緑色の食屍鬼らしきナニカは、書斎室の壁へと張り付くと、私の周囲をぐるぐると高速で這いずり回る。私はナイフを構えながら、まずは相手の情報を外見で憶測することにした。
「クカ、カカッ、カカカッ──」
(緑色の食屍鬼など今まで遭遇したことがない。つまりコイツはこの時代に産まれた"新種"だが……)
天井から飛び降りながら、こちらへ掴みかかろうとする緑の食屍鬼。私はその頭部にナイフを深々と突き刺すと、地面へと叩き落とし、首元を右足で押さえつける。
「クカカカカッ!!」
(……眼球がないだと? ならばこいつはどうやって私の居場所を察知している?)
緑の食屍鬼の目玉はほじくり返され、そこには真っ黒な穴が続くだけ。肌はざらざらとし、鳴き声から感情は汲み取れない。やはり私の知る食屍鬼とは異なるものだった。
「クカッ、クカカカッ、クガッ!!」
「……!」
私が観察していれば、首の関節があり得ない方向へと曲り、蛇のように首が伸びると、私の右脚へ頭部が噛みつこうとする。
「クゲッ──」
私はその場で飛び上がり、伸びてきた頭部を両足で挟み込むと、身体を一度大きく回転させながら首の皮ごと捻じり切った。
「クカ、クカカッ!!」
「邪魔だ」
「クゲゲッ──」
転がる頭部からナイフを引き抜き、窓際まで蹴り飛ばす。緑の食屍鬼の頭部は書斎室の机に衝突し、面影がないほどまで後頭部がへこんでしまっていた。
(どちらにせよ、杭が無ければ食屍鬼は殺せんが……)
視界の隅に映ったのは一本の銅の杭。レイモンドが混乱していたときに落としたもの。私はそれを拾い上げると、切り離された肉体まで近づき、
「貴様は運が悪かったな」
「クゲッ、クカカカッ──」
緑色の食屍鬼の心臓部分に銅の杭を深々と突き刺した。すると奇妙な鳴き声を上げながら、徐々に大人しくなっていく。
(……部屋に戻るべきか)
私は靴底で銅の杭をもう一度だけ押し込み、書斎室の床まで貫通させる。奇妙な食屍鬼だったと疑念を抱きながら、視線を逸らした瞬間、
「クカカカッ!!!」
「……!」
トドメを刺したはずの肉体が私の右脚を両腕で掴み、その怪力で強引に握りつぶそうとする。
「なぜ生きている?」
私はナイフで両腕の手首を斬り落とし、すぐさま距離を取る。食屍鬼とは比べ物にならないほどの怪力。おかげで右脚の脹脛の筋肉が痙攣を起こしていた。
「クカッ、クカカカカッ──」
切断された頭部はゴロゴロと床を転がりながら、肉体へと近づき、切断された個所同士であっという間に接着をする。
「クカカカカッ!!」
(男爵か子爵ほどの怪力に再生能力。やはりコイツは食屍鬼とは思えん)
再生すればすぐに襲い掛かってくる。今度は這いずり回ることなく、真正面から堂々とだ。
(食屍鬼と素早さは変わらんが……)
私は頭部をナイフで縦と横で一度ずつ斬り裂き、半身で飛びかかりを回避したのだが、
「クシャッ──」
「……ッ」
緑の食屍鬼の全身から"触手"のようなものが伸び、私を包み込むようにして四肢と胴体を拘束した。
「クカカカッ!!」
「これは、植物の"
よく見てみれば、触手ではなく"植物の蔓"。私は引き千切ろうと試みるが、まったく千切れない。蔦一本一本が吸血鬼並の怪力を持ち、まるで数十匹の吸血鬼に押さえ込まれているかのようだった。
「クカッ、クカカカッ!!!」
「……!」
緑のコイツは私の両肩を怪力で掴めば、自身の頭部をパックリと四つに割った。見た目はまるで花弁だが、鋭い牙が生え、涎らしきものが付着している。これは獲物を捕食する者の口だ。
「カッ、クカカカッ!!!」
「チッ……」
コイツは私の胸元までその口を近づけてくる。一度噛まれれば、突き放すこともできず、延々と貪られ続けるだろう。私は打開策が見つからず、その場で舌打ちをすると、
(──使うしかないか)
「クギャギャギャッ!!?」
やむを得ず血涙の力で自身に獄炎を纏わせ、コイツ諸共炎上させながら強引に蔓を焼き切った。ソイツは炎上すると、仰向けに倒れ、床で苦しみ悶えながら転がり始める。
(……植物の蔓と、あの花弁のような口。そして肉体の関節を無視した攻撃。間違いないコイツは──)
「クギャッ、クギャアァアァッ!!!」
(──"寄生型"の食屍鬼だ)
やっと苦しみに近い悲鳴を上げ、真っ黒に焼き焦げた死体が転がった。私は血涙の獄炎を解除し、焼死体を遠目で眺め、
(これは、面倒なことになるな)
落ちていた本と手帳を拾い上げ、書斎室を飛び出す。私ですら振り解けない拘束。食屍鬼だと舐めてかかった人間がアレに一度捕まれば、確実に喰われるだろう。
「待ってレイモンド!!」
「……?」
大広間の階段から一階へ駆け下りようとしたとき、西館の方角からシビルの声が聞こえてきた。
「クソォッ!! こんなのやってられるかよぉ!!」
すると右肩を押さえたレイモンドが、外へ通じる両開きの扉の前まで駆け寄り、ガチャガチャと扉を乱暴に揺らす。押さえていた右肩は痛々しく抉られ、出血をしていた。
「少しは落ち着きなさい!! まずは治療しないと──」
「うるせぇ!! こんな館にいたら、殺されちまうだろうがぁッ!!」
「どういうこと!? 何があったのかちゃんと説明を──」
「クソ!! クソォッ!! なんで、なんで開かねぇんだよぉ!?!」
シビルが落ち着かせようと
「開けろぉ!! 開けやがれぇえぇッ!!」
「何があった?」
「あなた、今までどこに……」
「クソォ!! こうなったらぁ……!!」
私は階段を駆け下り、シビルに声を掛ける。するとそんな私たちを他所に、レイモンドはルクスαを鞘から抜くと、両扉を斜めで真っ二つに斬り裂き、
「な、なんだよこれ……?」
そこに広がっていた光景に目を丸くした。
「これは、どういうことかしら」
「……"蔓"だと?」
扉の先にはびっしりと"
「ク、クソォ!! 邪魔なんだよぉ!!」
「待て、そいつを斬っ──」
私は嫌な予感がし、斬ることを静止しようとした。だがレイモンドの剣は止まることなく、太い蔓に斬り込みを入れ、
「うぎゃぁあぁああッ!?!」
太い蔓の汁が周囲に飛び散り、その何滴がレイモンドの顔に降りかかった。私とシビルはすぐに距離を取る。
「あぁあぁッ!! お、俺の、俺の顔がぁあぁあッ!!」
レイモンドの顔がみるみるうちに溶けていく。肌が溶け切り、筋肉が見え、骨まで到達する。
「レイモンド!」
「待て、アイツに近寄るな」
「でも……!」
「強力な"酸"だ。お前も溶けるぞ」
太い蔓の汁は、石の床すらも溶けるほど強力な酸効果を持っていた。レイモンドの顔に降りかかった汁は、ついには顎と顔を繋ぎとめる頬を溶かし尽くし、顎の肉塊がボトッと床に落ちる。
「あがッ……シ、シビ……ル……だすけ……ッ」
「ッ……!!」
「どうせ助からん。今のお前があの男にしてやれること……それは分かるだろう?」
「分かって、いるわよ」
レイモンドはうつ伏せに倒れ込み、助けを求めた。シビルは歯軋りの音を立てると、ディスラプター零式を構え、
「ごめんなさい、レイモンド」
レイモンドの額に向けて発砲し、自らの手でトドメを刺す。助からない者への情け。それは痛みによる苦しみからの解放だ。
「……部屋に戻るぞ」
「……」
「おい、聞いているのか?」
「……ええ、聞いているわよ」
「ここに長居はできん。銃声も立てた以上、ここにいると──」
「クカカカッ」
あの奇妙な鳴き声。私は周囲を見渡しながら、レイモンドのルクスαとディスラプター零式、そして"銅の杭のホルスター"と"とある遺品"を拾う。
(もう再生しているのか)
太い蔓への斬り込みは残っていない。数秒の内に再生をしたようだ。
「クカカッ、クカカカカカッ!!!」
「この声、一体何が……」
(……数が多すぎる)
二階に数匹、一階にも数匹あの寄生型がいる。この暗さでは人間のシビルの目には見えない。私は武装を身に付けると、シビルの背中を西館の方角へ軽く押した。
「西館まで退くぞ」
「あなたには何が見えて……?」
「黙れ。死にたくないのなら西館まで全力で走れ」
シビルは静かに頷くと、その場から西館のキリサメたちがいる客室まで駆け出す。私もその後に続いて、後方を確認しながら西館まで走り出した。
「カカカカカッ!!!」
「ねぇ、アレはなに!? 食屍鬼なの!?」
「喋るな。走れ」
四足歩行で壁や天井を這いずる寄生型の食屍鬼。このままではキリサメたちの部屋まで連れて行くことになる。
「ちょっと!! 何をするつもり!?」
「だから喋るなと──」
私は少しだけ走る速度を落とし、アピールするように天井を這いずって追いかけてくる一匹に隙を見せ、
「カカカッ!!」
「──言わなかったか?」
こちらへと飛びかからせた。そして相手の手が私へ触れる寸前、ルクスαをその顔に突き刺し、レイモンドの遺品として拾得したマッチに火を点け、
「失せろ」
「クガガガッ!!?」
口の中へ放り込み、瞬く間に炎上させる。私は炎上している寄生型から剣を引き抜くと、回し蹴りで吹き飛ばし、後続にいた寄生型へとぶつけた。
「クカカカカッ!!」
「カカカッ!!」
(やはり"火"が弱点か)
廊下に燃え盛る仲間が転がると、数匹の寄生型はその場に足を止めてしまう。私はシビルの後を追い、何とかキリサメの部屋へと駆け込んだ。
「どうしたのよ? そんなに焦って?」
「扉を塞げ」
「塞ぐ? それはどういうことかね? 数分前、銃声が聞こえもしたが……」
「いいから早く塞ぐの! ベッドでも本棚でもいいから運んで!!」
シビルの気迫に押されたサラたちは理解が及ばない状況でも、言われた通りベッドやら本棚を扉の前まで運ぶ。
「……それで、一体何が起きたのだね?」
「面倒なことになった」
「面倒なこと? 何があったのよ?」
「これを読めば分かる」
私は扉の近くで背を付け、手に持っていたルクスαを鞘に納める。サラは怪訝そうにこちらへ視線を向け、説明を求めてきた。私は書斎室で拾った茶色の手帳を投げ渡す。
「……これは」
手帳に書かれた日記を私以外の全員が黙読をし、事の重大さをやっとのことで理解する。
「ここに書かれた化け物っていうのが、さっきの奴らのことね?」
「あぁそうだ。私が書斎室でその手帳を見つけたときに初めて襲われた」
「その化け物とは、一体どのような姿をしているのだね?」
「見た目は緑の食屍鬼。だがヤツらの心臓に杭を突き刺しても死なん」
「……死なないとは?」
「ヤツらは植物に寄生された"寄生型の食屍鬼"だ。肉体から触手のように蔓を出し、獲物を拘束し、花弁のような頭部で人間を喰らう。その力も吸血鬼並の怪力だ。そんな連中が館を徘徊している」
「寄生型……」
私が寄生型の食屍鬼について説明をすると、キリサメが何か思ったことがあるようで、険しい表情を浮かべていた。
「あれれ? アストレアさんが追いかけたワーナーさんはどこにいるの?」
「あの男は死んだ」
「は?」
しかし私がレイモンドの死を告げた途端、キリサメの表情が呆気にとられたものへと変わる。
「レイモンドさんが死んだ? そんな、嘘だろ……?」
「ううん、バートリさんは嘘をついてないよ」
「クライド、少し黙ってなさい」
空気の読めないクライドをサラが黙らせ、シビルはキリサメの側まで歩み寄り、左肩に手を置いた。
「ごめんなさい。私が、止められなかったから……」
「……」
「銃声はあの男を楽にさせるためにその女が発砲した」
「……」
返事もできないキリサメ。静まり返る客室で、クライドが何かを思い出したように「あっ」と声を上げる。
「みんな揃ったみたいだし、僕から東館について報告するね」
「あなた、こんな状況で今更そんな報告──」
「えっと、ドレイク夫妻は"死んでた"よ」
「──え?」
その場にいる者たちの表情が固まる。クライドは特に気にする様子も無く、東館を調査していた時のことをこう話した。
『うーん、出てこないなぁ』
ドレイク夫妻が部屋から出てくるところを狙い、声を掛けようとひたすらに廊下の角で待っていたクライド。しかし一向に姿を見せなかったらしい。
『もしもーし、ドレイク夫妻ー?』
その結果、クライドは痺れを切らし扉を何度もノックしたが、
『すまないが体調が悪くてな。後にしてくれないか』
『うん、知ってるよ。でもお話しが聞きたいんだ』
『そこにいる"ウェンディ"に聞いてちょうだい。私たちは喋れる気分じゃないの』
『うん? フローレンスさんは近くにいないよ?』
二言ほどの返答以外に何も答えてくれなかったと。クライドは諦めずにもう一度ノックをし、話を聞こうとした。
『もしもーし、ドレイク夫妻ー?』
『すまないが体調が悪くてな。後にしてくれないか』
『うん、さっき聞いたよ。でもお話しが聞きたいんだ』
『そこにいる"ウェンディ"に聞いてちょうだい。私たちは喋れる気分じゃないの』
『うん、ここにはいないんだけど?』
それ以降の返答は無し。これには流石のクライドもそこで何かがおかしいと感じたらしい。
『失礼するよー』
そして躊躇もなくドレイク夫妻の部屋の中に入った。
『こんにちは、ドレイク夫妻。僕はクライド・パーキンス。気軽にクライドって呼んでくれていいよ』
『……』
『あれ? ドレイク夫妻、頭にお花が咲いてるよ?』
『……』
『もしもーし? ドレイク夫妻ー?』
頭に綺麗な花が生えたドレイク夫妻が椅子に座っていた。クライドは何かの冗談かと近くまで歩み寄り、
『あれ? 死んでる?』
"腐乱死体"が座らされていたことに気が付いたらしい。
「うん、まさかドレイク夫妻が死んでるとはね。僕も驚いちゃったよ」
呑気に東館での出来事を語るクライド。これにはサラも堪え切れず、クライドの胸倉を思わず両手で掴み上げる。
「あんた、何でそれを先に言わないのよ!?」
「だって順番に報告って言ったでしょ? 西館と本館で次はやっと僕の番だって思ったら、バートリさんがお花摘みに行っちゃうし……」
「……真の問題児はアレクシア・バートリではなく、このクライド・パーキンスという生徒だと、今の過程で結論付けた」
「あ、どうもありがとうー」
呆れ果てたセバスに頬をピクつかせるサラ。シビルは空気を変えようと何度か手を叩き、全員の視線を注目させる。
「今はこれからのことを考えるべきよ。この館から脱出するか、それともこの部屋で助けが来るまで待つか。どちらの方針にするかを決めましょう」
「……どちらも不可能だな」
「どうしてそう言い切れるのよ?」
私はシビルへそう断言すると、ルクスαを握りしめて白い客室の壁を斬り裂いた。
「これが答えだ」
「……何だこれ?」
壁の向こうには太い蔓が敷き詰められ、一定のリズムで脈を打つ。それを見たキリサメは目を疑っていた。私は次に床へ剣を突き刺し、その板を剥がす。
「まさか……」
「そのまさかだ。この館自体が既に寄生されている。失踪事件の根源であるこの"植物"によってな。どうりでどこにいても視線を感じたわけだ」
シビルが思わず息を呑む。ドレイク家の領土に足を踏み入れてから、延々と感じていた視線。その正体はこの"植物"。壁や床にまで寄生していたのなら、この館のどこにいようが監視から逃れることはできない。
「外へ通じる窓も扉も……すべてこの蔓に封じられている」
窓のカーテンを開けば、案の定外へ出られないよう太い蔓に覆われていた。
「厄介なことにコイツの汁は強力な酸の効果がある。更に何度斬り裂いても高速で再生する。下手に強行突破はできん」
「……ここで待機はできないのかね?」
「もし仮にだが、この植物から寄生型の食屍鬼が這い出てきたらどうする? 他の部屋へ避難をするか? ……無理だな、この植物に囲われた館だ。どこにいても必ず襲われるだろう」
「じゃあどうするのよ? あなたには何か考えがあるの? アレクシア・バートリ」
シビルが私へ他の方針を出すように促す。私は「あぁ」と返事をし、ルクスαを鞘へと納めると、
「殺すしかない──この館のどこかに潜む"黒幕"をな」
シビルたちへ静かにそう告げた。