覚る母が子育てします   作:小鈴ともえ

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フラスターエスケープ

 特に何事も無く、我が子と三人で平和に暮らす日々。こんな日々がずっと続くわけがないという事はとうに理解できていた。かなり前に紫から忠告もあったし。

 今こんなことを考えているのは昨日夢に紫が出てきたからだ。あれから二年毎くらいにちょくちょく出てくる。夢を見るという事はすなわち紫がやってくるという事でもある。想定外だったのは少し慌てた様子だったということか。

 

 

 

 さとりももう二百を数えるほどの歳になり、こいしもすくすく成長してもうすぐ百五十になるかという頃になった。

 昔聞いた紫の話も正直に言うとほとんど忘れかけていた。そんな折に夢の中にやって来た紫からのたった一言「逃げなさい」という忠告。どうしてと聞く間もなく彼女は夢から出て行ってしまった。

 

 

 

 

 そして毎度の恒例となったように赤帽の妖怪(獏というらしい)に追い出されて目覚めた。それがつい先ほどのこと。結局紫は詳細を何も言わず、ただ一言のためだけに私の夢に侵入した。

 その意味を、その重要性を理解できないほど馬鹿であるつもりはない。それほどの急務であることは間違いないのだ。

 

 すっかり忘れていた。平和にかまけてすぎていた。

 西暦990年代中頃の酒吞童子討伐。源頼光をはじめとした頼光四天王が鬼の首魁、酒吞童子を討つためにやってくるのだ。

 

 もやもやが晴れないままでいるのは良くない。冷たい水で顔でも洗おう。

 

 

 

 外に出てみると辺りには朝靄が立ち込め、まだ日も出ていない中おぼろげに映る稜線はどこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

 つん、と鼻にくる香り。こんな日でも変わらないものがあるということに少しだけ安心してしまう。

「伊吹、いるんでしょ? こんなに酒の香りが強い靄なんて他にないわ」

「……それもそうか。ま、今は声だけで我慢しておくれ。他に用もあるからね。それにしてもやまこがこの刻に目覚めているなんて珍しいこともあるもんだね。いつもはさとりちゃんに叩き起こされているのに」

 

 こちらからすれば伊吹がこの時間に起きていることも驚きだけどね。朝まで酒呑んで夕刻まで寝ている時も多いし。妖怪としてはその時間の使い方も正しいんだけど。

 

「今朝は何故だか落ち着かなくてね。これ以上寝る気にはなれなかったのよ」

「へぇ、やまこもか。実は私もなんだ。ここの総大将を長年やり続けているからこそ分かる変化もある。今日は山が哭いている。華扇たちや天魔もきっと気づいているだろう。風が山の聲を運んでくるからね」

 

 私には分からないほどごくわずかな変化。それでも長年この山にいる者にとっては感じ取れる程度の変化。伊吹の言うことが本当ならば若くても天狗なら分かるのかもしれない。

 

「来るよ。人間が」

「ああ。源頼光、だったかな。確か狙いは酒吞童子。その辺りまでならもう知っているさ。何せ元を辿れば同じ鬼がやったことの不始末だからね」

 

 伊吹も知っていたのか。流石は総大将といったところか。部下の不始末を知ってもこの落ち着き様か。私には到底まねできそうにないね。

 

「おそらくそいつらが来るのにもう暇はない。こんなに山がうるさいからね。だから…………やまこはもうこの山を出て行け。邪魔にしかならないだろう」

「……ありがとう、伊吹」

「何のことやら。私は本当の事を言ったまでだ。感謝される意味が分からないね」

 

 伊吹はあくまでも白を切るつもりのようだ。でも私には感謝する以外できない。さとりとこいしがいるからこそこう言ってくれたのだろう。

 私から逃げたいと言わせないようにわざわざ伊吹の方から言ってくれたのだ。山の頂点に君臨する者からの命令であるから山の妖怪から恨まれることも無く、堂々と山を出ることができる。

 

「さとりとこいしが目覚めたらもうすぐに発つよ。天魔や茨木やはたてに文にもよろしく伝えておいてちょうだい。また、会えるかな?」

「……さあね。生きていればまた会うこともあるだろう。今生の別れになるやもしれないけどね。生きていればまた会おう、やまこ。楽しかったよ」

 

 そう言って薄れてゆく酒の香り。香りだけじゃない。周囲の靄も含めた山中の霧が萃められてゆく。伊吹童子が本気になるか。進んで見たいものではないねえ。

 

「ありがとう、さようなら。私もなんだかんだで楽しかったよ」

 

 酒絡みの鬼は心底鬱陶しかったけど、それでも楽しくはあった。散々文句も言ったけどどうしてか嫌いにはなれない、憎めない奴らだった。天魔の愚痴も聞き慣れれば結構色々な所から入ってきた話もあって面白かった。

 あとは単純にさとりとこいしの相手をしてくれた若い鴉天狗二人。もうすっかり一人前と言っても良いだろう。きっと約束は守れた。

 

 

 さようなら、妖怪の山。もう二度と会えないかもしれない友人たちも。私が逃げずとも二人を守れたならばまた違っただろうに。無力。ああ無力。

 きっと伊吹は助からない。私の知識が確かならば酒吞童子は討伐されるはずだからだ。知っていても守れない命はそこかしこにある。神でもない限りはその全てを救う事などできない。歴史を変える事などできないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー!? もう天狗さんたちと遊べないの?」

 

 活発なこいしがよく遊んでもらっていた天狗 ――まあはたてのことなんだけど―― は流石にこの山から連れ出せない。彼女も既に組織の一人。身勝手な理由で共に逃亡するなんてできない。

 できることなら人間がこの山に入ってくる前に撃退してしまうのが最適解だ。だが現実的に考えてそれは不可能。どの径を通って来るかも予測できないうえにあちらは神の加護までついている。圧倒的に分が悪いのだ。

 

「こらこいし、母さんが困っているでしょう? 少しくらい我慢しなさい」

 

 そうは言っていても心の中では寂しがっているさとり。てっきり嫌々連れまわされているのかと思っていたが、存外本人も楽しんでいたようである。素直じゃないねえ。

 

「……母さんを庇うのやめるわよ?」

「悪かったからそれはやめてちょうだい」

 

 それにしてもこの精神年齢の差はいったい何なのだろうか。高々五十年くらいしか違わないのにさとりはかなり落ち着いていて、逆にこいしは全然落ち着きがない。

 元々の性格かな。さとりは引きこもっていそうだけどこいしは外で遊んでいそうだもんね。私はどちらかというとさとりの性格に近いのかな。

 

「ふふん、私は母さんのようにこんな狭い穴倉に引きこもって生活する気なんて無いわ。きっと広い所で悠々と生きてやるんだから」

 

 それは楽しみだ。目標が高いのは悪い事ではない。大抵はそれに到達する前に挫折してしまうんだけど。さとりがどこまでやれるか分からないが、挫折もまた経験。親としてはどちらに転んでも構わないと思っている。

 流石にそれで精神を病んでしまうようなことになれば見過ごせないけど、そうでもなければ何もせず見守るつもりだ。

 

子は親から離れて暮らす可し。

 

いつか離れていってしまう時が来るまでは存分に可愛がってあげよう。はたての時のように。

 

 

 

「さ、行きましょうか。とっとと山を出た方が良いわ。人間が来るのは夕刻から夜の間だと思うけど油断はできないからね。さとりもこいしも持つべきものは持った? ……じゃあ行くわよ」

 

 まだ上手く飛べないさとりのために歩いて下山。こいしの方が上手く飛ぶのは自分から飛ぼうという意識があったからだろう。さとりは大抵引っ張られていただけだから。

 でも飛ぶことが全てではない。確かに回避や移動にはこの上ないほど便利だが、空中では自由が利きにくい分、思わぬ敵襲があったりすると簡単に撃ち堕とされることもある。戦闘や逃亡においては頭脳もまた重要な要素なのだ。

 

 

 もう山を振り返りはしない。別れは既に済ませた。二度と戻って来ないであろう山に未練はない。狭い世界に妖怪の持つ長い生。生きていればまた何処かで会うこともあるかもしれない。

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