ЯeinCarnation   作:酉鳥

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11:9『セラ・アベル』

 肉の裂け目を潜り抜けた先。

 そこは球状の構造をしている巨大な一室だった。赤黒く湿った胎膜質の床は踏み込むたび柔らかく沈む。壁には血管のような模様が走っており、その脈動は私の心拍と同調しているように見える。

 

「……ここはあの異形共の巣か?」

 

 一室に響く心音にも似た低音。

 天井や壁から液体の滴る音。

 湿った空気とかすかに漂う甘さと鉄が混ざった臭い。

 最悪な居心地であるこの場所の名前。それは肉の裂け目の近くに貼られていたプレートを読んで理解する。 

 

「胎内の間……」

 

 胎内の間。

 その名の通り、元凶であるナニカが異形共を育てる巣窟。私は警戒をしながら歩を進め、部屋の中央を調べることにする。

 

「この像は、生きているのか?」

 

 中央に置かれた巨大な胎児の彫像。

 触ってみるとぬちゃあとした温かい粘液に塗れ、生命の温かさを手の平に感じた。生きているのではないか、と錯覚してしまう。

 

(……(マユ)に包まれているのは、失踪した人間たちか)

 

 胎児の彫像から何本も伸びているへその緒。

 そこに繋がっているのは人間が入った肉の繭。空中に吊るされた状態で部屋全体に敷き詰められている。

 

「あの女、繭に包まれていないな……」

 

 部屋の隅に吊るされていたのは十代半ばの少女。

 一人だけ繭には包まれておらず、へその緒一本が下腹部に接着した状態で、ぶらぶらと宙で揺れていた。

 

「ママ……もうちょっとで、産まれるから……」

(……まだ助かるかもしれん)

 

 虚ろな目で妙なことを呟く少女。

 私は二メートルほど離れた位置で、少女を繋ぎ止めていたへその緒を撃ち抜く。へその緒は簡単に千切れ、少女の肉体は柔らかい床へズチャッと音を立てて落下する。

 

「……っ! わ、私、まだ消えてない……?」

 

 正気に戻ったのか、少女は目を見開くと身体を起こし、辺りを一心不乱に見渡した。私は歩み寄ることはせず、ただ離れた位置からその少女の動向を観察する。

 

(……修道女か)

 

 身長は百五十七センチほどと小さい。

 肩まで伸ばしたくすんだ銀髪は、結び損ねているのか崩れている。瞳はうっすらと白濁しているが、反応を見る限り視力に問題はないのだろう。

 着ている修道服は着崩れ、所々が破れており、争った痕跡が垣間見える。

 

「あなたが、助けてくれたの? ありがと──」

「止まれ」

「うぇっ、どうしてそんな危ないもの向けるの?!」

 

 感謝しながらこちらに接近しようとする少女。

 当然のように私は警戒を解かず、銃口を向けて静止させる。少女は両手を上げると言われた通り、その場に立ち止まった。

 

「誰だお前は?」

「はっ?」

「誰だお前は、と聞いているだろう」

 

 異形共は人間に化けることができる。だからこそ私はこの少女と距離を置いていた。近づいた途端、異形の姿で奇襲されるのを避けるために。

 

「私はセラ! セラ・アベル!」 

(セラか。どこかで見た名前だな)

 

 セラ・アベルと名乗る少女。

 私はこの館に来てから『セラ』という名をどこかで見たためしばらく目を細め、思考を張り巡らせて思い出そうとし、 

 

「……ナリアという女を知っているか?」

「う、うん、知ってるけど」

「ラズという男やサリィという女は?」

「し、知ってるよ。でもどうしてあなたが仲間を知って……」

  

 セラの回答を聞いて確信を得た。

 この少女は記録係だったナリアの手帳に記載されていた班員。私が銃を軽く下ろすと、セラは胸を撫で下ろして、こちらまで駆け寄ろうとしたため、

 

「止まれ」

「えぇっ、まだ警戒されてる……?」

 

 もう一度、銃口を突きつけた。

 セラは両手を上げ、一歩だけ後退りをする。まだこの女に対して疑念は晴れていない。しっかりと事情聴取をする必要がある。

 

「なぜお前だけ(まゆ)に包まれていなかった?」

「マユって、何のこと……?」

「上を見れば分かる」

 

 天井を見上げるセラ。

 一瞬で安堵していた表情が強張る。一つずつ肉の(まゆ)へ視線をずらし、ハッとした様子で自分が吊られていた場所まで駆け出した。

 

「私だけ、マユに入ってなかったんだ……」

「見逃されたとは思えん。何があったのか説明しろ」

 

 セラは胸の前で手を合わせる。

 そして考え込むようにして俯くと、少しずつ言葉を紡ぎつつもこう語る。 

 

「私にも、よく分からないよ。気が付いたら『ママのお腹に戻りたい』って想いがあって……とっても落ち着くお腹の中で眠ってたんだもん」

「……つまりあの繭に包まれた人間は胎児に還ると?」

「うん、きっとそう。一度でも受け入れちゃったら名前も記憶もすべて奪われて……ほんとに赤子に戻されちゃうんだと思う」

 

 胎児に還らせるための肉の繭。子供の頃に戻りたい、母親の元へ帰りたい。ここはその欲求を刺激して胎児へと還らせる狂気の間だ。

 

「でも、私は子に戻れなかったみたい」 

「なぜだ?」

「優しいママの声がずっと聞こえたけど、私は『嫌だ』って拒み続けてたから……かな?」

 

 拒み続けていた。

 首を傾げながらもそう答えるセラの顔は、どこか嘘をついているように見える。私は構えていた銃を下ろすと、セラに踵を返した。

 

「ねえ、早く館の外に出ない? あの変な怪物が出てこないうちに……!」

「一人で出ればいい」

「はっ、えっ? 一人でって……あなたは私たちを助けに──うひゃあっ?!」

 

 そう言って後を追いかけてくるセラ。

 私は振り向きざまに銃口を突きつけ、冷めた眼差しを送る。セラは間抜けな声を上げると、両手を上げて二歩ほど後退した。

 

「お前のことは既に助けた。後は好きにしろ」

「好きにしろって……。私一人で外に出れるわけないじゃん──」

「そうか。残念だったな」

 

 そんな淡白な返答をして私は肉の裂け目から部屋を出る。

 セラは「あり得ない」といった顔で愕然とした後、パタパタと躊躇(ためら)いを感じさせる足音を立て、私の後を追いかけてきた。

 

「だ、だったら、あなたについてくっ!」

「断る。お前は足手まといになるだけだ」

「ううん、ついてくったらついてくからね!」

「……勝手にしろ」

 

 荷物になるため置いていきたかったが仕方ない。私は肯定も否定もせず、本人の意志に判断を委ねると、歩いてきた廊下を戻り始める。

 

「あのー、あなたの名前を聞いてもいい?」

「名乗る義理はない」

「えっ、はっ、えぇっ……?」

 

 軽くあしらわれたことで、セラは右頬を引き攣って一瞬だけ立ち止まった。どうせこの女に語ったところで、後々(・・)意味がなくなる。 

 

「あなたって、『灰被(はいかぶ)りの聖女』みたいだね……」 

「誰だその聖女は?」

「あの、ほら、二年前に起きた神命裁判の罪人の呼び名かな?」

 

 二年前に起きた神命裁判の罪人。

 心当たりがある。少しだけ考える素振りを見せていれば、セラはすぐ隣まで駆け寄って『灰被りの聖女』についてこう語った。

 

「原罪たちが従えていた眷属を七匹も倒しちゃった……とか」

「眷属」

「あの恐ろしい黒薔薇の使徒と互角に戦って、勝っちゃった……とか」

「黒薔薇の使徒」

 

 復唱するようにセラの説明の中から重要な単語だけを引き抜いて呟く。セラは私の反応を気にすることなく、「あっ」と何かを思い出したかのようにこう付け加えた。

  

「あの有名な雪月花様たちとも肩を並べて戦ったんだって。それも今の話、ぜーんぶアカデミー候補生時代に経験してた……はずかな?」

「雪月花」

「あの~、あなた大丈夫? さっきから単語だけ繰り返してるけど……」

「単語だけ」

「大丈夫じゃなさそうかも……」

 

 それだけ聞いてすぐに悟った。

 セラが語っている『灰被りの聖女』とは間違いなく私のことだ。厄介な噂が流れているのだと、セラからすぐさま視線を逸らした。

 

「なぜ『灰被りの聖女』と呼ばれている?」 

「彼女は眷属、黒薔薇の使徒、吸血鬼たちと衝突し……人類のために戦い抜いてきた聖女(・・)

 

 知らぬ間に聖女扱い。

 更には『人類のために』とよく分からん理由が加わっている。私は口を閉ざしたまま、隣から聞こえてくるセラの話に耳を傾けていた。

 

「でも彼女には吸血鬼の血が流れていた。そのせいで栄光の冠じゃなくて……汚名の()を被らされた。だから『灰被りの聖女』って呼ばれてるみたい」

「下らん名付けだ」

 

 その部分は事実だろう。

 特に汚名の灰を被らされた、というのは同感だ。私視点では吸血鬼共や眷属共を始末し続けた結果、いつの間にか罪人となって逃亡生活を強いられていたのだから。

 

「聖女の名前は何だ」

「えっとね……確か、アレクシア・バートリだったかな」

「その聖女と私がなぜ似ていると?」

「風の噂で聞いたの。『灰被りの聖女』は残忍かつ冷酷で、他人にとことん興味がなくて、人としての感情が欠落しているって。あなたにちょっぴし似てるよね?」

 

 散々な言われようだ。

 今さら否定するつもりもないが、二年経った今も風の噂で悪評を流されているとは思わなかった。私は思わず呆れた顔で目を細めてしまう。

 

「人違いだ。似てるとも思わん」

「そうかなぁ……?」

「それよりもだ。お前はアベル家の人間なのか?」

 

 変に詮索されても面倒。

 関心のないフリをしつつ、話題を逸らすようにしてセラの家系について尋ねる。

 

「もちろん。名家のアベル家だよ」

「……ジェイニー・アベルという女を知ってるか?」

「えっ、知ってる知ってる! ジェイニー様のことだよね!」

 

 妙に瞳を輝かせるセラ。

 ジェイニー・アベルは二年前に知り合った人物。子爵が紛れ込んだ本試験で行動を共にし、決闘を申し込まれたため、完膚なきまでに打ちのめした記憶がある。

 

「A機関に所属したすぐに、颯爽と銀の階級になった壮麗なる淑女……! アベル家の私たちにとっては憧れの存在だもん!」

「……あの女がか」

「そうだよ! フローラ様の後を継げるのはジェイニー様って言われてるぐらいにね!」

 

 この二年で知らぬ間に名を()げていたらしい。

 どうしようもないほど箱入り娘だったあの女がここまで称えられるというのは、過去を知っている私からすれば半信半疑だった。

 

「あなたもジェイニー様を知ってるみたいだけど……知り合いなの?」

「いいや、赤の他人だ」

「あっ、ねぇ待ってよ」

 

 深入りすると追及される。私は他人のフリをしてやり過ごすことにし、セラを置いていこうと歩く速度を上げた。

 

「……」

「なーんだ。ほんとに待ってくれるなんて優し──」

「あの扉」

 

 しかしすぐに立ち止まる。

 じっと見つめるのは廊下の左側にある木製の扉。

 

「えっ? ただの扉に見えるけど……」

「前にここを通った時、扉は一つもなかった」

「はえ"っ」

 

 喉を潰すような声を上げるセラ。

 一本道の廊下に扉は一つもなかったはず、と私は扉の前まで歩み寄り、壁に貼られたプレートに視線を移す。

 

「……『偽母の寝室』か」

「ねえ、中に入るとか……言わないよね?」

 

 セラは少しだけぎこちない笑みを浮かべそう尋ねてくる。私は小首を傾げつつも、セラに対して視線を送り、

 

「お前には関係ないだろう」

 ガチャッ──

「あっ、待って待って! ついてく、ついてくから!」

 

 扉を開けて偽母の寝室へと立ち入った。セラは慌てた様子でパタパタと足音を立てて、私の後ろからついてくる。

 

「意外にも、普通っぽい……?」

 

 その部屋は四角い部屋の寝室。

 薄汚れた白色の壁、木材の床、灯りは蝋燭の灯。

 小さな机と椅子が並べられ、開きかけた本棚と、大型の姿見(すがたみ)が置かれている。ぱっと見はごく普通の部屋だ。

 

「お前の目は頼りにならんな」

「えぇっ? だって見てよ。変なところなんて何も……」

 

 私が歩み寄るのは中央奥に置かれた一人用のベッド。

 淡いピンクのベッドカバー(・・・・・)に、整えられた枕。近くには花瓶が置いてあり、赤黒く変色したドライフラワーが差してあった。

 

「よく見てみろ」

「見てみろってただのベッドじゃ──わわぁっ?!」

 

 淡いピンクのベッドカバー。

 これは布ではない。薄い膜をなめしたような()。更にはマットレスの下から干からびたへその緒が数本垂れ、枕からは綿の代わりに肉片が飛び出ていた。

 

「……この部屋は異常だ」

「うぇえっ、気持ち悪いよ……」

 

 机の上には割れた哺乳瓶と歯が入った乳白色の皿。本棚に並ぶ書物の背表紙には『胎・還・母・慈・誕』のように一文字ずつ文字が刻まれている。

 

「……母親の部屋を模倣したのか」

「模倣? 誰が真似をしたの?」

「知らん」

 

 視線が留まったのは鏡台。

 写真立てが置かれていたため、そばまで近づいて手に取ってみる。

 

(この女は……)

 

 写真に写っているのは人間の女性。

 膨らんだ腹部を撫でて寝台で横になっている。なぜか顔の部分だけが破られているため、どんな表情なのかは分からない。

 

Philia(フィリア) Madrina(マドリナ)……。この人の名前かな?」

「だろうな」

 

 写真の隅に記されていた『Philia(フィリア) Madrina(マドリナ)』という名。私は写真をしばらく見つめた後、何となく鏡台の引き出しを開けてみる。

 

「これは日記か?」

「うん、そうみたい。この館について何か書かれてるかもしれないし……読んでみようよ」

 

 古ぼけた紫色の日記。

 写真立てを元に戻して日記を手にして中身を覗いてみる。そこには男らしくもあり、生真面目さが垣間見える文字でこう書かれていた。

 

──────────────

 『運命の日』

 僕は今日、運命の人と出会った。

 彼女の名前はフィリア。食屍鬼に襲われているところを助けたことが出会いのきっかけだ。僕は吸血鬼なのに、彼女は僕のことを怖がらなかった。

 色々と話をした。とても楽しかった。

 何よりも、僕も彼女も、お互いに心を奪われた。

   

 『幸福な日』

 今日もまた、彼女……フィリアと視線が合った。

 やっぱり彼女は他の人間とは違った。僕に怯えもしなかった。ただ静かに「あの時はありがとう」と言ってくれた。僕は吸血鬼だ。

 でもこの日だけは、人間でありたかったと後悔した。

 

 『信頼の日』

 フィリアが自分の身体のことを話してくれた。「もう、子供を産めないの」と。食屍鬼に襲われたとき、子宮が傷ついてしまったらしい。

 その時、彼女の声は震えていた。でも、その目は真っすぐだった。

 僕は、その目に返す言葉を持たなかった。

 ただ思ったんだ。この人に、産ませてあげたいと。

──────────────

 

「この記録は吸血鬼が残したものか」

「人間と吸血鬼なのに……相思相愛だったみたい」

「反吐が出るな」

 

 記録した男は吸血鬼。

 それも人間の女と恋に落ちたろくでなし。私は嫌悪感を露わにしていたが、セラはどこか頬を緩めているようだった。

 

──────────────

 『分岐の日』

 僕の頼れる先生(・・)にそのことを相談した。

 彼は笑った。とても静かに。「それはとても悲しいことだ。手を貸してあげよう」と。その言葉に、僕は背中を押されて拳を握りしめた。

 フィリアの願いを叶えるための、正しい道を選べた気がして。

 

 『願いを叶える日』

 先生から渡されたのは赤い液体が詰まった注射器。

 そして二人で暮らすための洋館。

 彼女に先生のことを話すと「あなたの先生だから信じる」と快く許してくれた。僕は彼女を治すために注射を打った。

 彼女のお腹に変な模様の印(・・・・・・)が浮かんだ。もう成功したんじゃないかって思えた。ただ、フィリアは痛みに震えていた。

 それでも言ったんだ。

「だいじょうぶ。これは産まれる痛みだって、思うから」

 僕はその言葉に縋った。

 その痛みが新たな生命の兆しであると、思い込んだ。

 

 『苦しい日』

 彼女の体温上昇する。肉体の反応が過敏になる。

 胎動を感じさせてくれた。膨らみは不規則だったけど、フィリアの背中に臍帯様構造が形成されはじめた。僕は一瞬だけ怖かった。

 だけど彼女の笑顔にその恐怖は消えた。

「この子には……名前をつけてあげたいね」 

 嬉しそうにそう言ったんだ――まだ子の姿を見ていないのに。

──────────────

 

「洋館……。多分この館だよね……」

「だろうな」

 

 だが何よりも引っ掛かるのは『先生』と呼ばれる人物。

 日記の持ち主よりも爵位が高い吸血鬼か、それとも手を組んでいる人間か。私は頭の片隅に疑念を置いて、読み進めることにする。

 

──────────────

 『産まれた日』

 ソレが産まれた。

 顔がなかった。骨格も、眼球も、血の色も違った。

 子供じゃなくて、言葉にしがたいナニカ。

 でも、フィリアは抱いたんだ。「かわいい、ね……」って。

 僕は、泣いてしまった。

 泣くことなんて、吸血鬼になってからなかったのに。

 涙が出たのは、自分の罪の重さを知ったからだ。

 

 『怒りの日』

 話が違う。

 僕は先生のところまですぐに行った。

 そしたら先生は言ったんだ。「素晴らしい。君の彼女は無限の命を孕む器になった」と。ふざけるな、ふざけるなッ。

 僕は、ただ彼女を……。

 人間として、女性として、ただ母親にしたかっただけなのに。

──────────────

 

「……っ。ひ、ひどい……」

「どうやら利用されたらしいな」

 

 無限の命を孕む器。

 今の惨状に結び付く言葉。この館の真実に近づいてきた、とすぐに次のページを捲った。

  

──────────────

 『誕生の日』

 慈母ヴェルナタ。

 そう呼ばれた存在が、彼女を侵食していく。

 彼女はもうフィリアじゃない。

 だけど、まだ笑っていた。「だいじょうぶ。まだ産めるよ」と。

 その言葉が、怖かった。

 狂気の中の母性ほど、怖いものはないと知った。

 

 『破局の日』

 今日、僕は死ぬだろう。

 先生はもう用済みだと僕を見捨てた。

 フィリアは……ヴェルナタは……僕を産もうとしている。

 お腹の中で何かが動いた。

 これは、僕の血だ。

 これは、僕の罰だ。

 だけど……

 それでも、最後に君の手が僕を抱いてくれたなら――僕はもう、何も言わないよ。

 

『ごめん』

 ごめん。

 ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……。

フィリア、僕は本当に、

君を愛してたんだよ。

 

──────────────

 

「……これで終わりか」

 

 日記の裏を見る。

 そこにはErnest(エルネスト) Cain(カイン)と名が刻まれていた。フィリアという女性を救うために、利用された哀れな吸血鬼の男の名。

 

「私はヴェルナタとやらを探す」

「えっ? どうして……」

「葬るためだ」

 

 事の親玉は日記に書かれていたフィリア──いや、ヴェルナタ。日記を鏡台の引き出しに戻すと、ヴェルナタを見つけるため出口に向かって歩き出す。

 

「待ってよ! あなたは、怖くないの? 恋しくないの?」

「何を言っている?」

「だってママなんだよ。殺すなんて、そんなこと──ごほッ、うおぇえッ……!?」

 

 ワケの分からないことをぼやくセラ。

 急に腹部を押さえながら四つん這いになる。私は無言で歩み寄ると、衣服の裾を掴んで無理やり仰向けに寝かせた。

 

「やはり寄生されていたか」

「……っ!」

 

 服が裂けた箇所から見える下腹部。

 そこには胎児のような印が刻まれていた。セラは私に睨みつけられると、バレたと言わんばかりに視線を逸らす。

 

「どうして、分かったの?」

「お前は子に戻らなかった。なら母親にされるのが順当だろう」

 

 母還の森で私は子に戻ることを強いられたが拒絶した。次の母胎館では母親になることを強要された。つまり胎児に戻らない者は──母親の道を歩まされることになる。

 

 カチャッ──

「目を瞑れ」

「ま、待って、待ってよ! わ、私はまだ化け物になってないからねっ……!?」

 

 迷わず銃を取り出し、顔の前に突きつける。弁解をしようとしていたが、私の迷いのない冷めた表情を見て、セラはどんどん顔を青ざめていく。 

 

「た、助けてよ……。わ、私、死にたくないっ……」

「どうせ助からん」

 

 青ざめた顔で命乞いをするセラ。

 震えた両手で救いを求めるように私の右脚にへばりつく。

 

「なにか、なにかっ、方法があるはずだよっ……!」

「その方法とは何だ?」

「そ、それはっ……そのっ……」

「何もないだろう」

 

 セラが狼狽えている間に、銃の引き金へ指をかける。その怯え切った顔を見下しながらも、ゆっくりと引き金に力をかけ、

 

「私を恨むなら──」

「ま、待って、お願い、お願いっ!」

 

 懇願するセラなど眼中にないまま、

 

「あの世で存分に恨め」

 パァンッ──

 

 引き金を一度だけ引いた。

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