(ティアナ、ティアナ……)
あれからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
私の肉体を支配するのはアメリアとは比べ物にならないほどの喪失感。考えられるのはティアナのことのみ。もしかしたらとうに精神が崩壊しているのかもしれない。
『──ごめん、ね』
頭の中でずっと再生され続ける最期の言葉と全身を射貫かれる光景。何度だって手を伸ばして、何度だって救えたかもしれない未来を描いた。
でも返ってくる言葉はたった一つ。
『──ごめん、ね』
最期の言葉だけ。
まるでその運命を避けることはできないと言われるかのように、仮の未来すら頭の中で想像させてくれない。
『ヘレン、どうして私を守ってくれなかったの?』
『ヘレン、私はすっごく苦しかったのに』
『ヘレン、私はずっと信じてたのに』
代わりに私をティアナの幻影が取り囲む。
傷だらけの身体から血を流し、軽蔑や憎悪を含んだ目で見下し、ありとあらゆる罵詈雑言を飛ばしてきた。
『ヘレンがハジメたちと組もうって言ったから』
『ヘレンが全部悪いんだよ』
『ヘレンを庇って私は死んだの』
そうだ、その通りだ。
信頼できない異世界転生者と手を組もうと決めたのは私だ。疑心に満ちていたティアナを強引に納得させたのも私だ。全部、私が招いたこと。
『だから私が死んだのは──ヘレンのせいだよ』
『ヘレンが私を殺した』
『人殺し、人殺し』
(私は、私は……っ)
何も聞きたくない。
逃れるようにして両耳を塞ぎ、自身の脚へ顔を埋める。どれだけ悲しみに明け暮れても、どれだけ自己嫌悪に浸っても、この罪を背負い続けなければならない。
『さぞ苦しいでしょう? アナタ様の大切なご友人が無残に殺される姿を、脳裏に焼き付けて生きていくのは!』
レプシーの悪魔のような言葉。
あの言葉通りの未来を私は迎えている。脳裏にこびりついた記憶が、心に刻まれた後悔と嫌悪が、私の精神へ苦しませていた。
『ヘレン』
『ヘレン、ヘレン、ヘレン、ヘレン、ヘレン、ヘレン』
耳を塞いでも幻聴は木霊する。楽になりたいのに不死の加護で死ねない。自分の鼓膜を破ろうとも考えたが、すぐに再生してしまう。
『ヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレンヘレン』
(もう、嫌だっ……)
何も聞きたくない。何も考えたくない。この世界で息をしたくない。早く消えてしまいたい。ティアナの幻聴がグルグルと私の思考をかき混ぜる。
「ヘレン」
「──!」
その時、確かに聞こえた。
いつもの、聞き覚えのあるティアナの声が……幻聴ではなく現実で。私は顔を上げて牢獄の外へと顔を向ける。
「ティア、ナ……」
薄い暗闇で分からないが、映り込むシルエットはティアナそのもの。幻影ではなく実物がそこに立っている。私は唖然としながらそのシルエットを見つめていたが、
「おねーさん、だいじょうぶ?」
「……アリス?」
妹のアリス・イザードだと気が付く。
ティアナとアリスは瓜二つの姉妹。間違えても仕方がないだろう、と私は少しだけ落胆しつつ視線を他所へ逸らした。
「君がなぜここに?」
「おねーさんが心配だったから、おみまい……?」
「ははっ、そうか」
口から出るのは乾いた笑い。
お見舞いに来てくれたアリスに対して、態度が素っ気ないかもしれない。しかしこれは拒絶による態度ではなかった。
「……アリス、すまなかった」
「えっ?」
「私は君の家族を、お姉さんを守ることができなかった。私の軽率な考えのせいで、君を悲しませることになったんだ……」
心に浸透するのは申し訳なさと後ろめたさ。
私なんかよりもティアナの親族が最も心に傷を負っているだろう。謝ったって許してもらえるはずがない。だけど、自分のためにも謝るしか他ならなかった。
「……あのね、おかーさんがね。おねーさんに渡してきてっていったの」
アリスは私に対して何と言えばいいのか分からずその場で少し動揺をすると、背中に隠していた小さな箱を手渡してくる。
「この箱は……」
「えっと、おねーちゃんの部屋に置いてあったって」
赤いリボンで結ばれた正方形の箱。宛先には『ヘレン』という名が書かれていた。恐らく私へのプレゼントだと見て取れる。
私は何が入っているのかとリボンを解いて箱の中を覗いてみれば、
「これは──ティアラか?」
綺麗なティアラが入っていた。青と白の宝石で彩られており、絵本の世界でお姫様がつけていそうなティアラ。箱の中に二つ折りのメッセージカードも添えられていたため、私は指先で掴むと開いて中に目を通す。
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アカデミー卒業おめでとうヘレン!
えへへ、どうかな? ビックリしたでしょ?
実はこのティアラはね、皇女様になったヘレンへのプレゼント。アカデミーを卒業したらヘレンは皇女様になっちゃうから、その時に渡そうと思って準備してたの。
ちょっとだけ高かったけど……ヘレンに似合いそうなのがこれしかなくてね。美味しいものや洋服を我慢してお小遣いを貯めたんだ。我慢したせいか、ちょっとだけ痩せちゃったかも。
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「卒業祝いの、贈り物……」
ティアナが裏で準備していたのはサプライズプレゼント。この綺麗なティアラは皇女になった私への贈り物らしい。視線を少し下へずらすと何行かの文章がまだ書き記されていたため、内容に目を通してみる。
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ねえヘレン、もしヘレンが皇女様になったらもう会えなくなるのかな。もしかしてヘレンの言葉遣いを改めないといけなくなったり、ヘレンが私のことを忘れたりして……?
ううん、そんなことないよね。ちょっぴり忙しくなるけど、皇女様になっても私とヘレンは親友だし……たまに会って話ぐらいはできる。
ん~、みんなの予定を調整してまた遠くにお出かけしたいなぁ。今度はどこにいこっか? えへへ、ティアやカミルたちにも聞いてみようねっ。
……ほんとは書き足りないけどここまでにしようかな? 書けなかったことは沢山あるけど、ヘレンと直接話せばいいもん。
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「本当に、君はっ……」
ティアナの可愛らしい文字。
一文、また一文と脳で内容を理解する度に何とも言えない感情が込み上げ、私の声は徐々に上擦っていく。そしてメッセージカードの最後の行に書かれていたのは、
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えっとね最後に……ぜーったいに世界で一番素敵な皇女様になってね。皇女様になっても、私はヘレンのことずっと大好きだよっ!
あなたの大親友 ティアナ・イザードより
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私に世界一素敵な皇女になってほしいという願い。私のことを大好きでいてくれるという想い。胸中に満ちていた自己嫌悪と罪悪感が喉を通り、自分自身の両目へと到達すると、
「ティアナっ……君は、最期まで私のことをっ……」
涙へと変わった。
頬をゆっくりとなぞる涙はメッセージカードを濡らし、ティアラの表面を伝う。そのまま私は小さな箱とメッセージカードを胸元で抱きしめた。
「きっとおねーちゃんは、おねーさんにニコニコしていてほしいんじゃないかな?」
「うっ、ぐすっ、うぅっ……」
「だからおねーさん、泣かないで。おねーさんが悲しいと、私も悲しいから」
妹なりに姉の考えを汲み取り、こちらに教えてくれるアリス。私は涙でぼやけた視界の中、箱に入ったティアラを見下ろす。
「アリス……君に一つ、聞いてもいいか?」
「うん」
「私がこの国の皇女になったら、君はどう思う?」
そう問いかけられるとアリスは首を傾げて少しだけ考え始めた。するとアリスは数秒ほど考えた末に私へこう答える。
「うれしいよ」
「どうして嬉しいんだ?」
「おねーちゃん、言ってたから。『ヘレンおねーさんが皇女様になったら、みんな仲良しでいっぱいの世界になる』って。だからうれしいの」
子供らしく拙い表現で説明するアリス。その言葉を聞いた私は目をしばらく瞑った後、ゆっくりと抱きしめていた小さな箱を床へと置く。
「ありがとう。私は必ず皇女になるよ」
「えっ? そうなの……?」
ティアナとの約束は守れなかった。
けれど私はティアナとの新しい約束を果たさないといけない。
「ああ、君のお姉さんと約束したんだ」
世界一素敵な皇女様になるという約束を。
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(ちッ、時間がねぇ。極刑が下されちまったらおせぇっていうのに)
カミルは地下牢獄への階段を下っていた。目的はもちろんヘレンの説得。自身の罪を否定してもらうために何度も赴いているのだ。
(どうしたもんか。強引に口を開かせることもできねぇんじゃ──)
辿り着いたヘレンが収容された牢屋の前。下を見ながら考え事をしていたカミルはゆっくりと顔を上げる。
「──お前」
カミルはいつも通り、ヘレンは虚ろな瞳で座り込んでいると思い込んでいた。だが視界に映っているのは立ち上がり、カミルに背を向け、壁の隙間から差し込む日の光を見上げる彼女の姿。
「カミル」
ゆっくりと振り返るヘレン。
彼女の頭に付けられていたのはティアナからの贈り物であるティアラだった。カミルは呆然とした様子で立ち尽くしていれば、
「君たちにすべてを話す。私の無実を証明してくれ」
ハッキリとそう言った。
カミルは鼻で笑うと牢獄の鉄格子を片手で掴み、余裕の笑みを浮かべる。その笑みには「やっと戻ってきたか」という喜びも含まれていた。
「ああ、任せろよ」
「無罪を勝ち取れるか?」
「舐めんな。お前のためにどんだけ時間を費やしたと思ってんだ」
カミルが懐から取り出したのは神命裁判に関連する書類。ヘレンに見えるよう十二枚の紙を一枚ずつパラパラとめくって見せる。
「それにな、
「……? 君たちは十人だろう。あと二人は誰だ?」
「ソニアとティアナのお袋だ。ソニアは『勝利』ってのをちらつかせりゃあ乗ってくる。ティアナのお袋は……何となくわかんだろ」
それは恐らくティアナの為だろう。
親友である私が裁かれることになれば自分の娘が悲しむと考え、神命裁判の証人になることに決めたのだ。私のためというよりは母親として自分の娘にできることを考えた結果の行動。
「その頭に付けてんのは、誰から貰った?」
「このティアラは、ティアナが私へ贈ろうとしていたものだ」
「……そうか」
カミルは気まずそうに相槌を打つと、思い詰めた顔で書類を見つめた。私はどうしたのか、としばらく様子を窺うことにした。
「皇女、俺はブレイン家としてお前のそばに仕える使命がある」
「ああ、そうだろうな。それが?」
「ティアナに比べりゃあ俺は力不足かもしれねぇ。……だがな、俺なりにお前を支える覚悟はできてる。何かあったら俺のことを頼れよ、皇女」
彼らしくない台詞。
恐らくティアナを失ったこと私に対するカミルなりの気遣いなのだろう。私は少しだけ頬を緩めると、バツが悪そうなカミルの顔を見た。
「ありがとうカミル。君は存外優しいんだな」
「からかうんじゃねぇよ。んなことよりもだ、何があったのか話しやがれ」
「ああ、私たちは眠り姫の書庫で──」
ランプの灯が揺らぐ薄暗い牢獄の中。私は神命裁判に臨むため、眠り姫の書庫で一体何が起きたのかをカミルへ少しずつ語ることにした。