頭が痛い。情けない事だが久々にあの四人と呑んだせいで加減ができなかったようだ。あの鬼どもの酒量が天狗と比べても桁違いであることを失念していた。
気分も悪いが生憎水も無い。近くの河から取って来れば良いのだが、それすらも億劫になるほどやる気が起きない。眠い。もうさとりも寝かせたし私も寝てしまって良いような気がする。
「……ここはいったい…………」
「来たのね。ここは私と貴方の世界。他の誰もいない、と思うわよ」
なんだかよくわからな場所に来たと思ったら目の前に紫がいた。どういうわけか分からないが、この只管にだだっ広い空間には私と紫の二人しかいないらしい。
ここは紫の生み出したスキマ空間の中という認識で良いのだろうか。壁も天井も見当たらない。それどころか床さえもあるようにはみえないのに地に足をつけている感覚だけはある。
「やまこと話をしておきたい事があったのよ。少し強引だけれど許して頂戴」
しっかりと私に用事があってこうしたらしい。紫の気まぐれでなくてよかった。紫は気まぐれで他人を奔走させるうえに、それを眺めて楽しむような性格をしているから四天王たちよりもかなり質が悪い、というか付き合うのが大変なのだ。
逆に用事があるときは無駄な事を省くことも多いので余計な頭を使わなくて済む。
「まあいいけど……それで話しておきたい事って何? さとりの事?」
「いえ、それではないわ。尤もあの子は貴方よりも才がありそうだけれど、それも今は関係ない事よ。私が話したいのはあの鬼たちについて。貴方は近頃都が妖に襲われているのを知っているかしら? ……まあ知らないのも無理はないわね。ここに戻って来たばかりのようだし」
怖い、怖いよこのスキマ妖怪。最近ここに来たことを知っているどころか以前住んでいたことまでも把握していやがる。
それにさとりの事も知っている風だし。あの子への評価は概ね私も同じなので特に反論する気はないが、もしかしたら四六時中監視されているのだろうか。紫ならばできないことは無いが、されている側からすれば居心地の悪いものである。知らぬが仏。知らない方が良かった。
「都を襲っているのはこの山の妖のようね。上手くあの鬼たちの目を盗んでいるみたい。これが何を意味するか、貴方ならわかるでしょう?」
「……人間がこの山に攻め込んで来ると? あり得ないんじゃないかなぁ。あの鬼たちがいる限り人間に勝ち目はないと思うけど」
四天王ならばまさに一騎当千。むしろ万にも値するかもしれない。それが四人である。さらにその下にも四天王ほどではないにしろ強い力を持つ鬼、天魔……は省いて天狗も控えている。まさに盤石。万の兵が攻め込んできても簡単に追い返せるし殲滅も余裕だろう。
これだけの戦力差があるというのに紫は何を心配しているというのだろうか。まあ紫が心配しているのは私がいるからだろうけど。
「甘いのね。人間の中にも私たちに引けを取らない程の力を持つ存在がいることは知っているでしょう? まだ分からないけれど百年もすれば人間は妖との戦い方を学ぶでしょう。元より人間は私たちと相性が良い力を持っている」
人間に固有の力……霊力だっけ。多少の差はあれど人間ならば誰しもが平等に持っている力だ。確か妖怪特攻だから、それで攻撃されれば最悪治らないこともあるとかなんとか。
人間がただやられるだけの存在ではない事は知っている。力の強い人間がいるのも知っているし、都には特にそんな人間が多いのも鳥やらから伝え聞いている。鳥であるがゆえにかなり曖昧な情報だったので紫が危惧するほどまでだとは思っていなかったが。
「今はまだその力を使える者が少ないから良いのだけれど、そのうち武人どもも使えるようになるでしょう。そうなればこの山でさえも安んじて生きることはかなわないわ。
悪い事は言わないから早く山を出て行った方が身のためよ。この状況は短くて百年、長くとも二百年はもたない。天狗に情が移った貴方には難しい事かもしれないけれど、ね」
「知っていたけど性格悪いね、紫は。でもその時にどう思うかはその時にならなければまだ分からないよね。さとりの事もあるし、私は恐らく逃げてしまうだろうけど」
長くとも二百年。紫の憶測ではそれまでには確実に、この山を壊滅させられるだけの力を手に入れた人間が出てくるらしい。悔しいが先見の明は私と紫では比べ物にならない。比較することさえ烏滸がましいほどに差は歴然である。
だからきっと今回の紫の憶測も間違ってはいないだろう。それはつまり私だけではなくさとりやはたて、さらにはあの四天王でさえも命の危機にさらされるという事である。
伝えておくべきか否か、判断は難しい。今はまだまだ妖怪が優勢な状況であり、今この話をあいつらにしても聞く耳ももたないだろう。
それならばもう少し待って、さらに都への被害が顕著になってきてから言った方が効果的なのではなかろうか。都を襲っている妖怪たちがまだバレていない現状で、徒に山の組織に亀裂を入れる利点も考えられない。
「それもまた貴方が自ら決めるところ。私は貴方がどちらを選んでも構わないと思っているわ。己を殺すも、子を殺すも、友を殺すもすべては己が断じなさい」
一を取り十を捨てる。一を捨て十を取る。一を捨て十も捨てる。一を取り十も取る。
実際にはこれ程単純ではなく、選択肢は無限にも等しい。その場の状況、その時の状態、その全てが予定を狂わせる原因となる。予定は未定。私の眼では未来を見透かすことはできない。
どうせ私が決めても他の者が予想外の行動を取れば予定はすべて破綻してしまうのだから。
「さてさて、どうやらここに長く居すぎたみたいね。またどこかで、
「ちょま、待ってゆか…………はぁ」
最後の言葉はいったいどういう意味だったのだろうか。次は……? 今までの私は誰と話していたというのだろうか。
「こんにちは」
どうやら今日は千客万来である。それにしてもこの空間は不思議だ。紫がいなくなったのに残り続けているし、時々刻々と変化しているような気さえする。
先ほどの紫(仮)は知り合いだったが、今度の来訪者は全く見覚えも無い。サンタのような赤い帽子に丸い綿のような物がたくさんついた洋服。右手にはよくわからない桃色の物、左手には本を持っている。
「あー、こんにちは? 貴方はいったいどなた?」
「私の事は気にして頂かなくとも結構です。ただ貴方に少し注意をば、と思い来ただけですから」
「注意? 貴方の事は知らないし何も言われることは無いはずなんだけど」
いきなり見ず知らずの他人に注意されるとは思わなかったし心当たりもさっぱりない。こんな時代に洋服を着ている時点でこの国の人間でない事は確かだし、雰囲気からして妖怪の類だろう。
ゆ(仮)に代わって今度はこの妖怪サンタ(仮)が私をこの空間に閉じ込めているのだろうか。
「貴方は自身の置かれているところをまるで分かっていないのです。貴方はあまりに深く、この世界に入り込みすぎている。これ以上深くまで進んでしまえば他人の夢にまで入り込んでしまうでしょう。そうなってしまっては夢を司る私も困るのです」
「夢? この世界は夢の世界だったと言うの?」
確かによく思い出してみれば私は寝ようとしていた気がする。という事は先ほどのゆ(仮)は夢の世界の紫で、夢でつながった夢の世界の私と話をしていたという事なのだろうか。
考えれば考えるほど底なし沼にはまってしまうような感覚に陥る。そもそも夢の中でこれ程しっかりと考え事ができるものなのだろうか。
「えぇ。人も妖も、すべての者が見る夢は深いところで繋がっているのです。詳しくは語りませんが、それを全て管理するのが私の務めなのです。
さあ、貴方も夢と現が入れ替わる前にお帰りなさい。今、どちらにいるのか分からなくなっているのはとても危ないことなのです」
紫様は和装ですよ。時代に合わせて変えているので