冬物語   作:くすはらゆい

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最終話 僕たちの冬物語

 3月24日。鳰原は学校に来なかった。担任教諭の言では、体調を崩した由だ。

 

 そんな素振りなど見せていなかったから、朝のホームルームの後、こっそり見舞いのメッセージを送る。あの品行方正な委員長にバレたら怒られそうだと思ったけれど、そもそもその委員長にメッセージを送っているのである。

 

 しかしながら、昼休みになっても、お叱りの返信どころか、既読が付くこともなかった。その代わりにメッセージが一件届いた。

 

 送り主は、チュチュ。その内容を見た瞬間、僕は顧みることなく疾駆した。

 

 

 

 

 向かった先はチュチュのマンションである。無断で早退したために、後々教諭や両親からお灸を据えられることは請け合いである。

 

 だけれど、僕はとても放課後を待てるような心境ではなかった。

 

 チュチュから送られてきたメッセージ。その内容は以下の通りである。

 

『パレオと繋がらないんだけど、トーマは何か知らない?』

 

 鳰原令王那ことパレオは、チュチュによって己を好きになった。その恩義は片時も忘れることはないのである。たとえ体調が悪かろうが、パレオが彼女からの呼びかけに応じないなどありえない。パレオの境遇を鑑みれば、霄壌(しょうじょう)がひっくり返ろうが有り得ない話なのである。

 

 パレオの身に、何か重大なことが起きた。そう類推できる。これが、僕をして狼狽せしめた所以である。

 

 僕が入室してチュチュは椅子に腰掛け、足を組んで、開口一番斯く言った。

 

「どうやら、恐れていたことが起きてしまったわね」

「どういうことだよ……恐れていたことって? お前は……こうなること知ってたのかよ?」

 

 文字通り疾風の如く駆けてきた僕は、乱れた息の間隙を縫って紡ぐ。

 

「そうね。事が起きてしまった以上は隠し立てする必要は無くなったのだし、(つまび)らかにしようかしら」

 

 そうして、チュチュは以下のように語った。

 

「私が貴方に初めて会った日、パレオにBoyfriendなんて認めないと言ったことを覚えているかしら?

「そう。マスキングは嫉妬しているのか、だなんて茶化してきたわね。

「でも、そうじゃないの。

「私はずっと懸念していたの。パレオに好きな人ができることを。

「あの子には二つの顔がある。それは貴方がよく知っていることよね。

「RASのキーボードとしてのパレオと、“委員長”鳰原令王那としてのパレオ。

「前者は“かわいい”を追求した果てに作られた……本人は普段なら“かわいい”に果てはないと言うんでしょうけれど……ともかく、自身への自信に満ち溢れた理想の自分。

「対して、後者は息苦しさに追われた委員長。

「若し、異性に恋慕を傾けて、前者のパレオの万能感と、後者のパレオの無力感に苛まれたら。

「所謂人格の乖離ってやつが起きちゃうわね。

「それが、最初私が貴方を突っぱねた理由よ」

 

 

 

 

「それじゃあ……何だよ」

 

 声が震える。今度は息が乱れていることが理由ではないけれど。

 

「この状況は……僕が惹起(じゃっき)させたってことなのか……」

「見ようによってはそうなるわね」

 

 チュチュは冷然とした口調で言い放つ。たが、すぐに「でも」と声色を柔らかくして、

 

「でも、私は貴方とパレオを無理矢理には引き剥がさなかった。何故か判る?」

 

 僕は首を横に振る。彼女の舌鋒鋭い弁を何の抵抗もなく受け続けた挙げ句、質問にも何も返せないとは。つくづく情けない話である。

 

「たとえここで貴方とパレオを引き剥がしたとして、それは抜本的な解決にはならないからよ。パレオが恋をする度に、その恋を冷ます。そんな弥縫策(びほうさく)の繰り返しじゃ意味がないのよ」

 

 成程。納得の理由である。真にパレオを思ってこそ。チュチュの赤誠(せきせい)の表れであるわけだ。だけれど、まだ一つ疑問を残している。

 

「どうして僕なんだ。どうして僕なんかを……」

「皆まで言わせないでよ。っていうのは、ここでは意地悪かしら。じゃあ答えてあげる」

 

 一瞬苛立ちを孕んだ声色───瀑布(ばくふ)のような勢いを見せるも、すぐにさらさらとした小川のような調子にして、

 

「貴方、Valentine's Dayの翌日、私の質問に対して、どちらのパレオもパレオだと答えたでしょ。あの時私は、貴方に賭けようと思ったの。私にはできない。貴方にしかできないこと。貴方がパレオを救って頂戴」

 

 チュチュの言を聞き終わると、僕は弱々しく紡ぎ出す。

 

「でも、本当にいいのかな? パレオをこんな目に遭わせた僕が、彼女に今更……」

「んもうっ。男らしくないわね。逆よ、逆。貴方だから良かったのに、荏苒(じんぜん)としていたから、結局問題が顕在化しちゃったの。その責任を取りなさいよ」

 

 それは、彼女なりの激励にして、最後通牒なのだろう。僕は目を閉じる。その言葉を、噛み締めて、飲み込んで、反芻して、そうして再び目を見開く。

 

 その様子をまじまじと見ていたチュチュは、

 

「本当にいいの?」 

「ああ。散々ダサいところを見せたけれど、終わり良ければ全て良し、だ。この物語に終止符を打ってくる」

「何て言えばいいか、教えてあげようかしら?」

「答えはもう知ってる。皆まで言わなくていいよ」

 

 チュチュは綻んだ見せて、それを以って返事とした。しかし、

 

「ただ、パレオは本当に何処に行ったのかしら? マスキングたちも探しているんだけれど、全く見つからないのよね」

「それなら大丈夫だ。さっき言っただろ」

 

 僕は大きく深呼吸して一言。

 

「答えはもう知っている」

 

 

 

 

「冬場の公園は冷えるぞ。早く帰ろうぜ」

 

 僕は、悄然(しょうぜん)としてベンチに腰掛ける少女に斯く話しかけた。

 

 そう。約3ヵ月前、彼女と行き遭った、あの公園である。

 

「桐ヶ谷君……」

 

 絞り出すかのような調子でそう口にする眼前の少女、パレオこと鳰原令王那。何ともいじらしい様子である。

 

 その容姿を観察してみると、あのサイケデリックなウィッグは被っているものの、化粧は施されておらず、召し物も制服のままだ。

 

 二人の彼女が混じり、交ざった姿。

入り混じって、()い交ぜになった姿だ。

 

「……どうしてここに」

「どうしてって言ったってさ。隠れんぼって、そりゃ見つからないような場所に隠れるけれども、だからと言って一生韜晦(とうかい)したままでいたいなんて人はいないだろう。深層心理じゃ誰かに見つかるところに隠れるもんなんだろうよ」

 

 うまいことを言おうとして、結局回答になっていない回答を口走ってしまう僕である。

 

「み、見ないで下さい! 今や私は鳰原令王那でも、パレオでもありません。至極中途半端な存在になってしまった。君にだけは見られたくありません!」

 

 いいながら身を縮こませる彼女。その姿を見ていると、愈々自分の意気地のなさへの歯痒さが募ってくる。

 

 せめて、10日早く伝えていれば、斯様な事態を招くことはなかったのに。可能ならば、過去の自分に鉄拳を下し、一喝してやりたい気分だ。

 

 だけれど科学が進歩した今日に於いても、時間遡行は叶わない。今を生きている僕には、今取るべき行動を取ることしかできないのだ。

 

 他でもない、彼女の為に。

 

 僕は、彼女の名を呼ぶ。鳰原でも、パレオでもなくなった彼女の名を。

 

()()()

 

 

 

 

「令王那、少し聞いて欲しい。

「君は以前、この公園で僕に『自分を好きになれる理由を見つけてくれ』って言っただろう。 

「僕、ちゃんと見つけたんだ。

「それはね、君のことを好きでいることなんだ。

「僕の灰色だった冬は、君によって彩られたんだ。クリスマスの日、君とああいう形で出会っていなければ、僕はきっと荒みきっていた。君のお陰で、僕は自分の置かれた境遇を悲嘆することはなくなったし、むしろやり甲斐を感じることさえできた。

「君と過ごしたからこそ、この冬はとても楽しかった。クリスマスもそう。お正月もそう。バレンタインもそう。ホワイトデーもそう。

「君のことを好きでいたから、僕は自分のことを、自分の人生を好きになれたんだ。

「君と一緒なら、どんなときだって笑えると思うんだ。君と一緒なら、どんなことだって笑い飛ばせると思うんだ。

「散々待たせて、本当に申し訳ない。でも、伝えさせてほしい。

「好きだ、令王那」

 

 

 

 

「桐ヶ谷……君」

 

 言うと、彼女の(まなじり)から光の粒が零れ落ちる。僕は、それを掬い取るように拭う。

 

「桐ヶ谷君!」

 

 刹那、令王那は僕に抱擁してきた。

その衝撃でウィッグが外れて、彼女の元々の黒髪が(あら)わになる。

 

「桐ヶ谷君……私、私は……」

 

 もう抑えきれなくなったのか、滂沱(ぼうだ)の涙を流しながら、訥々(とつとつ)と紡ぐ令王那。

 

 僕は、彼女の背中を(おもむろ)に撫ぜる。

 

「私は……許されるんでしょうか? 桐ヶ谷君に偉そうな口を聞いておきながら……パレオに頼り切って。しかも、皆に心配までかけさせて」

「チュチュたちは知らないな。後で陳謝することだな。そんでもって、パレオに頼り切ったって部分は許すとか許されないとか以前の問題だ」

「え?」

 

 彼女は、僕の肩に埋めていた顔を上げて言った。

 

 僕ははにかみながら、続けた。

 

「君にも心の弱さがあって安心した。だって、僕だけ情けない姿を晒してちゃダサいだろ? これでおあいこだ」

 

 彼女は、僕につられてたのか莞爾(かんじ)と笑ってみせた。

 

 

 

 

 3ヶ月前に比べて日は長くなっているはずだけれど、それでももう逢魔時(おうまがとき)であった。周囲の民家からは夕飯の匂いが柔らかに漂ってくる。

 

 喉を鳴らしながら、あっという間に空を横切った烏の行方は、杳として分からないけれど、きっと何処かに帰るのだろう。僕たちも同じだ。

 

 僕たちは、肩を並べて帰路に就いている。

 

「明日は終業式、そして春休みですね」

 

 でも、その終業式を前にして、2年7組の学級委員長はズル休み。副学級委員長は無断早退である。最後の最後にやらかしてくれたものだ、とあの担任教諭から叱責を食らうだろうな。

 

「大丈夫ですよ。赤信号、みんなで渡れば怖くない、ですから」

 

 悪戯っぽく綻ばせながら言う令王那。そんな冗談が言えるくらいに元気を取り戻したのか、と安堵感を覚える。反面、ひょっとしたら僕の斜に構えた発言を真似してみせたのか、とも思う。だとすれば僕はなんて悪影響なんだろうな。

 

「そして、私の誕生日でもあります」

「え? そうだったのか! 全然把握していなかった……」

「あちゃー。恋人の誕生日を忘れるだなんて、これは先が思いやられますねー」

「いや、忘れていたというか……訊いたことがなかったというか」

 

 まあ、どう取り繕ったところで、その罪は重いよな。一昔前ならば、市中引き回しの上打首獄門が課せられたと言われる程の大罪である。冗談だけれど。

 

「とにかく、誕生日プレゼントはちょっとだけ待ってはくれないか? 勿論、待たせた分上乗せはするから」

 

 僕の言に対して、令王那は自身の顎を撫ぜながら悩み、(やや)あって口を開く。

 

「じゃあ、ここでプレゼントを貰っちゃいましょうか?」

 

 そう言って令王那は僕の眼前に回り込むと、その諸手を僕の両肩に置いた。僕は吃驚(びっくり)して仰け反りそうにそうになるも、彼女が引き寄せてきたので、結果的には前方に重心が偏った形だ。

 

 刹那、僕と令王那は正面衝突もとい、口付けを交わした。

 

 本当に一瞬のことであったけれど、その柔らかな感触は、鮮明に記憶に残っているし、暫く僕を余韻に浸した。

 

「うふふっ。頂いちゃいました。ありがとうございます、()()()

 

 事後、頬を薄桃色に染めながら令王那は言う。仕掛けた方がそんな有様なのだから、仕掛けられた僕は、きっと茹で蛸のような顔色にしているに違いない。

 

 でも、その場に鏡などなかったから実際は分からない。彼女のみぞ知るところである。

 

 

 

 

 僕たちは、まだまだ青い。

 

 きっとこれからも蹉跌(さてつ)を来して、悩んで、心が折れて、(すさ)んでしまうことがあるのだろう。

 

 でも、それでいいじゃないか。

 

 僕は君を。君は僕を。

 

 互いに互いを支えあって、励ましあえば、恐れることはないさ。

 

 明日は終業式、そして春休み。

 

 積もる雪すら柔く溶かす、温かな冬物語は────

 

 ケレン味なんてない、ただ結ばれただけの冬物語は────

 

 ここで終わりを告げる。

 

 でも、惜しくはないさ。

 

 ありふれた表現かもしれないけれど。

 

 それは、新たな物語の始まりなのだから。

 

 

 

 

 

 




 最後までお付き合いして下さった方々に、最大限の感謝を!

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