ドレイク家の失踪事件。私たちはあの事件からグローリアへ帰還した後、起きたことすべてを報告した。ドレイク家の館が眷属に支配され、二名の人間が殉職し、再び原罪が出現したという事実をすべて。
「……一週間ぶりね」
「あぁ」
Dクラスの教室から姿を現したサラ。私は一瞬だけ視線を交わし、サラが軽く手で押さえた右の脇腹を見る。
「重傷か」
「大した怪我じゃないわ。脇腹の骨にヒビが入った程度、全治二ヶ月ってところね」
「そうか」
私たちがグローリアへ帰還し一週間は経過しているが、サラたちとは一度も顔を合わせていなかった。いや、意図的に隔離をされていたと言った方がいいだろう。このドレイク家の件を嘘偽りなく語らせるためだ。
「……あなたの件は黙っておいたわよ」
「お前がどうなっても知らんぞ」
「黙っているのは私だけじゃないわ。セバスもクライドも……あなたの件について話していない」
「なぜそう言い切れる?」
「取り調べの入れ替わりでセバスに聞いたのよ。『この件の過程からして、隠し通すべきだと判断した』って」
混乱を招くというリスクと命を救われたという恩。セバスはこの二つの点を最重視と考えたのだろう。
「"嘘嫌い"はなぜ黙っている?」
「嘘嫌いってクライドのこと?」
「あぁ、嘘をつくのが嫌いなはずだろう。私の正体を隠し通そうするとは思えん」
「……そっか、あなたは知らないのね」
「何をだ?」
「クライド自身は平気で嘘をつくのよ」
「……『嘘を嫌うのが嘘』ということか」
サラは「どうかしら」と微笑みながら私と向き合った。
「クライドはパーキンス家出身だもの。本当の気持ちも、嘘をついているかどうかも……すべての真偽は不明のまま」
「あの男とは関わるべきじゃないな」
「同感ね」
私が呆れた様子を見せると、サラは横を通り過ぎる際に左肩へ軽く手を置いてくる。こちらへ向けてくるその視線には、露骨な程に"信頼"が込められていた。
「あなたがいなきゃ、私たちはあの派遣任務で死んでいた」
「……」
「改めて感謝するわ。何か力になれることがあったら声を掛けて──アレクシア」
その場を去っていくサラ。私は振り向かず、そのままの流れでDクラスの教室へと入室する。
「……来たか」
「取り調べをするのは"女顔"と"煙臭い"十戒だと思ったが……お前か」
「不満か?」
「不満だな」
「俺も不満だ。てめぇの取り調べなんぞな」
Dクラスの教室で待ち構えていたのはカミル・ブレイン。未だに私へ敵意を抱いている男。私はカミルの向かい側の席へと腰を下ろす。
「てめぇにはストレートに聞かせてもらう」
「……」
「実習訓練と派遣任務に現れた眷属と原罪は──てめぇが引き寄せてるんじゃねぇのか?」
「なぜそう思う?」
「そうとしか考えられねぇ。被害のでけぇ事件は大体てめぇが関与しているだろうが」
鋭い視線で睨みつけてくるカミル。私は睨み返しながら机で頬杖を突く。そんな態度を取る私にカミルは不機嫌な表情を露にした。
「ならお前たちにとってもいい機会だろう」
「いい機会だと?」
「私が眷属や原罪を引き寄せていることが事実だとすれば、私の側に精鋭を控えさせることで原罪や眷属と接触できる。吸血鬼共の情報を求めているのなら尚更だ」
「……利用しろとでも言いてぇのか?」
「最大の敵は公爵を除けば眷属と原罪。脅威となるヤツらを意図的に引き寄せ、迅速に始末ができる。利用するに越したことはない──お前の憶測が事実だとすればだが」
お互いに口を閉ざし、相手の心理を探るような睨み合い。私が自身の潔白を証明したところでこの男の対応はこれからも変わらないだろう。だからこそ私に向けられた疑いを"利用できる方向"へと持っていくようにした。
「騙されねぇよ。てめぇは俺たちを利用する立場になるつもりだろうが」
「……鋭いな」
「原罪と眷属の情報は一握りしかねぇ。てめぇは俺たちが寄越した精鋭に戦わせ、傍観し、情報を得ようとしてやがる。例え──精鋭が死んだとしてもな」
「私が死ねばこの利点を活かせな──」
そう言いかけた瞬間、カミルは私の右肩へと勢いよく手を振り下ろし、とてつもない剣幕で顔を詰め寄らせてきた。
「これは俺の"信条"だが、命に価値の優劣なんてねぇんだよ。他者の命と自身の命を天秤にかけるヤツはアホだ。このリンカーネーションにはそんなアホ共しかいねぇ」
「……」
「てめぇがどれだけ強かろうが、てめぇがどれだけ希少な人材だろうが……百人、千人を犠牲にしていいわけがねぇんだよ。そんなこと、あってはならねぇ」
「それが信条か」
「あぁこれが俺の信条だ。もし今後、てめぇのせいで命を落とす連中が増え続けるようなら──俺がてめぇを殺す」
カミルは怒りを込め最後にそう耳元で告げると雑に突き放し、軽く舌打ちしながら窓際へと移動する。
「……帰還後、俺にシビルの手紙を渡したな」
「あぁ」
「なんて書いてあったか知ってるか?」
「知らん」
「はっ、いいご身分だ」
背を向けて鼻で笑うカミル。私の返答に不快感を覚えているようで、窓の外を眺めつつも右拳に力を入れていた。
「もう行け」
「尋問しないんだな」
「いつかしてやるよ」
「女だから手を出せないのか?」
「女を気取るな。気色わりぃ」
「お前は口が悪いな」
挑発するようにそう返答をし、私は椅子から立ち上がり教室を足早に出る。この後は医務室でエイダの診察を受けなければならない。
(……あの男の推察も一理あるな)
原罪と眷属を私が引き寄せている。この推察は否定できない。実際に実習訓練と派遣任務で立て続けに遭遇しているのだ。もし仮にこれが偶然ではなく必然ならば、私が取るべき選択は──
「やっと来たわね。てっきり診察をサボったのかと」
「聞きたいことがある」
「タイム、まずは貴方に私が色々と質問する時間よ」
医務室の椅子に座らされると身体の隅々を入念に触られる。数分ほど確認をしたエイダは「大丈夫ね」と安心したように向かいの椅子へと腰を下ろした。
「何をしている」
「貴方、この粉に見覚えない?」
エイダが見せてきたものは黒色の粉末が少量詰められた小瓶。私は黒い粉を目にしてすぐに派遣任務での一件を思い出す。
「あぁ、原罪が逃走する際にばら撒いた粉だ」
「やっぱり……」
険しい表情を浮かべながら、小瓶に入った粉末をじっと見つめるエイダ。私が知らぬところで何やらひと悶着あったようだ。
「何があった?」
「……ドレイク家の領土で起きた派遣任務。貴方たちがグローリアへ帰還した後、他の機関が調査するために調査員を送ったの」
「それで?」
「調査員は木々に付着していたこの粉末を吸い込んだ。どうなったと思う?」
「死んだのか」
「不正解、死んではいないわ」
手渡してきたのは一枚の診断書。私はそれらに目を通す。
「……"卵母細胞"と"精祖細胞"の死滅?」
「そう。この粉末を吸い込んだ彼、彼女らはまず最初に下腹部へ激痛が生じた。その痛みが一時間ほど続いて、そのうちピタリと痛みは治まったのよ。何事もなく歩けたし、そのまま調査を続けた」
次にエイダは黒色の粉末が入れられた小瓶を私に手渡してくる。
「けど、その粉末を吸い込んだ調査員の検査をしたら……女性は"卵母細胞"が、男性は"精粗細胞"が死滅していたの」
「……この粉末のせいか?」
「ええ、被害に遭った調査員の衣服にはその粉末が付着していたのと……肌に"黒色の染み"が付いていた」
「だから私の身体を調べていたのか」
エイダは「そうよ」と頷きながらも私が持っていた小瓶を奪い取った。
「空気内で分散するほど細かい粒で、一粒吸い込むだけでも繁殖に必要な細胞を死滅させる。この粉末はとんでもない"毒薬"……いえ、人間の繁殖を衰退させるためだけに作られた"化学兵器"」
「……」
「最も恐ろしいのは死にまで至らせないこと。粉末を付着させた一人の人間から、何百人、何千人の人間たちへ感染させていくように作られているのよ」
短期間で殺すのではなく長期間かけてじわじわと死滅させていく。私が知る限りではどの時代の吸血鬼共よりも"賢い"手段。
「この粉末が原因だとよく気が付けたな」
「"エリザ"が一瞬にして見抜いたのよ」
「誰だそいつは?」
「三ノ戒、エリザ・アークライト。血の繋がった私の実の姉」
「……十戒か」
以前、研究室でシャーロットが見せてきた資料にA機関の主導者の一人と書かれていた。エリザという人物に関してはそれ以外の情報は何一つ知らない。
「どうやって見抜いた?」
「詳しいことは分からないわ。ただエリザは原罪と遭遇した情報を耳にしてからすべてを警戒していた。後はそうね、"自分だったらこの手段を使う"と言っていたわ」
(……ミランダと同じアークライト家の人間だからか)
「エリザはこの一週間で化学兵器に抗体を得られるワクチンを開発した。いずれ全員に接種することになるでしょうね」
エイダは粉末が詰められた小瓶を鉄製の机に置き、ぼんやりとした表情を浮かべ脚を組み直した。
「……シビルやレイモンドは、最後に何か言っていた?」
「レイモンドという男はすぐに死んだ。シビルは『あなたはそのままでいなさい』とアーサーへ遺言を残していたな」
「アーサーにそれは?」
「まだ伝えていない」
「じゃあ私から伝えておくわ。今のアーサーは……相当参ってるから」
苦笑しているエイダ。この女の言う通り、アーサーとはグローリアへ帰還してから一度も顔を合わせていない。あそこまでお節介焼きならば、すぐにでも私たちの元へ飛んでくるはずだ。
「初めてお前と会った時、アーサーとは同期だと言っていたな」
「えぇ」
「あの二人はお前の名前を一度も出さなかったが、交流はなかったのか?」
「こう見えても私、昔は引っ込み思案だったのよ。そんな私にアーサーだけが声を掛けてくれたの。逆に言えばアーサー以外は声を掛けてくれなかった」
エイダは思い返すように天井を見上げる。
「つまりお前は、あの女とも同期だったわけか」
「あの女?」
「皇女だ」
「同期とも言えないわ。だって皇女様が在籍していたAクラスは何もかもが別格だったから」
「別格だと?」
「今の十戒がAクラスに集合していたのよ。成績の上位をAクラスで占めていて……私たちの間では"栄光のAクラス"と呼ばれていたわ」
この一件により成績の偏りが出てしまった。だからこそ今は偏らないように、意図的に名家が分散するようなクラス分けがされているのだろう。
「皇女様や十戒が集合していたAクラスの担任は"アーロン・ハード"さん。サウスアガペー出身なら貴方も会ったことがあるわよね?」
「……あの年老いた男か」
仮試験や本試験で姿を見せていた銀階級の男。何食わぬ顔で皇女と会話をしていたのはそれが理由だったか。
「昔の皇女様について知りたいのならアーロンさんに聞いてみるといいわ。見た目はあんなだけど、根は優しいから」
「時間がない。診察を進めろ」
「あぁそうだったわね。本来の目的を忘れていたわ」
時刻もそろそろ寮へ戻る頃合い。私はそこで話を切り上げるとエイダの診察を受け、さっさと自室へ戻ることにした。