天魔はおろか普通の天狗の棲む場所すら知らなかった私だが伊吹について行けば迷うことは無い。そもそもこの山をじっくり見る事すら初めての事だ。
以前はじっくり見る間もなく妖怪の少ない場所が運よく見つかったし。
こう改めて見てみると色々な種族がこの山には棲んでいたようだ。以前はほとんど見かけなかった天狗も予想よりはるかに多い数がいるようだし川辺には河童までいた。
その他にも強くないから山に所属している妖怪も多い。この山にいる限り他の凶悪な妖怪や人間からの襲撃に怯える必要がほとんどなくなるからだろう。前回の私も概ねそんなことを考えてこの山を住処にしたような気がする。あまり覚えてないけど。
「どうせ何もないのに門を護っているなんてご苦労なこったよ。天魔はいるかい?」
「おや珍しい。伊吹様ですか。天魔様ならいらっしゃいますよ」
仰々しいお屋敷だなぁ。こんな場所を襲うようなやつは相当ぶっ飛んだ奴だろう。伊吹とかそこら辺の。私一人なら先ず近づこうともしないと思う。
門の前に二人の天狗が立っている時点で敵う気がしない。
天狗の速さはさっき見せつけられたし、ここを護るほどの天狗はきっと射命丸やはたてよりももっと速いだろう。天狗の長をしている天魔なんてどれだけ速いのか想像もつかない。
それでも伊吹たちをはじめとする鬼が天狗に恐れられているのはつまりそういう事だろう。速さがウリの天狗に対して、どれだけの速さで突撃しても怯まないだけの身体を持っている鬼は非常に相性が悪いと考えられる。
まあ天狗も十分強いし私からしてみれば怖い種族ではあるんだけど。
はたして天魔と言う奴がどんな体躯をしているのかと期待していた私だったが出てきた天狗を見て少しがっかりしたというのは秘密だ。
がっしりしているのかと思っていた身体は思いのほか細く、伊吹が一発殴れば腹から上下に二分されてしまいそうなくらいだ。にじみ出ている気からはカリスマと言うものが感じられない。
だがこれが天魔であることは間違いないらしい。周りの天狗や伊吹の様子からも明らかである。周囲の天狗たちはこの天魔とやらを持ち上げて崇拝対象にすらしているようだが伊吹はまた違った思いで見つめている。すなわち
『いつ見ても弱弱しい天狗だねぇ』
である。事実天魔と呼ばれ天狗の長に君臨してはいるが彼女は強くないようだ。
心の声が駄々洩れだからわかることだが先ほどから天魔が考えていることはずっと
”大天狗怖い” だ。仮にも自分の部下であるのだからそんな感情にならないのが普通である。
何だか可哀そう。きっと無理矢理託された過去があるのだろう。私にはそこまで読めないけど大体わかる。勝手に押し付けられた挙句の果てに崇拝の対象にすらなってしまったのだから不憫でならない。かといって一度なってしまった以上簡単にやめることもできない。
頑張れ天魔。きっと未来はそんなに暗くない。
天魔と言えばこの山において鬼の四天王に次ぐ強さを誇る者として名を挙げられる。
事実、先代天魔は殊戦闘においては四天王にも引けを取らない優秀な天狗だった。だが彼はなんとも運が悪かったと言える。鬼との宴会中、背中を叩かれた拍子に食べ物を喉に詰まらせてしまったのだ。
妖怪も体の構造は人間と大差ない。存在が主に精神に依存するために、人間よりも物理攻撃に対してかなり丈夫なだけだ。溺れれば窒息するし、喉に何かが詰まっても同様に窒息してしまう。
如何に妖怪としての格が高い天狗であっても窒息は回避できない。背中をたたいた鬼も悪意があったわけではなく、天狗にしちゃ素晴らしいと褒め称えたつもりでしかなかったのだ。
鬼は天狗の組織のさらに上に存在するものであって組織に関りがあるわけではない。故にその鬼に対しては然したる罰も無く、天魔はただ一人呆気なく散ってしまった。
これがもし天狗であったなら、大天狗だったとしても必ず処刑されただろう。
この山において鬼は所謂特権階級であり、どんなに横暴な振る舞いをしようが天狗から咎められることはまずあり得ない。主に鬼が死ぬ時は人間に討たれるか同族殺しをしたときくらいである。
鬼の好きな物と言えば酒だが、同時に鬼の弱点になり得るのも酒である。酒に強い鬼も酔うことなく無限に飲み続けられるかと言うとそうではない。
鬼は酒に極端に強い代わりに一度酔いつぶれてしまえば決して目覚めないという。これは死ぬという意味の目覚めないではなく、まさに泥酔であり泥のように眠っている様を表している。
強大な鬼もこうなってしまえばまな板の鯉、人間に首を斬られるのをただ待つばかりの物言わぬ傀儡となり果ててしまうのだ。
如何なる妖怪をも切断する妖刀を以てすれば屈強な泥人形さえも容易に真っ二つだ。
つまり何が言いたいのかと言うと酒は危ないということ。先代天魔の死因は不明という事になっているが現天魔は酒関連での鬼との衝突だろうと当たりを付けている。
半分合っていて半分間違っているのだがそれを指摘できる者は鬼以外にいないのが実情だ。何せ宴会に参加していた天狗が彼一人だけだったので、天狗は本当に何も知らないまま天魔が死んだことになっていた。その天魔が次期天魔として公言していたのが現天魔の彼女なのである。
故に彼女は務めなければならない。天魔として天狗の格を落とさないように。
勤めなければならない。逃げられぬこの職場の束縛をその身に受けて。
努めなければならない。他の天狗や山の妖怪たちに弱いと悟られることの無いように。
天魔自身は天魔が天狗最強でなければならないと妄信している。先代天魔像を崩さないように自分の行動に常に細心の注意を払っている。
だから天魔は気づけない。側近の大天狗から哨戒の白狼天狗に至るまですべての天狗が彼女の弱さを認めていることに。彼らはただ強い天魔を崇拝しているのではない。彼女自身の人柄(天狗柄?)が現在の天魔の地位を確固たるものにしているのだ。
それら天狗の裏事情が分かってしまったからやまこは思わずクスリと笑ってしまう。
しかし文はあまりの緊張で頭が白くなっており、萃香は大天狗を見定め、大天狗は彼らが主を見つめている。当の天魔は自分の事でいっぱいいっぱいなので、思わず漏れた含み笑いに気づいた者ははたてただ一人である。
「では姫海堂はたてと言ったか。この山を決して裏切らぬと契れるか? …………よろしい、正式に我らが山へ迎え入れようぞ。して伊吹殿、そちらの娘はどうなさるおつもりか」
年寄り臭い話し方をするが然して高齢なわけではない。まだまだ数百歳の若造だ。そうはいっても大抵の鬼よりは長く生きているのだが。
「なに、こいつ
「……気づいていたのね」
「当り前さね。何年生きてきたと思っているんだい」
二人の間でのみ通じる会話。もしかしたらはたても分かったかもしれない。内容はと言うとさとりの事である。知らない気配が一つあればそこそこの年月を生きてきた萃香が気づくのは必定だ。
それがやまこの娘であるとは思っていないようだが、はたてではない連れが一人いることには気づいている。大天狗たちも気づいてはいるようだが、こちらは萃香に全幅の信頼を寄せているので気にしていないようである。
「本日はこの山に新たなる
内心では恐怖に震えながらも表面上では何ともないように振る舞う天魔は実はすごい奴である。彼女の今の気持ちを一言で表すなら『鬼来るな』である。
「鬼があまり参加しても天狗が委縮してしまうからねぇ……うん、私だけで参加しようか。これなら他の鬼も文句は言わないでしょ。何せ勇儀たちも不参加だからね」
一瞬だけ期待に躍り、すぐにまた沈んだ天魔の心の内を知る者はやまこしかいない。あぁ、現実は非情なり。それを最も実感しているのは天魔に相違ない。
スピンオフを一本書けそうなくらい主人公適性のある天魔さん。書きませんが