オストガロアをソロで狩ると楽しい
飢えに苛まれ、怒り狂う恐暴竜を踏みつけにして、彼は闘争を終えた。
濃紺色の身体にいくつもの生傷を刻まれ、龍の雷にその身を焼かれ、尚
も彼は立ち上がり、怒りに染まった黒い息を血と共に吐き出した。
降りかかった暴竜のドス黒い血が音を立てて体表から蒸発し、さながら狼煙のように天へ昇っていく。
満身創痍なのは誰が見ても間違いなかった。
角は削られ牙は折られ、翼は破れ尾は潰された。
全身から血が迸り、今すぐにでも身体を休ませるべきだと確信していた。
それでも、憤怒の奔走は暴風雨のような猛攻を掻い潜り、その異形の角で健啖の悪魔の心臓を貫いて見せた。
勝鬨は上げなかった。
否、上げられなかった。
黄昏。
黄金に輝く太陽は、その身を傾けさせながらも未だ見渡す限りの大砂漠を照らす。
灼熱の空の下、ぶつかり合う刃と刃。
燼滅の刃。
鎧すら裂く鎌。
二つの命が闘争の果てに果てたことを、彼は感じ取っていた。
敵は2匹。
白骸纏う狩人と、疾風と雷光を宿す狩人。
極限まで研ぎ澄ました感覚が見た光景は、信じがたいものだった。
燼滅の刃を真正面から斬り捨て、鎧裂の鎌を受け流して一蹴して見せた。
その白骸を見ると、全身の古傷が一斉に疼き出した。
その巨剣を見ると、異形の角にヒビを入れられたような痛みが走る。
その眼光を見ると、沸騰する血液が一瞬で凍りつくような恐怖に襲われる。
恐ろしいなどという感情を久しく味わっていなかったからだろうか。
無意識に脚が震え、呼吸は止まり、神経は恐れをなして滅茶苦茶な信号を発し出す。
ざあ、と暴風のような音が起こる。
身体を凍らす恐怖心すら憤激に変えて、彼は叫ぶ。
群青色の甲殻に赫く滾る怒りを奔らせて。
最早何に怒っていたのかすら、闘争と鏖殺の果てに忘れ去ってしまった。
それでも異形と化した角を天に振り上げ、ただ叫ぶ。
殺す、殺す、殺す。
自らを脅かすものは全て殺す。
自らの領域を犯すものは全て殺す。
ただただ殺す。
それは王者の咆哮。
それは憤怒の具現。
それは避けられぬ死の未来。
———鏖殺の悪魔。
ヒトに付けられたその名を彼は知る由も無いが。
それでも彼は鏖殺の限りを尽くす。
その身体が、憤怒の果てに崩れるまで。
その命が、闘争の果てに尽きるまで。
その怒りが、鏖殺の果てに枯れるまで。
殺せ、殺せ、殺せ。
身体の全細胞に至るまでが熱く燃え上がり高らかに叫ぶ。
殺せ、殺せ、殺せ。
其の身の根源たる怒りが重く、激しく叫ぶ。
殺せ、殺せ、殺せ。
この世の全てを呪うが如く叫ぶ。
◆
燼滅刃、鎧裂との戦闘は思ったより長引き、移動の時間も含めると3時間にも及んだ。
浮かぶ太陽が徐々に傾き、黄昏に向かっていく。
空を行く鳥すら無い静寂の砂漠。
時折り吹く強風が砂を巻き上げる音と、2人の足がザクザクと砂を踏む音だけが世界の全てだった。
恐暴竜の食べ滓は砂に潜む小動物に貪り食われ、ドス黒い血の跡だけが
点々と砂漠に滴り落ちているのみ。
目に見えるような大きさの生物は尽くが飢えた暴竜に喰らい尽くされ、その場に命と呼べるものは2人の狩人を残して他にいなかった。
2人は無言で広大な砂地を歩いていく。
風が巻き上げた砂をその身に受けながら、時折りクーラードリンクを煽りながら、沈んでいく夕日を眺めながら、焦った様子もなく討伐対象を求めて砂漠を歩んでいく。
【特殊許可】モンスター複数頭の狩猟
『討伐対象』・燼滅刃ディノバルド
・鎧裂ショウグンギザミ
・怒り喰らうイビルジョー
『目的地』・セクメーア砂漠
『報酬金』・25000z
『依頼主』・ハンターズギルド
『参加条件』・『G級』特別許可証
・『燼滅刃』狩猟許可証
・『鎧裂』狩猟許可証
『成功条件』・全てのモンスターの討伐
『失敗条件』・報酬金0
・クエストの放棄、又は全員の死亡
ローラは取り出した依頼書をチラリと眺めた。
普通の狩人ならまず受けないであろう内容だ。
例え一生遊んで暮らせるだけの金が手に入ろうと、命には変えられない。
身体を爆散させられるか、真っ二つにされるか、それとも生きたまま貪り食われるのがオチだろう。
それでも仮にも魔王とまで呼ばれる狩人である自覚はある。
何より、幼少の頃から実直に積み上げてきた力と誇りが。
狩人になったのは『流星』と呼ばれるG級狩人だったライズの影響でもある。
10年前命を助けられ、義理の父として幼いローラを迎え入れた。
また、狩人になりたいと願ったローラに武器の扱いと狩場での心得を叩き込み、その教えは今尚彼女の誇りを強く支えている。
女らしからぬ性格もまた彼の影響を強く受けていた。
狩人となった後に彼女を支えたのは義母であるラネルだった。
傷だらけになって帰ってきたローラを温かく出迎え、手厚く治療を施してくれた良き母だった。
ライズと同じくG級狩人の称号を持っており、母としてローラを支えながら、狩人としても獅子奮迅の活躍を見せる強い母でもあった。
あの2人に比べてみれば、自分などまだまだだとローラは感じていた。
ライズは古龍『天彗龍バルファルク』を、ラネルは『閣蟷螂アトラル・カ』をそれぞれ単騎で討伐したという伝説を持っている。
無論ローラにも古龍との交戦、討伐の経験はある。
しかし古龍の討伐経験といえば聞こえはいいが、50人もの集団で誘い込んだ霞の龍に、たまたまトドメを刺したのが自分だった、というだけのことだった。
技を教わった父への負い目、今尚狩人として戦う母への嫉妬心。
ほんの一滴の雨垂れが心の器に落ち、小さな穴を穿った。
強敵と戦う度。
———こんなものじゃない。
死を潜り抜け勝利を収める度。
———こんなものじゃない!
また新たな敵を求めて鎧を纏う度。
———こんなものじゃない!!
満たしても満たしても、空いた穴から全てが零れ落ちてしまう。
戦っても戦っても、渇きは癒されない。
何かが足りない、何かが手に入らない、何かが———。
飢えているのは自分だと、折れて皺になった依頼書をしまいながら鼻を鳴らした。
極限の飢えに苛まれて全てを喰らうイビルジョー。
その要因は年老いて御しきれなくなった龍属性エネルギーの暴走だと言われている。
捕食する為の力———生を繋ぐべき力が、皮肉にも死を齎す、酷い矛盾だ。
だがこの世にはそんな矛盾がいくつも存在している。
だがこれは
力への渇望。
聞こえはいいがその本質は空だ。
かつて義父に尋ねた力の在り処、そしてその在り方。
『どうしてあなたはそんなにも強くいられるのか』?
夢の為だと彼は言った。
自分の知らない空を見たい、人の知らない世界を自分の手で切り拓き、その先にある何かを見たい。そして若き日に憧れた流星舞う空を、もう一度だけ見たい。
その渇望がライズの根源だった。
渇望が与える力は原点たる流星を撃ち墜とし、形を変えて尚も進み続けた。
ラネルもまた彼を支える為にその力を使っていた。
ライズの夢の果てが見たい、彼が夢を掴むその瞬間を、彼の隣で笑って眺めていたい。
それが彼女の夢。
ライズが死んだ今となってはどうか知らないが、今まで以上に力を増した彼女に力を与えているのは、間違いなくライズであることは確かだ。
———だけど、私には?
それは何だろう。
力なら在る筈だ。
紫毒を飲み干し、黒炎を喰らい、白疾風を捉え、金雷を裂いた。
天眼を欺き青電を断ち銀嶺を崩した。
朧を見抜き宝を砕き荒鉤爪を恐れさせた。
岩穿つ牙を貫き、矛砕く盾さえ割り、隻眼を盲目に変え、紅兜を潰し大雪主を屠った。
そして先程も燼滅刃を真正面から打ち倒し鎧裂の鎌を潜り抜け、勝利を収めた。
なのに
私はなぜ乾いている?
ローラは自分に問いただした。
力を求めればこそ他の強者に嫉妬する。
力を求めればこそ師事した者に負い目を感じる。
だがその渇望の根源は?
富でも名声でも、夢でもいい。
誰だって何かを手に入れる為に力が必要だった。
利益、正義、護身、守護、復讐。
誰だって何かを成す為に力が必要だった。
だが私はなぜ嫉妬する?
なぜ負い目を感じる?
私の力は、何の為にある?
力の在り処を知らぬ私に、この力の在り方などわからない。
理由の無い力など何の意味も在りはしないのだと父は言った。
善かれ悪しかれ、力とは何かの為に使うモノだ。
私にはわからない。
善も悪も、理由を知らぬ私には何もない。
ただの虚無。それが私だ。
魔王だの死神だの恐れられたところで、それは都合のいい偶像を崇めているだけに過ぎない。
白い
中は空っぽ、半死人のようなモノだ。
力だけは強い骸が何の目的もなく、苛立ちのままに暴れ回っている。
それがたまたまヒトの形をしているだけのこと。
昔から表面を取り繕うのだけは無駄に上手かったせいで、人間社会に馴染んでしまっただけだ。
無論拾ってくれた両親への感謝はあるし、相棒であるレインも大切に想っている。
人並みの感情は持っているし、愛も哀しみも知っている。
嫉妬も負い目もただのきっかけに過ぎないのだ。
器に開けられた穴の、その向こうにある何かが、ローラの根源であることは間違いないのに、満たされないからその正体を知ることもできない。
自覚が無い何かに、それでいて決して満たされない何かに、自分の全てを支配されていることが腹立たしくて仕方がないのだ。
無意識下であっても、その苛立ちは隠し切れるものではない。
戦っている時だけはその苛立ちを忘れることができたが、戦いというものはそう長く続かないのが当然だ。
強敵との死闘をまた一つ終え、言い得ぬ感覚に包まれたローラの心は、また新たな強敵を求めて疼き出す。
戦う、戦う、戦う。
闘争の果てに、力を極めたその先に、自分を満たしてくれる何かがあると信じて———。
◆
「……見当たりませんね」
思い沈黙が数時間続き、先に口を開いたのはレインだった。
大きく露出した肌を濡らす珠の汗はいつの間にか消えていて、気温が段々と下がっていっていることを思わせた。
黄昏。
夕陽は果てなく続く地平に沈もうとしている。
「……」
ローラは答えない。
目当ての恐暴竜が
答える必要などなかった。
鎧裂との戦闘の折発現した極限の世界は、数多くの情報をもたらした。
その片鱗が見せたあの光景を、彼女は無意識的に理解していたのだ。
だからこそ———。
「……来るぞ」
識っていた。
飢える恐暴竜を屠った何者か、鏖殺の限りを尽くすその暴君の存在を。
闘争の果てに待っている死の姿を。
その知識で知らずとも、感覚だけはその存在を捉えていた———!
接敵。
爆音。
邂逅。
一瞬の地鳴りの後、それは姿を現した。
砂を巻き上げながら、空を裂きながら、目にも留まらぬ速さで、視界の全てを埋める存在感を放ちながら、
時は黄昏。
『悪魔』。
レインは真っ先にそう思った。
形は砂漠の暴君ディアブロスのものだった。
だが、それはあまりにも異様で、この世のモノとは到底思えない姿をしていた。
全身を包む濃紺色の甲殻。
一度折れて歪に再生したかのような異形の角。
全身から迸る刺すような殺意。
レインが息を呑む。
ローラが剣に手を添える。
現れた悪魔は、屠るべき敵の姿を認めると、一瞬で臨戦態勢に移行した。
全身を怒りが覆い尽くす。
その目にこの世の全てを喰らう殺意を込めて、彼は叫ぶ。
『——————!!!!!!!』
咆哮。
押し潰されるされるかのような重圧が狩人たちを襲った。
爆音もさることながらその怒りが、その殺意が、生物の心臓を握り潰しあらゆる感情を一つに塗り替える。
———恐怖。
恐怖が身体を硬らせ、一瞬先の死を見せる。
あらゆる生物が持つ根源的な恐怖。
誰も逃れることのできない死の予兆。
咆哮が収まって尚、手と脚は震えてまともに動かない。
眼前の悪魔が完全に攻撃態勢に入っても、恐怖に塗り替えられた身体は言うことを聞かない。
『———!!』
悪魔は一声鳴くと、鏖殺の火蓋を切って落とした。
牽制とばかりに尾を大地に叩きつけ、衝撃で岩塊を飛ばす。
彼は数多くの交戦の経験から、敵の力量を測る術を身につけていた。
強者は、まずその存在感から他の弱者と一線を画すものを放っている。
先刻の恐暴竜もまたその一体で、ただの恐暴竜と常に赤い恐暴竜ではその存在感が全く異なるのだ。
だから悪魔は識っていた。
白疾風を纏うニンゲンが、白骸を纏うニンゲンより
「……ッ!」
識っていることと、対処できることはまた違う。
例え未来が見えたとして、その未来を変えるだけの力が無いなら、見えていないのと一緒だ。
ローラは歯を食いしばると、恐怖に震える腕を無理矢理奮い立たせ、柄を握り潰す程の握力で大剣を抜き放つ。
距離は2m強。
焦りと恐怖の両方に脚を引きずられながら、それでもローラは地を蹴った。
自分でも驚くほどの俊足が一瞬で距離を詰め、レインを突き飛ばす。
重力に任せて落ちてくる岩塊を、寸前で躱す。
半ば飛び込むような形で地面に倒れ込んだローラの隙を、鏖殺の悪魔は見落とさない。
『———!!!』
「ぐうッ———!!」
立ち上がりかけのローラに、悪魔の翼が一撃を見舞う。
彼にとってはジャブ程度の一撃でも、大地にめり込む程の威力。
紙一重、大剣を盾にしたローラだが、不安定な体勢で防ぎ切れる筈もない。
「う、あ、ああああ!!」
鬼人化。
白骸が砂を弾き飛ばしながら転がっていくのを見て、レインはようやく闘志を復活させた。
逆手に持ち替えた双刃で、無防備な脚元を切りつける。
堅牢な甲殻を少しずつだが削り、一撃の度に金雷を叩き込むそのニンゲンを不快に思ったのか、悪魔は身体を回転させた。
その巨大さ故に、ただの身動きですらヒトにとっては死に直結する。
ヒトがオルタロスを歯牙にも掛けないのと同様に、悪魔にとってヒトは蹂躙されるべき弱者に過ぎない。
回転に伴って繰り出される尾。
躱すのが精一杯だった。
普段であれば躱して尚反撃の余地がある隙だらけの攻撃、だが心を支配する恐怖は文字通り脚を引っ張り、本来のパフォーマンスを発揮させなかった。
それは未知の相手、死の具現。
怒りの権化、殺意の奔流。
レインも、一度だけ噂でその話を聞いたことがあった。
砂漠の生態系の頂点に立つ角竜ディアブロス。
その二つ名個体の話を。
数少ない実力者たちの中でもほんの僅か、飛行酒場のマスターに特別許可を受けたモノだけが挑める、最強のディアブロス。
かつて腕利きであった2人組の狩人を引退に追い込み、挑んだ狩人の尽くを殺害し、討伐記録が存在しないその悪魔の名を———。
その名は『鏖魔』。
鏖殺の暴君の異名を持つソレは、恐暴竜すら屠り新たな標的にその双眸を向けていた。
◆
「———ってぇ……」
少し欠けて破片が散った大剣を杖にして立ち上がったローラは、ズキズキと痛む全身を押さえつけながら鏖魔に向き直った。
全身を暴威の嵐に変えて暴れる鏖魔と、紙一重で暴風を掻い潜り、雷光を見舞う疾風。
その光景と、地を舐めさせれた屈辱がローラを奮い立たせた。
「……ッ!!」
満身の怒りを込めて、大剣を担ぎ、突進。
暴風と化した鏖魔が先程と同じ動きで右の翼を振りかぶって突き出してくる。
恐怖を押し殺し、竦む脚を地面に叩きつけて、衝突の寸前、横に飛ぶ。
着地の隙すら惜しい。
一瞬すら止まっていられない。
一瞬で鏖魔の眼前に到達した白骸は大剣を大きく振りかぶると黒い息を吐くその顔面に大剣を叩き込む。
眼前の恐怖を捻じ伏せる様に、悪魔の鎖を断ち切るように。
『獣宿し【獅子】』。
炸裂。
渾身の一撃はその衝撃で牙を砕き折り、その巨躯を大きく怯ませた。
即座に納刀して離脱するローラを、鏖魔は恨めしい目で睨みつけた。
大丈夫だ、通用する。
ローラは自分に言い聞かせた。
奴は不死身の化け物でも、地獄の番犬でも無い。
斬れば血が出るし殴れば牙を折れる。甲殻の強度にも限界があるし、あの角だってへし折ってやれる。
だから、ビビってないでさっさと戦え———!
悪魔は苛立っていた。
弱いニンゲンを先に片付けようと思えば、上手い具合にこちらの攻撃は躱される。怒涛の攻撃で反撃の隙すら与えないが、それでもこちらの攻撃は躱され続ける。
まるで何かを待っているかのようにひたすら避け続けるのだ。
そしてあの一撃を受けても平気な顔をして起き上がってきた白骸の姿。
古の龍には及ばないものの、それでも彼は自分の強さを誇っていた。
それでも立ち上がる、果ては反撃まで叩き込まれた。
恐暴竜に折られた牙、残された数少ない牙までもがその衝撃で砕け散った。
口の中に広がる鉄の味。
彼に傷を与える存在など、そう多くはない。
だが、それでいい。
それでこそ、この怒りの捌け口として相応しい!
鏖魔は吠えた。
眼前の好敵手を叩き潰し、その怒りを晴らす為に。
異形の角を振りかざし、悪魔の一撃を間隙無く放ち続ける———!
『———!』
突進。
暴風の如き速度で襲い掛かる殺意の塊。
不意打ち気味に放たれたそれは、威力、速度共に最大には程遠いが、ニンゲン1人に致命傷を与えるには十分過ぎる威力だ。
白骸は全力で横に走り、ギリギリで死を回避した。
———だが、甘い。
通り過ぎて反動を殺している筈の鏖魔に向き直ったローラは、驚愕に目を見開いた。
ディアブロスの突進はその威力と勢い故に本人ですら制御が効かない。
完全に停止するにはそれなりの空走が必要だ。
それ故に狭い場所では積極的に使いたがらない。
鏖魔とてそれは同様の筈だ。
そう思っていた数瞬前の自分を殴り飛ばしてやりたいとローラは思った。
折り返して最大速度に達した鏖魔の突進は、恐暴竜すら貫く必死の一撃だ。
背の大剣に伸ばしていた右腕を戻す暇もなく、身体の限界を遥かに超える速度でその場を脱した。
「うぐっ!」
翼の端が少し掠った。
たったそれだけで鎧の一部が砕けてバラバラとこぼれ落ちた。
飛竜の爪すら通さなかった堅牢無比の防具がいとも簡単に砕かれ、中の弱々しい素体を晒している。
背中に走った衝撃と、死の恐怖に震える身体ががその一撃の威力を物語っていた。
「クソッタレ……!!」
ローラは毒づくとギリ、と歯を食いしばりながら立ち上がった。
鏖魔は標的をレインに変え、また突進を繰り出していた。
ローラは怒りに眼光を燃やすと、砂を蹴りながら駆け出した。
◆
身を捻らせた鏖魔、遠心力を加えて真横から襲い来る大槌の様な尾を、身を伏せて躱す。
地面を抉り取る様に連続で振るわれる双角。
一撃目を防御した次の瞬間、捲り上げるように放たれた二撃目が防御をすり抜けて丹田を抉り取るかの様な衝撃と共に炸裂した。
衝撃は骸の鎧を砕きながら全身を打ちつけ、強く握った巨剣を手離させた。
「かっ、あ———」
肺から絞り出された空気の音が口から漏れ出た。
声すら出ない、激痛が全身を走り抜け髄の奥までを揺さぶるような感覚。
息が止まる。
生を維持する全てが、その機能を狂わせていく。
死んだ、と思った。
天高く宙を舞う身体。辛うじて残る意識が地表の剣戟の音を聞き取っていた。
黄昏に染まる大地に鈍い音を立てて墜落した白骸は糸が切れた様に静止し、人形の様に転がった。
暴風を躱し続ける疾風は、その光景を見てほんの一瞬、脚を止めた。
ほんの一瞬。
普通なら認識すらできない筈のその一瞬を、鏖魔は捉えた。
戦いの場では、ほんの一瞬の隙すらも死に直結する。
鏖魔は識っていた。
自らの咆哮が敵の脚を止めることも。
自らの怒りが敵の動きを鈍らせることも。
そしてニンゲンは1人の負傷が、他のニンゲンの動きにも影響することを———。
打ちつけた尾を、そのまま横に薙ぎ払う。
躱した隙と思い込んでいたニンゲンの脇腹を、死の大槌が殴りつける。
「———ッ」
ちょこまかと目障りな風はそれで静かになった。
怒りの捌け口には相応しくないそのニンゲンを、ゴミの様に一瞥すると、鏖魔は先程殺した白骸に向き直る。
否、死んでいる筈がない。
そうだ、識っている。
識っているぞ。
お前の、その身体に流れる血は———。
◆
ざわ、と。
鏖魔の強靭な感覚はその変化を敏感に読み取った。
暴風の様な音を立てながら、砕けた鎧が立ち上がっていた。
全身を打ちつけ激痛に襲われながら、揺れる意識の中でただ抑え切れない怒りと殺意だけがその身を支えていた。
赫い光をその鎧の下から妖しく迸らせながら、白い骸は再びその巨剣を握りしめた。
柄を握り潰す勢いで剣に力が溜め込まれ、赫い光は粒子のように黄昏の空に立ち昇り、口の端から滴る鮮血を鮮やかに照らした。
鏖魔は臨戦態勢を崩さず、ただその様子を静観していた。
「———ッ!」
どちらからともなく、血戦の火蓋は切って落とされる。
シ、と鋭い息の音が鳴った。
鏖魔は一声吠えて、再び突進の体勢を取った。
それは触れるもの尽く吹き飛ばし、粉砕する死の一槍。
空の王の火球も、斬竜の一刀も、金獅子の剛腕も、誰一人この角に打ち勝ったものはいない。
これを真正面から破った者など1人もいない。
そう、全てをその角で粉砕してきた。
押さえ切れぬ憤怒が異形へと変化させたその角は、あらゆるモノを貫いてその命を断つ———。
『———!?』
ガキ、と硬質な物質が左の角に振り下ろされた。
———
今度は鏖魔が驚愕に眼を見開いた。
眼前を覆う赫い光はまさに白骸が放つものだ。
古の龍が持つ強力な神秘の力。
ヒトが持つには余りにも強力な力だ。
だが、
否、それよりも信じ難いのは———。
その全てを押し潰す巨体が、砂漠を踏み締める強靭な両脚が。
憤怒の象徴たるその角が。
———
信じ難い。
極限の世界を視る鏖魔の眼を容易に掻い潜り、極限まで鍛え上げられた肉体の隙を突いてその全てを押さえ込んで見せる。
ニンゲンにできていい芸当ではない。
この世の摂理を容易に覆すその存在を前に、鏖魔は笑った。
それでこそ。
それでこそだ!
『———!!!』
「———!!!」
咆哮。
鏖魔と魔王。
2人の戦士の雄叫びが沈みゆく夕日を背景に響き渡る。
余りの衝撃に砂が弾け飛ぶ。
———激突。
繰り出される右の翼を、赫い光纏う大剣が受け流し、懐へ潜り込むべく奔り出す。
鏖魔は即座に身体を回転させ、大槌の一撃を放つ。
「がッ!」
真横から打ち上げるように迫る、砲撃に匹敵する一撃に無防備な右半身が打ち据えられる。
バキバキと骨が砕け散る音が聞こえ、鏖魔は内心ほくそ笑んだ。
———だがその一瞬後鏖魔は激痛に身体を捩らせることになる。
衝撃に身体が吹き飛ばされるその寸前、ローラの左腕は反射的にその尾槌にしがみつき、遠心力のままに身体を宙に回せた。
タイミング良く腕を離せば、眼前には無防備な鏖魔の背。
落下の勢いに任せて、大剣に握り締め振り下ろす。
辛うじて動く右腕を無理やり奮わせ、鏖魔の背甲を削る———否、抉る勢いで縦回転。
『ムーンブレイク』。
沈みゆく太陽を背に、月を描く。
頑強な背甲を容易に砕き、肉を断ち鮮血を迸らせた。
激痛に鳴く鏖魔の背に着地すると、容赦なく攻撃を続行。
畑を耕す様に何度も何度も振り下ろす。
右腕の感覚は最早消え失せ、剣を振るうだけの糸人形の様にただただその人外地味た動きをなぞる。
苦しげに呻く鏖魔は、しかし闘志を燃やして突進の姿勢をとった。
放たれる先には何もない———だが、この速度で空を切ってまともな体勢でいられる生物などいない。
奔る鏖魔。
背中で剣を振り上げたローラは、突然の突風に体勢を崩され尻尾の側へ転がり落ちた。
受け身もろくに取らずに起き上がったローラは、即座に横に飛んだ。
恐ろしい速さで折り返してきた鏖魔がすぐそこに迫っていたからだ。
剣を抜く暇も息をつく暇もない。
だが今度は掠りもせずに避け切った。
鏖魔が反動を殺して空走する間に、ローラは立ち上がると大剣を引き抜き、今度は満身の力を込めて鏖魔の尾へ向けて
恐るべき力で放たれた巨剣は尾の根本を深々と貫き、血を滴らせた。
悲鳴を上げて悶絶する鏖魔。
しかし鏖魔は識っている。
狩人が武器を失うことはすなわち対応手段を失うことだと。
振り向きざまに角を横薙ぎに振るって反撃を見舞う。
案の定追撃を加えようと走った白骸は蹈鞴を踏んで降り注ぐ砂に顔を塞ぐ。
左に振り上げられた顔を振り子のように揺り戻し、再び前方を薙ぎ払う。
先程白骸の腹を穿った一撃である。
砂埃に撒かれるローラを、しかしてその一撃は見失った。
手応えのない一撃に疑問を覚える隙などなかった。
『———!!?』
鏖魔が悲鳴を上げる。
振るわれる角をすり抜け、両脚の間に潜り込んだ白骸が、尾に突き刺さる巨剣に手をかけたのだ。
攻撃の拍子に地についた尾槌を踏み台にして跳躍した彼女は、剣を引き抜こうと———否、振り切って切断しようと力を込めた。
瞬間、鏖魔がめちゃくちゃに身体を暴れさせ、その思惑は失敗に終わる。
グロテスクな音を奏でながら引き抜かれた巨剣には、酸化してドス黒く染まった血がこびりつき、白骸で出来た刃を汚していた。
◆
対峙する一対の魔王。
辛うじて地平から覗く陽光が完全に闇に覆い隠され、砂漠を照らすのは白骸から漏れる赫い光のみ。
妖しく光る巨剣、粒子を立ち昇らせる骸の鎧。
これじゃあ本当に魔王じゃないか、とローラは少し笑った。
鏖魔もまた笑った。
ここまで手応えのある敵は久しぶりだった。
赤い恐暴竜も中々の相手だったが、それでもここまで底の見えない敵ではなかった。
突進すれば体勢を崩し、咆哮すれば動きを止め、心臓を貫けば死ぬ。
それが普通の生物だ。
だがこのニンゲンは明らかに違う。
どれだけ攻撃を当てようと、どれだけの殺意を浴びせようと、何度でも立ち上がって反撃を与えてくる。
尾は根元から切断寸前、背甲は粉砕されて中までグチャグチャにされている。
翼は再生しきらず、牙は折られた。
だが、鏖魔にはまだ———
ざあ、と暴風の吹き荒れるような音が鳴った。
一瞬の静寂の後———世界が停止した。
『—————————!!!!!!!』
咆哮。
進撃、蹂躙、駆逐、侵略、激昂。
———鏖殺。
他者を害する感情の全てを混ぜ合わせたような憤怒の咆哮。
その爆音は全ての生命が持つ、本能を呼び覚ます。
恐怖。
恐慌。畏怖。恐怖。
恐怖。恐怖。恐怖。
感情の全て、身体の全てを支配する恐怖が時間を止める。
思考を凍らせ感覚を奪い身体を縛り闘志を消し去る。
咆哮と呼ぶにはあまりにも恐ろしい。
何より恐ろしいのは———鏖殺の暴君たる彼の魔王が、その力の全てを掌握していたこと!
『———!!!』
全力の殺意を込めた憤怒の咆哮。
白骸の脚が止まることを確認した鏖魔は、瞬時に体勢を整えた。
銃の引き金に手をかける様に。
弓の弦を引き絞る様に。
大槌にも似た巨大な尾が、ダン、と強く地を叩いた。
それは避けられぬ死の宣告。
殺意に支配された世界で、唯一鏖魔だけが聴く死の予告。
かくして、その一撃は放たれた。
鏖魔の巨体を存分に生かしたその
或いは、恐怖に染まる生物を死によって救済する慈悲の一撃。
或いは、絶望を齎す悪魔の哄笑。
剣を抜き放つ様に。
槍を突き出す様に。
辛うじて眼を見開いた白骸を一瞬その目に留めながら、鏖魔は容赦なくその身体を異形の角で貫いた———。
◆
貫かれた。
そう理解した時にはもう遅かった。
右肩を異形の角が深々と貫き、見たこともない量の血を滴らせる。
突進は尚も勢いを増し、磔刑を架された罪人の如く暗闇の世界を風を切って疾走させられる。
鏖魔は獰猛に鳴くと、その両脚で大地を踏み締め、その勢いを無理やりに停止させた。
慣性のままに吹き飛んだ赫い光は、最早身動き一つ取らなかった。
ただ赫くなった白骸の巨剣だけは、その千切れかかった右腕に握り締められていたが。
鎧は見る影もなく砕かれ、全身の至る所から血が迸って砂の大地を湿らせている。
鏖魔はため息をつく様に息を吐くと、満足した様に立ち去っていく。
少し残念だ。鏖魔はそう思った。
ここまで手傷を負わされるのは珍しいとはいえ、期待外れもいいところだった。
赫い光が弱々しく消えていくのを感じながら、鏖魔は砂の大地を掻き分けて地中に潜っていく。
既に奪った命など、何の興味もない。
◆
「うっ……ぐ、ぁ……」
煌く星々だけが暗闇を支配する静寂の中、砂に埋もれた身体を捩らせて、レインは目を覚ました。
反射的に受け流したとはいえ、襲った衝撃は尋常なものでは無かった。
骨の数本は確実に痛めているし、臓器にも影響が出ているかもしれない。
それでもレインは無理矢理にでも立ち上がった。
砂だらけのポーチから古くから伝わる強壮の秘薬を取り出すと、渇いた口に無理矢理押し込んで嚥み下す。
胃が受け付けず、何度も吐きそうになりながらもなんとか抑え込んで、飛び散った双刃を拾うと辺りを見回す。
鏖魔は既に立ち去っていた。
星の光で僅かに見える景色は凄惨なものだった。
何度も何度も踏み締められ変形した砂の大地。
飛び散って変色した血痕の数々。
砕けた甲殻の破片。
削り取られた装甲の欠片。
「———ローラ!!」
思わず叫んで駆け出した。
ふらつく脚に何度も体勢を崩されながら、脇腹の痛みに呻きながら、転がる様にしてその場にたどり着いた。
「ローラ……あぁ……そんな……!」
砕け散って素体と肌を覗かせる、ボロボロの骸装甲。
冷えて固まった血が糊の様にへばりつき、その美しい赫髪を汚している。
傷も目に見える分だけでも重傷に間違いない。
そもそも息をしているのかどうかすら定かではない。
混乱した頭では考えることもできない。
「ああぁ……私は……また、こんな……どうして……」
譫言を呟きながら、無心でローラを引きずるようにしてただ一つの
さながら死体運びの幽鬼だ。
涙すら出なくなった絶望の闇の中、レインはただ歩いた。
果たして夜明けまで生きていられるのか、生きていられたとして、その先どうなるのか。
わからない。何もわからない。
「助けてください……ローラ……」
不敗の狩人が知った、2度目の敗北だった。
完膚なきまでに叩きのめされ、唯一無二の相棒を潰され、絶望の闇に放り出された。
星々の薄明かりに照らされる夜の砂漠。
2人のはゆっくり、ゆっくりと歩いていく。
その先にあるものは、果たして。
それは誰にもわからない。
途中から迷走してました