◆
私が目覚めたのは、ちょうど夜明けと同時のことだった。
何とも不思議な感覚だった。
元々朝はあまり強くないのだが、何十時間も寝たような気がするのに全く気怠さが無い。
おまけに体の痛みもすっかり消えてしまっている。
まだ夜の冷たさが残るベースキャンプは、当然だがシンとしている。
右腕を杖にして起き上がって、そこでようやく気がついた。
右腕が動く。
どころか肩を大きく抉られた傷が消えているのだ。
空いていた筈の穴はピッタリと筋肉で塞がれていて、痛みもない。
剣を掴んで離さなかった五指もしっかりと1本1本を動かせる。
快調、むしろそれ以上の回復具合だった。
意識は澄み渡って朝焼けに照らされる大地の彼方まで見渡せ、落ち着きを取り戻し始めた砂漠の、生命が奏でる音が遠くから聞こえてくる。
夢で見たあの力が、未だ私を生かそうと奮闘しているという訳だ。
そっと胸に手を当ててみると、ドクンドクンと禍々しく鼓動を刻む心臓を感じた。
何故私が今更になってあの記憶を思い出したのか。
それはわからない。
命の危機に瀕したからなのか、私がそれを望んだからなのか。
いや、何でもいい。
でも、今この時思い出した事にはきっと意味がある。
いずれ出さなければならなかった答えなら、いつ思い出したところで何も変わりはしないのだから。
隣で静かな寝息を立てている
実に4割以上があのディアブロスの攻撃で砕かれ、損傷してはいるが無いよりはマシだ。
取り外した鎧をガチャガチャと音を立てながら装着し、普段は無頓着な武器の手入れまでも行う。
いくつかは戦闘の余波で失くしてしまったようだが、僅かに残されていた砥石を使って毀れた刃を磨く。
【白骸巨剣コルレオニス】。
【骸装甲・真】。
どちらも最上級の性能を誇る武具だ。
それを用いて尚ここまでの傷を負わされたあの力に、恐怖と同時に称賛と高揚を感じた。
更に言えば、恐らくあのディアブロスは全く本気を出していなかった。
最後の恐るべき突進だけは全力だったと言い切れるが、それ以外は……。
手を抜かれていた訳では無い。
奴は間違いなく持てる力を限界まで使って殺しにかかっていた筈だ。
だが、奴の
先の戦闘で決着が着いたあの瞬間、片鱗だけ見せたあの力が恐らくは奴の本領なのだと私は結論付けた。
持てる力の全てなど生温い。
自らの生命の全てを懸けた、文字通りの死力。
極限を遥かに超えた、生命そのものを真正面から叩き潰さなければ、奴なら勝てない。
総てを蹂躙し、侵略し、鏖殺するあの悪魔には。
支給品ボックスを覗いてみれば、ご丁寧にもギルドからの支給品一式が届けられていた。
観測隊は当然あの緊急事態を把握している筈だから、ギルドからの指示が下るのは遠い未来ではないだろう。
フ、と少しだけ笑いが漏れた。
どちらにせよ引き下がるつもりは一切無い。
勝とうが負けようが、死のうが生きようが、結局私は立ち向かわなければならない運命にある。
ギルドとしてもあの化け物を放置しておくわけにもいかないだろう。それに今この場にはお誂え向きのG級ハンターが2人いる。
化け物には化け物を、悪魔には悪魔を、だ。
◆
不味い携帯食料を貪りながら作戦を考えていると、ベッドからレインが飛び起きてきた。
美しい金髪はボサボサで、攻撃を受けたであろう右脇腹は痛々しく変色している。
私を心配している場合じゃなかったんじゃないかと不安になったが、顔色は普段通りだったので少し安心した。
「……やっぱり行くんですか?」
「当たり前だろ」
鎧を完全に装着した私を見て、レインは少し狼狽たように見えた。
曇った碧眼が右腕に視線を向ける。
「……怪我は」
「もう治った。この通り」
大袈裟にグルングルンと腕を回して見せる。
自分でも驚く程の回復だ。
「……」
レインは言葉に詰まったように俯いた。
視線は定まらず、虚空を見つめたり私の身体の隅々まで観察したり、どこかに異常は無いか探っているようだ。
「……心配しなくても私は元気だよ」
「そうじゃない」
ほとんど絶叫だった。
掠れ切った声ではそう大きい音は出せなかったが、私の耳にはよく響いた。
「負けたくないって何のことなんですか?貴女は一体何の為に戦うんですか?貴女は……貴女も私を置いて行ってしまうんですか?」
「……」
……声は聞こえていた。
夢の終わり、覚醒と微睡の間で、私は確かに声を聞いた。
死なないで、行かないで。
……独りにしないで。
あれは紛れもなくレインの声だった。
不敗とまで謳われた狩人が、すべてをかなぐり捨てて叫んだ本心からの切実な願い。
孤独になることをなによりも恐れているのだ。
父親に置いて行かれ、仕事上何人もの仲間を失うことも日常茶飯事で、私と組むようになってからも何人知り合いや友達が死んだかもわからない。
彼女に過去何があったかはわからない。
そしてその孤独も私には理解できない。
……だけど。
「大丈夫だ」
こいつが悲しんでいるのは、何だか見過ごせない気がした。
粘土のような携帯食料を無理やり飲み込むと、私は立ち上がった。
大剣をいつも通りに背負い、今度は忘れずにクーラードリンクを飲み干す。
「……何が大丈夫なんですか」
「私は勝つ。勝って、必ず帰る」
伝えるべきことは伝えた。
私はベースキャンプを出て、あのディアブロスの討伐に向かう———筈だった。
「そう言って父さんは戻って来なかった!」
絶叫。
肩ががっしりと掴まれた。
信じられないぐらい強い力で、私を押し留めている。
「父さんは……強い人だった。強くて、いつだって正しくて、いつも私を助けてくれた。なのにあの日、いつものように出かけて行った父さんは戻ってこなかった」
「レイン……」
悲痛な叫びだった。
私とて父親を失う哀しみは理解できる。
けど、私はレインじゃない。
その日、その時その場所で、レインが感じた絶望に私が共感できることはない。
それでも胸を裂くような哀しみだけがその絶叫に込められていた。
防具を強く掴む右腕は、痛々しく血が滲んでいる。
「父さんだけじゃない。仲間も、友達も、みんな笑顔で出て行ったのに、私を置いて……」
私では、レインの心に寄り添うことはできない。
一番長い間相棒を務めた私であっても、この絶望と哀しみを埋めてやることはできないのだと、思い知らされる。
見せかけの心には結局限界があって、本当のヒトの心は到底模倣で誤魔化せる程甘くはないのだ。
「私はいつも泣いてるだけ。いくら叫んでも、いくら願っても、誰も待ってくれないの。私なんかの力じゃ貴女を守れない……」
「……」
私は、自分の心を通すべきなのか。
それとも、レインの心を通すべきなのか。
わからない。
自分の事さえ何一つ分からない私には答えが出せない。
その為に私は今まさに戦おうとしているのだから。
———でも。
やっぱりこいつが泣いているのを見過ごせるわけがない。
「……私は見ての通り化け物だ。人間じゃない。だからお前の気持ちをわかってはやれない。……でも」
「……」
「だからこそ、私は負けない。だからお前は独りにならない」
肩を掴む腕をゆっくりと取って、私は振り向いた。
俯いた顔から雫がいくつも垂れて、地面に吸い込まれて行く。
我ながら何とも不器用なものだと笑ってしまう。
だがこれは偽らざる私の本心だ。
例え偽物の心でも、こいつを想う心に嘘はない。
私にあるのは結局この力だけだ。
何の意味もない、ただそこにあるだけ、ただ無造作に振るって命を奪うだけの無価値な力だけだ。
だけどレインが、私の意味になってくれる。
お前の為に使うなら、きっとこの力にも意味がある。
「……貴女はずるい」
レインが俯いたまま、零れるように呟いた。
私が握った血塗れの手を見つめて、夥しいほどの涙をポタポタと溢れさせながら。
「そうだな」
「私の心配なんて気にもしない。あんな大怪我したのにもう治って、ピンピンしてる。本当に化け物みたいです」
「ああそうだ」
「……貴女が何者なのかなんて私にはわかりません。でもひとつだけ、聞いてもいいですか」
「ああ」
「……本当に、信じていいんですか」
「当然だ」
俯いたレインが、少しだけ笑ったように見えた。
「お前を置いては行かない。絶対。神に誓ってだ」
「神なんて、この世にはいません」
少しだけ表情を和らげたレインが顔を上げた。
もう涙は流してはいなかった。
「なら約束だ。私とお前の」
「……はい」
「私がお前を独りにしてやらない。だから……」
———お前は、私の道を見届けろ。
◆
ザクザクと砂の大地を進んでいく。
すっかり昇った眩し過ぎる太陽が辺り一面を隙間なく照らし、灼熱の大地に変貌させている。
今度は忘れずにクーラードリンクを飲んだ私は、鎧の下に汗を滲ませながらギルドから伝書鳥で届いた依頼書を眺めて溜め息をついた。
【緊急クエスト!】
【特殊許可】鏖魔ディアブロスの狩猟
『討伐対象』・『鏖魔』ディアブロス
『目的地』・セクメーア砂漠
『報酬金』・50000z
『依頼主』・ハンターズギルド
『参加条件』・『G級』特別許可証
・『鏖魔』狩猟許可証
『成功条件』・全てのモンスターの討伐
『失敗条件』・報酬金0
・クエストの放棄、又は全員の死亡
『備考』・緊急事態につき特例としてアウローラ・ヘイズ、サンレイン・レルナー両名に『鏖魔』狩猟許可証を付与する。
「『鏖魔』ねぇ……」
濃紺色の甲殻に異形の角、他の追随を許さない攻撃性と獰猛さ。
出現した地域一帯の生物を根こそぎ蹂躙するその姿から名付けられた二つ名が『鏖魔』。
『鏖殺』の『悪魔』。
「遭遇し、戦闘を行ったハンターの全てが殺害されているので交戦記録は皆無。酒場のマスターが特別に認めた実力者でなければ挑むことすら許されない強力なモンスターです。……正直言って今私たちが生きていられるのは奇跡でしょう」
いつもの調子……とまでは行かないだろうが精神状態を取り戻したレインが説明する。
傷は癒えていないものの、秘薬で無理やり痛みを抑えているらしい。
……あまり無理をするようなら当然私が止めるが、彼女は戦闘に参加すると言って聞かなかった。
「他の二つ名といいイビルジョーといいそいつといい、生態系とやらは一体どうなっちまってるんだか」
殆どの命が無惨に喰い尽くされたこの地に再び似たような生態系が築かれるのは遠い未来の話だろう。
近辺に住む集落の人々や通過する旅人や商人たちにとっては脅威が減って万々歳かもしれないが、狩人としてはそうもいかない。
狩人の役目はあくまで調停。
自然と人とのバランスを保ち、出来る限り無駄な血が流されることを避ける。
まぁ、結局ニンゲンという生き物は自分勝手で欲深い。
私利私欲でモンスターを乱獲して売り捌く奴だってそう少なくはないのだ。
そういった連中はギルドナイトとかいう集団によって闇に葬られる、なんて噂もまことしやかに囁かれているものだが、密猟者は跡を立たない。
それだけモンスターの素材には価値がある。
裏返せばそれだけニンゲンは自然の恵みに依存して生きているということでもある。
自然が滅びればニンゲンもまた滅ばざるを得ない。
故にその狭間を保つのが狩人ということだ。
とは言ってもそんなことを目的に狩人を志す奴は早々いない。
私とて所詮は親の跡を追って来ただけに過ぎないのだから。
「……お前はどうして狩人になったんだ?」
「どうしたんですか、急に」
「別に、ちょっと気になっただけだ」
大抵の奴は、金だろう。
モンスターの素材や採集したアイテムを売って金にする。
大型のモンスターを狩れば膨大な報酬金と素材が手に入って、大都市で悠々と暮らすことだってできるかもしれない。
それと名声。
強大なモンスター達と戦うハンター達はいつの時代も羨望の的だ。
古龍なんか討伐した日には英雄だの救世主だのと持て囃されて、子供には憧れの視線を向けられるだろう。
……でもそうじゃない奴らもいる。
ライズやラネルはそんなものには全く興味がなかったし、実際に会ったこともある、英雄と呼ばれるハンター達もそうだった。
私はレインに、同じようなものを感じている。
損得や利害を超えた何かが、碧い瞳の奥に眠っているように感じられてならないのだ。
「……正しい世界を作るため」
少し迷って俯いたレインは、呟くように口を開いた。
出てきたのは、合理寄りの思考をするレインからは考えられない夢見がちな言葉だった。
「正しい人が踏みにじられない世界。正しい人が幸せに生きられる世界を……作る為です」
「要するに……正義ってやつか?」
レインは悲しそうな顔で頷いた。
「『ギルドナイト』って知ってますか?」
「そりゃ知ってるだろ。いつも派手な格好で歩いてるからな」
ギルドナイトは、一定以上の実力を持ち、資格試験を合格したハンターがなる……まぁ、要するに自警団みたいなものだろう。
酒場や街などで狩人が犯罪を犯さないか見て回っている警備兵で、対人戦闘に特化した訓練をしているという。
実際、酒に酔って暴れ出した狩人を取り押さえたのを見たことがある。
狩人は一般人とは一線を画す力を持っているが故に、それを取り締まるのもまた狩人であるギルドナイトの仕事だ。
「私がモンスターを狩って人を守るように、彼らもまた人を取り締まって人を守っています。私もギルドナイトになれれば良かったのですが……まぁ、私にはこちらの方が向いていますから」
「お前みたいなのが街で目を光らせてたら怖くて酒も飲めねえよ」
レインは少し苦笑すると、遠い目で前を向いた。
時間は少し暑くなり始めた頃、小粒の汗が肌から流れ始めた。
「私の父もギルドナイトだったんです。とても優しくて、強くて……そして誰よりも正しい人でした。いつだって人の平和を守る為に戦って……その為に死にました」
「……だからお前もその跡を継いだ、ってことか」
「貴女と似たようなものでしょう?子が親に憧れて後を追うのは自然なことですから」
そんなことはない、とは口に出さなかった。
憧れてなかったわけじゃない。
尊敬してなかったわけじゃない。
でも私に理由はない。
ただ、この力を何かに使いたかっただけだ。
その何かが見つけられない限り、私はいつまでもからっぽのまま。
今はその穴を、今はレインが埋めてくれている。
けれども私はそれを貫き続けられるだろうか。
何もかもを捨てても彼女の為に生きられるだろうか。
彼女を守って、戦いに勝ち続けて、死ぬまで約束を守り続けられるだろうか。
ライズのように赫く輝く
見つけられたとして、彼のように死ぬまで貫き通せるだろうか。
何もわからない。
わからない事が多すぎて嫌になる。
けど今は……結局目の前のことを無我夢中でやり切るしかないのだ。
これは私が選んだ道。
レインを付き合わせてまで無理やりにも進んだ道だ。
だったら今更、引き返す選択肢なんかあるわけがない。
◆
「……近いな」
呟くように漏らした私に首肯を返して、レインは一対の剣を引き抜いた。
よく手入れされた双刃には砂粒ひとつ付いていない。
金雷公の角と爪で形作られた黄金の刃が灼熱の光を照り返して一層強く輝いている。
場所はエリア5と呼ばれる第二の平原地帯。
見渡す限りの広大な砂の海で、地底洞窟に隣接する中継地点でもある。
エリア中央部まで移動して、辺りを見回していた時だ。
小動物すら顔を見せないその砂地に、異常な程の存在感が近付いて来るのを感じた。
間違いない、鏖魔だ。
エリア5のひとつ手前、
ブロス種は見た目とは裏腹にサボテンを主食とする。
イビルジョーに蹂躙されたこの地でも問題なく食料を確保できる訳だ。
恐らくはそのイビルジョーもあの悪魔の
でなければ咆哮ひとつ聞こえてこないこの状況に説明がつかない。
とすれば、やはり奴は私たちの想像を遥かに超える力を秘めている。
私とて恐暴竜は手を焼かせられる存在だ。それを真正面からの戦いで打ち負かすとなれば……。
「……!」
レインが息を呑んだ。
次の瞬間、地響きがした。
地平の彼方から怒号のように鳴る地響きが、恐ろしい程のスピードで近付いてくる。
私は背の大剣に手をかけた。
白骸巨剣コルレオニス。今日まで私を支え続けた相棒とも言うべき最強の剣。
砂を巻き上げながらそれは奔る。
例え鎧が無くとも、この剣一本で喰らい付いて見せる。
大地を揺るがす怒号が目前にまで迫る。
『——————!!!!!!!』
接敵。咆哮。強襲。
砂塵を降り注がせながら、地底から姿を現した鏖魔が咆哮を上げた。
真昼の日輪に照らされ、唸る悪魔は昨日とは全く違う雰囲気を放っていた。
戦いで破壊されたであろう翼膜は半ばながら再生し、折った筈の牙は全て生え変わっている。
寸断する寸前だった筈の尾も傷口が塞がり、ハンマーのように地面を叩いてこちらを威圧してくる。
モンスターは基本的に再生力が人間とは比べ物にならない程高く、尻尾を切断したとしても一週間も経てば生え変わってしまうと言う。
相当に深い傷ならばその限りではないが、それでも奴らの持つ再生力は特筆すべきものだ。
それでもこの鏖魔の持つそれは異常だ。
普通は昨日負わせた傷がこんな短期間で治る筈はない。
……他人のことは言えないが、とにかく恐るべき力を有り有りと見せつけられた気分だ。
自然界ではこれ程の力を持っていなければ長く生きられない……もしくはこれだけの力を誇るからこそ長い間モンスターや狩人を殺し続けた来たと言うことでもあるわけだ。
だが……
「行くぞ!」
「はい!」
今更驚いてなどいられない。
私は勝つのだ。
勝って、必ず約束を守る。
勝って、2人で帰る。
そして明日も明後日も悩み続けるのだ。
私だけの答えを求めて。
私が歩む道の果てを知る為に。
負けられない。
そうだ、こんなところでは死ねない。
相対する鏖魔はかかってこいとでも言うように角を振って挑発した。
その表情は心なしか喜んでいるように見える。
上等だ。
そんなに戦いたいのなら、この剣で幾らでも応えてやる———!
◆
『———!!!』
咆哮。
灼熱に照らされる砂漠から恐怖に凍り付かせる死の宣告だ。
だが、そんなものはもう聞き飽きた!
今まさに尾で地を打ち、死の砲弾が撃ち放たれようとしている。
恐怖が無いわけでは無い。だが何故だか、身体の震えも硬直も、いつのまにか止まっていた。
地を蹴る。全力で踏みしめたその右脚から、赫い光が迸る!
真昼間だと言うのに目も眩むような眩しい光。
赤より紅く、紅より緋く、緋より尚赫いその光が、私の身体を更に押し上げるように炸裂して、彗星と化した私の身体は一直線に鏖魔へと突進していった。
この力を私は知っている。
私が喰らった龍の核から放たれる龍の雷。
龍の生命の根源とも言える強力無比の破壊の一撃。
今は私の武器となり防具ともなるその力を、全力で腕に宿らせる。
「ああああああッ!!」
吠えた。
鏖魔に対抗するかのように吠えながら、一瞬宙に浮いた私は振り上げた巨剣を全力で振り下ろした。
溜める時間など必要ない。全てが完璧の一撃だ。
鏖魔があの無慈悲な突進を繰り出す直前、その一瞬の隙に挟み込まれた攻撃は、必ず命中し小さくない傷痕を刻む———筈なのだが。
『———』
ガキンと角とぶつかり合った大剣の動きが止まる。
いや、押し返されようとしているのだ。
突進直前の隙を狙って放った攻撃は、一瞬早く体勢を移行した鏖魔の動きに阻まれて致命傷を与えられずにいた。
むしろこの状態で不利なのは私だ。
例え龍の力を用いたとしても体格の差は歴然。片や私は身長180弱の女、片や鏖魔は全長20mを遥かに上回る巨大生物だ。
この差は如何ともし難い生物としての格をまじまじと見せつけられる。
力と力がぶつかり合ったのはほんの一瞬だった。
拮抗したかにみえた力と力のバランスは、ほんの少し鏖魔が踏ん張りを入れただけで容易に傾いた。
「———ッ!」
突進を中断させることはできたものの、大剣を弾き上げられた体勢では次の攻撃を防ぐ事はできない。ましてや砕かれた防具では即死を防ぐ程度の働きすらも果たせるかは怪しいものだ。
例え黒い力で私の身体が再生できるとしても、そんな時間が私に残されているかは甚だ疑問だ———
「
———だが、今の私は1人ではない。
押し返され体勢を崩された私の左右を、恐ろしい速さで通過していくものがあった。
それはパチパチと金色の光をスパークさせながら宙を舞い、吸い込まれるように鏖魔の両眼へと向かっていく。
鏖魔の勘は確かに鋭い。こと戦闘において私やレインを遥かに上回る戦闘勘を持っている。その体軀の強靭さや獰猛性も他の生物の追随を許さない圧倒的な物だ。
だが、それでもだ。
今お前の目の前に立つ
『———!』
跳ね上がられた勢いを殺して体勢を戻したその時、2つの閃光が鏖魔の顔面に炸裂した。
投擲だ。
レインが金雷双刃を投擲し、その雷で鏖魔の目を焼いている。
だがそれでも間一髪身を捩ったのか、視力を奪えたのは右眼だけに留まった。
不意の一撃に完全に冷静さを失った鏖魔が身を暴れさせて突き刺さった双剣を叩き落とす。
投擲は意表を突く攻撃としては優秀だが、それで有効打を与えられなかった場合死を招きかねない危険な行為だ。
だからこそ既にレインは武器を回収しに走り出している。
そして意表を突く一撃としてのその攻撃は、充分以上に役目を果たしたと言える。
片方とはいえ、五感の一つを唐突に喪失させられれば、殆どの生物はまともな状態ではいられない。私たちにとっては勝利も同然の隙だ。
『——————!!!!』
だがそれでも、敵はあらゆる生物を鏖殺せしめる死の顕現。
尚も健在の異形角が身体ごと回転し、砂を巻き上げながら大地を抉り飛ばした。
思わず蹈鞴を踏んだレインに巻き上げられた大量の砂が降りかかる。
目眩しだけが奴の目的な筈はなかった。恐ろしい力で抉られた地面は巨大な岩塊となって宙を舞う。
砂の目眩しに紛れるかのように落下するその岩は一瞬で人をペシャンコに潰して見る影もない肉の破片に変えてしまうだろう。
だが私は振り返らない。
レインは不調を押してでも私の道を見届けると言った。
ならば私がするべきことは、レインを童女のように守り導く事ではなく———私たちが共に向かうべき道を、切り開くことだ!
砂の雨を突っ切って、降り注ぐ岩の礫を一つ残らず叩き落として、私は再び地を蹴った。
背後で岩塊が砕け散る音がした。問題はない。生命が喪われたような気配は感じられない。
極限の世界で捉えた鏖魔は、既にこちらの動きを読み切って次撃を繰り出せる体勢に移行していた。
全く無駄がない。
奴が見ている世界は右目を失った分不完全な筈なのに、それでいて尚私の動きを寸分違わず捉え、その隙を衝こうとしている。
「上等だッ!」
鏖魔が選択した攻撃は尾による撲殺だった。
回転による力を加えたその一撃は地盤をも砕く死の鉄槌。
そんなもので死ねるのならもっと楽な人生だった筈だ。
一声叫んだ私は腕に漲らせた赫い力で、真っ正直に振り下ろされる尾槌を横から殴りつけるように大剣で薙いだ。
僅かに標的を逸れた尾槌は地面に叩きつけられ、ズシンと重い振動で大砂漠を揺らした。砂が巻き上げられ、再び視界を奪われる。
しかし、今この瞬間において視覚はそう重要なものではない。
重要なのは位置!
振り下ろされ僅かな時間硬直した尾を踏みしめ、こちらに背を向ける鏖魔へ宙を駆けて突進する。
軽々と振り上げた大剣が昨夜と同じように背甲に振り下ろされ、甲殻を散らせ地を迸らせる。
そのまま乗り攻防と呼ばれるバルバレ発祥狩猟術に移行しようとするも、流石に学習能力が高い。
洞窟に繋がる岩場近くでアーチを形成する石柱に、擦り付けるよう身体が叩きつけられる。あまりの衝撃に背中を覆う鎧にヒビが入る。
「がはっ」
吐血し落下する私を、鏖魔が冷徹に見つめているのを感じた。
そしてわかる。
私は数瞬後にはもうこの世に存在していられない。
無慈悲に放たれる異形角の一撃が今度こそ私の左胸を貫いて、全ては終わりを迎える。
このボロボロの鎧では到底防ぎきれない。
あの黒い力が心臓から湧き出ている以上、心臓そのものを破壊されれば化け物のように生き返ることも不可能となる。
———終わりだ。
「———ッ」
否だ。
死なない。
こんなところでは死ねない。
死ねるものか。
私はまだ何もできていない。
私は誓った。
必ずレインと共に帰るのだと。
必ず約束を果たし、レインを独りにしないのだと、私は誓った!
例え可能性の一つでも私に残されているのなら、私は諦めない。
鈍い音を立てて地面に叩きつけられる。
無慈悲にこちらを見据える鏖魔の視線が、私の身体に死の予告を染み渡らせてくる。
一瞬振り上がった双角が次の一瞬には私の心臓目掛けて振り下ろされる。
「———ッこのっ!」
ガキンと甲高い音が鳴った。
ギリギリで滑り込ませた巨剣の腹が鏖魔の異形角を辛うじて防いだのだ。
それでも力の差は歴然。
まして私は地面に押し倒された状態、鏖魔は力を込めて私を押し潰すだけで済むのだから状況は何一つ良くなっていない。
それでも、ここで大人しく死の忘却を迎え入れる事など、私は許せない。許されない!
「っぐおおおおお!!」
『——————!!」
意地の張り合いとも言えるような押し合いだ。
否、押し合いにすらなっていない。鏖魔は角に全力で力を込め、私はなんとか逃れようと身を捩らながら大剣を支える。
押し潰されていないのが奇跡とも言える状況はそう長くは続かない。
ビシリと嫌な音が聞こえたと思えば、巨剣に大きくヒビが入り始めたのだ。その体軀の体重全てが大剣のたった一部分に込められているのだ、その圧力は万力を遥かに凌駕する。
———だが、その崩壊の一音こそが、私を救う予想外の命綱になった。
ビシリと音が響いた瞬間、巨剣の内部より凄まじい程の極光が放たれた。赫い光だ。剣に封じ込められるかのように溜め込まれていた破滅の光が、赫い閃光となって鏖魔の身体に襲い掛かった!
なんだこれは、などと驚く暇すらありはしない。奴の目が眩んだのはほんの一瞬に過ぎない。
その一瞬で活路を見出せなければ、結果は何も変わらない。
赫い雷が魔角を焼き、鏖魔は一瞬仰け反った。その隙に転がるようにして離脱する。
以前危機には変わらないのだ、今はとにかく距離を———いや。
刹那、その音を聞いた。
膝をついて鏖魔と相対する私の背後。足音だ。
砂に埋もれた双刃を引き抜いたレインが、その勢いのままにこちらに突進してくる。
一瞬でその意図を理解した私は、即座に立ち上がって大剣を構えた。
足音は以前砂を蹴りながら同じ進路を取り続ける。
急げ!鏖魔はすぐに体勢を立て直す。
その前に少しでも攻撃を加えて奴の気勢を削がなければならない。
チラリと振り返り、疾駆するレインの姿を捉える。
「!」
交わされる視線。
それは私とレインの間でのみ交わされる無音のコミニケーション。
「———行けえッ!」
レインの身体が跳ねた。
エリアルスタイルを得意とするレインの身体能力と、それを数倍にまで高める白疾風の防具。
そしてレインを
その3つが奇跡のバランスで噛み合った時、その攻撃は疾風を超えた不可視の弾丸となる———!
『——————!!!!??』
鏖魔が悲鳴を上げた。
レインは私が振った大剣に
そしてその勢いのまま全身を歯車のように回転。
一瞬のうちに頭部から尻尾までをまるで削り取るように
一瞬遅れて降り注いだ金雷撃と吹き出した血飛沫が混ざりあって鏖魔の身体を染めていく。
今の攻撃でレインは相当な体力を消耗したらしく、息を荒げて、それでも毅然と双剣を構えて鏖魔を睨みつけている。
だが鏖魔とて一生物だ、体組織が再生したと言っても消費したエネルギーまでは帰ってこない。だからこそ奴は水分補給を行なって体力の回復に努めていたのだから。
昨日負わせた傷は決して無意味ではなかった。
結果的に鏖魔に学習する機会を与えてしまったとはいえ、奴はレインを舐めていた。
私のように特別なモノが無いからと、その内に秘められた才能を、そして私との連携力を奴は侮っていた。
昨日レインが手の内を奴に見せずにいた———或いは見せられずにいたのはある意味では幸運だったと言える。
悶え苦しむ鏖魔を睨むと私は駆け出した。
今が好機だ。奴は体力を消耗している。
奴の学習能力と戦闘勘は恐るべきものだが、それは私たちも同じこと。恐れのあまり足を止めていた昨日とは違う。奴はもはや未知の相手では無い。悪魔や化け物の類ではなく、血が通って痛みも感じる
恐れることはない。
いつもと同じことだ。
ただ機械的に敵の動きを読め、ただ機械的に骸の剣を振り下ろせ。
ただただその本能のままに———目の前の生命を刈り取るのみ!
右腕———いや、ヒビの入った巨剣全体に赫い光が迸る。
この剣の内に眠る龍雷の力を、全てこの一瞬で解放するのだ。
奴がどんな力を残していようと、どれほど恐るべき殺意を秘めていようと、この一撃でその生命を断つ!
『震怒怨竜斬』。
大剣使いの放つ最大最強の一撃だ。
こいつにトドメを刺すのならば、私の持てる最大の力で、一瞬にして、ただの一撃で、それがこの悪魔に対するせめてもの敬意だ。
ザア、と赫い光が暴風を伴って解放される。
剣を覆い隠すかのように広がる赫い光はより巨大な剣を形作るかのように光り輝き、砂煙に巻かれた周囲の景色を一瞬にして鮮明に塗り替える。
さあ来い———お前の死がここにあるぞ!
ザアッ
否———。
砂煙が晴れ、私の持てる最大最強の一撃が放たれる———その瞬間、私は悟った。
『もう遅い』。
本能という鎖に辛うじて縛り付けられていたあの悪魔の本性が、遂に解き放たれてしまったのだ。
暴風が、吹き荒れた。
奴の身体から何かが蒸発する様な音が砂漠に響き渡り、瞬間吹き荒れた暴風が私たちの心臓を早鐘の様に打ち鳴らした。
———ドクン。
何かが、おかしい。
鏖魔の身体の中から何かが溢れ、それは白い煙となって奴の身体から立ち昇る。
その液体は汗や涙といった体液の類だろう。それはいい。
そうではないのだ。
あんな勢いで体内の水分が蒸発していけば、まともな生物なら脱水症状ですぐに動けなくなる筈なのだ。
サボテンを食い漁ったりオアシスの水位が目に見えるぐらいに下がる程飲み干していたのは、体力の回復だけが目的ではなかったのだ。
———ドクン。
奴の体熱の変化に合わせる様に、奴の姿も変貌していった。
先程までもうっすらと浮き出ていた
あれは奴の血流が今までとは段違いに速くなったことを意味している。
身体のリミッターが外れ、その凄まじい動きについて行くために、凄まじいまでのエネルギーを供給する為に、呼吸と血流はより速く、脈動はより強く、取り込む酸素はより多く、ヘモグロビンはより赤く!
———ドクン。
甘く見ていたわけではない。
油断していたわけでもない。
ただ奴を
最大最強の一撃を撃ち放つ隙などもうありはしない。
奴はもう、一瞬だって止まらない!
『■■■■■■■■■■■■———!!!!!!!!』
生命の根源そのものに凝縮された、激怒の全てがここに解放された。
恐暴竜すら屠る鏖殺の悪魔から、遂に鎖が取り払われた。
もう誰にも止められない。
止められるとしたら———同類の化け物だけだ。