「…分かってるのさ、これがアタシの身勝手な逆恨みだっていうのは。」
…彼女は弱音を吐く。素直な感情を吐露する。それを説明するには少し前に時刻を戻す必要があるだろう。
…20分前。石動翔馬は屋上前の昇降階段で待ち構えていた。尊敬する生徒会長こと、冷泉寺愛奈に託された頼みごとを実行するためである。腕組みしながら何者かの姿を待ち望んでいる彼。目を瞑っていたが、やがてそこに来る足音を察知し、目を開けた。…彼の視線の先には一人の女生徒の姿が居た。
「やっと…会えましたね、鷺沼麗華さん?」
…その女生徒は非常に驚愕した表情を浮かべていた。それもそのはず、この位置は彼女の定位置で他の誰にも侵されることのないセーフゾーン。…それはもちろん今までの話ではあるが。そこに人が居るのもそうだが、待っていたという相手と…その女生徒、鷺沼麗華にも彼の姿は見覚えがあったのだ。
「…アンタ…生徒会長の…。」
その先の言いたい言葉は何だったのだろうか、金魚の糞か、おつきか、パシリか。まぁこの際彼は何でも良かった、とにかく接触できればいい、それで目的の達成に繋がるのだから。
「…少し、お話をしませんか?…例えば…貴方が良く見ているもののこととか。」
…その言葉を引き合いに出されて彼女の表情は更に驚きに染まったが、やがて覚悟を決めたかのように頷いた。
「…ああ、分かったよ。…それにその言葉を言われたらアタシには断る権利はないから。」
多分恐らく、彼女も何処か後ろめたい感情を持っていたのだろうか。いや、探っても詮無き事か、と彼は思考し判断する。
…彼女…麗華が階段に腰を掛けた。翔馬は相変わらず壁に寄り掛かったままだった。
「俺のこと、多分知っていますよね?」
「…ああ、知ってるよ。一年の石動翔馬だろう、それと生徒会庶務の。」
「そこまで把握しているなら自己紹介の必要はありませんね。」
その時に彼は確信した、見ていたのは彼女であろうと。故にこれ以上の回り道は不要だ、さっさと本題に入ろうと彼は自身に指令を下した。
「それじゃあさっそく聞かせてもらいですけれど。…冷泉寺会長を見る視線をずっと最近俺は感じてたんですよね。で、先輩と話し合い、その視線の主が誰か推測を立てました…貴方ですよね?鷺沼さん。」
「…ああ。」
麗華は重く頷く。その言葉からして下手人は間違いなく彼女だったのだろう、翔馬は追及を止めない。
「…見ていた理由は…話してくれますか?」
「…いいや。」
今度は彼女は首を横に振る。まぁそうだろうと彼は予測していた、これはデリケートな問題だ、第三者の彼がみすみすと関わり立ち入っては良い話ではないのかもしれない。だが、彼はもはや傍観者では居られない立ち位置だった。…そう、聞いてしまったのだ、愛奈から。
「それじゃあ理由は聞きませんよ。じゃあ、最後の質問していいですかね?」
と同意を求める翔馬。その言葉に麗華は何処か訝しげではあるが頷いた。
「…冷泉寺先輩を憎んでいますか?鷺沼さん。」
それは短い一言、文字にしてしまえば取るに足らない量、声に出しても直ぐに言い切ってしまうだけの言葉、だがその言葉には彼の想像以上の威力が込められていた。
まずその瞬間に麗華の顔色は驚愕の色に染められた。先ほどから驚いてはいたが顔に出ていた表情は僅かだった。だがその言葉を聞いた瞬間に驚愕に顔が染まり、そして恨めし気な視線を翔馬に送った。そこには悲哀と憤怒とそして後悔や懺悔といった色々な感情がゴチャゴチャに詰め込まれ、割り切れていなかった。
「…アンタ、知っていたね…最初から。」
「それについては謝ります。けれど俺も任された身でしてね。解決をする必要があるんですよ。」
麗華の表情は相変わらず複雑なままだ。彼女の抱える感情がどんなものか翔馬には推し量れないがそれでも葛藤していることは分かった。
「…ああ、アイツが…冷泉寺愛奈が憎いよ、アタシは。」
そして何かを噛み切るような表情で麗華は言った。憎いと。
「それは…貴方の妹を冷泉寺先輩が守り切れなかったから、ですか?」
「…そこまで知ってるならもう説明する必要もないだろう。…けれど、分かってる。」
麗華は諦観に似た表情で顔を伏せた。そしてそのまま暗い雰囲気で言葉を続けた。
「分かってるのさ、これがアタシの身勝手な逆恨みだっていうのは。」
…その声は空虚に満ちたものだった。
――――
その日、アタシは調子に乗っていた。アタシは才能がある方だったらしく、皆がアタシを褒め称えていたのは気分が良かった。けれどもアイツが来てから皆が褒めるようになったのはアイツの方だった。
冷泉寺愛奈。六月にやってきた転校生を一言で表すならば、天才だった。いや、天才という言葉で収まりきらない規格外。血筋、才能、容姿。その全てが隔絶しており、その転校生は一週間と経たないうちに学校でカリスマ性を発揮した。
確かに少々嫉妬はしたがあそこまで隔絶した実力差があると、対抗する気も失せてくる。それにあれが規格外なだけでアタシ自身も同年代に比べたら決して弱いわけではない。いやむしろ強い、それに変わりはないからアタシは別段気にも留めてなかった。
「ねえ、お姉ちゃん。…お願いしてもいい?」
それにアタシはアタシを認めてくれる人が居ればそれでよかった。例えば妹の…鮮花が。
「鮮花、お願いって何?」
「…あのね…その…あの森に行ってやらなくちゃいけないことがあって…でもお母さんから入っちゃいけないって言われてて…。お姉ちゃんに付いてきてほしくて。」
今思えば、アタシは…この3つ下の妹を甘やかしていた。甘やかしすぎていた…同時に見下していたのかもしれない、鮮花はアタシが居ないと出来ないと見下していたかもしれない。
「…良いよ、でも母さんにばれない様に早くやろう?」
「…うん!」
…妹の、鮮花のやりたいことというのは花を摘むことだった。ただの花ならばこんな危険な森に入らなくても必要はなかった。だが、花の用途…どうにも入院中の鮮花の友達に見舞い用の花を作るのだがその花がここにしか咲いてないというよりにもよってな話だったようだ。鮮花とその子は親友レベルに仲が良く、鮮花はその子の望みを叶えてあげたがっていた。
「…鮮花、もう終わった?」
時刻は逢魔が時。この森には嫌な空気が充満していて鮮花が居なければアタシは一刻も早く帰っていた。
「もうちょっと…。」
後ろで鮮花は目的の花を摘んでいた。それから数分。…ようやく鮮花が立ち上がった。
「鮮花、早く帰るよ。嫌な予感がする。」
「うん…お姉ちゃ……」
「鮮花?鮮花どうしたの?」
鮮花の言葉がそこで止まる。背後に嫌な気配が集まる、瞬時に振り向く、だが遅かった。振り向いた瞬間にはアタシは吹き飛ばされていた。木に激突し気を失いそうになるが何とか堪えて、視線を向ける。けれど向けられたのは視線だけだ、体が先ほどの衝撃で既に無理が来ていたのか動きそうもない。
…視線の先には業呪がいた。…ただの業呪じゃない。…授業でしか習ったことのなかった上級の業呪だ。
「…あざ…か…逃げて!!」
声を振り絞る。だが、ダメだ。威圧感の前に鮮花は腰を抜かして動けずにいた。恐怖で声も出ない。這いずる、動け動けと体に命令する、でも動かない。骨が折れているか、そんなことは関係なかった。結局アタシもその別次元の威圧感に動けなくなっていただけだ。
業呪の顔が鮮花の前に来る。
「あっ…。」
鮮花の口がパクパクと動いた。…そしてそれがこの世で鮮花を見た最後の光景だった。…次の瞬間に鮮花の上半身が消えていった。残った部分から真っ赤な鮮血が吹き出していた。その残った部分も全部喰った。
「…あっ…ああ…あああ…。」
嗚咽すら出なかった。何が起きていたかを理解を拒んでいたのかもしれない。ただ、業呪はアタシに狙いを付けたのかこちらへ近づいてきた、アタシは自暴自棄だった、殺してくれるならそれで良いと思った。
業呪の顔が50センチ前まで来た。牙が見える、あれに噛まれて死ぬのは痛いだろうななんて他人事みたいに思いながら。そして業呪が、吹っ飛んだ。
「…え?」
「…無事ですね?少しお待ちください。」
掌底だけで業呪を吹っ飛ばしたそいつはいとも簡単に一刀のもとに業呪を沈めた。本当にあっという間の出来事だった。それを見てたら急速に頭がスッーと冷えてきて、意識が現実に戻ってきた。
アタシは助かった。…そして鮮花が死んだ。その事実がどうしようもなく打ちのめされ、簡単に業呪を沈めたその少女へ行き場のない怒りが沸いてきた。いや、一番悪いのは彼女をここまで連れ出したアタシ自身に他ならない、けれども理屈ではこの感情は説明しきれないものだった。
「…すいません、お待たせしました。…おや、貴方は…。」
その少女に見覚えがあった。アタシは鮮花だった血だまりを見る。そして釣られてその少女も血だまりを見た。…そして何かを察したような表情をした。
「…申し訳ありません。…間に合わなかった。」
「…が…お前が…。」
ふつふつと沸いてくる怒りは逆恨みだ、救われた恩人にするべきことではない。でもそのどうしようもない激情はぶつけられることを望んだ。
「お前が…お前が代わりに死ねば良かったんだ!化け物!!」
…その時の彼女の表情は忘れられなかった。瞬間、沈めたはずの業呪が起き上がった。…そして火球を吐きそのまま後ろに倒れこんでいく。まさに最期の力を振り絞ってなのだろう。
彼女は多分その火球を避けることは出来た、けれどもアタシは動けずに地面に突っ伏していた。だから彼女が避ければアタシはいとも簡単にこんがり焼きあげられるだろう。…それを考えてか知らない。
彼女は自らの体を張り、その火球からアタシを身を挺すように庇った。薙刀で火球を切り裂き、威力は分散されただろう、けれどもその熱量は想像を遥かに凌駕するものだった。…そして熱さが収まると、アタシと、まだ燃えているそいつが残っただけだった。
――――
「そこからはアンタも知っての通りの顛末だ。アイツは半身が焼けるような大やけどを負い、たいしてアタシは腰の骨を数本折っただけ。…最新鋭の医療でアイツは助かったけれど多分一生消えないような火傷を負ったんでしょうね。顔も良く見なければ分からないだろうけれど皮膚の移植跡もあったし。」
翔馬は彼女の言葉をただ黙って聞いていた。それは懺悔であり、後悔だった。三年前の自分自身に対するどうしようもない後悔。彼女はこの場にて誰に話すことのない後悔を懺悔した。
「…やっぱり。」
翔馬は重く噤んでいた口を開く。
「やっぱり冷泉寺先輩と話すべきだと思いますよ、鷺沼さんは、一度。」
それは提案。今のままでは二人の間に禍根を残すだけというのは翔馬にも分かっていることだ。故にこその話し合い。
「…今更アタシがどの面下げて会長に会えって言うんだよ。」
これまた仕方ないことだ、確かに話し合うべきではあるがハードルが高いのは事実だ。彼に強制は出来ない。
「けれど、ずっと見ていたという事は伝えたい事があったんじゃないですか?」
「…確かに憎んでいるっていうのは間違いないけれど…それでもアタシは一言で良いから謝りたかった。けれど気まずさと、ちっぽけなプライドが邪魔して今の今までこの様さ…永遠に出来ないかもしれない。」
「…まぁ分かりましたよ。これが会長にとって害のないものだという判断は出来ましたので、お付き合いしてもらってありがとうございました。」
「…アンタはアイツに忠実だな。…いっそ責めてくれたら楽だったんだが。」
「流石にそこまで血が通ってないわけじゃないですよ俺は…肉親を失う痛みは…分かってるつもりですから。」
翔馬は立ち去ろうとする、立ち去る間際、麗華は一言だけかけた。
「ありがとな、文字通り他人のアタシの話を聞いてくれて。」
…彼は何かを返すことなく去っていった。
――――――――
「以上が事の顛末でした。」
夜、談話室にて仕事をしていた愛奈に翔馬は報告をしていた。
「沙耶、この書類は本家に送っておいて。…そうですね、とりあえず、まずはありがとうございました、石動くん。」
指示出しをしながらきちんと話を聞いていたのか労いの言葉を贈る。
「どうしても立場上、空けることが出来なかったため貴方が行ってくれたことはとてもありがたかったですよ。」
「いえ…俺も先輩にはお世話になっていますから。」
「それにしても…ふむ、そうですね。彼女について懸念事項はあれどどうこうなるという事は無いと判断していても良さそうですね。」
「先輩は…鷺沼さんと話し合うべきだとは思いますか?」
「確かにその考えは一理がありますが現実的ではありませんね、そもそも私の時間が取れないこともありますが…私もどのような顔で彼女に会えばいいのか分からないです。」
「…そうですね。御二方の意見を尊重しますよ俺は。」
とにかくこの話はいったんここで御仕舞いと、愛奈は区切った。
「それにしても夏休みが始まりましたね。石動くんは大規模な予定などはないのですか?」
「…いえ、特には。冷泉寺先輩は…難しそうですね。」
「そうですね…夏休みも忙しそうです。………。」
何かを考え込むような仕草をする愛奈。そして思いついたのか。
「石動くん、ここの数ヶ月で私たちは仲良くなれましたよね?」
「え?…ええ、まぁ。」
翔馬は困惑半分に頷く、確かに愛奈との心的距離は縮まりはしたが。
「石動くんには話しておきますがこれからは恐らく今までと比べ物にならないくらいに激動になると思います、私たちは協力が不可欠なのですが…そこでどうでしょう、団結を深めるために他人行儀な呼び方を止めるというのは。」
それは思いつき。だがそれでも更に心の距離を進めるようになることを愛奈はまだ知らない、後に誤算と知る。
「というと?」
「下の名前で呼んでください。」
「…は?」
翔馬は純潔である、異性の名前を下で呼ぶなど家族同然の葵以外したことがない。同時に呼ばれることもだが。
「…ここだけの話ですが、私は冷泉寺という名字が好きではなくてですね。これから志を共にする石動くんにそう呼ばれる続けるのもあまり…」
言葉を濁すが十中八九嫌なのだろう、そんな顔をされたら翔馬は断るには断れない。
「…分かりました。ただ俺に同じ条件を求めるなら先輩もやるべきではありませんか?」
「む…それはまぁ…そうですが…。」
急に言葉を詰まる愛奈。
「とにかく、これからもよろしくお願いします。…愛奈先輩。」
「ええと…そうですね…これからもよろしくお願いします。…し、翔馬くん。」
…気恥ずかしい空気が流れる。
「…な、中々気恥ずかしいものがありますねこれは…。」
アハハと乾いた笑いを漏らす彼女は耳が赤くなっていた…が翔馬はそれに気がつかなかった。