目覚めるともう既に日は高く昇っている。というよりむしろ西に傾き始めているような気がする。これが気のせいではないとすると随分と長い時間寝ていたことになる。それなのに疲労がとれていない。この身体になってからこんな事は初めてだ。
短い時間の睡眠でもその間に疲労がとれるように脳を休めるようにしているはずだからだ。原因は十割夢のせいだろう。
普段の私ならばまず夢など見ない。夢は眠りが浅い時に見るものだからだ。しかし目覚めるまでは確かに夢を見ていたし、それがやけに現実味を帯びていたことも覚えている。
紫の話から始まって最後は不思議な恰好の人外に夢から追い出された。確か深層で繋がっている夢を管理するとかなんとか言っていた気がする。夢を弄る妖……紫なら何か知っているだろうか。
紫の話は確か都の事云々だったはず。この山の妖が次々人間の生活を脅かしているらしい。別にそれだけならば妖として正しい行動であるので何も言う必要はないのだが、対象が都に集中しているのが不味い状況なのだ。
今の都には下級妖怪を倒せる程度の妖怪退治師しかいないが、紫の見立てでは二百年以内に上級妖怪をも屠る人間が現れるようになるだろうという事だ。
もうそこまで来れば人間としての枠から外れ、その者が妖として恐れられるようになりそうな気もするけど。でもそのくらいの力をもつ人間が現れると思われるらしい。
人間の牙が上級妖怪にまで届くようになれば私にはまず勝ち目がない。身近な上級妖怪と言えば紫や鬼、鴉天狗(はたてや射命丸など若いのは除く)以上の天狗たちだ。
そもそも私では戦いにもならない蹂躙になると思う。それを退治できる人間になど勝てないに決まっている。
だから私はできることならば今すぐにでも逃げたい。でもはたてが一人前に成長するまではここに残ると言ってしまっているからまだまだ出ることはできない。下手な事を言わなければ問題なく逃げ出せたんだけど……これは私の失態だ。
でもまあ義理であっても娘を放って逃げるのはいざとなれば気が引けると思うんだよねえ。あの子にとっての私は真の親みたいなものらしいし。
あれもこれも紫のように先を見据えながらにすればよかったものを後先を考えずに行動し過ぎた結果だ。進むも地獄、戻るも地獄ならばいっそ本当に地獄に訪問してみようか……なんて、馬鹿馬鹿しい。地獄は死者を鬼が虐めるところ。鬼がいるのならば行けないことも無いのだろうけど、私のような生者が行くような場所ではないのは確かだろう。
ま、人間側も都が相当ひどくならなければ手出しはしてこないだろう。今まだ行動の意思がないのであれば、大きな被害は出ていないとみていいのではないだろうか。力が無いだけかもしれないけど。
やまこはこう楽観視しているが、実際の都には相当な被害が出ている。
昼間は特に何事も無く、様々な店の立ち並ぶ大通りは遠方から物を売りに来ている商人や呼び込みをする人でにぎわっているが、夜になればその様は一変してしまう。
流石に妖怪が跋扈するような魔境になるわけではないが、通りには人っ子一人いなくなり建物の戸は固く閉じられる。それもこれも人間にとっては妖怪の魔の手から逃れるための精一杯の抵抗なのだ。都全体を覆うような邪なるものを通さない結界が張れるならば最も良いのだが、生憎それほど力を持っている人間はいない。
つまり今の都は妖怪にとって荒し放題な場所であるのだ。更に住んでいる人間も多いので一度に多くの畏れを得やすいという利点もある。
これ程の好条件であるからこそ山の妖怪たちも上の監視をすり抜けてまで都に降りてくるのだ。これで我慢しろと言う方が酷な話だ。天魔が改革を行う以前よりはマシになったとはいえ人間にとっては微々たるものだ。妖怪への対処方法の模索がまさに行われている。
天魔が恐れたのはこれだ。彼女は紫よりも早くに人間の脅威を認識していた。力ない人間が集団になると如何に恐ろしい力を持つのかを正確に予測していたのだ。
伊達に天魔足り得るほど長く生きているわけではない。つい二百年少し前には絶大な力を持つ人間が存在していたことも知っているのだ。現天魔が天狗社会に階級を作ったのもその人間の制度を参考に思い立ったからだ。天魔は彼女ほど民を導く力を持っていたわけではないが、勝ち取った信頼によってそれを補完している。
そんな人間を慕っていた者たちも尋常ならざる力を持っていた。天魔はそれを知っているので人間の脅威も十分に理解できたのだ。それほどの人間が山に攻め込んで来れば壊滅しかねないということは明白だった。今の都にそれほどの人間はいないが、いつまた現れるかは分からない。
しかしまだ百にも満たない若い妖怪や、やまこのように噂でしかその人間の話を聞いたことが無い者などは実感が湧きにくい。
だからこそ天魔が禁じているにもかかわらず、己の欲望のためだけに監視網を抜けてまで都に降りてくるのだ。その勝手な行動が自らを滅ぼすことになるかもしれない、というところまで頭が回らないのである。
鬼は山の頂点として、天狗の社会から完全に独立して存在しているために、都に降りてはならないという禁則事項は効力を有しない。しかし四天王を含めそこそこの年を生きてきた鬼は、かつて自分たちとも勝負でき、なおかつ勝っていた人間も知っている。
虎熊に関しては小人に負けた過去も持っているのでより一層人間の強さを実感しているのだ。小さき身体に大いなる勇気を秘めている小人、脆き身体に強き精神を持っている人間。種族は違えど、相手よりも弱くとも生きる希望を捨てないその心は同じなのだ。
しかしこれだけ力のある鬼が人間の真なる強さを知っていても若い世代の鬼はよく知らない者がどうしても多い。
鬼はその多くが人間上がりの種族である。強さを求めてしまったから、相手への憎悪や嫉妬が肥大し過ぎたから、など多くの理由で人間は鬼に変じる。しかし原因は大抵の場合その者の意思の弱さによるものだ。故にそのような鬼たちは人間の弱さは知っていても強さは知らないことが多い。
人間を弱いものだと断じた者たちが強い力を手にして増長してしまう。もう少し長く生きれば、鬼としての敗北を知っていればそれも収まって行くのだろうが若いうちは期待できない。
今夜もまた平安京に妖怪が繰り出す。建物の前には魔除けの塩や鰯の頭などが置いてあり、家の中までは入れないようになっている道には妖怪が歩いている。
人間はこれが恐ろしいので外に出ることは決してできない。来ているのは下級の妖怪ばかりなのだが、力の無い人間にとっては瞬殺されるか嬲り殺されるかの違いでしかない。だがそれすらも妖怪の気分次第であり人間に選択権は無い。
如何に無残に殺されようと、如何に弄ばれようと、人間は同情するしかない。夜中に外を出歩いた者が悪いのであり、妖怪に見つかってしまったことが運の尽きだったと思わざるを得ない。
だからこそ誰一人として出歩かないのだ。夜の都は人間が歩くには危険すぎる。酒蔵などが壊されて中身が盗まれてしまっていることもよくあることである。
毎晩のように訪れる脅威。都に住むものが減ってしまうのも無理はない。それでも魔除けなどが地元の里よりは充実している場合も多いので、多くの人間が流出するわけではないのだ。
今夜も人間は悪夢の覚めるのをひたすら待つしかない。まだ人間には何もできないのだ。
鬼って力を手に入れて調子に乗っているだけの奴も多そう(ド偏見)