ЯeinCarnation   作:酉鳥

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2:15『就寝時間』

 

 時刻は午後二十一時、場所はテント前。昼頃と変わらず湿気が強い。陽が落ちているにも関わらず、心なしか気温もやや上がっているような気がしてならない。

 

「まさかこんな場所に"天然温泉"があるなんて思いませんでした!」

「……」  

 

 私たちは食事を摂った後、少し離れた場所にある天然温泉まで出向いた。クラスごとに入浴時間が決められており、Dクラスは十九時半から二十時までの時間で温泉に浸かったのだが、

 

「アレクシアさん、本当にいい湯でしたねー! ご飯も美味しかったですし!」

「……お前は犬なのか?」

「へっ? 私は人ですよ?」

 

 アリスは天然温泉に気分が高揚したのか、私の周りで犬のように泳ぎ回っていた。そのせいでゆっくりと考え事もできず、有意義な時間を過ごせていない。

 

「二人ともおかえり~! 温泉どうだった~?」

「天然温泉なんて初めてだったので最高でしたぁ……!」

「うんうん、だよね~! 俺も温泉でゆっくりできたよ~!」

「お前が女子風呂を覗こうとしたせいで、俺はゆっくり出来なかったけどな……!」

 

 呑気なロイを睨みつけるキリサメ。テントへ戻れば二人は既に寝間着姿で、寝袋の上に座っていた。アビゲイルも班長として明日の日程を確認しているようだ。

 

「アビーちゃん~! この後って、俺たち何か予定あるの~?」

「特にはないよ。二十三時までに就寝するだけさ」

「ねぇねぇ、それなら~……」

 

 予定が空いていることを確認したロイは、自身の荷物をガサゴソと漁り始める。

 

「チェスを持ってきたから、皆で一緒にやらない~?」

「あ、いいですね! 実は私もトランプを持ってきちゃいました!」

「おぉ、早くやろうぜ!」

 

 ロイが取り出したのはチェス盤と駒。アリスが取り出したのは箱に詰められたトランプ。私は呆れて物も言えず、自身の寝袋に潜り込む。

 

「アレクシアはやらないのか?」

「興味がない」

「アビーちゃんはどうする~?」

「あたしも明日のことを考えないといけないからパスで」

 

 盛り上がるロイたちへ背を向け、テントのシートを見つめた。そして徐々に瞼を閉じていけば、賑やかな声も遠のいていく。

 

『チェスだ』

『チェス……?』

『そう。もし私に勝てたらお前が好きなクグロフを一生与え続けよう』

『条件としては悪くはない』

 

 過去が映し出された夢の中。アイツが私にチェスで賭け事を持ち掛けてきた──あの日の記憶。

 

『けれどお前が敗北したら、私の命令を何でも聞いてもらうよ』

『……それは私が不利だろう』

『大丈夫。何でもとは言っても、クグロフ程度の命令に過ぎないから』

 

 条件を呑んだ私はアイツとチェスを始めた。駒の色は私が後手の黒、アイツは先手の白。アイツはゲーム開始と共に駒を動かす。

 

『チェスはこの世に存在するどんなゲームより面白いと思うよ』

『その理由は?』

『私たちと通ずるものがあるからかな』

 

 私が黒の駒を動かせば、アイツは間髪入れずに白の駒を手に取った。

 

『チェスは戦略と戦術のゲームだ。序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように指せ――それがチェスのすべてだろう』

『……それが?』

『序盤を既に確立された定跡に従うことを()。これは私たちが吸血鬼や食屍鬼を相手にしたとき、心臓(・・)を真っ先に狙うことと変わらない』

 

 そして白の駒を盤面に展開させていく。私も迎え撃てるように、盤面へ黒の駒を展開させた。これは序盤の定跡とも言える動きだ。

 

『中盤以降は定跡に頼ることが難しい。だからこそ要求される巧みさや機転を奇術(・・)に例える。これは私たちが想定していない吸血鬼の習性や行動に、対応する(・・・・)ことと変わらない』

『……そうかもしれんな』

 

 中盤は局面を優位にコントロールする必要がある。私とアイツは各々の戦術を考え、盤面上で何度も白黒の駒を衝突させ合った。

 

『終盤の機械(・・)は、チェックを意識する最終盤における読みの深さと、ミスを犯さない冷静沈着な精神。これは私たちが命乞いをする吸血鬼に決して情を抱かず、慈悲も与えず、確実に(・・・)始末することと変わらない』

『……』

 

 勝敗を分ける終盤戦。私はしばし考えた素振りを見せると、静かに自身の黒のキングを盤面上に倒した。

 

『……詰み(・・)だ。リザインする』 

『せめてチェックメイト(・・・・・・・)ぐらいさせてよ』 

『殺されるより自害した方がマシだ』

 

 不機嫌な私を小馬鹿にする笑みを浮かべたアイツは、自身の白のキングを私の目の前まで移動させる。

 

『まぁいっか。それよりもお前には命令を一つ聞いてもらうよ』

『私は何をすればいい?』

『今日から一週間、私の"専属メイド"ね』 

『……何だと?』

 

 アイツは颯爽と立ち上がり、クローゼットから使用人の衣装やらを持ってくる。それを目にした途端、私の顔色は青ざめてきた。 

 

『愛想よく振る舞い、可愛らしく笑顔で、そして私のことは"ご主人様"と呼ぶ。身の回りの家事も全部やってもらうよ。お風呂で髪の毛も洗ってもらおう。あぁそれと、メイドとして私の命令に背かないこと。もし逆らったらメイド期間が一週間伸びるからよろしく』

『——』

『どうした? 早く着替えてくれ』

 

 愕然としていた私は屈辱感に満たされながらも、白黒のメイド衣装へと着替える。その間も私の歯軋りの音は鳴り止まない。 

 

『着替えたぞ』

『口の利き方が違うと思うけど?』

『……着替えました』

『そうそれだ』

 

 アイツはパチンッと指を鳴らしてから両手で銃のハンドサインを作り、こちらにその銃口を向けた。そして私の頭に手を乗せる。

 

『なるほど。これも悪くはないな』

『……賭け事の命令、こんな茶番ではないだろう』

『正解だメイドさん。勝ちを確信した瞬間、これを命令するには荷が重すぎると思って、別の命令に変えさせてもらったよ』

 

 私の両頬は引き攣り、腹の底は煮えたぎっていた。屈辱と怒りが身体の内に混合し、今にも机を叩き割りそうな程にだ。

 

『お前は女の癖して、野蛮な男が命令するような趣味を嗜むのか』

『私はお前じゃなーい、ご主人様だ。罰として"ご主人様、無礼な発言をしてしまい、申し訳ありませんでした。尊敬しているニャン"と言ってもらおう。ポーズは両膝をついて、私の片手を胸元で握り、上目遣いでだよ』

『貴様、本当に殺す──』

『もう一度伝えおくよ。命令に背いたらメイド期間が一週間伸びる』

 

 震える身体を押さえながら私はまず両膝をつく。そしてアイツの右手を握りしめ、強張った顔でアイツを見上げた。

 

『……』

『何をしているの? 早く言った方が楽になれるよ?』

『ご主人様、無礼な発言を、してしまい、申し訳ありませんでした……ッ。尊敬、尊敬してる……ニャン……ッ』

『お前、顔が怖いな。猫というより獲物を前にした猛犬に近い』

 

 思い出した、あの日からだ。私がチェスを徹底的に極めたのは。二度とあのような屈辱を味わないようにと、アイツに屈辱を与えてやると。

 

(……下らん夢だ)

 

 私は寝袋でふと目を覚ます。夢で屈辱を味合わされたせいで酷く心地が悪い。

 

(外で頭でも冷やすか……)

 

 寝袋からのそのそと這いずり出るとテント内で立ち上がる。盛り上がっていたロイたちは既に就寝しているようで、辺りにチェスの駒やトランプのカードが散乱していた。

 

(あの女がいないな)

 

 テント内を歩くと空の寝袋を一つ見つけた。アリスは隣の寝袋で眠りについていたため、恐らくはアビゲイルのものだろう。

 

(……深夜だというのにまだ蒸し暑いのか)

 

 涼しい風は吹いているものの、蒸し暑さはやはり拭えない。私はテントの外に出ると、星々が浮かぶ夜空を見上げた。

 

(あのチェスでの勝負でアイツは……私に『吸血鬼が存在しない世界』という夢を託そうとしたのか?)

 

 考えたところで答えは不明のまま。私は星々を数えていると、背後から草むらを踏みしめる音が聞こえ、ゆっくりと振り返る。

 

「あんた、起きてたの?」

「何か問題でもあるのか?」

「いや、別に問題はないけど……」

 

 立っていたのはアビゲイル。この女は気まずそうにしながらも、私の側まで歩み寄り、急に頭を下げてきた。

 

「何をしている?」

「……ごめん、あんたに謝れてなかった。だからここで謝らせて。本当にごめん。あたしのせいで、あんたの左目は――」

「どうでもいい」

 

 頭を下げられたことで、私はアビゲイルに背を向ける。

 

「えっ? どうでもいいって……」

「私には罪人を咎める資格も、善人を名乗る資格もない。左目を失った原因がお前だとしても私は何も思わん」

「それじゃあ……あんたはあたしのことを許してるの?」

「咎める資格はないと言っただけだ」

 

 私は左目を保護するために付けていた黒色の眼帯を外し、アビゲイルの方へと左半面だけ振り返らせた。

 

「もし私がこの場でお前の左目を抉り出したとしたら、私に怒り狂うか?」

「は? あ、当たり前でしょ!? そんなことしたら誰でも――」

「先に私の左目を奪ったのはお前だ。私から報いを受けるのは当然だろう。随分と身勝手な女だ」

 

 閉じられた瞼を開き、眼球が取り出された空洞を見せつける。そこには義眼すらもない、ただの闇が広がるだけ。

 

「だがそんな愚かな真似をしたところで……何も戻ってはこない」

「……」

「『復讐は何も生まない』という言葉は綺麗事ではないかもしれん。復讐はその者の私怨に過ぎないからな。正確には『復讐は他者の為にならない』という方が正しいかもしれないが」

 

 私は黒の眼帯で左目を覆うと、テントの入り口まで歩き出し、

 

「もう一度だけ伝えておく。私はお前のことをどうも思わん」

 

 そう吐き捨てた後、アビゲイルを臘月(ろうげつ)の元へ置き去り、私は眠りにつくことにした。

 

 

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