11:0 "──────" ◎
彼女の意識は久方ぶりに呼び戻される。
意識がハッキリとすれば彼女はすぐに辺りを見渡した。そこはどこか懐かしいグローリア。ただ見覚えのない商人、見覚えのない建造物、そして感じたことのない空気がそこにあるような気がした。
「お前は長き逃亡生活の末……雪月花を救い、千年の間に起きた歴史を知った。だが罪人として囚われ、神命裁判へと赴くことになったのだ」
「……」
「思い出したかね。アーネット家の始祖、マリア・アーネット」
彼女の隣に立っているのはあの老人。
しかし不思議なことにどこか輪郭がぼやけて見える。彼女は眉をひそめながらその場にゆっくりと立つ。
「……私に何を求めている?」
老人は彼女に記憶を歩ませている意味。
彼女からすれば何か目的があって動いているようにしか思えないのだ。老人は杖を突きつつもグローリアを行き交う人々を眺め、
「ふっ、お前は求められていると推察したか」
鼻で笑って見せた。
彼女は「見当違いだ」と言わんばかりの反応に少しだけ表情をむっとさせ、自分の方を一切向かない老人の前へ、自身の姿が見えるよう立ち位置を移動する。
「何が言いたい」
「お前は転生の終着点へ辿り着いた身分なのだぞ」
「……それが?」
「つまり私はお前に
小首を傾げる彼女。
老人は握っていた杖を振り上げ、彼女へその矛先を向ける。足元に落ちていた石ころは老人から彼女の足元へと転がり、ピタッと静止した。
「なら私がお前に『すべてを説明しろ』と求めたら答えてくれるのか」
「本当にいいのなら答えよう」
「……以前同じことを聞いた時、お前は口すら開かんかったはずだが?」
「あの時はお前の記憶が足りなかったのだ。今はようやく半分は記憶を辿ることができている。説明を求めるのなら、私は答えてあげよう」
彼女は迷わずに説明を求めようとした。
だがそれを邪魔するように遠くの方からパァンッと何かが破裂した音が響く。彼女はすぐに振り返ってみれば、少女が手に持っていた風船が破裂した音。
「だがしかし、推奨はしないぞ」
彼女はもう一度老人の方へ顔を向ける。すると老人の姿が何処にも見えない。辺りを軽く見渡してみれば、アルケミスの噴水広場に置かれた木製の長椅子へ腰を下ろしていた。
「……なぜだ?」
「求められたとき、与えられるのは一度きり。すべてを思い出したその時、何を求めるのかを考える。それが最善の選択だ」
彼女は考える素振りを見せ、腰を下ろした老人のそばまで歩み寄る。その時、水面に反射して映る自分の姿が一瞬だけ視界に入った。
「これは──私か?」
そこに映る自分の姿に目を疑う。
以前まで女性らしさなど一切関心がなかった。長い髪なんて言語道断。それなのに映り込む自分自身は、青色の長髪、前髪にはアーネット家としての白い髪がやや入り混じり、女性らしさのあるリンカーネーションの制服に身を包んでいたからだ。
「そこに映るのであればお前だろうな」
「歩きづらい靴だ。気に食わん」
靴は足首まで布が覆ったヒールのようなもの。両脚はタイツを履いており、その身動きの取りづらさに彼女は嫌悪の表情を浮かべた。
「罪人だったお前は二年後のグローリアへ解放される。そこで交わした約束を果たしてもらおうと、とある女狐の元へと訪れる」
「交わした約束?」
語りが始まれば景色が移り変わり、周囲は真っ白な空間となる。彼女を取り巻くのはソニアやルーナのシルエットが浮かび上がる『A機関』という文字。ティアのシルエットが浮かび上がるT機関の文字。様々な機関の名称がシルエット共に浮かび上がった。
「お前が主導者となる新たな機関の設立だ。目的は『公爵の始末』……ただ一つを目的とした機関」
「……新たな機関」
そして聞き覚えのない『E機関』という文字が浮かんだ。そこには彼女自身のシルエットと、どこか見覚えのあるような男のシルエットも目に入る。
「だがお前には二つの壁が立ちふさがる。一つ目はアカデミーを卒業するために試験を受けなければならないこと」
景色が一変して館の広間となる。
そこは派遣任務で訪れたドレイク家の館にどこか似ていたため、彼女は少しだけラミアとの死闘を脳裏に過らせる。
「課せられた試験内容は旧ドレイク領の調査任務。『
「……泣き声と、この臭いは」
館の地下からかすかに聞こえるのは赤子の泣き声。鼻元まで漂うのは腐ったミルクの臭い。彼女が少しだけ立ち眩みを覚えると、身体に誰かがしがみついてくる。
「あなたも産めるわよね?」
「産ませてあげようか?」
「宿してあげようか?」
「……誰だお前たちは」
真っ黒な人影のためハッキリと姿までは分からない。だが彼女の身体にしがみつき、子を宿すための下腹部を三人分の手で撫でてきた。彼女は嫌悪感を顔に出しながら、引き剥がそうと人影に手を伸ばそうとし、
「マ"ンマ"ァアァァアァーー!!」
「……っ」
血の底から響き渡る赤子の悲痛な叫び声に彼女は両耳を塞ぐ。叫びに共鳴するかのように、館の床や壁がまるで体内のようにぴくぴくと蠢き、粘液がどろどろと溢れ出した。
「二つ目は教師として経験を積まねばならないこと」
瞬間、老人が語り出せば別の景色へと変わった。
今度は館ではなく屋敷の展示室。実在するであろう人物たちの絵画が並べられ、その中央には紅色のインクで書かれた家系図が飾られていた。
「お前は名家の落ちこぼれを三人担当することになる。一人は感情を失った少年、一人は思想異常者の少女、一人は感情過多の少年だ」
どこからともなく現れる三枚の絵画。
一枚目は目の前で親族を殺されて両膝を突いている少年。二枚目は吸血鬼に首輪をつけられ悦ぶ少女。三枚目は周囲の人間が離れ始め、人としての輪郭が崩れていく少年。
「教師として落ちこぼれを教育していく。そこでお前は校外学習を行うことになる」
「校外学習だと?」
「
展示室の絵画が一新される。
そこには吸血鬼を崇拝する貴族たちの絵画から吸血鬼に自ら血を吸わせる女性の絵画など、普通ではあり得ないようなものが並んでいる。
「……下らん信仰だ」
吸血鬼に魂を売り渡していると同義。
彼女は露骨なほど不快な表情を浮かべ、視界にすら入れたくないと目線を逸らす。
「問おう。血統は真実を偽ると思うか?」
「……どういう意味だ?」
「例えばそうだ……お前は紛れもないバートリの娘だろう。何故なら肉体にはバートリの血が流れているから」
体内に流れるバートリ卿の血液。
彼女は自身の心臓の鼓動が早くなったように感じ、右手で胸元を押さえる。
「ならば、他の者にバートリの血を与えたとき……その者はバートリの親族となるだろうか? 本来の血統は途絶えてしまうのだろうか?」
「……何が言いたい?」
「家族とは血の繋がりがある者たちだ。つまり血を与えれば家族になる。たとえ家族ではない真実があったとしても、血統がそれを偽ってくれる。分かるかね?」
同じ血が流れる者たちはみな家族である。彼女は「拗らせた思想だ」と冷めた眼差しを老人に送っていたが、
「──ッ」
急に立ち眩みがしてそばにある壁に手を突く。
視線を壁側に向ければ彼女自身が微笑み、奇妙な男と二人で並んだ絵画があった。その関係性はまるで娘と父親そのもの。
「血統は真実を偽るか。お前の答えを聞かせて貰おう」
だが父親は真っ白な肌を持つ吸血鬼。
ぐらんぐらんと揺らめく視界の中、彼女は見ていて悪寒がするはずの絵画に不思議と目が惹きつけられ、
「さあ、思い出すがいい。お前が新たに歩み始める──二年後の世界を」
脳内に響き渡る自身の名を呼ぶ声。
彼女は空いている手で額を強く押さえ込みながら意識を軽く手放した。
♦連絡:2025/04/28
今週は4/30(水)と5/2(金)の7:00に更新されます。なのでこの話を含めて週三更新です。