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紅色の花びらは焦げるように枯れ果て、気が付けば彼女は砂浜の上で膝を付いていた。顔を上げればぼんやりと海を眺める男性。海上には真っ赤に燃え上がる太陽が浮かぶ。
「眷属と出会い、新たな力を得て、お前は生き残る。僅かな記憶をまた思い出せたようだな」
「……ここはどこだ?」
「お前が歩む次なる舞台だ」
「舞台だと?」
彼女は立ち上がるとサラサラと煌めく砂浜を踏みしめる。潮風が鼻の前を通り過ぎ、視線を海上へと逸らした。
「アカデミーでの生活も残り少ないため、お前たちアカデミーの生徒はどの機関へ所属するかを決めなければならない」
「……機関への所属か」
「だがしかし、アカデミーを卒業する前にお前は……ロザリアとロストベアの架け橋となる町へと赴くことになるだろう」
「ロザリアに、ロストベアだと? 何の話をしている?」
「大陸の名だ。グローリアを中心とした大陸を"ロザリア"。吸血鬼の領土として支配された大陸を"ロストベア"と呼ぶ」
海上の遠く、真っ赤に燃え上がる太陽の更に遠く。ぼんやりとした陸地が目に入り、彼女は細目でその先を見つめる。男性は砂浜に突いていた杖を軽く持ち上げ、ゆっくりと砂の中へと突き刺す。
「恐怖を抱くだろう」
「……何に?」
「底の知れぬ海に対してだ。人間は測り知れない未知なる領域に恐怖を抱く」
「……」
「そしてあのように飲み込まれてしまうのだ」
海上に浮かび上がるのは人影や船の残骸。彼女は目を凝らして一人一人を観察してみれば、右肩が食い千切られたり、頭部が切断されたり……肉体の欠損が激しい死体ばかりだった。
「恐怖であの
「恐怖は精神を擦り減らし、肉体をも擦り減らす凶器。そこでお前に一つ尋ねてみるとしようか」
「何だ?」
「人間の身体が恐怖に支配されたその時、どのような症状が起こると思う?」
問われた彼女は足元の煌めく砂を右手で拾い上げる。
「他の"モノ"が体外へ吐き出される。誰かを守ろうとする意志も、張っていた見栄も……何もかもが恐怖によってな」
「それで?」
拾い上げた煌めく砂は指と指の隙間からサラサラと足元へ流れ落ちていく。彼女は僅かに残された砂をじっと見つめた。
「たったこれだけが残される。そう、これは人間の弱さの部分だ。表に出さず、隠し通してきた弱さを曝け出すことになる。この弱さに付け込むのが……人間の敵である吸血鬼共だろう」
「なるほどな。いい答えだ」
男性は杖を持っていない方の手で彼女の右手を握る。
「しかし、しかしだ。お前は大きな勘違いをしているよ」
「勘違い?」
「吸血鬼が人間の弱さに付け込むのは正しいが、人間もまた人間の弱さに付け込もうとする。恐怖を与えるのは吸血鬼だけではないということだ」
彼女は男性の手を払いのけ、冷めた眼差しを送った。
「お前は吸血鬼の肩を持つのか?」
「そうだとも」
「吸血鬼共は人間を殺し続けてきた」
「人間も吸血鬼を殺し続けてきただろう」
反抗心を抱いた彼女に落ち着いた声で反論する男性は、持っていた杖を砂浜から引き抜く。
「吸血鬼共は死滅するべき存在だ」
「吸血鬼は人間を死滅させるつもりはない」
「あぁそうだろうな。私たちはエサ、絶滅すれば大層困るはずだ」
永遠と続くであろういがみ合い。その最中で"らしからぬ態度"を取る彼女を男性は嘲笑い、杖の先を顔へと向けた。
「生き急いでいるな」
「何を言って……」
「生き急ぐワケは──『吸血鬼が生まれた原因』を知っているからか?」
「……!」
彼女は向けられた杖から視線を逸らす。男性は更に問い詰めるために、彼女の顔を無理やり杖で自身へと向かせた。
「ラミアという名の花から言われたように、お前は憎しみや復讐を糧として吸血鬼を殺そうとしていない。その心臓に刻まれているのは"責務"……いや、責任感だ」
「……」
「図星か?」
「……」
「……まぁいい、話を戻そうか」
男性は杖を下ろすと、死体や船の残骸が浮かび上がる海上を眺める。
「お前は海峡を渡り、ロストベアと呼ばれる大陸へ向かうことになる。しかしそれを阻むのは……」
男性がそこで言葉を途切れさせると、海を覆い尽くすようにして"白い霧"が立ち込めてきた。死体も船の残骸も、黒色のシルエットとして霧の中で映し出される。
「霧?」
「ロザリアとロストベアを繋ぐこの海峡を渡ろうとすれば、不可思議な霧が立ち込め、二度と陸地へ上がることはできない。町の住民は霧があの世とこの世を繋いでいると恐怖し、この霧を"異界の霧"と呼んだ」
「……異界の霧」
「人間にとって必要不可欠なロストベアとの貿易。それを阻まれることでお前たちはこの異界の霧について調査をすることになる」
気が付けば海上で渦潮が発生し、船の瓦礫や人間の死体が次々と飲み込まれていく。彼女はその光景を眺めていれば、霧の奥で巨大な洞窟のシルエットを発見する。更に奥には六つの頭部らしきものがウネウネと蠢いていた。
「よく思い出せ、お前が歩んだ──アカデミー最後の生活を」
海上で漂っていた霧は陸地目掛けて一瞬で浸食し、彼女の身体を包み込んだ。