「どうでしたか? 八坂と洩矢は」
どう、と言うのは……彼女たちの人となりのことか。こういう時に心を読めるのは便利だ。見当違いな返答をされては相手も困るだろうし、たとえ相手が言葉足らずであっても真意を読めるのならば会話はすれ違わない。
「そうですね。妖の私にも明るく接してくださったのは本当に嬉しかったです。神様とはもっと近寄りがたい存在だと思っていました」
「おや、私もですか?」
「当然ですよ。石長姫様とはもう長い間過ごしてきたので今夜の彼女たちほどではないですが」
それでも私が敬語を使う相手なんてあの二柱に会うまでは石長姫様くらいだった。どれほどの年月が経っても、どれほど親密になっても、私が敬う気持ちを持ち続けるならばきっと敬語で接し続けるだろう。
今の距離感で接することさえ烏滸がましいと感じているのに、今以上に近づくことはできそうにない。それはあの二柱も同じだ。人間からの信仰が篤い彼女たちの威圧感は神様に慣れているはずの私でも顔色が悪くなるほど、言葉では言い表せない程に凄まじかった。
私は基本的に敬語を使わない。使う相手はこのような近寄りがたい存在だけに対してだ。昔はそうでもなかったが、今は自分とは格の違う相手に対してのみか。
昔は当たり障りのないように、誰に対しても敬語で接すれば良いのだと思っていた。紫は……あちらから唐突に話しかけてきたのが悪い。急な返答に敬語が出るわけも無く、結局そのまま続けた形になった。でもそれでよかったと思っている。
彼女との生活を通して、私はこの世界の恐ろしさを知ることができた。完全なる弱肉強食。やらなきゃやられる。
遜るのは悪い事ではない。日本人には美徳として捉えられていたせいか、私も謙遜することに対して何の違和感も覚えていなかった。
でも紫がそれではいけない、と諭してくれたのだ。生き延びるならば相手になめられないことが最重要。弱者と認められてしまえば生き残れる確率はグッと下がるらしい。
だから私は天魔にも、鬼にも敬語を使わずに偉そうな態度で接してきた。たったそれだけで私を襲おうとする妖怪は激減するのだから面白い。生物と言うのはどこの世界でもどんな種族でもどんな時代でも同じようなものなのだと実感できた。
でも鬼に怯える妖怪も、種族は違えど人間の恐怖によって生みだされた存在であるという点に関しては私とも同族のような関係だと言える。だから不敬だとかを気にせずに軽い気持ちで付き合うことができる。
人間の愛情によって生み出される人間。畏れによって生み出されるのが神。恐れによって生み出されるのが妖怪だ。
畏れと恐れ。人間が中心のこの世界で、神は敬われる存在であり、私たち妖怪はただ怖れられるだけの存在だ。
神は人間に畏れられるものであるので本来妖怪が神を畏れる必要はない。でも私の中の人間の心がそれを許しはしないから私は神と一定の距離を保つようにしている。だから一応石長姫様とも親しくなりすぎないように配慮はしているのだ。妖怪と仲のいい神なんていうレッテルは貼られてほしくないし。
「相変わらず堅いことで。結局酒もあまり吞んでいませんでしたし。好みではありませんでしたか?」
「いえいえまさか。とても美味しかったです。だからこそ吞み過ぎないように気を付けていたのですよ」
何よりも自分が呑まれることが恐いから。三杯は酒人を飲むとはよく言ったものだ。美味しいからと言って呑み過ぎると結局自分に返ってくる。
神とか鬼とかはその一杯の基準が桁違いだから大丈夫なのだろうと思いつつ。でもあれだけの酒をたった一升しか呑まなかったのは失敗だったかもしれない。普段この山にいるときは酒なんて吞めないから。
「貴方はそういうところも堅いのです。良い心がけだとは思いますが。…………おやもうこんな時間ですか。そろそろあの子たちも目覚めそうですね。ではまた会いましょう」
「はい。今夜はありがとうございました。少しだけ、世界が広がりました」
さとりたちといるときも姿を見せないだけで見守ってくれているのね。そう言えばはたての時も、さとりがまだ赤子だった時も気にかけてくれていたんだった。
やはり根は何処までも優しい神様なのだろう。本人はそれを忘れて久しいと言っていたような記憶があるが本当なのだろうか。それともそれが優しさであると気づいていないのだろうか。
さとりがいれば分かるかもしれないけれど。でもさとりの前では姿を現してくれないからどうしようもない。逆にどうして私以外の前に姿を現さないのか、それもまだ分からない。
まあ良いか。とりあえずもう朝だし二人を起こそうかな。放っておいても少ししたら起きてくるだろうけど。
珍しく母さんに起こされた。そう言えば昨晩は遅くまで母さんと話していたから起きるのが遅れたかな、と少し思った。
でも外を見ればまだ日が昇り始めた頃。卯の刻あたりではないだろうか。寝過ごすといけないから母さんがわざわざ起こしてくれたのだろうか。
隣を見ればこいしはまだ寝ぼけているのか、起こしに来た母さんに抱き着いている。母さんの方も「困った子ね」などと言いながらまんざらでもないようだ。困っていないのなら放置で良いか。
「いや困ってるんだけど。助けてよさとり。この子の力馬鹿にならないんだけど?」
「寝ているからでしょ。きちんと起こせばきっと弱まるわ」
寝ている時は何故か思いもよらない力が発揮できることもあるらしい。歯ぎしりなんかがいい例だ。起きている時にはどうやってもあんな音出ない。
今のこいしもおそらくは似たような状態なのだろう。起きている時からは到底想像もできないような力で母さんを縛り付けているに違いない。どうせすぐに目覚めてその束縛も解けるだろうから放置で良いか。
残念ながら、そう本当に残念ながら私は母さんの心を読まないし、母さんが何を思っているかも分からないもの。
「折角今日は私の一番好きな場所に連れて行ってあげようと思ったのにな~。動けないんじゃ行けないわね~」
「…………はぁ」
もっとはっきり言えば良いのに。仕方ない。こいしを起こすか。
「ちょ、待ちなさいさとり。その方法はあまりにも手荒過ぎない?」
えー。少し恐い思い出を想起してあげようと思っただけなのに。私はされたくないけれど。
「じゃあ母さんの能力は? それで起こせないの?」
「いや、私の能力で起こすのは、サトリの能力で相手に心を読ませようとするのと同じだから無理よ。私たちの心を読めるのは同族だけでしょ?」
「ならどうするのよ。手荒な方法で起こせないなら叩き起こすという選択肢も無いんでしょう?」
私がそう言うと母さんは意地悪そうな笑みを浮かべる。何か策があるのなら初めからそう言ってほしいものだ。回りくどいと他人に嫌われるよ、母さん。
母さんが誰に嫌われても私だけは嫌いにならないであげるけど。……だからその顔やめて。
「ごめんごめん。とりあえずこいしを起こすには食べ物が一番よね。朝食置いてあるから取って来てくれない?」
結局朝食の匂いにも釣られなかったこいしを雄鶏のうるさい声で起こすことになったのはまた別の話。あれで起きないのなら強引に起こすしかないと母さんが折れた結果だ。可哀そうなこいし。
今はもう昼過ぎ。母さんの一番好きな場所だというから常日頃から話題に出てくる石長姫という神の社かと思っていたがそうではなかった。そもそもそちらに関しては場所も知らないらしい。神社の場所も知らない神とよく交流できるものだ。
私は自分の目で見たことが無いけれど、母さんの心を通してなら母さんの心を読んでいた頃に見たことがある。私から見れば近寄りがたい雰囲気だったが、話をすればまた違うのだろうか。
ならばいったいどこなのだろうかと心を弾ませながら母さんについて行っていた私たちだが、母さんが「ここよ」と言って立ち止まった場所はどう見てもいつも使っている湖で、少し落胆してしまったのは避けられないことだっただろう。
「ここが? 毎日来るところじゃん。もしかしてお母さん頭がおかしくなっちゃったの?」
「ぐ……失礼な子ね。いい? ここには伝説が残っているの。さとりは知っているわよね?」
「確か……ここの白馬が人間の男女を親から逃がしたとか何とか」
数十年前に母さんから聞いた話だ。
「まさか……」
「ふふ、どうかしら。また少しついてきなさい」
そう言って湖に沿って歩き出す母さん。馬が出るか蛇が出るか。はたまた人が出るのか。母さんの表情からは何もうかがえない。
二話に出てきた湖がここ、白駒の池。今更思い出しましたが、二話で出てきた烏は文にでもしようと考えていたのでした。今の今まですっかり忘れていたのであれはもう名も無き一羽の烏として生を終えたわけですが