暴発事件から二週間が経過したアカデミーの医務室。私はベッドの上で本を読みながら、昼の時間を過ごしていた。着ている衣服は講義を受けるための制服でなく、患者が身に纏う
「左目の調子はどう? 痛みは大分治まったかしら?」
声を掛けてきたのは医務室の養護教諭として勤めるのは
「完治している。すぐにでもここから──」
「駄目よ。もうしばらくはここで安静にしていなさい」
緊急手術により私の左目から破片を取り除いたのはこの女。アークライト家の血筋を継いでいるだけあり、手術も迅速かつ的確に済ませたらしい。
「例え――貴方の身体に吸血鬼の血が混ざっていたとしてもね」
「……」
しかしエイダは輸血を行う際に気が付いてしまった。私の身体に吸血鬼の血液が流れていることに。
「貴方の血液は明らかに異常だったわ。輸血したB型の血液を吸収して、体内に残っていた血液が途端に増殖を始めたのよ。それを見た瞬間、吸血鬼の血液だと確信したわ」
「……確信するまで至ったのか」
「当然でしょ。吸血鬼の血液も
エイダはベッドの側にある木の椅子へ腰を下ろし、私と視線を合わせながら足を組んだ。
「吸血鬼の血液は異常よ。赤血球は酸素をより多く運び、白血球は外敵をより多く殺し、血小板はより多くの出血と怪我を防ぐ。だから人間が半年かけて治す怪我を、ほんの数秒で治せるほどの治癒力を持つ」
「それは知っている」
「あら、案外物知りなのね。じゃあ、この血液の欠点は分かる?」
「人間の血液を体内に取り入れなければ、血液を増やせないという点だろう」
私が回答するとエイダは「正解よ」と偉そうな態度を取りながら指を鳴らす。
「私たち人間は食事を摂ったりすれば、骨髄が自然と血液を産生してくれるけど……。吸血鬼になると
「だから吸血鬼共は人間の生き血を吸う」
「その通り、アイツらにはそれしか方法がないのよ。もし生き血を摂取できなかった場合——吸血鬼たちの体内機能が低下し、いつかは食屍鬼に成り果てるわね」
エイダは私の左手を握ると手の甲をじっと見つめた。この女が私に向ける視線は、まるで実験体を観察するかのよう。
「吸血鬼の血液は、体外から取り込まれた血液を我が物にしようと吸収する。その性質を踏まえれば、人間の血液なんかと体内で共存なんてできないはずなのに……」
「……」
「貴方のようなハーフは初めて目にしたわ。どういう経緯でこの肉体に?」
「私を身籠った母体は吸血鬼の襲撃に遭い、噛まれたと聞いている。それが吸血鬼と人間のハーフとなった原因だ」
私が経緯をそう説明すれば、エイダは納得がいかない様子で「おかしいわね」と首を傾げる。
「何がおかしい?」
「吸血鬼に突然噛まれたからって、人間と吸血鬼の血液が完全に中和した状態で生まれるなんてあまりに不自然よ」
「……それもそうか」
「これはあくまでも私の憶測だけど――」
真剣な眼差しを送ってくるエイダは、自身の脳内で整理してきたであろう憶測をこう伝えてきた。
「――貴方を産んだ母体は、元々吸血鬼だった可能性が高いわ」
「……吸血鬼だった?」
「胎児は
私は因果な身の上に重い溜息をつき、エイダに握られた左手を僅かに動かす。
「お前の憶測が仮に真実だったとして……人間の男と吸血鬼の雌が特別な間柄だったということになるのか」
「……その顔、気に入らないのね?」
「当然だろう。吸血鬼の血が流れている事実だけでも悪寒がする」
私はエイダの手を振りほどき、窓の外へ視線を向けた。
「それと今回の件に関してはしばらく黙っておくことにするわ」
「上の連中に報告しないのか?」
「吸血鬼と人間のハーフなんて、今までにないケースよ。貴方が例え、私たちの肩を持っていたとしても……体内に吸血鬼の因子があるのは事実。もし報告でもされたら——上の人間は貴方を拘束し、処刑しようとするかもしれない」
「……お前が私を庇おうとする理由は何だ?」
私がそう問えばエイダは椅子から立ち上がる。そして私の左肩に手を置くと、好奇心に満ちた顔を近づけてきた。
「貴方で色々と試したいの。人間と吸血鬼のハーフが一体どんな生態をしているのか。それを研究するために」
「私をモルモットにしたいのか」
「そういうことよ。もし協力してくれるなら、これからは私が貴方の治療や手術をしてあげるわ。お互いに美味しい話だと思わない?」
「……気に食わんが、仕方ないか」
了承代わりに小さく頷けば、エイダは
「じゃあ早速だけど、貴方について聞きたいことが――」
「サディちゃ~ん! お見舞いに来たよ~!」
エイダの言葉を遮るように医務室の引き戸が開かれ、花束を持ったロイが姿を見せた。その後方にはキリサメ、アーサー、アリスが並んでいる。
「ごめんねエイダ。少し邪魔するよ」
「アーサー、貴方は本当に……」
「えーっと、どうしてそんな怖い顔を?」
「確かに『今日から面会オーケー』とは言ったけど、タイミングが悪すぎるのよ」
「サディちゃん~! 俺たちと会えなくて寂しかった~?」
「むしろ気が楽だった」
「だ、だよなー……」
「でも、アレクシアさんが元気で良かったですっ……!」
静かな医務室が途端に騒がしくなり、私は耳を塞ぎながらキリサメたちへ背を向けた体勢に変えた。相も変わらず賑やかな連中で、非常に煩わしい。
「それよりエイダ、アレクシアさんの容態はどうなんだい?」
「残念だけど、彼女の左目はもう元には戻らないわね。破片が眼球を丸ごと貫いていたせいで、摘出するので精一杯だったの。私なりに手は尽くしたつもりよ」
「そっか、ありがとうエイダ……。僕がもう少し注意を払っていれば、この事件を防げたのに……」
エイダから容態を伝えられたアーサーは悔やむように表情を曇らせる。話によればこの二人は昔からの同期らしい。
「ただ良い報告もある。近々包帯から眼帯へ移行するから、実習訓練にも参加が可能よ。けど過度に身体を動かすと傷口が開くかもしれない。彼女には私から注意してあるけど、貴方もあの子から目を離さないように」
「うん、分かった。先生として二度と生徒を傷つけさせないよ」
アーサーはエイダに教師として生徒を守ると固く誓う。その後、私の元まで歩み寄ると数枚の用紙を渡してきた。
「これは欠席分の課題だよ。先生は君ならやらなくてもいいと思うんだけど……一応ルールだから調子が良いときにやっておいてね」
食屍鬼や吸血鬼に関して記載されている問題用紙が三枚。どれも座学の内容で習うものだろう。だが医務室で過ごしたこの二週間は、ひたすらに本を読み漁っていた。おかげで一時間も掛けずに終わらせられる。
「一番下の用紙は、アカデミー生徒の全体成績表。座学と訓練で分けられた順位と、総合順位が載っているよ」
「載っているのはDクラスだけじゃないのか」
「うん。他のクラスの成績上位者三名と、全体の成績上位者三名も載っているんだ」
―――――――――――――――
【Aクラス】
~座学~
1.
2.
3.
~訓練~
1.
2.
3.
【Bクラス】
~座学~
1.
2.
3.
~訓練~
1.
2.
3.
【Cクラス】
~座学~
1.
2.
3.
~訓練~
1.
2.
3.
【Dクラス】
~座学~
1.
2.
3.
~訓練~
1.
2.
3.
――――――――――――――――
「……正気か?」
教室に顔すら出していない私が座学や訓練でトップ。訓練に至っても丸々二週間参加していない。私は理解が及ばず、成績表に
「えーっと、訓練に関してはシャーロット博士が先生にこう言ってきてね。『射撃の技術と剣術の熟練度も必要だが、生徒を庇う強い精神を高く評価するべきなのだよ』って」
「私は庇った覚えはない」
「で、でも私はアレクシアさんのおかげで助かりました! アレクシアさんは命の恩人です!」
「……容易く命の恩人と呼ぶのはやめろ」
私は否定を続けたが、アリスは私に詰め寄りながら必死に訴えかけてきた。アーサーたちはアリスに共感するように頷く。
「……なら座学は?」
「エイダの推薦だよ。君を『非常に博識な生徒だ』と直々に評価してくれてね」
「たったそれだけの理由で?」
「うん、むしろこれだけの理由で十分だよ。座学の問題作成はエイダが担当してるからね。それに……エイダが自分から生徒を評価することなんて滅多にないんだ」
医務室で過ごした二週間。エイダは私に声を掛けてきたかと思えば、様々な内容を質問してきた。今になって思い返してみれば、どれも座学に近しいものばかりだ。
「その結果として総合は……」
―――――――――――――――
【五百八十一期生】
~総合成績優秀者~
1.Dクラス:
2.Bクラス:
3.Cクラス:
―――――――――――――――
(……あの二人も総合順位に名を載せているのか)
私は自身の順位よりも、二位と三位を陣取るクレアとイアンへ自然と注目する。数年前、共に孤児院で過ごしてきた。だがここまで優秀な人材だったとは予想だにしていない。
「アレクシアさんが総合一位だよ。試験を受けていなくても、シャーロット博士やエイダ。そして先生自身も、君を高く評価したからね。これは当然の結果だと思う」
「……他人からの評価か」
「それよりもさ~! 久しぶりに会ったんだし、サディちゃんとお喋りさせてよ~?」
「あ、あぁごめんね! 先生の真面目な話はここまでにするよ。後は君たちがアレクシアさんに近況報告する時間にしよっか」
アーサーが話を切り上げれば、意気揚々とロイたちが声を掛けてきた。キリサメは半笑いで哀れむような視線を送ってくる。
「聞いてよサディちゃん~! この前、"白髪の女の子"が歩いてると思って声を掛けたら、男の子だったんだよね~! その子について何か知ってたりする~?」
「知らん」
「知ってますか、アレクシアさん! 近々食堂に新しいメニューが増えるみたいですよ! 名前は確かチーズパンっていうメニューで……!」
「知らん」
嫌々相手をせざるを得ない。そんな状況を酷く嫌悪しながら、ロイとアリスの話をすべて聞き流した。