はてさて。クリスマスを通じてお近づきになった僕と鳰原、もといパレオの冬物語。
今回綴るのは、初詣に纏わる話。神様に服う話である。
▼
1月1日。正月である。
阿鼻地獄もかくやと言わんばかりの跡取り修行も、流石に今日の日は休みだ。
しかし、外では肌を突き刺すような寒波が往来を闊歩しており、とてもではないが街へ繰り出す気分にはなれない。
何も僕ばかりがこう思っているわけではないだろう。きっと猫も杓子も炬燵に足を取られ、全く身動きが取れないでいるに違いない。彼の童謡を思い出してみよ。猫は炬燵で丸くなると明言してしまっているではないか。況や杓子をや、である。いくら物言わぬ杓子とて、温かい飯と冷たい雪とでは、装う意欲が全く違うであろう。
などと自分の怠惰を正当化していた僕が、洗面台に立って寝癖を直し、冷水で顔を洗っている。これは一体どういう風の吹き回しか。
────パレオから、初詣に行きませんかとのお誘いを受け取ったのである。
初詣。言わずと知れた、我が国の伝統文化である。一年の計は元旦にありと謳っている者が、神頼みというこの上なく非計画的な行いを為すことを指す。
そんな瘋癲染みた輩が一人や二人ならまだしも、一億衆庶が漏れなく神社やら寺院やらに流れ込むのである。ものの八百万では、とてもではないが手が回らないだろう。
風邪が流行る時期でもある。寝正月の意味が変わってしまう危険も孕んでいるのに、何故彼らはこうも群れたがるのであろう。まさに理外の理とはこのことである。
こんな風に、初詣一つ取っても斜に構えていた僕だけれど、先日ある御仁に蒙を啓かれた(連絡先はその時交換した)。
その人物とは学級委員長、鳰原令王那。品行方正、文武両道などありとあらゆる礼賛の四字熟語を体現したような彼女とは、それこそ僕のような怠惰で主体性のないような奴は不倶戴天と思っているのだろうと、勝手なことを考えていた。けれどそれは全くの予想外れで、迷える僕を瞬く間に導き給ったのである。
一つ驚きだったのは、その時の鳰原の姿が、いつもの折り目正しく着こなした制服と黒髪ではなくて、渋谷の往来を闊歩していそうな今めかしき格好であったことだ。
斯様な格好をした鳰原のことはパレオと呼ぶらしく、何より本人がそう呼んでくれと希望したのだから、彼女に大恩ある僕としては追従する外ない。
本筋から少し逸れてしまったが、地獄のような冬休みをこうして一週間近く恙無く過ごすことができたのは、彼女の存在という支えがあったと言っても過言ではないわけである。
そんなパレオの誘いなのだから、初詣だって喜んで行く。毎日が初詣でも良いくらいだ。
▼
「よう、透真。出掛けるの?」
問うて来たのは桐ヶ谷透子。僕の従姉である。跡取り修行は休みだが、毎朝五時起きという桐ヶ谷家のルールは正月であっても例外なく適応される。
「ははーん。さてはマフラー貸してくれたっていう女の子? 正月早々お熱いじゃん」
「冷やかすなよ。透子」
───熱いと言ったのに、冷やかすなとはこれや如何に。
「予想通り、パレオって娘だよ。確かにマフラー返さなきゃっていう口実もある」
「やっぱりあたしの慧眼に狂いはなかったわけね。そうだ! 付いていって見にいっちゃおうかな」
「絶対止めてくれ!」
「え〜。いいじゃんか。減るもんじゃあるまいし。あたし、女子校だからその手の話に飢えてるわけよ」
「透子に見られてたら神経がすり減るわ! というか別にパレオとは惚れた腫れたの仲じゃねぇよ」
「本当か〜?」
目を細めながら言う透子。勿論だ、と僕は心中で首肯する。手持ち無沙汰になるとパレオのことをふと考えてしまったり、パレオから連絡が来たら返信に腐心したりするのは、偏に彼女に並々ならぬ恩義があるからだ。
「しかしパレオ、ねぇ。どっかで聞いたことある名前なんだよな」
「それ、この間も言ってたよな。まあ、透子のことだから、大方水着の方のパレオと勘違いしてんじゃねぇの?」
「ちょっと。女子に何て話題振ってんだよ。透真君やらし〜」
「おいおい透子さんよ。僕はちゃんと女子に対しては紳士的だぜ?」
「ちょっと! それどういう意味だよ」
傍から見れば喧嘩に発展しそうな雰囲気だが、その実僕等のいつものやりとりである。先日は少し気が立っていただけである。
話題を遡ろう。透子がパレオのことを聞いたことがあるって話。透子は少しの間、こめかみのあたりを突っつきながら考えて、
「もしかすると、その娘もバンドやってて、それで聞いたことあったりしてな。今や大ガールズバンド時代なわけだし」
「大ガールズバンド時代? 何だそりゃ。寡聞にして知らないけれど」
我が国は、明治以降一世一元の制を保ってきただろう。これを脅かそうとする不届き者が居ようとは。一体何者だ。
そんな馬鹿馬鹿しいことを考えてあたら、そろそろいい時間になっていた。
「おう。いってらっしゃい。お祖母様に、曾孫の顔はもうすぐ見られるって伝えとくよ」
相変わらず頬の肉を弛緩させて言う透子。彼女の軽口は無視して、僕は目的地へと向かう。
胸が弾むのは、途中遅刻しそうだと思って、小走りした所為だろう。
▼
待ち合わせ場所に到着した僕は、サイケデリックな色の髪をした人物を探す。パレオのトレードマークであり、彼女を遠目から発見する上で最も頼りになる要素であるからだ。と思っていたけれど、特徴と合致する人物は全く見つからない。首を傾げながらキョロキョロとしていると、
「桐ヶ谷君。お待たせしました」
後方から鷹揚に声をかけられ、思わず振り向く。声の主は、紛うことなくパレオ。しかし、その髪色は白と黒が交互織り交ぜられたもので、先日遭った時と変わっていた。
「なあ、パレオ。髪の色ってそんなにポンポン変えてもいいのか? 牽強付会かもしれないけれど、そういうのって髪にダメージが蓄積するから、洒落っ気のあるパレオは気にするのかなって」
「ああ、ご安心を。これはウィッグですので」
何と、今明かされる衝撃の事実!
……って程でもないか。確かに二週間足らずの冬休みで髪の色を戻すのも大変だろうし、何より優等生のパレオらしい手段だ。
改めてパレオの外見を見遣る。前掲の白黒ウィッグに、ベージュのトレンチコートと、シンプルな出で立ちだ。
ふむ。クリスマスの時の格好を抽象画とするならば、今日の格好は写実的な人物画と言ったところか。これはこれで趣がある。見る度に新鮮さを与える、というのがパレオの流儀なのかもしれない。
と、ジロジロ見られることにいたたまれなくなったのか、パレオは話題を投げ掛けた。
「して、桐ヶ谷君。その紙袋は何ですか?」
「あ、そうだ。マフラーを返さなきゃと思ってな」
「わざわざありがとうございます……あれ?このマフラー、この部分がちょっとほつれていたような……」
「ああ。それ僕が直しといたんだよ。小さい頃から職人さんから手解きを受けてたからな」
透子の奴はこういうことがあると、迷わず職人さんにやって貰うけどな。
そう考えていた矢先、パレオは元々着けていたマフラーを外し、僕が返したマフラーを巻いた。
「おいおい、パレオ。僕に気を使う必要はないぞ」
「気なんて使っていません。こっちがいいです」
パレオは莞爾と笑って、「ありがとうございます、桐ヶ谷君」と続けた。
「じゃあ、行こうか。パレオ」
僕等は肩を並べて神社へと歩を進めた。
▼
神社へと向かう道中の話である。唐突に僕の腹の虫が鳴ってしまった。桐ヶ谷家は毎朝五時起きというのは前掲の通りである。だから朝御飯の時間もそれなりに早いわけで、昼食を欲するのも人より少し早くなるわけだ。
これを失念して失態をさらしてしまった僕は、穴があったら入りたい気分になってしまったのだけれど、パレオは鷹揚に手で口を隠しながら綻んで、
「ちょっと早いですけれど、何か食べてから行きましょう」
と穴ならぬカフェテリアに這入ることを提案したのである。
店に入ると、「いらっしゃいませ」とウェイトレスが恭しく迎え入れてきて、窓際の席へと案内された。
メニュー表にざっと目を通し、僕とパレオはそれぞれ琴線に触れた料理と好みのドリンクをオーダーした。
注文したものが運ばれるのを待っていると、店内のBGMが切り替わった。ポップなメロディ。キャッチーなフレーズ。甘ったるい歌声。アイドルの曲だろうか。
ふとパレオの方を見遣ると、指で軽くテーブルを突っついてリズムを取っていた。
「なあ、パレオ。この曲知ってるのか?」
「勿論です。パスパレの新曲の『Power of LOVE!!!』ですよね」
「パスパレ?」
「パスパレ。
成程。アイドルですらバンドで売っていく時代なのか。今朝の透子との会話を想起する。曰く大ガールズバンド時代が到来している由。話半分にしか思っていなかったけれど、あながち冗談ではないのかもしれない。
いや、それよりも、
「パレオってアイドル好きだったんだな」
「ええ、そうなんです」
いみじくも、パレオは返答しながらスマートフォンを操作すると、それを差し出してきた。画面を見ると、五人組の少女の姿が映し出されている。
「これがパスパレです。“かわいい”でしょう?」
狂気とも取れる熱意を孕んだ視線で僕を射抜きながら言うパレオ。こう凄まれては、首肯する以外の選択肢が無くなる。
「やっぱり桐ヶ谷君は、分かってくれますか。そう。“かわいい”こそ至高なる感情にして、志向すべき天地。“かわいい”の追究には際限が無いのですッ!」
旧に倍して弁舌を奮うパレオ。どうどうと宥めるように僕は質問を投げかける。
「分かった、分かった。でも、何でそんなにアイドルが好きになったんだ?」
パレオは我に返ったようで、コホンと咳払いし「それはですねぇ」と続け、
「私の両親は多忙で、余り一緒に遊んで貰った記憶はない、というのは先日話ましたよね?」
僕は首肯する。
「それでもって、寂しかった私がハマったのがアイドルなわけです」
「そうだったのか……」
先日の僕にとってのパレオが、過ぎし日のパレオにとってのパスパレだったわけだ。
ともすれば、パレオは僕にとってのパスパレとも取れるな。
まあ、本人に言う度胸はないけれど、パレオはアイドル宜しく可愛らしいんじゃないのか。
そんなことを考えていると、例のウェイトレスが矢張り恭しく注文した料理を運んできた。
僕等は、談笑しながら舌鼓を打つ。
▼
僕等が訪うた神社は、特に奇を衒ったような特徴もなかったので、その名前は詳らかにしない方針でいく(神社に奇を衒う余地があるかどうかは分からないけれど)。
鳥居を潜れば、左手にすぐ手水舎が置かれていた。僕等も例外なく身を清める。
「ひゃあ。やっぱり冷たいですね」
「そうだな。どうやら神様は人間に風邪を引かせたいらしい。風邪を引いて得をするのは、身体が縮む毒薬を飲まされた奴だけだっていうのにな」
「斜に構えた考え方ですね。これは何も意地悪じゃなくて、禊を簡略化したものですよ」
「なるほどな。でも、待てよ。ここまで禊を簡略化できるなら、いっそのこと無くてもいいんじゃないかな? 小学校で円周率を3.14じゃなくて3と教えていた時期もあるみたいだし、似たようなものだろ」
「全然違いますよ!」
余計に雑念が増えてしまったような気がするが、そんなこんなで手水を終えた僕等は参道を歩く。
「確か、真ん中は神様の通り道だから歩いちゃ駄目なんだっけか?」
ガッツリ真ん中歩いてる人がいるけれど。まあ、初詣ということでかなりの賑わいを見せているから、道のキャパシティが崩壊してしまうのも無理はない。それにしても人の波というのはこのことである。
「やっぱり凄い人数ですね。迷子にならないように気をつけないと」
言って、パレオは僕に手を差し出して来た。唐突な出来事に、僕は思考が追いつかなかった。
これはひょっとして、手を繋ごうという意思表示なのか。待て待て。何を動揺しているんだ、僕は。そう。これは、はぐれないようにするパレオの配慮だ。でなければ、恬として恥じずにこんなことをするはずないだろう。他意はない。他意はないのである。
「ん」
ぶっきらぼうに言いながら、手を取る。これは刹那の間(僕にとっては十数秒程に感じられた)に行われた状況分析の結果弾き出した回答である。
徒に間を空けたら何か気まずい空気が流れそうだし、これがきっと最善手(手だけに)だったはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、握るパレオの手に意識を集める。ほっそりとしていて、それでいて柔らかい指だ。先程手水したからか、ひんやりとしている。けれども、その奥に秘める体温は伝わっているのか、顔や胸のあたりがカッと熱くなってくる。
何だかいたたまれない気持ちになって、手水舎の時のような軽口を叩こうとしたけれど、思ったように言葉が出てこなくなって、隔靴掻痒の思いという他なかった。
まあ、それは時間の流れというものが解決してくれて、というのも、漸く拝殿に辿り着いたのである。
二礼二拍手一礼。なけなしの知識を頭の奥底から引っ張り出す。続いて財布から小銭を引っ張り出す。
そうして、神頼み。いつの間にやら手は解けてしまったけれど、どうか代わりに
以下、ガチの蛇足。
どうやら透子もバンドメンバーと初詣に行ったらしく、お土産だとお守りを渡された。
見てみると「安産祈願」の文字。
矢庭に付き返してやった。