原罪と眷属が出没した第五百八十一期生の実習訓練。あの惨劇から一ヶ月が経過しようとしている
「もう大丈夫よ。背骨のヒビも火傷の跡もすっかり完治しているわ。明日から復帰が可能よ」
「そうか」
「それにしても……吸血鬼の再生能力も馬鹿にならないわね」
ケルベロスとの交戦により負った火傷の怪我。原罪である
「だが吸血鬼になった人間は"馬鹿になる"」
「じゃあ、貴方は馬鹿なの?」
「どうだろうな」
私はその場に立ち上がると、脱ぎ捨てた制服のコートを羽織りながら、エイダから窓の外へと視線を移す。
「あぁそういえば……」
「何かしら?」
「あの実習訓練で、アカデミーの生徒は何人死んだ?」
エイダは私に問われると険しい表情を浮かべ、机の上に置かれたカルテ表をじっと見つめた。
「
「多いのは行方が知れない生徒か」
「それも間違いではないわ。けど現状で最も多いのは、遺体を発見できない生徒じゃない。誰なのか判別できない遺体が大半を占めているわ。手足だけじゃ、誰の遺体か分からないでしょ?」
「生徒の半数は死んだ……と解釈していいのか?」
エイダは肯定するように頷く。私はコートを羽織り終えると、エイダが目を通していたカルテ表を手に取り、中身に記載された生徒の顔写真に目を通す。
「……
「彼女の遺体は右腕が千切れていた点を除けば、他の生徒の遺体よりも比較的に綺麗な状態だったわ」
Dクラスにいた女子生徒の顔写真が目に入り、ページを捲る手を止めた。死因は窒息死と書かれている。
「彼女は確かDクラスよね。貴方は彼女と仲でも良かったの?」
「この女とは一度言葉を交わしただけだ」
確か実習訓練の班決めをする前だったか、一度だけ声を掛けられた覚えがある。媚び
「そっ、彼女は名家出身じゃないからてっきり優秀な貴方と交流でも深めているのかと思ったわ」
「名家だろうが平民だろうが、私からすればどうでもいい。それにこの世にいない人間のことを考えても無駄だ」
その接し方はともかくあの女は名家を露骨に敵視する。側に置くだけで不評と注目を浴びるだろう。だからこそあしらった。
「薄情ね」
「合理的と言え」
エイダが先ほど述べていた通り、死因が記載されている生徒はごく一部だ。私は粗方目を通し終えると、カルテ表を机の上に戻す。
「少しいいかしら?」
「何だ?」
「あの炎の力、もう一度見せてほしいのよ」
「……また見せるのか」
私はエイダの前で右手を発火させる。ケルベロスの血の涙を口にしたことで、自由に扱えるようになった獄炎。エイダは燃え盛る私の右手をじろじろと観察し始めた。
「貴方は確かこの力を
「あぁ、私を産んだバートリ卿とやらがそう呼んでいたからな」
「不思議な力ね。貴方の肉体はともかく、制服すら燃えないなんて……。一体どういう仕組みかしら?」
「知らん」
エイダは足元に置かれたゴミ箱の中へ手を入れると、丸められた紙屑を拾い上げ、私の方へ投げ渡した。私はそれを左手で受け取り、エイダと視線を交わす。
「これを燃やせと?」
「いいえ逆よ。その紙を燃やさないように触るの」
「……燃やさないようにか」
私は獄炎に包まれた右手で、丸められた紙屑に触れてみるが、
「燃えてない、わね……」
炎が燃え移ることはなかった。私は右手で紙屑を握りしめてみるが、焦げ跡一つすらつかない。
「じゃあ、次は燃やそうとしてみて」
私は右手で握りしめた紙屑をじっと見つめながら、"燃やす"という意識へ変えてみれば、紙屑はあっという間に灰へと変わる。
「害を成すか成さないかの条件は……"貴方の意識"ってところかしら」
「だろうな」
「最後に私が貴方の腕に触れてみるわ。燃やさないでよ?」
「善処する」
私の右腕を纏った炎に触れようとするエイダ。私は燃やさないよう意識をしながら、その光景を眺めていれば、
「熱ッ!!?」
獄炎が飛び火し、エイダはすぐさま伸ばしていた左手を引っ込めた。
「……貴方、ちゃんと意識してた?」
「意識はしていた」
「本当に?」
「嘘はつかん」
左手の甲に火傷を負ったエイダは、冷蔵箱から氷袋を取り出して、火傷をした箇所を冷やし始める。
「私が炎に触れない理由が何となく分かったわ」
「その理由は?」
「貴方、他人に興味がないでしょ? きっとそれが原因で、"無意識"のうちに他者を拒んでいるのよ。恐らく信頼における人物じゃないとその炎には触れないわ」
「……否定はしない」
私が信じるものは自分自身のみ。他人に期待などもしない。そうやって何百回と転生を繰り返してきたことで、私は無意識のうちに他者を拒むようになったのだろう。
「はぁ、その力はむやみに使わないことね」
「なぜだ?」
「まず力を発動すると左目が紅くなることよ。アーネット家やレインズ家の人間なら怪しまれないけど、一般的に紅い瞳は吸血鬼だと疑われる可能性が高いの」
厄介な体質が原因となり、吸血鬼共の一味として怪しまれるのも不快だ。私は左目を抉り出そうかと手で押さえた。
「これからはこの眼帯を付けておきなさい」
「……眼帯?」
エイダは黒色の眼帯を私に手渡す。暴発事件に渡された眼帯と同じものだ。
「なぜ付ける必要がある?」
「貴方は左目を過去に失ったのよ? 再生したなんておかしな話じゃない」
「義眼を導入したと言えばいい」
「無理ね。そんなにジロジロと視線を動かしたら、義眼じゃないことが一発でバレるわ」
私は仕方ないと黒色の眼帯で左目を覆った。視界不良だがアカデミー内では付けておくのが利口な判断だろう。
「それとその力は周囲にも甚大な被害が及ぶから気を付けなさい。貴方が心を開いて、私たちのことを信じてくれるなら話は別だけど」
「……それは叶わん」
私がエイダにキッパリと断言すれば、医務室の扉が開き「ちょっといいかい?」とDクラスの担任であるアーサーが姿を見せた。
「アーサー、どうしたのよ? 貴方の怪我は一週間前に完治通告をしたはずだけど?」
「えっと、ポーラ先生やジェイソン先生について、何か進捗があったかなって」
「あぁそういうこと……」
エイダは机の引き出しに入っていた別のカルテ表を取り出し、ペラペラと一枚ずつ捲り始める。
「アレクシアさん。今更だけど、その炎は一体……」
「お前は気が付いているはずだ。私の肉体に吸血鬼の血が流れていることぐらい」
「じゃあ、その炎は災禍……なのかい?」
「災禍かどうかは分からん。ただこの力の名称は
アーサーは獄炎を纏う私の右手を神妙な面持ちで眺め、胸元に飾られた銀の十字架を片手で握りしめた。
「上の人間に報告をするか、それともお前自身が私を殺すか。どちらを選ぶのかはお前の自由だ」
「……アレクシアさんの肉体が例え吸血鬼だとしても、君は僕の大切な生徒だ。エイダ同様、上に報告もしないし、君を殺したりしないよ」
「この女はともかく、お前は銀の階級を背負う男だろう。そんな男が私に肩入れをするなんて、どうにも奇妙な話だ」
「君の肉体は吸血鬼かもしれない。でも君は人の心を持っている。だからキリサメくんやアリスさんたちを助けたんだ。僕はその人の心を信じるよ」
私は右手の獄炎を消し「安直な考えだ」とアーサーから視線を逸らす。
「ポーラとジェイソンの情報は届いてないわよ。きっとまだ遺体すら見つかっていない状態ね」
「そっか。調べてくれてありがとうエイダ」
Aクラスを担当していた
「あの日からもう一ヶ月よ。これだけの月日が経過しても尚、あの二人は見つからないの。そろそろ引きずるのはやめた方がいいわ」
「うん、分かってる。けどね、やっぱり変に期待しちゃうんだ。ポーラ先生やジェイソン先生が生きているんじゃないか……って」
「アーサー……」
「銀の階級に上がってからは、よくルーク先生たちに面倒を見てもらったから。どうしても、生きていてほしくて……ってアレクシアさん!」
アーサーとエイダが話をしている最中、私は口を閉ざしたまま、医務室を出て行こうとすると、アーサーが慌てたように私を呼び止めた。
「何だ?」
「明日、教室で待っているからね」
「……あぁ」
私は曖昧な返答をし、医務室を後にする。
(明らかに生徒の数が減っているな)
自分の部屋へと戻る道中、静寂に包まれた廊下と寂れた食堂や寮の内部に、私は生徒が大半消失したことを改めて実感した。
「おやおや? アレクシア・バートリさんじゃないですかぁ!」
私の名を呼んだ人物は
「アレクシア・バートリさんは生きていたんですねぇ! しばらく姿が見えなかったので、てっきりくたばったのかと思いましたよぉ!」
「私が生きていてガッカリしたか?」
「いいえいいえ! むしろアレクシア・バートリさんが生きていて嬉しいですよぉ! 私の目に狂いがなかったということなのでぇ!」
ナタリアは私の両手を握りしめ、上下に激しく揺らした。しかし途中で何かに気が付いたのか、私の右手に視線を向けたまま、その場で硬直する。
「おやぁ? 右手がとっても熱いですが、手を熱湯で洗ってきたんですかぁ?」
「人間の肉体はどれだけ熱に耐えられるのかを試そうと、ついさっき右腕を燃やしてきたからな」
「そうなんですかぁ! それで何度耐えられたんですかぁ?」
「七十度ぐらいか」
「いいですねぇ! 私も試してみたくなりました!」
私が適当な答えを返すと、ナタリアは私の両手をパッと放し、その場で身体の向きを変えながら、辺りをグルグルと見渡していた。
「あぁそうだ。お前はステラ・レインズという女を知っているか?」
「はいはい! レインズ家の始祖ですよねぇ?」
「その始祖のことを、お前たちレインズ家の人間はどう考えている?」
「あの連中は『レインズ家の誇りに懸けて粛正する』と言ってましたよぉ。あっ……私は誇りにも始祖にも興味がないです」
ナタリアは本当に興味がないらしく、すんっとした真顔でそう返答する。
「そんなことよりも聞いてくださいよぉ! 私、実習訓練で"頭が二つ生えた犬"に会いましてねぇ!」
「……"頭が二つ生えた犬"?」
「そうですそうです! しかもベラベラ喋るし、名前も付いていてぇ……! あぁ確か『オルトロス』と名乗っていましたねぇ!」
「……オルトロスか。奇妙な犬だな」
「はい! ですがもう殺しました!」
楽しそうに喋りながら、右手の親指を下に向ける。一ヶ月前に『"二つ首の獣"を生徒が始末した』とティア・トレヴァーの口から聞いてはいたが、
「あの犬は中々強かったですねぇ! 今まで戦ってきたどんな犬よりも強かったですよぉ!」
(……もう一匹を殺したのは、やはりコイツだったか)
オルトロスを葬ったのはナタリア・レインズらしい。そもそもケルベロスと同族の時点で、生徒が敵う相手ではない。
「あの犬、斬っても斬っても怪我が治るんですよぉ! 力も大木をへし折れるぐらいに強くてですねぇ!」
「その犬とはどう戦ったんだ?」
「ずっと殴って、ずっと蹴って、ずっと斬りましたよぉ。そうしたらいつの間にか倒れてましたねぇ」
ただし──この戦闘狂だけは生徒の中でも規格外、いやレインズ家で括った方が良いだろうか。私は目の前で、宙を殴ったり蹴ったりしているナタリアを黙って見つめていた。
「あっ! ではでは、食堂でお湯を沸かしてくるので失礼しますねぇ!」
ナタリアは思い出したかのように私へそう伝えると、全力疾走で廊下を駆け抜けていく。私は振り返らず、そのまま自室へと戻り、明日に備えることにした。