真っ二つに斬り裂かれたヴェルナタの死体。
巨大な肉塊はボトボトと崩れ落ち、羊水へ触れた瞬間に溶け始める。
「オォオアァアッ……」
「まだ息があるのか」
それでも頭部を動かして手を伸ばしてくるヴェルナタ。私はそのしぶとさに目を細め、引導を渡そうと刀剣を振り上げたが、
「待って!」
駆け寄ってきたセラに静止された。
私は振り下ろす寸前で刀剣を止め、何やら険しい表情を浮かべているセラへ視線を移す。
「……何のつもりだ」
「ヴェルナタの本当の姿は、フィリアさんなんだよね」
セラはそう言って覚悟を決めると、ヴェルナタが伸ばしていた手を握りながら、ただれている頭部へ自身の額を付けた。
「ママ、産んでくれてありがとう。私は、ここにいるよ」
「オォアァッ……」
「ママやパパの分まで生きていくから……。だからママ、ゆっくり休んでね」
それは慈悲か、それとも手向けか。
セラは目を瞑りながらも祈るように、ヴェルナタへ優しく声をかける。
「──アりが、とウ」
崩れていくヴェルナタの上半身。
最期に伝えてきたヒトの言葉は感謝の意。セラは最期の一瞬まで額を付け、すべてが跡形もなく羊水に溶けると、ゆっくりこちらへ振り返った。
「それは弔いか」
「……安らかに眠れたらと思って。あんなの、余計だったかな?」
苦笑いを浮かべ、セラがそう問いかけてくる。
私は取り出していた武装をすべて回収した後、最後に持っていた刀剣を鞘へと納め、
「……あの女の最後の言葉。それが答えだろう」
「──! うんっ!」
それだけ返答し、薄っすらと見えるセラの下腹部を視認する。そこに刻まれていた胎児の印は消え、寄生体もそのまま消滅したのだと理解した。
ゴゴゴゴゴゴッ──
「うひゃあ?! こ、今度はなんなの!?」
瞬間、辺りを揺るがす地響き。
セラはよろよろとしながら壁に手を突き、私は天井を見上げて眉間にしわを寄せた。
「この館はもうすぐ崩れる」
「えっ、えぇえっ!?」
次々と落下してくる瓦礫や台座の灯。
核であるヴェルナタが消滅したことで、館の存在意義がなくなったのだろう。
「走れ。生き埋めになるぞ」
「もぉおぉっ!! なんで綺麗に丸く収まらないのぉ!?」
羊水の中を駆け、地上への階段を駆け、崩した瓦礫の山を登る。その道中で異形共を見かけたが、ヴェルナタと同様にドロドロの液体となって溶けていくだけで、私たちを襲おうとはしなかった。
「はぁはぁっ! だ、だめっ、も、もう走れないぃっ……!」
「訓練不足だ」
「脱出訓練なんてアカデミーで習ってないっ!」
洋館の正面玄関を二人で飛び出し、庭をそのまま走り続けて何とか正門を抜ける。セラは呼吸を荒げて、膝から崩れ落ち、私は背後を振り返った。
「何とか間に合ったか」
「げほっげほっ……も、もう立つことすら危ういかも……」
母胎館は三階から順々に崩れ落ち、あっという間に瓦礫の山へと変わる。そこに異形共の死体や、奇怪な装飾品は一切ない。
まるで最初からそうなっていたかのように、取り壊された廃墟と成り下がっていた。
「……ねえ、これでぜんぶ終わったんだよね?」
「ああ、恐らくな」
母還の森を覆っていた不穏な空気。
それらも瞬く間に消えていく。聞こえてくるのは鳥のさえずり、獣が草むらを揺り動かす音、自然が生きていることを主張する音色だった。
(気掛かりなのは……日記に書かれていた『先生』という人物か)
エルネストという吸血鬼が残した日記。
そこにヴェルナタを生み出したとされる人物……『先生』という呼称が書かれていた。母胎館の騒動に巻き込まれて死んだとも考えられるが、
「ねえ、どうしたの? そんなに怖い顔をして……」
「気にするな」
私は頭の片隅に『先生』という危険人物を置いておき、今はセラを不安にさせるべきではないと考えるのを止めた。
「まぁ、この香りにこの気配──間違いなくお嬢様ですわぁ!」
瞬間、小鳥の
私とセラは母胎館と反対の方角へ顔を向けると、そこに立っていたのは貴婦人のような女。そいつは歓喜の笑みを浮かべ、私を見つめていた。
「……誰だお前は」
「きゃーっ! お嬢様がこちらを見てますわぁっ!」
「拗らせているということは……貴様は吸血鬼か」
睨まれているというのに更に調子が良くなる貴婦人。
私の脳裏を過るのはこの貴婦人が吸血鬼だという可能性。臨戦態勢に入ろうと鞘へと手を伸ばしたが、
ジジッ──ジジジジッ──
「いけませんわっ! そんなに見られると興奮しちゃいますっ!」
「貴様……」
思わず手を離した。
何故なら貴婦人の姿が形を持たない影となったからだ。更には少女のような、獣のような、天使のような姿へ次々と切り替わる。
更にはモザイクとノイズが走り、色の反転と黒塗りで形が潰される。
ジジジッ──バチッ──
「ああでも、お嬢様に見られるのもまた一興っ……♡」
「ね、ねえ、なにが起きてるの?」
顔が映ったかと思えば別人。
両脚が現れたかと思えば、鳥の脚と蛇の尾が交差してすぐに消える。ワケが分からない光景にセラは何度も目を擦っていた。
「──ふぅ、落ち着きましたわ」
紫色の薔薇を飾った貴婦人の帽子。
肩を露出させた紫と黒のロングドレス。
薄い紫のミディアムヘアに、狂ったような笑顔。
順々に形成された姿は最初に私たちが目にしたもの。
「取り乱してしまい失礼いたしました。ワタクシはエキドナと申しますわ」
「……エキドナだと?」
「きゃあぁあっ♡ お嬢様がワタクシの名前を呼びましたわぁ~♡」
私の問いに再び興奮するエキドナ。
まともに会話ができず、私はしばらく無言のままエキドナを睨んでいると、
「──落ち着きたまえエキドナ。彼女はまだ我々を知らない」
エキドナのすぐ隣に影のようなものが浮かび上がる。
例えるなら黒塗りのシルエット。そこに『正義』『秩序』『審問』『黒』『銀』『帽子』『男』という単語が空間に浮かび、シルエットに張り付いていく──その光景はまるで設定の上書き。
「失礼いたしました、アレクシア卿」
最後に『バートリ卿の眷属』という単語が刻まれ、そこに立っていたのはシルクハットの男。
「……誰だお前は?」
「私はテュポーン。かつてバートリ卿に仕えた者です」
長い黒のコート。
銀髪のロングヘア。
無表情の中に宿る、確かな知性。
そこに現れた長身の男テュポーンは私に対して、敬意を払うように流れるように一礼する。
「なら眷属か」
「け、眷属ぅっ!? そ、それってかなりマズいんじゃっ……!?」
バートリ卿に仕えていた存在、つまり眷属。
私は刀剣を鞘から引き抜き、逆手持ちへと切り替えて敵意を剥き出しにした。セラも動揺しつつすぐさま私の背後へ隠れる。
「殺意を剥き出しにしたお嬢様、ほんっとうにお可愛いっ♡ 背徳の申し子ですわぁっ♡」
(……残りの眷属はこの二匹だけ。まさか私を仕留めに来たのか?)
眷属の数は十匹。
そのうちの八匹は二年前に始末した。残された二匹の眷属は目の前にいるエキドナとテュポーン。興奮するエキドナを他所に、私は冷静に分析する。
「ご安心くださいアレクシア卿。今回は姿を見せるために来たのです」
「姿を見せるため?」
「ふふっ、簡単なご挨拶みたいなものですわ」
こちらへ敵意を一切感じさせず、近寄ろうともしないエキドナとテュポーン。言葉に偽りはないようだが、警戒は解かず、そのまま二匹を睨み続ける。
「アレクシア卿、今のあなた様は八体の眷属から血涙の継承を済ませております。……私とエキドナを除いて」
「何が言いたい?」
「本来であれば私とエキドナの力を継承する器に、あなた様が相応しいかを試そうとしましたが……」
テュポーンは私の背後に隠れたセラを見る。
その視線はまるで「私の隣に立つ者として不合格」と言いたげなもの。
「今のあなた様には『カゲツ様』のようなパートナーはいらっしゃらないようですね」
「残念ですわお嬢様ぁ……。せっかく背徳的なまでに気持ちよく、斬ってもらおうとしましたのに……」
何が言いたいかは自然と悟った。
この二匹の眷属は一匹ずつ私を戦うつもりはないらしい。どうやら二対二の形式で試練とやらを行いたいようだ。
「なぜ"二人"という人数にこだわる?」
「かつてのバートリ卿にカゲツ様というパートナーがいらっしゃったように……。アレクシア卿として、パートナーが必要だと判断したまでです」
「下らん押し付けだ」
律儀に説明をするテュポーン。
私は迷わずそう吐き捨てると、エキドナが両頬を手で押さえて発情した様子でこちらをじっと見つめてくる。
「あなた様のおそばに、パートナーとして相応き者がいらっしゃるときに……また我々の方からお訪ねします」
「それでは、ごめんあそばせですわお嬢様ぁ~♡」
突如、二匹の間に歪む空間。
そこへ吸い込まれるようにして、エキドナとテュポーンはそのまま溶けていった。痕跡は一切残さず、まるで最初から存在していなかったように、静寂だけが場を包み込む。
「……ね、ねえ、私たち助かったのかな?」
「そうらしい」
「よ、良かったぁ~……」
初めて目にしたエキドナとテュポーン。二年前に眷属メデューサを始末したとき、あの男……キリサメ・カイトが私たちにこう説明していた。
『実はテュポーンとエキドナに関する情報はないんだ。その二匹が出てくる前に、小説は打ち切りになったからさ』
眷属とは異世界モノと呼ばれる小説に出てくる存在。
今までの眷属はキリサメからの情報はあったが、エキドナとテュポーンは打ち切られたことで情報は一切ない。
(あの二匹が──先代の十戒を全滅させたのか)
だが確かな情報は一つ。
それは先代十戒をたった二匹で全滅させた事実。明らかに他の眷属と格が違う。
「……どうしたの?」
不安そうに顔を覗き込んでくるセラ。
私は母胎館の騒動で汚れている顔をじっと見つめた後、
「どうもせん」
「えっ? ……ふふっ、なにそれ」
刀剣を鞘へと納めてから森の出口に向かって歩き出した。セラは静かに微笑むと隣へ追いついて、穏やかな森を安堵した様子で見渡す。
「ねえ、もし私の浸食が間に合わなかったら……どうしてた?」
「始末していただろうな」
「ふふっ、ひどっ」
そう呟いているセラはくすっと笑っていた。
そして隣を歩いている私の左手を両手で包み込む。
「ありがとう、アレクシア」
「何の礼だ?」
「何のって……あなたは私を助けてくれたでしょ」
こちらの手を握りながら首を傾げるセラ。
私は歩みを止めて少女の顔を見つめた後、すぐに他所へと視線を移してこう返答した。
「助けた覚えはない。お前が勝手についてきただけだ」
「えぇっ? そこも素直になれないの……?」
そのまま森の出口を目指し歩いていく。
そんな私の後ろ姿を見ながら苦笑いを浮かべるセラは、何かを決意したように「アレクシア」と私の名を呼んだ。
「私、街に孤児院を建てて……身寄りのない子供たちのお世話をしようかな」
「なぜ?」
「私みたいに、辛い思いをしてほしくないから。代わりに子供たちのママになれたらなぁ、なんて」
小っ恥ずかしそうに笑うセラ。
母胎館の経験を得て、自分の中で目標が定まったと見て取れる。
「……そうか」
「だからね、孤児院ができたら遊びに来てよ?」
「期待はするな」
「えー? 全然関心なさそうな返事……」
そう即答をしてから踵を返す。
セラはあまりにも呆気ない返事に苦笑しつつも、
「でも私は知ってるよ。灰被りの聖女は素直じゃないけど──良い人だって」
何かをボソッと呟いた気がした。
私はその場で振り返ると、立ち止まっているセラを怪訝な顔で見る。
「何をしている?」
「別に~? じゃっ、きちんとグローリアまでエスコートしてね!」
「……厚かましい女だ」
返答がどこまでも厚かましいセラ。
私は妙に調子の良い厚かましい女を連れ、フレデリカを停めた森の入り口まで戻り、グローリアへ帰還することにした。
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真っ赤な室内。
時計の秒針が逆回転を始め、部屋の壁は血ではなく、静かに凍った赤い結晶に変わりつつある。その中心の王座に、男は座していた。
「……母胎館、崩壊。あの母胎は潰れたようだな。使えないメスだ」
扉が開く。
誰の姿もないまま、報告だけが音に乗って男へ伝わった。
しばしの無音。
男は指先で己の喉元をなぞるように、ゆっくりと笑う。
「なるほど。死ななかったのか、
天井から滴る一滴の血。
それは瞬く間に凍った赤い結晶となり、男の右手へ導かれるように乗せられる。
「素晴らしい。上出来だ」
男が浮かべるのは不敵な笑み。
手元にある赤い結晶を芸術品を眺めるかのようにくるくると回転させる。
「エーデルシュタインの礎はもう植えた。あとは──」
丸机に置かれた輝かしいダイヤモンド。
象徴をするのは栄光の国グローリア。そして皇女ヘレン・アーネット。揺るがない輝きを放っている。
「──この大陸を、
天井から垂れ落ちる一滴の血。
ダイヤモンドへ接触した瞬間、揺るがない輝きは紅く濁り始め、赤い結晶へと変わり果てていく。
「……しかしよく生き延びてくれた、アレクシア・バートリ」
赤い結晶に映り込むのはアレクシアの顔。
表面に貼られているシールには『特上の保存対象』と文字が書かれている。
「あのお方は仰っていた。『あの子の中にはまだ穢れていない空白がある』と」
男は首を傾けた。
自身が崇拝するあのお方を思い浮かべ、ただ深く慕うかのように表情を和らげながら。
「壊すのでもなく、奪うのでもない。ただ永久に……結晶の中に閉じ込めておきたいのだと。ひび割れもしない、腐敗もしない……君を」
一言一句、赤い結晶へ染み込ませるように呟く。
その言葉が落ちた瞬間、
「次に会う時は、君の"母の名"ではなく──"君自身の名"を奪わせてもらおう」
右手に乗せていた赤い結晶が一つ、音もなく砕け散った。