時計の針を確認する。私たちが部屋へと戻ってきたのは一時頃。現在の時刻は二時半。一時間半も経過したが、シビルは一向に姿を見せる気配がなかった。
「シビルさん、戻ってこないな……」
「既に死んでいるかもしれん」
「お前、そんな縁起でもないこと言うなよ……!!」
そわそわとしていたキリサメが声を荒げる。私はナイフを器用に回していると、セバスがこちらへ視線を送ってきた。
「地下室には行くなと言われたが……どうするのかね?」
「考えがある」
「考え?」
「危険を冒さず、敵の情報を収集する方法があった」
「その方法は?」
問いかけてくるセバスと視線を交わしながら、私はナイフを握り直し、後方の壁へと突き立てる。
「あの使用人を尋問すればいい」
「それはウェンディ・フローレンスのことかね?」
「そうだ。あの使用人はこの館で起きたことも、黒幕である少女のこともすべて知っている」
「その憶測を立てた過程は何だね?」
「あの使用人がこの館で未だに生き延びていることがその証拠だ。……いや、生かされているに近いかもしれん」
十三という若さで、使用人としての仕事もおぼつかない。ウェンディという使用人の生存能力は一目で分かるほど低いだろう。この閉鎖空間に近い寄生型の巣窟で、ここまで生き残れるはずがない。私はウェンディを拘束する作戦を提案し、セバスたちを一望する。
「しかしだ。ウェンディ・フローレンスがどこにいるのか見当がつくのかね?」
「使用人の部屋だろうな」
「でもさ、本館にも西館にも東館にも……使用人の部屋なんて無かっただろ?」
「なら一つだけだ。使用人の部屋がある場所は」
「あなた、まさかだとは思うけど……」
私は答えを示すように、視線を床へと向けた。そう、使用人の部屋は地下室。ウェンディは地下室にいるはず。サラたちは意図を汲み取ると、各々バラバラな反応をした。
「アレクシア・バートリ。地下室を調査するとでも言いたいのかね?」
「そうだ」
「地下室は寄生型の巣窟なんでしょ?」
「あぁ」
「ふむ、そうとなれば考えるべきこともいくつかあっ──」
「待てよ!!」
キリサメがセバスの言葉を遮りながら声を上げ、私たちへ説得するように必死になって話を始めた。
「シビルさんと約束しただろ!? もしものことがあったら、地下室へは近づかないって!!」
「カイト・キリサメ。少しは落ち着きたま──」
「シビルさんに言われた通り、助けが来るまで待ってようぜ、なぁ!? 俺たちはシビルさんの"想い"を無駄にし──うぐッ!?!」
強く反発をするキリサメ。私はこの男の側まで詰め寄ると、胸倉を掴み上げ、背後の壁へと勢いよく叩きつけた。
「な、何すんだよ?!」
「あの女の"想い"とは何だ?」
「は……?」
「あの女の"想い"とは何だと聞いている」
「……」
「答えろ。"想い"とは何だ?」
私は動揺するキリサメの顔を見上げ、何度も同じ内容を問いかける。
「シビルさんは、シビルさんは地下室が危険かどうか、命を懸けて確かめに行っただろ!?」
「あぁ」
「これだけ待っても帰ってこないってことは、地下室は危険だ!! それを分かってるのに行こうとするのは、シビルさんが命を懸けた意味が──」
「"意味がない"、"想いを無駄にしている"。お前はそう言いたいのだろうな」
キリサメの言葉を遮り、私はこの男の胸倉を更に強く掴み上げた。
「なら問わせてもらおう。お前はあの女を想いやれたのか?」
「……どういうことだよ?」
「レイモンド・ワーナーが死んだとき──なぜお前があの女に慰められていた?」
「……!」
「本試験でお前の友人とやらが死んだあの日。私はお前から話を聞いてやった。分かるか? これが情を貸すということだ」
「……」
「だがなぜ、お前があの女に慰められた? レイモンド・ワーナーと付き合いが長かったのはあの女の方だ。本来であればお前が言葉を掛けてやるべきだっただろう。それもできずに何が"想い"だ?」
「……」
「生きている間に想いやれなかったお前が、死人の想いなどを口にする資格はない」
私が次々と言葉をぶつけていくと、キリサメの表情は固まっていく。
「私はお前のような人間を何百人と見てきた。都合よく"想い"やら"友情"やらと言葉で取り繕って"現実"を直視しない──綺麗事に甘えてばかりの人間をな」
「け、けどシビルさんはここで待っていれば助けが来るって言ってただろ!」
「ここに助けが来るのか?」
「あぁそうだ! シビルさんは俺たちにそう言って──」
「ならあの女はなぜこの場にいない? 待っていれば助けが来るんだろう? 本当に助けが来るのなら、地下室へわざわざ乗り込む必要はないはずだ」
「そ、それは……」
小首を傾げながらキリサメを見上げる。キリサメは答えを出せないまま、言葉を失ってしまう。
「よく聞け。今この状況に必要なものは"あの女が死んだ事実"と"地下室へ単独で進むべきではない"という情報だけだ。死人の"想い"など必要ない」
「……ッ」
「お前があの女の"想い"を信じるのは勝手だ。だがそれを私へ持ち掛けるな」
キリサメの胸倉を掴み上げていた手を離し、壁に突き刺していたナイフを引き抜いた。
「うん? 夫婦喧嘩はもう終わりかな?」
「クライド・パーキンス。空気を読みたまえ」
余計な一言を述べるクライドにセバスが苦言を呈する。サラは話が終わったタイミングで、私へ「ねぇ」と声を掛けてきた。
「地下室へ何人で向かうのよ?」
「全員だ。この甘えた男がこの部屋に残ると言わん限りな」
「全員ですって? これでもし想定外のことが起きたら全滅するけど?」
「あの女が独りでは戻って来れないと証明した。少数に分けて偵察に送ったところで、戻って来なければこの状況は何も変わらん。だったら全員で地下室へ仕掛けるしかない」
「それもそうね。じゃあ、全員で地下室へ向かいましょ──」
「シビルシビル~♪ シビル・アストレア~♪」
突如として部屋に木霊する少女の声。私はナイフを構え、サラはルクスαの鞘へ右手を寄せる。
「ワナ~ワナ~♪ レイモンド・ワーナ~♪」
「声の位置はどこよ?」
「知らん」
少女の声の位置を正確に辿ることができない。私たちは部屋の中央に集まり、全員で背を付け合う。
「しーんだしーんだ、全員死んだ~♪」
「うん、嘘はついてないね」
「クライド・パーキンス。嘘かどうかはどうでもいいのだよ」
「次に死ぬのは──」
部屋全体が大きく揺れる。本棚が次々と豪快に倒れ、窓ガラスに次々とヒビが入っていく。私たちはその場でバランスを崩すと、思わず片膝を付いた。
「──"オマエたち"」
「うおっ!?!」
少女の冷めた声と共に部屋の壁と天井が動き出し、私たちの方へと徐々に迫りくる。このままでは押し潰されると私は駆け出し、部屋の扉に手を掛けたが、
(……開かない)
扉の向こう側に障害物でも置かれているのか、何度押し込んでも開かない。嫌な予感がしたため、ナイフで扉を叩き壊してみると、
(やはりこの蔓が邪魔を……)
この館を寄生している植物の太い蔓が露になった。私はすぐさま振り返り、部屋の中を走り回りながら壁や床などに何度も手を触れる。
「ちょっと、これどうするのよ!?」
「俗に言う"詰み"という状況に近いものだが、何か手立てさえあれば……」
「くっそぉ!! どこか、どこか抜け道とかねぇのかよ!?」
キリサメたちも迫りくる壁や天井から逃れようと、部屋の中の捜索を始めていた。しかしどれだけ探しても、部屋から抜け出すための手がかりは見当たらない。
「うーん……」
「呑気な男だな。潰された後のことでも考えているのか?」
部屋の真ん中で棒立ちしながら、天井をじっと見つめるクライド。私はこの男の側まで近づき、同じく天井を見つめた。
「ううん、あの天井って不思議だなぁって」
「不思議だと?」
「あれって、天井自体が下がってきてるのかな?」
「どういうことだ?」
「だって天井自体が下がってきているのなら、上の階の部屋がこっちまで降りてきてるってこと。でもそんな無茶なことしたら、館は崩れちゃうし……」
「……何が言いたい?」
クライドはのんびりと話しながら、植物の蔓に塞がれた出口を指差す。
「うん、天井の向こうで"太い蔓が膨らんでいる"のかなぁって……」
「……」
「この部屋を潰せるぐらい膨らんでいたらすごいよね」
「……なるほど、たまには良い事を言うじゃないか」
私はとある打開策を思いつき、クライドを塞がれた出口まで連れて行く。
「そこのベッドをこっちまで引きずってこい」
「……アレクシア・バートリ、お前は何を思いついた?」
「時間が無い。口よりも手を動かせ」
部屋を捜索しているキリサメたちに、ベッドを出口まで運んでくるよう呼び掛けた。
「身を隠せるよう、ベッドを真横に立てろ」
「はいはい分かった……!」
「お前はルクスαを私に貸せ」
「あなた、何をするつもり?」
「そこで見ていろ」
ベッドの裏へとキリサメたちを控えさせ、私は受け取ったルクスαを鞘から抜き、部屋の中央まで移動する。
「……一か八かだ」
そして駆け出すと付近の壁を大きく蹴って、天井へと斬りかかった。何十回と壁を蹴り、天井を斬り裂く行動を繰り返す。
「見えた」
ボロボロになった天井が崩れ落ちれば、向こう側に膨らんだ太い蔓が何本も目に入った。私は剣の持ち方を逆手持ちへと切り替える。
「ふむ、そういうことか」
「あいつは何をするつもりなのよ?」
「サラ・トレヴァー。最後まで拝むのは止した方がいいだろう。このままベッドの裏で身を隠すことを推奨する」
察したセバスが顔を出しているサラの腕を掴み、ベッドの裏へとしゃがませる。私は横目でそれを確認し、天井の膨れ上がった太い蔓を睨みながら構えを取った。
(剣の斬り込みが入るのは"あの男"のおかげで確認済みだ。斬り込みが入るということは、"皮の耐久性は脆い"ということ──)
私は大きく窓際の壁を蹴って飛び上がると、後方へと一回転し、
「──"溶けろ"」
剣で大きく斬り上げ、膨れ上がった太い蔓を真っ二つに切断した。すると蔓の内側を通っていた強力な酸が滝のように溢れ出す。
「お疲れさん……!!」
着地地点で待機していたキリサメとセバスが飛んでくる私を二人で受け取り、ベッドの裏まですぐに運んでいった。
「私が嫌う乱暴な策だが……この局面では賞賛に値するな」
「乱暴でも生き残れたらそれでいいわよ」
天井、壁、床がグラグラと揺れる。私たちはベッドを押さえながら、部屋の隅でひたすらに収まるのを待つ。
「……揺れが収まったか」
数分経つと客室は静寂に包まれた。私たちはベッドの向こう側へ顔を覗かせる。
「ほう、酷い有様だ」
「気を付けなさい。まだ辺りに酸が散らばってるんだから」
酸が付着している個所に気を付けつつも、部屋の惨状を目にした。滝のような酸を浴びせられた部屋の中央の床は、跡形も無く溶け、その下にある太い蔓さえ完全に溶け去ってしまっている。
(……あの本はもう読めないな)
読み進めていた『悲劇の王女』は酸の被害によりもう読める状態ではない。私は最後の結末まで読めなかったことを惜しく思いながらも、本について忘れることにした。
「おい見ろよ! 部屋から出られるぞ!」
声を上げたキリサメが視線を向けていたのは、塞がれていたはずの出口。どうやら太い蔓は引っ込んだようだ。
「早く出ましょう。また閉じ込められたら面倒よ」
「うん、天井の仕組みも分かったし。この部屋はもういいかな」
「クライド、お前はほんっとに能天気だな……」
私たちは再び閉じ込められないよう、すぐさま廊下まで脱出し、危機を乗り越えられたと一息つく。
「……さっきはごめんな。俺の方がどうかしてたよ」
落ち着きを取り戻せば、先ほどの口論を謝罪するキリサメ。私たちは口を閉ざしたまま、この男へ注目する。
「レイモンドさんが死んでから、ずっとシビルさんに声を掛けようか迷ってた。俺も大事な親友を本試験で亡くしたからさ。平気な顔して、ほんとは辛いんだろうなって思って……」
(……どうりで癪に障る顔をしていたわけだ)
レイモンドが死んだという報告を聞いてから、キリサメの表情は妙に曇っていた。私はこの男の話へただ耳を傾ける。
「けどシビルさんはやっぱりすげぇよな。俺たちの前で弱音を一切吐かなかった。むしろ不安になる俺たちを安心させようとしてくれてさ。俺は声すら掛けられなかったのに……」
「……」
「だから俺も必死になってたんだろうな。シビルさんが残してくれた言葉を大切にしようと、想いを大切にしようと……」
私はサラにルクスαを返し、俯いているキリサメの前に立つと、その情けない顔を見上げる。
「私たちがなぜお前のように、あの女やあの男のことで感情を乱さないか分かるか?」
「全然わかんねぇよ……」
「……これが普通だ。むしろお前は"優しすぎる"」
「俺が、優しすぎる?」
「あの女やあの男とはまだ知り合ったばかり。浅い関係でそこまで情を抱けるはずがないだろう」
私に同意するようにセバスたちも軽く頷いた。前々から感じていたこと。それはこの男があまりにも"優しすぎる"ことだ。どんな人間に対しても一定以上の情を抱く。まるで長い付き合いをしていたかのように。
「偶然にもお前がそういう人間だったのか、それともお前が住んでいた世界とやらでは──"他者に情を抱くのが当然だった"のか」
「……」
「"優しさ"は長所かもしれんが、"優しすぎる"のは欠点だ。新たな人物と出会う度に想いなどを背負っていくとなれば……いつか我が身を潰すことになるぞ」
「……どうすればいいんだよ?」
「知らん。自分の頭で考えろ」
私はキリサメへ一喝すると、本館の方角へと身体の向きを変える。
「……地下室へ向かうのかね?」
「あぁ、おかげでこの選択がより正しいことが証明された」
酸によって散々な客室へ視線を一瞬だけ向け、ゆっくりと歩き出す。
「行きましょ。地下室で何が待っているのか分からないけどね」
「うん、アルフくんも待ってるかもしれないし」
「そういえばいたわね、そんなやつ……」
シビルが向かったとされる地下室。私たちは生き残るために東館へと向かうことにした。