぁあ"ぁあ"ぁぁあーーッ!!!』
繰り返される
私は気迫に押されてその場からじりじりと後退りをしてしまう。
『その顔も、その声も、この絵も……ぜんぶぜんぶ、気持ち悪いんですよぉおぉッ!! この
『そ、そんな、わ、私はただ……』
『うッ、うっぷッ、お"え"ぇえぇえッ……!!』
アメリアは込み上げてきた嫌悪感と共に激しい嘔吐を繰り返す。床に広がるのは溶かし切れていない野菜やミルクであろう白濁の液体。
『なっ、アメリアさん大丈夫ですか?!』
『早く彼女を落ち着かせろ! 症状が再発する前に!』
急いで駆け付けた医師や看護師がアメリアの容態を落ち着かせようとする。その光景を見た私は吐しゃ物に塗れた似顔絵の残骸へ視線を移した後、
『ち、ちがう、アメリア。私は、私はただ謝りたかっただけで……』
現実と向き合えず逃げ出した。
とにかく一人になりたくて、とにかく忘れたくて、無我夢中で街の中を走り抜けた。
『わ、私のせいなんだ。私がおかしいんだ。私は化け物なんだ。化け物、ばけものばけものばけものばけものばけものっ……!』
辿り着いた町はずれの森の中、頭を抱えてしゃがみこむ。
頭の中に延々と響くのは『化け物』というアメリアからの言葉。
『ぐすっ、うぅ、うわあぁああぁあんっ……』
寝たら忘れる。眠らないから忘れられない。
疲れれば気を失う。疲れることがないから気を失わない。
喉が渇けば涙も枯れる。渇くことがないから涙をこぼし続ける。
三日三晩、私は大声を上げて泣き続けた。知らない森の中で、解決することもできない加護のせいで、ただひたすらに泣き続ける。
『ヘレン様!』
『うわあぁあぁあぁああっ……!!』
『探しましたよ! さぁ帰りましょう!』
数日後、私はブレイン家の使用人たちやリンカーネーションによって発見された。ただその時の私は、
『あなたは──だれ、だっけ?』
覚えていたはずの使用人の名前を思い出せなかった。
さらに言えば他の者たちの顔が黒のクレヨンで塗りつぶされたように見え、顔すら認識できなくなっていたのだ。
『なに、十聖の加護だと!?』
『はい、ヘレンは女神へメラに十種類の加護を与えられたようです。……人間が背負わなければならない限界を越えられる加護を』
『ならばヘレンはこの先、私たちのように人として生きていくことができないというのか?!』
『……それは、何とも言えません』
父上と母上もその一件で十聖の加護について初めて知った……盗み聞きしていた私も同様に。
『私は化け物だから、他の子と仲良くできない……』
前がよく見えない。綺麗な景色ってどんなんだっけ。母上からもらった花畑の写真を見ても綺麗だと思わなくなった。
『私は化け物だから、独りで遊ばないといけない……』
耳がよく聞こえない。みんなと仲良くしたいのはどうしてだっけ。誰を見ても興味が湧かなくなった。
『私は化け物だから、化け物を、吸血鬼を倒さないといけない……』
身体の感覚がない。楽しいことってなんだっけ。遊んでいる子供たちやおもちゃを見ても、楽しそうに見えなくなった。
『ああそっか、私は』
様々なものが失われていく最中、私は無意識のうちにすべてを悟る。
『自分を殺さないといけないんだ』
人の生き方を真似してはいけないのだと。
化け物は化け物らしく生きろ。化け物は吸血鬼を粛正することだけ考えろ。それがお前の生まれた意味だろう。頭に響くアメリアの幻聴はそう言っている気がした。
「──ヘレン? ヘレン!」
ティアナの呼びかけで我に返る。
隣へ視線を移してみると彼女は心配そうにこちらへ顔を近づけていた。
「大丈夫? 顔色が悪いけど……」
「……ああ、問題ない」
無理をしてそう答えたがティアナは、私が過去のトラウマを思い出したことに勘付いている。その証拠に座る位置をすぐ隣まで距離を近づけ、こちらの様子を窺うように顔を覗き込んできた。
「ねえヘレン、両親からこれを預かってきたの」
「手紙? あの二人からのか?」
「ううん、差出人をよく見て」
そう言われて手紙を渡された私は裏面を見てみる。
そしてそこに刻まれた名を目にして目を見開いてしまった。
「アメ、リア……」
アメリア・ブレイン。
私がかつて傷つけてしまった使用人の名前。あの時の記憶がフラッシュバックし、思わずティアナへ手紙を突き返してしまった。
「読む必要は、ないだろう」
「どうして?」
「恐ろしいからだ」
きっとアメリアは私のことを恨んでいる。
精神疾患になった原因はすべて私。恨みつらみの文章が並んでいるだけ。想像するだけで手の震えが止まらなくなる。
「大丈夫」
「ティアナ……」
「ヘレンは一人じゃない。私もそばにいるよ」
そんな震えた私の手に自分の手を重ねるティアナ。
私は無言で頷いた後、ゆっくりと手紙に手を伸ばして受け取る。そして封を開けて中身に目を通すことにした。
────────────────────
ヘレン様へ
お久しぶりですね。私のことを覚えていますか。
幼いヘレン様の使用人を務めていたアメリア・ブレインです。元気にしているでしょうか?
私は今、ロストベアの遥か北にある『シルレベン』という国で花屋をやっています。挨拶も無しにグローリアを旅立ったこと、どうかお許しください。
これ以上、私はヘレン様を傷つけたくなかったんです。いくら精神的に弱っていたとはいえ、ヘレン様をひどく傷つけてしまったことを今でも後悔しています。
ですがそれより後悔しているのは、最後までヘレン様のおそばにいられなかったことです。きっと可憐で素敵な女の子に成長していますよね。ヘレン様のことだから沢山の友達に恵まれて、人気者になっていること間違いなしだと思います。あっ、もしかして恋人もできていたりするんでしょうか……?
そしていつかはエゴン様やディアナ様のように、立派な皇女様として国を治める日が来ると思うと……感慨深いです。
最後に、あの時はごめんなさいヘレン様。
私はあなたのことが大好きです。決してあなたのことを嫌いになったわけじゃありません。今もあなたのことをずっと想っています。だからどうか、私のことは忘れて、笑顔でいてください。
アメリア・ブレイン
────────────────────
「恨んで、なかった……?」
「……うん、今もヘレンのことを想っているって書いてあるね」
手紙の内容は想像していたものではない。
恨みつらみではなく謝罪の言葉と自身の後悔が書き記されていた。
「この青い花は、ネモフィラ……」
手紙に貼られていたのはかつて見に行くと約束を交わしたネモフィラの押し花。脳の整理が追いつかない私が言葉を失いかければ、ティアナは重ねていた私の手を握りしめる。
「ヘレンは化け物なんかじゃない」
「ティアナ……」
「どんな加護があってもどんな見た目をしていても、ヘレンは私たちと同じ人間で──」
僅かに吹いた潮風。
月夜を彩るようにティアナの桃色の長髪が大きくなびくと、
「──私の大切な友達だよ」
「……!」
弾ける笑顔を見せた。
その笑顔を目にした途端、心を囲っていた黒い壁に亀裂が走る音がする。
「私は化け物だから、他の子と仲良くできない……」
「ううん、ヘレンは人間だからみんなと仲良くできる」
前が見えてきた。ティアナの可愛らしい顔と水平線の向こうに浮かぶ月。こんなに綺麗だと思うのは何年ぶりだろうか。
「私は化け物だから、独りで遊ばないといけない……」
「ううん、ヘレンは人間だからみんなと遊んでもいいんだよ」
耳がよく聞こえるようになった。ああそうだ、私はみんなと仲良くなりたかった。みんなに話を聞いてほしかった。独りは、とても嫌だった。
「私は化け物だから、化け物を、吸血鬼を倒さないといけない……」
「ううん、それはヘレン一人が背負うものじゃない。みんなで、私たちで背負うものだよ」
身体の感覚が戻ってくる。ああ、今ならティアナの問いに対して答えを出せるだろう。私は楽しんではならないと、自分を殺していたんだ。
「ヘレン」
私の名を呼ぶティアナ。
様々なものを取り戻していく最中、心を覆っていた黒い壁は崩壊を始める。そうか、そっか、私は今もこれからも──
「自分を殺さないで」
──人として生きていいんだ。
「アメリアっ……私はっ、私はっ……」
涙が頬を伝っていく。手紙を持つ指先に力が入る。殺していた感情が一気に溢れ出し、表情がぐちゃぐちゃに歪む。そんな私をティアナは無言で抱き寄せた。
「泣いていいんだよ。ずっと我慢してきたんだから」
「うっ、ぐすっ、あぁっ……うあぁあぁあぁあっ……」
涙と嗚咽が止まらない。
こんなに泣きじゃくったのはアメリアに病室で拒まれたあの時以来だった。波の音がかき消してくれないかと祈ったが、どうやら抑え込むの不可能らしい。
「一人でよく頑張ったね、ヘレン」
「ひっぐっ、ぐすんっ、うあ"ぁあ"ぁあっ……!!」
ならばもう身を任せてしまおう。
私はそう考えると一人の少女としてティアナの胸の中で延々と泣き続けた。
────────────────────
「……ティアナ、上手くいったみたいね」
「ああ、みてぇだな」
遠くからティアナとヘレンを眺めるのはエリザとカミル。後を追いかけてきたようで見つからないよう二人で静かに傍観する。
「だが驚いた。まさか医者が盗み見しに来てるとはな」
「人聞きが悪いわね。たまたま見かけただけよ」
「はっ、どうだか」
鼻で笑うカミル。
からかわれたエリザは横目でカミルへ視線を移した。
「あなたこそ、あの二人が心配だから後をつけてきたんでしょ?」
「そんなんじゃねぇよ。俺は散歩しに来ただけだ」
「嘘が下手ね」
「お前もな」
二人は清々しい表情を浮かべて顔を見合わせると、ティアナたちに背を向けて別荘まで歩き始めた。