神と妖怪。普通ならばどちらからも歩み寄る事などあり得ない。天狗などのように妖怪でありながら神として祀られる者たちも少数ながらいるが、それを除けば神と妖怪はまさに水と油。
妖怪が人間の信仰から生まれた神を崇める事は無いし、いくら人間が嘆願しても神が妖怪を退治することも余程の害が及ぼされない限りは無い。
神が付き合うのは人間であり、妖怪が付き合うのも人間である。
間に板挟みになって生きるよりほかない人間のなんと哀れな事か。と言っても当の人間たちはそのことを悲観的に捉えているわけではない。彼らにあるのは生かされている意識ではなく生きていく意識だけだからだ。
神と妖怪の仲立ちとなるのは人間。しかし人間がいなければ全く関わらないのかと言えばそうではない。現に今までやまこは石長姫とかなりの時間を同じ空間で過ごしてきた。しかし、これに関してもやまこの運が相当に強かったと言わざるを得ない。
石長姫はもとより下賤な者の前には姿を現すことも無い。人間であれ妖怪であれ、神として自分と対等でない者の前に姿を現すことは基本的に無いのだ。
国津神ではあるが神としてのプライドは高く、妹からでさえも永遠の生を取り去る事を厭わない程度には芯が強かった。人も妖怪も見下す彼女が対等だと認めるのは永い間神々だけだった。
彼女がやまこの前に姿を現したのは、やまこがこの山で不意に誕生した妖怪であり、しかし妖怪とは思えないような特異な存在であったからだ。
自分の事を知っている人間も妖怪も動物もいない中で、生まれたての妖怪に名を当てられたことへの驚きと興味。彼女がやまこを他の妖怪達よりも少しだけ高い場所に置いたのもそれを踏まえれば当然の事だった。
悠久の時を生きるには、その間の退屈を紛らわせてくれる何かが必要になる。多くの神々にとってのそれは人間との交流であり、一部の蓬莱人たちにとってのそれは殺し合いだったりする。
石長姫にとってはやまこという妖怪の存在が現在その役を担っているのだ。近場に国を置いている諏訪子や神奈子にとってはこれこそ驚くべきことだった。
人間から見れば永遠にも思える数千年、あるいはそれ以上という妖怪の寿命。しかしそれさえも真に永遠を生きる者から見れば瞬く間に過ぎ去ってしまう。永遠を司る彼女にとって寿命のある者との付き合いは、ただ別れを辛くするだけのものだった。
その石長姫が気に入って連れてくるような
しかしやまこ自身も神と自分の立場の違いくらいは自覚している。自分勝手ではあるが絶大な力を以て単騎で国を亡ぼすことさえもやってのける。
特別強いわけでもない彼女にとって、神とはまさに天上に住むべき種族であった。
現在のこの空間。彼女がまともに話せるのは一番立場が高いとも言える石長姫しかいないのだ。その差は偏に話し慣れているか、いないか。
決して居心地の良くない空間で、ただ神の気に触れるようなことにならないよう差し障りない返答をし続けなければならない。自分を隠した会話と言うのは人間の最も得意とするところだ。そしてそれは元人間であった彼女も例外ではない。
居心地が悪い。来る前からこうなるであろうことは薄々分かってはいた。何せ神が三柱とただの妖怪が一匹だ。石長姫様は良いとしても、残る二柱は私にとって他人同然。
遥か昔から一方的には知っていたのよ。それこそ石長姫様に会う前から諏訪国の偵察はしていたくらいだし。だがこうして面と向かって会うのは初めてだ。石長姫様以外の神に会うのも初めてである。緊張して心臓が飛び出しそうとかそういうのはなくても口の中は乾いている。
「顔色の悪さは治らないねぇ。石長姫が言うには普段はこうじゃないらしいけど……何とも信じがたい。神の御前だからと言って畏まる必要はないよ。私たちはお前から信仰を貰おうとは考えていないからね」
だからこそ余計に居心地悪いんだけど。今までここまでフランクに話しかけてくる神様なんていると思ってなかったから少々の混乱状態に陥っている。力のある神が妖怪に対してそこまでフランクでいいのかというところも相まって、なかなか落ち着こうにも落ち着けない。
「そういう事です。八坂も洩矢も貴方から信仰を搾取しようなどとは思っていませんよ。何も気に病むことはありません」
それは心を読めば大体わかる。そも、私の信仰は恐らくすべてが石長姫様に行っていると思われるので、今更この二柱を信仰せよと言われても困ってしまう。
そのあたりの知識はそれほどないのでよくわからないのだが、この国の人々が二柱を信仰しなければならないことに対してどう思っているのかが予測できない。一番気になるのは国譲り当時の人々の気持ちだけど。
「まあ良い。お前に聞きたい事はいくらでもあるからね。今夜はとことん付き合ってもらおう。お前はいける口かな?」
「ええほどほどには。鬼や天狗ほどではありませんが」
あいつらはどれほど呑めば潰れるのやら。
そもそもあの華奢な身体のどこにあれほど大量の酒を入れる場所があるのだろうかと思う。妖怪の身体の作りが人間と違うと考えても不思議だ。
で、神もその類の不思議生物らしい。とりあえずで持ってくるのが一升瓶四本(一人一本)である時点で少し不安になってくる。そのうち一斗樽なんかが出てきても全く不思議に思う事は無いであろう雰囲気だ。
石長姫様が特に驚いた様子も無く普通に瓶を空けているところを見ても、これが神の交流では普通であることが伺える。
「石長姫様も酒を嗜まれるのですね。少し意外です」
「おや、そう言えば貴方の前では呑んだことがありませんでしたね。私も含め、神と言うのは得てして酒好きです。そのこだわりも様々なもの。口噛み酒しか呑まない神もいた気がします。巫女がいなくなったらどうするのでしょうかね」
うむ、口噛み酒か。私には少々刺激が強すぎるかな。気にしなかったら何も問題なく吞めるんだろうけど、知っていれば躊躇いそう。
「私は特にこだわりはないんだけどねぇ……強いて言うならこの地の米から造ったやつが好きかな。古明地やまこと言ったっけ? お前さんが気に入っている酒は無いのかい?」
この洩矢諏訪子という土着神は私が言うのも何だが幼い。だがそれは見た目だけの話だ。伊吹と同類のにおいがする。
それにしても気に入っている酒か。特に銘柄なんかは気にしたことも無かったし、呑む時は大抵あいつらが盗んできた物か伊吹の瓢箪の酒だから気にしたことも無かった。
「……そこまで強いこだわりはありませんが、強いて言うなら鬼の酒器で生まれる純米大吟醸は美味しかった覚えがありますね」
「へぇ、鬼の酒器から酒を呑んだことがあるなんて驚きだねぇ。あれは鬼の宝だ。そう易々と誰かに貸すとも思えないが…………」
「……お断りしますよ。私は別に強いわけでは無いので」
「分かっているさ」
嘘。心の中の声はまるっとお見通しだ。甚く残念がっているのが読み取れる。そもそも鬼と関りがあるからと言って強いと思うのが間違いなのだ。
あいつらはわざわざあいさつに行った私を珍奇な奴だと面白がっただけ。あとは酒に強いというのもあっただろう。少なくとも戦闘面では特別な事も無い。
「ところで古明地よ。お前は何故人を襲わない? 妖ならば人を襲う事こそ道理であろうが」
はじめの質問がこれか。確かに妖怪であれば人間を襲うのが当たり前だ。存続に必要な人間からの恐怖心を最も効率よく得るための方法が人間を襲う事だからである。
人間を喰う、喰わないに関係なく、妖怪とはそういうものだ。はたてだって遊び感覚で人間を脅かしたり攫ったりする。
おかしいのは彼女たちではなく私。だが今のところ、人を襲ってこなかったことによって困ったことは特にない。心を読まれるという恐怖は出会ったその瞬間に得られるものだからだ。稀に山に立ち入ってくる人間たちだけで事足りるのが現状だ。
それ以前に人間を襲うという事に少しの忌避感がある。何百年経っても私が元人間であったという事実は揺らがない。
「その必要が無いからですよ。己の内面が暴かれるという恐怖は決してなくならない原初の恐怖。人が闇夜を恐れるのと同じことです。人は知らぬうちに私たちサトリに力を与えているのですから、これもある意味では信仰と呼べるものかもしれません」
「ははっ、神との対比かい? 実に面白いやつだよお前は。そうだ、お前も何か聞きたいことがあれば聞くと良い。特別に答えられる事なら答えてやろう」
初対面の神様にする質問なんてパッと思いつかない。そもそも普段どうやって過ごしているのかも知らないし。
とりあえずどうして酒が好きなのか、という質問には答えてくれそうにない。そんなことはきっと神様たちも知らないだろうから。
石長姫がはたてには見えないという設定を出してから実に半年以上経っているんですねぇ。12話くらいしか進んでいないのに
次回で山に帰ってもらいますが、神奈子と諏訪子はこれからもちょこちょこ出てくると思います。ご近所さんなので