「……どう向かうべきか」
翌日の早朝。
首都アルケミスの馬車乗り場で私は地図を片手に考え事をしていた。その考え事は目的地である旧ドレイク領へ向かう方法。
「おい」
「おお、どうしたんだい可愛いお嬢ちゃん?」
徒歩はあまりにも時間がかかる。唯一の移動方法は馬車ぐらいだろう、とその辺に立っている御者の男へ声をかけることにした。
「母胎館とやらまで乗せていける馬車を探している」
「母胎館かい? どの辺りか分かるかな?」
「……この地図に記してある」
位置を記した地図を御者の男へ見せる。
すると私のことを子供扱いする気に食わないその顔は、地図を確認するなり次第に険しくなり始めた。
「旧ドレイク領ねぇ……」
「何か問題でもあるのか?」
「この辺りは良からぬ噂があってねぇ。二年前にドレイク家の館で眷属っちゅう化け物が出た、とか。大量の食屍鬼がうろうろ徘徊している、とか」
二年前に始末した眷属ラミア。
その残党もろとも森林は焼き払ったと聞いていたが、根強い噂話は二年経っても消えることなく、生き続けているらしい。
「何よりも不気味なのは……どこからか『赤ん坊の泣き声が聞こえてくる』ことだ」
「赤子の泣き声だと?」
「そうさ、あそこらへんは『
母還の森で耳にした赤子の泣き声。
その話を聞いた私は地図から視線を離し、御者の男を見上げて詳細を聞き出すことにする。
「……何があった」
「遠くから『赤ん坊の泣き声』と『おかえりなさい』って女の声を聞いたらしい。しかもその女の声は──自分の母親とそっくりだったって」
「聞いたのはその連中だけか?」
「いいや、同じような声を聞いたやつは何人もいるし、なんなら
奇怪な噂を聞いた私は考える素振りを見せる。赤子の泣き声と聞こえるはずのない自身の母親の声。ラミアの一件に関係するような事象とは思えない。
「そんな噂があるから旧ドレイク領を避けて通る御者も多いのさ。馬車で行くってのはなかなかに難しいだろうねぇ」
「……そうか。礼を言う」
馬車の当てはない。
ならば自分で馬を手に入れるか、最悪の場合は徒歩で向かうか。どちらにせよ、仕切り直す必要がある。私は一度シャーロットの元へ尋ねようと考え、歩き出した時、
「うぅっ、おとーさん、おかーさん、どこにいるのぉっ……」
(……迷子か)
馬車の乗り場の隅でしゃがみ込み、泣いている少年が目に入った。私は懐中時計を確認しながらそのまま横を一度通り過ぎる。
(今は移動するためのアシを見つけるべきだ。構っている時間はな──)
「ぐすっ、えっぐッ、うわぁああぁあんっ……!」
が、少年が泣き出したタイミングで私は足を止め、沈黙した後に小さなため息をつきながら、少年の前まで早足で歩み寄る。
「……何があった」
「うぅっ、ぐすんっ……おとーさんと、おかーさんが、いなくなってっ……」
「最後に見かけたのはいつ頃だ?」
少年と同じようにしゃがみ、普段通りの声色でそう聞いてみる。すると少年はゆっくりと顔を上げ、涙でぐちゃぐちゃの顔で私を見上げた。
「ばしゃで、うみを見るって、お出かけするまえっ……」
(……シメナ行きの馬車に乗り遅れたか)
海で有名な町はシメナ。
この少年の「いなくなった」という発言から推察するなら、両親が乗った馬車に置いていかれたのが妥当な説。
「泣くな。私がお前の親に会わせてやる」
「……! ほ、ほんとに……?」
「嘘はつかん」
シメナ行きなら馬車も頻繁に行き来しているはず。
今の時刻はまだ九時頃で、シメナなら往復で三時間から四時間かかる。つまりアルケミスへ戻ってくる時間帯は昼頃。十分に間に合うだろう。
「行くぞ。海を見るんだろう?」
「ぐすっ、う、うんっ……!」
左手を差し伸べれば、少年が私の手を掴んだ。そのまま手を繋ぎながら停まっている馬車を一瞥し、奥から三台目の馬車まで連れていく。
「おい、この馬車はシメナ行きか?」
「おお、そうだぜ嬢ちゃん」
「なら乗せろ。客は私とこの子供だ」
懐から金貨を一枚だけ取り出して投げ渡す。図体のデカい御者は「おっとと」と金貨を受け取ると、思わず眉をひそめた。
「嬢ちゃん、金貨一枚は払いすぎだぜ! おれぁは釣りをんなに持って……」
「釣りはいらん。すぐに走らせろ」
「お、おう、分かった!」
馬車内へ乗り込めば、四人ちょうどが入るほどの広さ。私は自分から奥側へ座ると、その隣に迷子の少年を座らせた。
「じゃあ出発するぜ──」
「あっ、ちょっと待ってください! 僕も乗ります!」
外から青年の声が聞こえると、馬車にフードで顔を隠した男が乗り込んでくる。表情は窺えないが、声からするに十代後半か二十代前半ぐらいだろう。
「おいおい、途中で乗り込むのはあぶねーぞ!」
「ごめんなさい、次からは気を付けます」
「ったく……んじゃあ、今度こそ出発だ!」
ゆっくりと動き出す馬車。
私は右脚を上にして足を組むと少年から視線を逸らすようにして、窓の外に映り込む町の景色を眺める。向かい側に座ったフードの青年は眠ろうとしているのか、黙ったままうつむき始めた。
「おねーさん……」
「……何だ?」
「おねーさんは、うみをみたことある?」
「ああ、見飽きるほどにな」
未だに迷子の少年は私の左手を離そうとしない。不安が拭いきれないのだろうと視線を少年へと移し、穢れていないその純粋な瞳を見た。
「うみは、どうして広いの?」
「この世界が生まれたばかりの時、大雨が降ったからだろう」
「じゃあうみは、どうしてしょっぱいの?」
「酸性の大雨によって地表のナトリウムが溶けた。そこで混ざり合い、塩化ナトリウムに変わったのが原因だが──」
子供らしい質問攻め。
私は淡々と聞かれたことだけを答えていたが「塩化ナトリウム」という一言で、少年は呆然とした様子で思考が停止してしまった。
「……訂正する。正確には空が泣いたせいだろう」
「おそらが、泣いた?」
「涙が塩辛いのと同じ原理だ。空の涙も私たちと同じように塩辛い」
「そーなんだ。おそらも泣くんだね」
現実的な答えを述べたところで通じない。
おとぎ話のような回答をするべきだと訂正したが……結果として三十分間、少年からひたすら質問をされ続け、
「すぅすぅっ、おかーさん……」
「やっと寝たか」
疲れて眠りについた少年を私が膝枕をすることになった。
これなら静かでちょうどいい。シメナへ到着する間、しばし外の景色を眺めながら卒業試験について脳内で整理しようとしたが、
「君は意外に優しいんだね」
「お前とは口を利かん」
今度は向かい側に座っている青年が声をかけてきた。相手は子供ではないため、一方的に冷めた返答をして会話を拒もうと試みる。
「あはは、それはちょっと寂しいな。少しぐらい話をさせてほしいよ」
「そもそも誰だお前は?」
「僕はさすらいの旅人だよ。君はリンカーネーションの人間だよね?」
「……見れば分かることを聞くな」
この男の喋り方はどうも鼻につく。
印象を良く見せようとする声色や人に好かれようとする振る舞い。どこか懐かしいようなそんな雰囲気に、私は嫌悪感を露わにした表情で睨んだ。
ドガアァァアァァッ──
「「──!」」
その瞬間、馬車が大きく浮き上がる。
私は膝枕をして寝かせている少年に怪我をさせまいと、自分の元まで抱き寄せようとしたが、
ドガッッ──ガシッ──
(この腕はっ……)
馬車の外装を突き破った何者かの手が、少年の首根っこを掴んで連れ去る。そのまま私と向かいの旅人は、横転した馬車の中で身体を打ち付けながら転がった。
「おい、見ろよ。馬車の中にガキもいたぜ」
「アッハハ! アタシたち、とても運がいいみたい!」
破壊された馬車から這いずって脱出すると、数メートル先に立っていたのは二人の人物。片目が白い前髪で隠れた高身長の男に、白い短髪の前髪をあげた低身長の女。はたから見ればただの野盗だろうが、
「この場所は日陰……吸血鬼共の仕業か」
真っ白な肌に鋭い牙。
何よりも血に飢えた紅い瞳が何よりの証拠。爵位はおそらく子爵程度。私は始末しようとルクスβの持ち手に手を伸ばそうとした。
「はぁいストップ。この坊やの命がどうなってもいいの?」
「……貴様」
だが女の吸血鬼は少年の喉を軽く掴み上げる。まるで「抵抗すればこの子の喉を潰す」とこちらへ警告するように。私は現状だと手出しができないと考え、ルクスβから手を離す。
「何が目的だ?」
「へへッ、この馬車からイイ匂いがしてからよぉ。オレたち、喉が渇いて渇いて仕方がねぇんだ」
「匂いだと?」
「アッハァ、気付いてないの? アナタの匂いよ」
この二匹は匂いに釣られてきた。しかもそれは私自身の匂いだと述べる。変に匂いの強い香水などを付けた覚えはない。
「アナタからはね、そそられるような香ばしい匂いがするの。超高品質な血肉を吸い尽くしたいっていう食欲と、その反抗的な態度を奴隷にして調教したいっていう性欲が湧き上がってくる……!」
「拗らせているな」
「さあ、武器をそこに置いて私たちの前まで来なさい」
「……断ると言ったら?」
人質となった少年の首を強く掴み上げる。
まだ眠りから覚めていないのか、苦しそうな表情を浮かべる少年。私は渋々身に着けていた武装を外し、地面へとすべて置いた。
「これでいいだろう」
「アッハハッ、素直なのはイイわねぇ。さっ、自分で私たちのところまで歩いてくるのよ」
「……分かった」
武装を何一つ持たない状態で二匹の子爵の元まで歩み寄る。するとこの二匹は口元からヨダレを垂らして、私の身体に顔を近づけて匂いを嗅ぎ始めた。
「すぅーはぁーっ……ああ、この匂いを嗅ぐと心が昂ってくるわ」
「おい、コートが邪魔だ。脱げよ」
「……注文が多いな」
コートを脱げば、上はノースリーブの白カッターシャツの状態になる。両肩から先の素肌が露出すると、子爵の女が私を見て舌なめずりをした。
「両腕を上げて」
「……何をするつもりだ」
命令された通り、両腕を上げる。すると子爵の女が私の右腕を掴み、右肘から右脇にかけてネトっとする舌で下品に舐め始めた。
「ぺろっ、ちゅるっ、今すぐ噛みつきたいっ……」
「……っ。貴様──」
「ああ、動いたらダメでしょ。坊やを首無し人形にしちゃってもいいの?」
振り払おうとすると掴んでいる首を強める。
私は不快な気分と吸血鬼に対しての嫌悪感によって頬を引き攣ったが、
「……首無し人形か」
「じゅるっ、んちゅっ、ああもうだめっ、我慢できないっ……」
「おい、お前だけ堪能してんじゃねぇ! オレにも少しは──」
私がやや後方へと向きを調整したのは上げていた右の手の平。犬のように舐め続ける女の子爵と、不満を漏らす男の子爵。
「首無し人形になるのは──」
引き合うのは紫外線同士の磁力。ルクスβの鞘から引き抜かれた刀剣は、目にも留まらぬ速度で私の右手へ引っ付くようにして収まり、
「──貴様自身だ」
ザシュッ──
「あぐがぁあッ……?!」
そのまま右腕を下ろして子爵の女の首を斬り落とした。頭部は地面へとボトッと転がり、斬り離された胴体は力なく地面へ倒れる。
「テ、テメェ! このガキがどうなっても──ウブグァアッ!?!」
残された子爵の男は少年を使って必ず脅しをかけてくる。それを見越したうえで事前に左手で引き寄せていたディスラプターβを、子爵の男の顔面へと全力でぶつけた後、
「……怪我はないな」
手放された少年を左手で抱き抱えた。私は少年を先に安全な場所へ避難させるため、破壊された馬車の元まで後退する。
「おい」
「どうしたの? 外で何が起きて……」
「この子供を守れ。何があっても手放すな」
「よく分からないけど、分かったよ」
破壊された馬車の中に隠れていたのは旅人の男。私はその男に少年を預けると、体勢を立て直した二匹の子爵と向かい合う。
「あーあ、せっかく苦しまないようアタシの奴隷にしてあげようと思ったけど……。やっぱり苦しみながら、死んでもらうしかないみたいねぇ?」
「ゲッヘヘッ、テメェの細い腕を千切ってから血を吸ってやるよ!」
既に二匹の傷は再生している。だからこそ威勢よく私の血肉を求めて、吸血鬼らしく凄まじい速度で距離を詰めてきた。
最初に子爵の男が私の行動を制限しようと右腕に飛びかかってくる。
「忠告しておくが……」
「まずは右腕からッ──ぐごおぉぉおッ?!!」
「子爵に後れは取らんぞ」
右脚による後ろ蹴り。
子爵の男の顎をブーツの踵で蹴り上げる。埋め込まれた振動吸収素材で増幅した衝撃で、子爵の顔面はグチャグチャになって三メートル先へ吹き飛んだ。
「アッハハッ、もらったわ!」
背後へ回り込み、首元まで両腕を伸ばしてくる子爵の女。私は左手を少しだけ動かした後、振り向くことなくやや右側に首を傾げれば、
「うッぎぁあッ……?!!」
先ほど投げ飛ばしたディスラプターβを呼び戻して、背後に回った子爵の女の顔面へ衝突させた。そして振り返りざま、流れるようにしてディスラプターβを左手で掴み、
バンッ、バンッ、バァンッッ──
「がぎぃあッ、ぐぃああッ、アッア"ァァア"ァアァッーー!!」
子爵の女へ向けて引き金を三度引いた。
眉間、右腕、最後に心臓。紫外線をまとった弾丸は頑丈な肌を容易く貫き、叫び声と共に子爵の女はあっという間に灰へと変わる。
「一匹」
「テ、テメェッ、よくもッ──ゴボォッ!?!」
先ほどの蹴りで仰向けに倒れていた子爵の男。
その煩わしい言葉を発する口へ、右脚のブーツの踵を押し込み、ブーツの先端で子爵の額を地面へめり込ませた。
「ぐほぉッ、は、話をさせッ──」
「二匹」
口の中へブーツの踵を押し込みながら一度だけ心臓へ発砲する。子爵の男の肉体もまた灰へと変わる。最期に命乞いをしようとしたが、吸血鬼の言葉に耳を傾けるつもりはない。
「……汚らわしい」
ねっとりとした唾液塗れになった右肘から右脇辺り。私はそう吐き捨てながら、何か拭けるものがないかと馬車の残骸へ歩み寄る。
「御者の男は死んだか……」
目に入ったのは心臓を一突きされた御者の男の遺体。瞼は開き、瞳孔は開いたまま。恐らく何が起きたのか分からず、即死したといったところだろう。
「……巻き込んで悪かった」
そばに近寄るとしゃがみ込み、右手で御者の目元を覆いつつ瞼を閉じさせる。そして血塗れとなった遺体を持ち上げ、積み荷にあった白い布で全身を包んだ。
「まずは水辺でも探すか」
血と唾液で両腕が汚れている。
布で拭いただけでは臭いは取れない。私は差し当たって近場に水辺があるかを探すため、周囲を見渡した。
「もし良かったら、腕を洗うのにこれを使って。旅をするときに持っていた飲み水」
「……いいのか?」
「君は命の恩人みたいだし、気にせず使ってくれると嬉しいよ」
旅人と名乗る男が手渡してきた飲み水。その善意に甘えることにし、私は白色の
「あんな恐ろしい吸血鬼を倒せるなんて、すごいんだね」
「始末はしたが、御者の男は守れなかった。称えられるべきではない」
「だけどあの男の子と僕を守れたじゃないか」
「誰かを守れなかった時点で良かったとはならんだろう」
かすかに臭いは残ったままだが汚れは何とか落とせた。私は脱ぎ捨てていたコートを羽織り、地面に置いていた武装を改めて装備する。
「移動するぞ。血の臭いで食屍鬼共が寄ってくる」
「うん、その方が良さそうだ」
血の臭いと陽が差し込まない場所。
食屍鬼共が集まってきてもおかしくはない。早急にこの場から立ち去り、リンカーネーションへ報告をしなければならない、と旅人へ伝える。
「ああでも、一つだけ気になったことがあるから聞いてもいいかな」
「何だ?」
破壊された馬車の中へ避難させた少年。
静かに寝息を立てていたため、起こさないように抱え上げようと手を伸ばしたが、
「──どうして
「……!」
血涙の力。
四卿貴族であるバートリ卿の娘として受け継いだ力。今では八体の眷属を始末し、八種類の力を発現させている。
「お前がなぜ知っている?」
その一言で私は即座に手を引っ込めると、旅人の方へと振り返った。話した覚えも子爵を始末するときに使った覚えもない。
「知っているよ。だって僕はバートリ卿を消した
顔を見せないよう深く被っていたフード。
それをゆっくりと取り、私の視界に映り込んだ青年の顔。真っ白な髪に紅い瞳。見覚えがあるどころではない。私の前に立つ青年は、
「千年ぶりだね──母上」
「……お前は」
私が転生者になる前の最初の人生──マリア・アーネットの時代に産み落とした実の