シャーロットと交渉をした三日後。私は要求された通り、貴族の見世物となるための対人戦について、空き部屋にて召集を受けていた。
(何だ。誰もいないのか)
アーサーから召集場所を教えられ、空き部屋に訪れてはみたものの、まだ誰一人として集まってはいない。私は気だるさにより鉛のように重くなった身体を、近くに置かれた椅子へ腰かけ、休ませることにする。
「五分前集合か。大変熱心なことだ──アレクシア・バートリ」
「誰だお前は?」
壁に飾られた時計を眺めていると、空き部屋に紫髪の男子生徒が姿を見せる。片手には分厚い本、顔には片眼鏡。いかにも"頭脳派"らしい容姿だ。
「私は"セバス・アーヴィン"という名だ。それ以上は何も言う必要はあるまい」
セバス・アーヴィン。
名家であるアーヴィン家の血を継ぐ人間。瞬間、私の脳裏にアーヴィン家の始祖と対面した記憶が蘇る。
『"お嬢ちゃん"、止めた方がいいすよ。あんた一人であの数の吸血鬼は相手できないと思う。……知らんけど』
『"怠慢男"、私に指図するつもりか?』
『指図というか、忠告なんすけど。……割とマジで』
『お前は忠告できる立場の人間ではないだろう』
アーヴィン家の始祖は私のことを"お嬢ちゃん"と呼んでくる男。この男はまともに動くことが少ないうえ、だらだらとしているため、私は"怠慢男"と呼んでいた。
「まさかだとは思うが、お前がもう一人の被害者か?」
「不正解だ。私は対人戦に出場する二名の生徒に、説明をするためここへ訪れた」
「説明役か。なら私の相手は誰だ?」
「いずれ分かる」
数分も経てば扉がゆっくりと開く。私は椅子に座りながら振り返り、その人物の姿を確認してみれば、
「ここで合ってる?」
「あぁ、間違いではないが……」
前に早朝からティア・トレヴァーと話をしていた女子生徒だった。確か"サラ"と呼ばれていたはずだ。
「集合時刻を破る寸前だったな」
「破る寸前であって、破ってはいないでしょ?」
「致し方のない性格だ」
不機嫌なセバスへ「遅刻していない」と主張したサラは、時計の時刻を顎で指し示し、私の隣に腰を下ろす。
「さて……今回対人戦に出場してもらうのはアレクシア・バートリ、そして"サラ・トレヴァー"の二名だ」
「アレクシア・バートリ……。あなたって総合成績で一位の生徒よね?」
「そうだな」
「ふーん、結局はあなたに決まったのね」
納得するような反応を見せるサラ。私はその反応に眉をひそめる。
「結局はだと?」
「話は多少逸れるが、私が説明する。仮にアレクシア・バートリが出場しなかった時、この場にいるのはナタリア・レインズとなるはずだったのだが……」
「アイツ、私とは戦いたくないって辞退したのよ」
「辞退?」
「彼女の言い分は『私よりも弱い人とは戦いたくないです』というものだ」
ナタリアからすればサラとは既に訓練の分野で、自分よりも下だと格付けされている。あの性格からするに強者と戦うことにこだわるため、当然のように断りを入れるだろう。
「なるほどな。そこで『ならば誰と戦いたいのか』と聞いた時に上がった名前が私だったのか」
「その通りよ。アイツはあなたと本気で戦うことを求めた。けど分かるでしょ? この対人戦は本気の殺し合いじゃないことぐらい」
「あぁ、あの女ではとてもじゃないが見世物にはならんな」
「だから私があなたの相手として選ばれたのよ」
「ナタリア・レインズは問題児。目的は貴族たちに披露すること。この過程から考察すれば、この組み合わせが妥当な判断だと私は結論付ける」
手加減を知らない。空気が読めない。優先するは自分自身。この三拍子が揃う時点で、ナタリアが候補から外れてもいい。
「そういえばあなた、その片目はどうしたの?」
「それぐらい察しろ」
「……ご愁傷様」
私は片目について深くは説明をせず、サラ自身に解釈をさせる。その様子を眺めながら、セバスは手に持っていた本のページとページの隙間から二枚の紙を取り出すと、私とサラへ一枚ずつ手渡す。
「話が逸れた。軌道を修正し、当日について説明をさせてもらおう」
「ええ、お願い」
「実習訓練の対人戦とは少しルールが違う。まずは一本先取だったのが、三本先取に変更された」
「判定はどうなる?」
「そこに変更はない。武装は"模擬刀"とプラスチック球形弾の"銃"の二つ」
「……木刀じゃないのね?」
「詳細は不明だが、貴族は模擬刀をご所望なのかもしれない」
渡された紙に記載された当日の流れを確認していると、とある文章に視線が止まった。
「この『一本ごとに十分以上の時間を掛ける』というのは何だ?」
「"十分以内に決着を付けるな"ということだ。三十分以上はお前たちに対人戦を続けて欲しいのだろう」
「ほぼ八百長に近いわね」
「あくまでも目的は貴族を楽しませることか。つまらん見世物だ」
真剣勝負ではなく、貴族たちを盛り上がらせるための対人戦。これではまるで貴族たちの玩具、愚にも付かぬ話だ。
「おおよそは説明をした。疑問点があれば私に質問してくれ」
「私は……特にないわね」
「私もだ」
「ならばこれで解散だ。後はお前たちの健闘を祈ろう」
セバスは説明役の責務を全うすると、早足で部屋から出て行ってしまう。あの男もまた、私たちのように面倒役を押し付けられた立場なのだろう。
「……アレクシア・バートリ」
「何だ?」
「私はあなたに負けないから」
「……八百長の対人戦に、勝敗を競うほどの価値はないだろう」
「知らないの? この対人戦を見に来るのは貴族たちだけじゃないわ。あの十戒たちや皇女様だって見に来るのよ」
サラは椅子から立ち上がると、
「私にとってこの対人戦は、実力を披露できるチャンスにもなる。あなたに勝つことができれば、お姉ちゃんもきっと私のことを……」
「お前の姉はティア・トレヴァーなのか?」
「ええ、私のお姉ちゃんは十戒のティア・トレヴァーよ」
「数日前、朝方に口論をしていたな」
「……あなた、見ていたのね」
サラは私に盗み聞きされたことに対して不快感を露にする。しかし秘めている想いを抑えきれないのか、私に向けて淡々とこんな話を始めた。
「私はトレヴァー家の血を継いでいる。今すぐにでもお姉ちゃんのようになって、吸血鬼たちと戦わないといけないのに……」
「……」
「お姉ちゃんは、私を認めてくれない。アカデミーに入学する前から、私をリンカーネーションから遠ざけようとして……」
「遠ざける、か」
「だからこの対人戦は、私が戦えることを証明するいい機会なの。五百八十一期生を代表するあなたに勝てば、お姉ちゃんも私のことを認めてくれるはず」
話だけ聞いていれば、サラ・トレヴァーはどうも生き急いでいるように見える。恐らくは名家としての重荷を抱えているのだろう。
『キャハハッ、またリリアンと会っちゃったね"自己顕示欲"!』
『私に何の用だ"虚言癖"。また下らん話でもしに来たのか?』
『バーカ! 脳みそミジンコ以下のお前が、ここでくたばってないか見物しに来ただけだしー!』
『勝手にしろ。私はお前の死に目など興味はないが』
脳裏に過るのはトレヴァー家の始祖である"リリアン・トレヴァー"との会話。見栄を張るために嘘をつくことから、私はコイツを"虚言癖"と呼んでいた。そして向こうは私が目立ちたがり屋だと認識していることから"自己顕示欲"と呼んでいる。
「長話をしてもらったところ残念だが……」
「……?」
「私はお前の求める勝利の意味に興味がない」
「は、はぁ?!」
私は椅子から立ち上がり、声を荒げたサラと向かい合う。例えこの女が名家の重荷を抱えていようが、姉に認めてもらおうとしようが、私には関係のないことだ。
「だから──勝敗などどうでもいい」
「……!」
「お前が勝ちたいのなら勝てばいい」
「……」
「勝つのは簡単だ。私を倒すだけ。たったそれだけでお前の求めた勝利と、周囲の人間からの承認を手に入れられる」
私は態度を示し、サラの真横を通り過ぎる最中、
「ただお前が懸念すべきは──」
すぐ隣で歩みを止めると、
「──その安易な考えだ」
そう呟きながら、空き部屋を後にした。
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「やっぱりここにいたか」
「カミル。今日は目覚めが早いな」
「俺だってこんな時間に起きたくねぇよ。だが急に部下から伝達が来たもんでな。それをお前に報告しに来たんだ」
「ほう、内容は?」
カミル・ブレインは手に持っていた報告書を見ながら、ヘレンに向けてこう読み上げる。
「"ドレイク家"の夫妻が容態を崩した。当日、グローリアの会場には来れないとのことだ」
「容態を崩した……。それは大変だな」
「この連絡と共に、ドレイク家から"派遣要請"も届いた」
「派遣要請?」
「館の住人が消える──"失踪事件"が起きているらしい」
「失踪事件……」
ヘレンはカミルから報告書を受け取ると、一文一文をじっくりと眺めながら、表情を険しくさせていく。
「ちなみだが、ドレイク家の人間は食屍鬼か吸血鬼の仕業だと主張している」
「……」
「だがまぁ、ドレイク家からはいい評判は聞かねぇ。まだ分からんが、失踪という名の"家出"じゃねぇか? T機関から銅の階級を数人派遣させれば解決する気もするが……」
「どうだろうか。ここは暇な私が一度顔を出した方が──」
「馬鹿言うな。お前はドレイク家の人間に嫌われてるだろうが。館にも入れてもらえないぞ」
「しかしだな……」
「皇女、お前は大人しくしてろ。前のような"いざこざ"をまた起こすつもりか?」
カミルはヘレンから報告書を奪い返し、制服の懐に仕舞う。
「カミル、私はあの一件が間違っていたとは一度も思ったことがない。今でも正しかったと自信を持って言える」
「あぁ、お前は間違っていなかっただろうな。だが"やり方"が間違っていた。流石に一人で突っ走りすぎだ。せめて俺と足並みを合わせろ」
「……すまない」
ヘレンが苦笑交じりに謝罪の言葉を述べる姿。それを目にしたカミルは、重い溜息をついて、会場から立ち去ろうと出口まで歩を進める。
「あぁ忘れていたことがある。ここには書いてねぇが、武器庫から"武装の一部"が消えたらしいぜ」
「消えた?」
「しかも一ヶ月以上も前にだ。管理書に書かれた数と実際の数が合わないらしい。俺は"不法な輸出"だと睨んでいるが……この件もこっちで洗っておく」
「ありがとう」
ヘレンは感謝の言葉を述べ、あることを思い出し、カミルへこう呼びかける。
「カミルも見に来るんだろう?」
「……貴族たちのお遊びのことか?」
「そうだ、数日後に控えた対人戦。アレクシア・バートリとサラ・トレヴァーが出場する」
「トレヴァー家の人間と、後はアイツか。」
「アレクシア・バートリが扱うであろう逆手持ちの剣術と剣技。カミルの目でブレイン家のものなのか見極めて欲しい」
「……気が乗ったらな」
カミルがそう返答し会場を後にすれば、会場に差し込んだ朝日の光が、ヘレンを僅かに照らしていた。