あれからどれぐらい経っただろうか。
私はダムが決壊したようにティアナの胸元で泣き続けた。泣き疲れる、なんてことは加護がある限りあり得ない。感情が収まるまで涙は延々と頬を伝う。
「ヘレン、もう大丈夫なの?」
「ああ、だいぶ落ち着いた。しかしすまない、君にこんな姿を見せるつもりじゃなかったんだが……」
二時間ほど泣き続け、やっとのことである程度の平常心を私は取り戻す。その間のティアナはただ無言で胸を貸してくれた。
私はそんなティアナにどこか申し訳なさと恥ずかしさが込み上げ、視線をふいに逸らしてしまう。
「ううん、気にしないで。だってヘレンは
「ははっ、それもそうだな」
普通の女の子。
アーネット家の血筋や加護の悪評に囚われない捉え方。私自身もその言葉が内心嬉しかったため、思わず笑みがこぼれた。
「ほへぇ……」
「何を見ている?」
「えっと、ヘレンが笑ってるところ初めて見たなぁって」
じっと私の顔を見つめてくるティアナ。その物珍しそうな眼差しに私は不機嫌な顔を浮かべ、顔を見せないようそっぽを向いた。
「君は私をからかっているのか?」
「か、からかってない! ちょっと驚いちゃっただけで……!」
不満げな声を聞いたティアナは必死に弁解をする。それでも私が顔を見せずにいるとティアナはやや頬を赤らめると、
「それにね、私は笑ってるヘレンの方が好きだよ……?」
右手で横髪を弄りながらそう言葉を紡いだ。
私はその言葉を耳にするとゆっくりと顔だけで振り返り、恥ずかしそうにしているティアナと視線を交わす。
「本当か?」
「うん、ほんと」
「……お世辞ではなく?」
「お世辞じゃない! ほ、ほんとのほんとにヘレンの笑ってる顔が好きなのっ!」
ムッとした顔で私に反論するティアナ。
正直に生きてきた彼女が嘘をつくはずもないと私自身も分かっている。だがどうしても自分の笑顔を信じることができなかったのだ。
「すまない。君がそう言うのならそうなんだろう」
「う、う~ん……まずは素直になるところからスタートかなぁ~?」
ティアナは唸りながら腕を組んで頭を悩ませる。
そんな彼女の横顔を見つめていれば、一人で抱えてきた
「ティアナ、君に話したいことがある」
「話したいこと?」
「私の、加護についてだ」
もう隠す必要はない。
何よりもティアナになら話してもいいだろうと考え、幼少期から抱え込んでいた秘密を打ち明けることにした。
「ティアナ、昼の女神へメラについてどこまで知っている」
「へメラ様について? えっとね、ロザリア大陸に住む人々から信仰されていて、私たちに加護を与えてくれる女神様……だよね?」
「ああ、間違っていない」
ロザリア大陸で信仰される女神へメラ。
誰もが知るその名は弱き人々に加護を与え、吸血鬼から私たちを守ってくれていると語り継がれていた。
「信じられないかもしれないが……。私は子供の頃、女神へメラと出会った」
「……うんっと? ヘレン、今なんて言ったの?」
「……? へメラは実在していると言ったんだが?」
ティアナは聞き間違いだと思ったようでもう一度聞き返してきた。しかし私はからかうつもりでも、虚言を吐いているつもりもないため、言い方を変えてティアナへへメラの存在を伝える。
「女神へメラの像が建てられた礼拝堂。そこに隠し通路……いや、地下への階段があった。私はアメリアとの一件で塞ぎ込んでしまった後、たまたまその階段を見つけて降りてみたんだ」
「その先にへメラ様がいたの?」
「ああ、その通りだ」
半信半疑のティアナ。
私は彼女にへメラが実在することを信じてもらうためにあの時の記憶を思い返す。
「……何もすることがないや」
アメリアに拒絶をされた少女の私は行き場を失い、心を閉ざした。ブレイン家の使用人や両親も寄せ付けず、ただ孤独に時間を潰し続ける日々。
「あれ? こんなところに階段なんてあったっけ?」
そんなある日のこと。
深夜の礼拝堂でぼーっと天井を見上げていた時、へメラ像の近くにある地下への階段を見つけたのだ。
「降りてみよう」
あの時の私はすべてを放棄していたからこそ、暗闇の続く階段を迷わず降りることにした。何が起きても痛くないし死なない。もし死ねるのなら本望だと。
「お外の匂いがする……?」
一段ずつ階段を下りる度に強くなるのは自然の匂い。不思議な現象に対して少女だった私は好奇心を抱き、首を傾げながらも地下までの階段を下り切った。
「えっ? お城の下に、森が……」
視界に広がるのは新緑の色が眩しい森林。
自然に満ち溢れた空間では動物たちが駆け回る。私は硬い石ではなく柔らかい土の感触を確かに踏みしめ、呆然としたまま歩みを進めた。
「るんるんる~ん♪」
「だれか、いる?」
その中央にいたのは女の子座りをした裸足の少女。白と銀が混ざる髪色。地面に付くほどの長い髪は赤い薔薇と茨が長い髪に絡み合い、生地の薄い白のワンピースには赤い薔薇と赤い花で彩られていた。
「んー? あなたはだぁれ?」
「あっ、私はヘレンだよ。ヘレン・アーネット」
「ヘレン・アーネットちゃん……? ちょ~っと待っててね~!」
私の名前を聞いた少女は重ねられた分厚い本の表紙を一冊ずつ確認し、お目当てのものを見つけるとページをペラペラと捲って中身を読み始める。
「見つからないなぁ……。じゃあじゃあ、えっと、えっと、初めましてでいいよね?」
「う、うん。あなたと会うのは初めてだと思うよ」
「ヘレン、ヘレン……。きちんと書いておかないと……」
初対面の私の名を本に記録する少女。
その間に私は不思議な少女のそばまで近づいてみた。どこからどう見ても同い年ぐらいの少女。なのにどこか次元の違う存在だと第六感が告げているようだった。
「ねえ、あなたはだれなの?」
「あっ、私はへメラだよー!」
「へメラって……女神さまの?」
「そぉーそぉー、女神さまのへメラ!」
少女の正体は昼の女神へメラ。
つまり私の前にいるのは神様らしい。普通ならそんな話を信じないだろう。だからこそ私は疑いの目を持って、試しにへメラを名乗る少女へ手を伸ばしたが、
「──!」
本物の女神なのだと確信へ変わった。
何故なら私の手は少女の頭をすり抜けたのだ。温度の変化、空気の変化……すべての感触において微々たる変化も伝わってこない。
「……どうして女神さまがお城の下にいるの?」
「みんなに加護を配って、みんなを守るためにここにいるんだよー」
「まって、加護を配ってるの?」
「うん、そーだよ。わるーい吸血鬼さんに負けないようにね。だからだから、ヘレンにもいーっぱい
加護をつけてあげた。
へメラの口から飛び出したのは信じられない言葉。私はすぐさま形相を変えてへメラに自分の
顔を思い切り近づける。
「ねえへメラ! いますぐ私の加護を消して!」
「えー、どうして?」
「私、すっごく困ってるの! 加護があるから、みんなに嫌われて、どうすればいいのか分からなくなっちゃって……!」
上手く言葉にできず、私はへメラへ必死にそう訴えかけた。
疲れないのも眠れないのも痛くないのも、とにかくみんなと同じように暮らせないのは加護のせい。すがる思いでへメラに頼み込んだ。
「ううん、ダメだよヘレン」
「だめって、なんで……?」
「女神さまにも約束があるの」
「約束?」
考える間もなく即答で断るへメラ。
理由を尋ねれば「約束をした」と語り、自分の膝の上に置いてあった本を退かすと、より古ぼけた表紙の本をそばまで持ってくる。
「私は人間さんから加護を取っちゃダメって約束。……あっ、あとねあとね! ヘレンに加護がいっぱいつくのは、ずぅーっとずぅーっと前から決まってたことみたい!」
「え? 前から決まってたって……?」
「ほら、ここに書いてあるんだもん」
見せてきたのは薄汚れたページ。
かなり前にへメラが記録しているのが見て取れる。私はそこに書かれた短い日記に目を通すことにした。
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今日はえらい王さまが遊びに来てくれた。
お名前は教えてくれなかったけど、いっぱいお話をして楽しかった。でも変なことをお願いされたの。「本来、私たちへ与えられるはずの加護を先の世代に渡すことはできないか」って。
加護は取っちゃダメだけど、たくさんあげるのは約束を破ることにはならないのかな。でも王さまたちの加護はなくなるからいいよね。
えっと、えっと、約束だと十二世代ぐらい先……うん、そのぐらいに産まれる子につけてあげよ。
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「まって、まってよ。これって……」
「ふふふっ、ちょーど選ばれたのがヘレンなんだよ!」
先祖のアーネット家が交わした約束。
それは自身の加護を犠牲にして先の世代に
「じゃ、じゃあへメラ、ここに書いてあるのが……『
「ん~、あれ~? ヘレンにあげたのは『
「──十二聖?」
知らない加護が二つ存在した。
混乱している私を他所にへメラは白に赤い薔薇模様が表紙に描かれた本を手に取るとペラペラと呑気にページを捲る。
「あっ、ほらほら~! やっぱり『
そして見開きの本を「どうだ」と言わんばかりに見せつけてきた。
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「っ……。もう見たくないっ……」
「えー? まだあるんだよヘレン!」
目に入るのは頭をパンクさせるような加護の量。
ずっと見ていたくもないし、何よりも自己嫌悪を高めるばかりだ。しかし追い討ちをかけるようにへメラが無理やり、最後の二行を見せてくる。
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「なに、これ?」
不妊の加護と不転の加護。
今までのものと違ってどこか不吉な感じがする。プラスにならない、むしろマイナスのイメージを抱かせる加護だ。
「えーっと、えーっと、不妊の加護は赤ちゃんが産めない身体になって……不転の加護はもうこの世界に生まれ変わることができなくなる、だったかな?」
「あっ、えっ?」
「うん! ここにも書いてあるし合ってるみたい!」
妊娠のしない身体と生まれ変われない魂。
明るい表情のまま説明をしているへメラ。私は少女を見ながら絶望し、両膝から崩れ落ちた。
「どうして、どうして……」
「んんむ~? たぶん『ヘレンがいっぱい頑張れるよう』につけた、のかな?」
「意味わかんないよッ!! そんな加護がついて、何を頑張れるの!?」
「わわっ、びっくりしたぁ」
能天気なへメラに苛立ちを隠せず、私はその場で声を荒げてしまう。へメラは目を丸くして私を見つめた後、少しだけ表情を曇らせ、
「吸血鬼を、頑張って倒してもらう……」
「えっ……?」
「吸血鬼をね、加護がいっぱいついたヘレンが頑張って倒すの。そうしたら、みんな守れるもん」
ハッキリとそう告げた。
あの時のへメラの顔は今でもよく覚えている。
(この子は、本当に悪気がなくて加護を……)
どうして怒っているのだろう。
どうして暗い顔をしているのだろう。
様々な含みが汲み取れるその顔に悪意などはなかった。人間を助けたいという一心と私に対する期待。女神として正しいことをしていると絶対的な自信を抱いていたのだ。
「──ティアナ、これが私の隠していた秘密だ」
過去の記憶を辿りながらへメラについて語った私は、試しにティアナの様子を窺ってみる。
「そんな酷い話あるっ……!?」
「君が、なぜ怒っている?」
「だれでも怒るよっ! ヘレンは加護のせいで苦しんでたのに、そもそも悪いのはご先祖様で……勝手に責任を押し付けただけだったなんてっ……!」
彼女は込み上げる
「その後、女神へメラは『
「異神?」
「私もまだ調べている最中だが……
日記のような記録を漁り、少女は女神へメラという名の異神であること。『
私はティアナが落ち着きを取り戻すのを確認してから自身の加護について話を戻すことにする。
「……先ほど加護の話を聞いたとき、君は『先祖が責任を押し付けた』と言っただろう」
「うん、言ったよ。ヘレンが加護で苦しんでるのはご先祖様のせいともね」
「ティアナ、君が私の為に腹を立ててくれるのは嬉しい。だが今の私は『責任を押し付けられた』とは思っていないんだ」
「えっ? そうなの……?」
彼女には語らないといけない。
私は固めていた決意を揺らがせないよう、ティアナの気持ちも尊重しつつ、自身の考えをこう述べる。
「アーネット家の先祖たちは子孫の私に加護を渡すため、予測のつかない未来に賭け、加護を持たずして吸血鬼と戦ってきたことになる」
「──! 待って、それじゃあセリーナ様が加護を与えられなかったっていうのは……!」
「ああ、すべてこのためだったのだろう。本来であればアーネット家内で隠蔽されるべき真実。それがたまたまセリーナ様の時代に漏れてしまっただけだった」
セリーナ・アーネット。
加護を与えられなかったことで後ろ指を指されていた皇女。吸血鬼による襲撃で命を落とした彼女は、アーネット家の中では『失敗作』として扱われていたが、
「もしかしてアーネット家の方たちは……」
「加護を与えられなかったことになるな」
実際は私の世代までアーネット家は加護を与えられていない。動術のみでグローリアを守り抜き、吸血鬼と死闘を繰り広げてきたことは明白だった。
「私は押し付けられたわけじゃない。アーネット家の者たちに
「ヘレン……」
「不妊の加護でアーネット家の子孫はもう残せない。だから私がグローリアにとって最後の栄光となって──吸血鬼を、
不妊の加護で子供は産めない。
不転の加護で生まれ変われない。
私の世代で吸血鬼と人間の戦争を終わらせなければ、グローリアはいずれ滅びを迎えてしまう。
「だが私の加護にも二つだけ欠点がある」
「欠点?」
信頼できるティアナには話しておかなければならない加護の欠点。人差し指を一つ立てると彼女の顔を見つめ、こう説明をした。
「一つ目、
「えっ? 不死だったら老いても大丈夫なんじゃ……?」
「いいや、人として背負う『寿命』に不死の加護は意味をなさない。老いてその時を迎えれば……私も死ぬだろう」
不死の加護は寿命を遠ざけられない。
歳を重ねれば私の肉体はどんどん老人となり、最後は寿命によって死を迎える。私にとっての唯一無二の死は『寿命』だ。
「二つ目は
「えっと、つまり……『精神攻撃に弱い』みたいなこと?」
「ああ、その認識で間違っていない。幼少期の私は加護があったのにも関わらず、深い傷を心に負わされた。理由は単純、精神面を強化してくれる加護はないからだ」
十二聖の加護は精神面を守ってはくれない。
心理的外傷は防げないし、怒りや悲しみの感情は人並みに抱く。私を唯一止められる方法は『精神的損傷』だけだ。
「例えばだけど、私が死んじゃったりしたら──ひゃっ?!」
ティアナふと言葉にした例え話。
例えだというのはよく分かっている。だがそれを耳にした瞬間、無意識のうちに私はティアナを自分の元まで抱き寄せた。
「ヘ、ヘレン?」
「私は君を失いたくはない……」
「ご、ごめんね! じょ、冗談だからっ!」
「冗談……? じょ、冗談でも止めてくれ。君は私にとって大切な友人なんだぞ」
思わず互いに顔を赤くしてしまう。
私は自分の行動に恥ずかしさを覚え、ティアナを離そうとしたとき、
「大丈夫、生きてる間はずっとそばにいるよ」
「──!」
今度はティアナの方から抱き寄せてきた。優しく温かい抱擁は海水の冷たさを忘れさせ、桃色の髪からふわりと漂う白桃の匂いは潮風をかき消す。
「……約束だぞ」
「うん、約束する。イザード家の名に懸けて」
ティアナの言葉を聞いてどこか安心する。
自分の中で彼女はかけがえのない存在となっているのだと実感した。だがこのしんみりとしてしまった空気をどうしようか──と考えた瞬間、
ツルンッ──
「わっとっとっ……!」
「……っ! ティアナ、なにしてっ……!」
座っていた岩石の表面にややヌメリがあったのか、ティアナは私を抱き寄せたまま横に倒れていく。倒れる先には膝丈まで浸かる海水。
どうにかしようとしたが努力も空しく、体勢はすぐさま崩れ、
「うわぁあっ!?」
「んゃあぁああーー!?」
ザブンッ──
二人まとめて海水へ落っこちた。
着ていた寝間着のワンピースも履いていた下着もびしょ濡れ。しょっぱい味が口の中に広がり、二人で上半身を起こした。
「「ぷっ、くすっ……あっははははははっ!」」
そして顔を見合わせるなり笑い出した。
何がおかしいのか分からず、ただただ二人で笑い合う。細かい理屈なんていらない──信頼から引き起こされる笑いだ。
「あ~あ、ずぶ濡れになっちゃったねっ」
「はぁー、君のせいだぞティアナ?」
「えぇ? 私のせい~?」
会話の中、私たちの笑顔は絶えない。
私とティアナはびしょ濡れのまま互いに手を取り合いながら立ち上がると、
「ねえねえ! それじゃあもう一回、温泉入りなおさない?」
「それは良いな。君に賛成だ」
互いに手を繋いで、砂浜をゆっくり歩き別荘まで戻ることにした。