サウスアガペー。
二年ぶりに訪れた南の神愛を象徴するその町はどこか懐かしさを覚える。私は馬車から降りるとシーラの待つ家へと歩き出した。
「……何も変わらんな」
首都アルケミスは変わっていたが、サウスアガペーは二年前のまま。クセの強い店主がいる酒場も、私が過去に働いていた花屋も、二年前の雰囲気と変わり映えしない。
唯一変わったのは、
「へいへい、そこのお嬢さん。おれとお話してかない?」
「そこのレディー! どうだい、ぼくの屋敷で茶会でも……!」
「ちょいと待ちな、かわいこちゃ~ん。俺たちと一緒に飲んでかない?」
(……下らん男共ばかりだな)
私の雰囲気や印象。
髪型を変えて女性らしさを出したことで、女遊びばかりしている男や貴族の男、さらには飲んだくれ共に声をかけられるようになった。
バートリ卿の血には「男を魅了する術」でも含まれているのだろうか。
「おいてめぇ、おれが先に声をかけたんだぞ?」
「何を言ってるんだい? きみは軽くあしらわれていたじゃないか!」
「どけどけおまえら! 俺たちはおまえらみたいにカラダ目的じゃねぇんだよ!?」
無視をし続けていれば勝手についてきて、勝手に男共で喧嘩を始めてしまった。このままシーラの家まで連れていくわけにはいかない。私はその場に立ち止まると、喧嘩している男共の方へ振り返る。
「私はお前たちに興味がない。失せろ」
「へへ、そんな寂しいこと言わずに──いででぇッ!!?」
飲んだくれ共の一人に肩を組まれそうになった瞬間、私はその腕を掴んで肘の関節を逆側へと押し込む。
「これは忠告じゃない、命令だ。今すぐ失せろ」
そして威圧をかけると息を呑んで次々と私から離れていく。時間を無駄にした、と私はさっさと踵を返してシーラの家まで歩き出した。
「……シーラとは、久々に顔を合わせるな」
数分で到着したシーラの家の前。
血涙の暴走を止めてもらったあの日から、シーラと顔を合わせるのはどうも気まずい。恐らく本心を曝け出した唯一の相手だからこそ、私の中で上手く心の準備ができていないのだろう。
コンコンッ──
「あら~? どちら様かしら~?」
意を決してノックをすれば、中からシーラの元気な声が聞こえてくる。私は顔を俯かせたまま、こちらに向かってくる足音を耳にしていれば、
ガチャッ──
「……! アレクシア、ちゃん?」
ゆっくりと扉が開いて、料理中だったのかエプロンを付けたシーラが顔を見せた。シーラは無言で視線を逸らしている私の姿を見るとやや驚く。
「料理中だった、のか──」
「おかえりなさい、アレクシアちゃん」
そしてやっとのことで私が言葉をひねり出した瞬間、シーラは優しく抱きしめてきた。二年という歳月関係なく、いつものように「おかえりなさい」と言葉をかけながら。
「……ただい、ま」
「さっ、中に入って~。アレクシアちゃんが帰ってきたんだから、お母さん頑張ってお料理振る舞っちゃうわよ~」
私は言い慣れていないセリフを、ぎこちなく小さな声で発する。そんな私をシーラは満面の笑顔で家の中へと招き入れてくれた。
「今日はなんだかアレクシアちゃんが帰ってきそうな気がしたのよ~。ちょっぴり豪勢にして良かったわ~」
「何を作っていた?」
「野菜と鶏脂のとろ煮よ~。ウェンディちゃんに教えてもらったの~」
時刻を確認してみれば夕暮れ時。夕食を作っていたのだと理解した私は、手伝おうと黒の手袋を外してからシーラの隣に立った。
「シーラ、私も手を貸す」
「ありがとう~。でもお母さんは大丈夫だから、アレクシアちゃんは座ってて~」
「……そうか」
母親として譲れない。
私はそんなかすかな意志を尊重するために、大人しく夕食の席に腰を下ろすことにする。
「あの娘はどこにいる?」
「ウェンディちゃんなら花屋で働いているわよ~。そろそろ帰ってくると思うわ~」
ウェンディ・フローレンス。
地獄と化したドレイク家の館にいた使用人の少女。唯一の生存者だったウェンディは、シーラが里親として引き取り、この家で暮らすことになった。
どうやら家計を支えるため二年前と同じように花屋で働いているらしい。
「でも良かったわ~。アレクシアちゃんがこうやって帰ってきてくれて~」
「……お前が私を止めた成果だろう」
黒薔薇による血涙の暴走。
私は獄炎で国全体を燃やしかけた。自分で制御もできず、私を殺すことでしか防げない災害。それを何の力も持たないシーラが食い止めたのだ。
「私は何もしてないわよ? ぜ~んぶ、アレクシアちゃんのお友達やカイトくんのおかげだと思うわ~!」
「謙遜するな。私がシーラに救われた事実は揺るがん」
「ん~、それもそうね~……」
「……? 何を考え込んでいる?」
どうも反応が良くないシーラ。
そこから汲み取れるのは納得していないような、自分に自信を持てていないような、そんな感情。私は奇妙に思い、シーラへ優しく声をかけてみる。
「実はね、私……アレクシアちゃんのお友達から神命裁判に出廷してほしいって頼まれていたの」
「……それで?」
「私はアレクシアちゃんを信じてたし、アレクシアちゃんの周りには素敵なお友達が沢山いるって分かってたから……出廷を断ったのよ」
シーラが神命裁判の出廷を断っていた。
初めて知りえた事実だったが、私は特に動揺もせずシーラの話に相槌を打ち、聞き手としてその場は振る舞うことにする。
「だけど居ても立ってもいられなくて、アルケミスまで行っちゃったの。そしたらアレクシアちゃんが、青い炎に包まれてて……その時ね、少し思っちゃったの」
「……何を?」
「心から信じていたはずのアレクシアちゃんを、
シーラが浮かべているぎこちない笑顔。
確かにシーラは血涙の力も私が戦っている姿も見たことがない。初めて目にする蒼い炎に恐怖を覚えるのは当然のことだろう。
「ずっと、ずっとお母さんとして後悔してるの。アレクシアちゃんを、怖いと思ってしまったことを……ずっと、二年前から」
「シーラ……」
母親としてあるまじき感情。
シーラは平然を装っていただけで、本当は恐怖に打ち勝とうと震える両脚を何とか動かしていた。私はしばし口を閉ざした後、シーラの隣へ歩み寄って、強く握りしめていた右手に自身の手を乗せる。
「私も、お前が恐ろしかった」
「えっ?」
「私は過去に信じていた同志に裏切られ、すべてを失い……信じた自分が悪い、期待をした自分が悪い、そう自己暗示を続け……それから他者を信じることが恐ろしくなった。当然だがシーラ、お前を信じることも恐ろしかった」
私にとって誰かに心を開くことはリスクだ。
延々とそう言い聞かせてきたが実際は違う。私はただ、裏切られることが怖かっただけ。だから孤独に生き抜き、他者の手を拒み、恐怖から逃げ続けてきた。
「つまりあの時の私たちは──似た者同士ということだ」
「アレクシアちゃん……」
「今はお前を信じている。……シーラ、今も私が怖いか?」
シーラは私の問いに対して穏やかな笑みを浮かべると、空いている手を私の手の上にゆっくり重ねる。
「そんなことないわ。アレクシアちゃんはお母さんにとって大切な子だもの」
「……ならいい」
シーラの顔を見上げ、私は頬を緩めた。
自分でも驚くほどシーラに心を開いてしまっている。だが相手がシーラならば、決しては悪い気分はしない。
「あっ、そうだアレクシアちゃん~♪ お願いがあったのよ~♪」
「お願い?」
「そろそろ『シーラ』じゃなくて『お母さん』って呼んでくれないかしら~? 『母上』でも『ママ』でもいいわよ──」
「検討
言葉を遮るようにそれだけ告げ、シーラから手を離して夕食の席へ戻ろうと振り返る。すると、視線の先に見覚えのある水色髪の少女が呆然と立っていた。
「あら~、ウェンディちゃんおかえりなさい~」
ウェンディ。
二年前に見かけた時よりも背が三センチほど伸びている。髪型も二つ結びはやめ、肩に届く程度の長さの……というより、二年前の私の髪型に瓜二つ。衣服も私のおさがりを着ている。
「──アレクシア、さん」
「何だ?」
「アレクシアさぁんッ!!」
声を荒げながら急に抱き着いてくるウェンディ。
無言で受け止めると、私の胸の中でまだ成熟していない身体を一定間隔に震わせる。
「何をして──」
「ぐすッ、良かったッ……ほんとに、良かったッ……!!」
「……」
「アレクシアさんが、もし、もし帰ってこなかったらってッ……! また、また大切な人を失ったらってッ……ずっと、ずっと不安でッ!」
ウェンディは今日まで溜め込んでいた不安を噛み殺して過ごしてきたようで、私の制服を掴む手の力は強く、上擦る泣き声は堪えながら、何とか言葉を紡いでいるようだった。
「……少しは成長したかと思ったが、やはり何も変わらんな」
私は胸の中で泣いているウェンディの頭に手を乗せ、落ち着くまでそのままの体勢でいることにする。
「そういえば聞き忘れていたが、あの男から連絡はあったか?」
「カイトくん? それが二年前にくれたお手紙が最後なのよ~! まだ一度も顔を見てないわ~」
「……そうか」
キリサメ・カイト。
あの男はまだグローリアに帰ってきていないらしい。シーラには顔を出せと釘を刺しておくべきだったか。
「ほら、ご飯ができたわよ~。ウェンディちゃんもアレクシアちゃんも、家族みんなで一緒に食べましょ~」
「ぐすっ、うぅうっ……」
「顔を上げろ。張り付かれたままではまともに食事も摂れん」
明るく振る舞うシーラ。
私は未だに泣きついているウェンディの肩に手を置いて離すと、夕食の席へと誘導する。場所は私の隣の席だ。
(……あの男は道草を食っているのか?)
一体どこで何をしているのか。脳の片隅で引っ掛かりながらも、今はシーラやウェンディと家族団らんの時間を過ごすことにした。
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翌日の昼頃。
私は卒業試験の内容を聞くために、ヘレンに指示されたDクラスの教室へと向かっていた。二年も経っていれば、新たなアカデミーの候補生たちがわんさかと溢れ返っている。
「なぁ、あの人だれだろ? もしかしてA機関の人か?」
「さぁ? 初めて見かけたから分からないな」
「すごい美人だけど……なんか、目が冷たい」
私たちの世代は五百八十一期生だった。
つまり五百八十二期生と五百八十三期生だ。後輩にあたる候補生たちは廊下で私を見るなり、何かしら反応を示す。
(教室に顔を出すのも久々だな……)
到着したDクラスの教室前。
二年前の私もDクラスに配属されていたことを思い出す。入学した当時や座学を受けていた記憶が脳裏に過らせつつ、教室へと足を踏み入れれば、
「アレクシアさん……久しぶり、だね?」
「お前は……」
かつて担任だったアーサーが待っていた。
ぎこちない笑顔を作って、私を教室内へ迎え入れる。
「大人っぽくなっていて、先生驚いたよ。それに元気そうで本当に良かった」
「……私のことはどうでもいい。卒業試験の話を聞きに来た」
「あぁそうだよね。僕も次の座学の準備で忙しいし、手短に済ませないと……」
感動の再会を噛みしめる必要はない。
それにアーサー自身は多忙な教師であり長話をするのはもってのほか。私が足早にアーサーの前まで近づくと、一枚の紙を手渡してきた。
「これが卒業試験の内容だよ」
そこに書かれていたのは卒業試験の内容。
私は受け取ってからその内容にじっくりと目を通した。
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♦卒業試験通達書:アレクシア・バートリ宛
卒業認定試験:任務通達書
受令者:五百八十一期生アレクシア・バートリ
以下の任務を以て、貴殿の卒業認定試験とする。
■任務名称
旧ドレイク領土に建設された母胎館の調査
■任務指定地
旧ドレイク領土の北東に位置する母胎館
■任務目的
・同施設にて確認された吸血鬼関連事象の調査
・失踪した候補生、隊員の捜索。
・生存者がいた場合の保護および撤収指導
・必要に応じて対象区域を封鎖・鎮静・殲滅のいずれかにて処置
■補足事項
・同施設は本来ドレイク家の貴族が使用していたが、現在は廃棄済みの無人建造物である。その用途は不明である。
・母胎館内部へ立ち入った者はいずれも失踪。
■装備制限・補助
・武装の持ち込みは制限されない
・外部支援は行わず、単独任務とする
■留意
本内容はアレクシア・バートリ専用の卒業試験となる。
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「……私のために用意された卒業試験だと?」
引っ掛かったのは最後の一文。
全体で行われる卒業試験と同じものではなく、私のために用意された任務内容。疑心を抱いた眼差しを送ると、アーサーは「えーっと」とどう説明すればいいのか口をごもらせる。
「ごめんね。実はアレクシアさんにこれを渡すよう頼んだのは──」
「皇女に付き添うあの男だろう」
「あはは、カミルさんだって分かるんだね」
カミル・ブレイン。
皇女の付き添いをするB機関の主導者。あの男は私のことを嫌悪している。だからこそB機関で抱えていた厄介そうな任務を、私へ卒業試験として回してきたのだろう。
「先生もちょっとは意見を言ったんだけど……『あの野郎はどうせ死なねぇ』って押し通されちゃってね」
「……まぁいい。出発はいつごろだ?」
「明日だよ」
卒業試験は明日。
突然すぎるとは思わない。むしろ手早く済ませられることが幸運だ。私は卒業試験が記された紙を折り畳んで、懐に仕舞った。
「あっ、そうそう。シャーロット博士が呼んでたから帰りに寄ってあげてほしいな」
「私に何の用がある?」
「武装についてだと思うよ。僕が知らない間にルクスがかなり進化したみたい」
あの小娘はいつも面倒事を持ち込んでくる。
私は無視して帰るべきかと一瞬だけ考えたが、進化している武装にやや興味が湧いた。研究室へ寄っていくことに決め、私はDクラスの教室を出ていこうとする。
「アレクシアさん」
「何だ?」
「困ったことがあったら……。いつでも先生に相談してね」
この男はまだ私のこと生徒として見ているに違いない。二年前と変わらないお人好しな性格に僅かな嫌悪感を抱きつつも、
「……気が向けばな」
何とも言えない返答をし、Dクラスの教室を後にした。