「…得た情報は確かなのには違いありませんが少々整理する時間が必要ですね」
「愛奈さん…それは俺もそう思います」
京都からそのまま東京に戻る中の車内。対面に座る愛奈の顔は困惑を多分に含んでいた。
「神崎樹という名前は今はデータベースにかけて照合中です。ただ間違いなく聖城学園に所属していたという記録は残っているので父の言は事実のようです」
愛奈は手元のタブレットを操作しながら学園のデータベースを見ていたがそれを置いてふぅとため息をついた。
「私が…私が冷泉寺仁蔵の嫡子でないことは分かっていましたが」
回想する姉弟子の存在。侍従に押しやられていたあの姉弟子は本来ならば自分のいとこという存在に当たり、尚且つ自分が存在しなければ冷泉寺の次期当主として不自由なく生きていただろう。
「まさか、私があの男と、冷泉寺を出奔した女性との間に成された子供だったとはさすがに思いもしなかったですね」
そして珍しくシートの背もたれに頭を預け車内の天井を仰ぎ見た。翔馬はハッキリ言ってかける言葉は見つからなかった。
「しかし皮肉ですね。父の妹となれば冷泉寺の直系。そしてその娘となれば私もまた冷泉寺の直系の血を引く者。次期当主と言う存在の説得力が増してしまうなど」
冷泉寺は世襲制度を取っており血統も求められてくること。愛奈はむしろ外様だと自分を考えていたが外様どころか直系ストレートのど真ん中だった。
「…愛奈さん」
「…踊らされていましたね。私も、しょせんはただの小娘ということに過ぎない」
彼女の口が漏れ出る珍しき落胆の声。そんな人間的な声が出るほど彼女も今は相当狼狽していることは翔馬には五感で感じられていた。
「外様である私が冷泉寺を継ぎ、1000年という間で築き上げられていた傲慢と怠慢を壊す。壊して作り直すとそう誓っていたはずなのにこの身は外様などではなくしかも本来の正統後継者であった沙耶を押しのけてまで座った偽りの玉座だったのですから…これほど滑稽なことは無いでしょう」
目を閉じながら自分に落胆する声が増えていく。彼女は今、とんでもない自己嫌悪に陥っていた。
「やらなければいけないことはある筈なのに今の私ではやれる気がしないんです。重症ですよね」
「……」
翔馬は否定も肯定も出来なかった。違うと否定できるほど今の彼女は本調子ではないしそうだと肯定できるほど彼はデリカシーがないわけではない。
「少し、休みます」
そのまま愛奈は目を閉じて少しの休息を取り始めた。
────────
それは今よりはるか昔の話。時は平安の世。京の都にて一部の人間は繁栄を築き、その裏側で大量の人間が死んでいた時代。
人類はこの時期についに業呪への対抗手段を手に入れ、祓術師という存在も世へと放たれていた。1000年続くことになる冷泉寺もこの頃に興されることとなった。
「…フッ!」
そして平安京。この町でも呪いは生まれ、禍を巻き散らかしていた。だがそれでも祓術師が業呪を刈り取り人々の生活の安寧を保っていた。今夜もまた現れた業呪を一人で狩りつくした男がいた。
「…これで最後か」
塵へと還っていく業呪たち。男に傷もなく彼が卓越した術師ということが伺え知れる。
「
真斗と呼ばれた青年に差し出された清潔な手ぬぐいを彼はありがたく受け取り答えた。
「
「お礼などと…これはわたくしの務めですので…」
しかし藍と呼ばれたそのうら若き女性は真斗と呼ばれた青年に対して好意を一ミリも隠さぬ言動をしていた。
「…しかし今宵はまだ月が碧いな」
「はい…不思議な輝きでございます…けれども心奪われるようになんとも美しき光景です」
「世の詩人もこの月で一つ詩を詠むのであろうな。詩人というのは富んだ心の持ち主だ」
会話の通りに月が碧かった。この時代には解明されてないことだが月というのは本来自分から発光する天体ではない。あくまで地球の衛星であり太陽の光を反射するということしかできない受動的な星でしかないのだがその宵の月はなぜか碧かった。
「では真斗様も詩を詠んでみますか?存外受けるやもしれませぬ」
「戯れを。この身に風流など出来る物か。某には芸がないのだ。精々誇るものがあるとすれば武であろう」
「…良いではありませんか。ではその武を誇ってしまえば。わたくしは真斗様が勇ましき戦いのお姿が心より好いているのですから」
藍の好き好き攻撃にさすがに真斗もその好意に気付いているのか距離が近いと少し距離を取った。
「ならぬ、藍…未婚の生娘である其方が男にそう、強気に言い寄るなど」
「真斗様の好みは淑やかな女性でしょうか。ならばわたくしはこの身を粉にしてでも…」
そんな会話をしていた最中。突如として背後にソレは現れた。陰に潜み、陰から狩ろうとしていた異形の存在。
「業呪だとっ!?」
それは藍の背後に位置取り彼女の命を刈り取ろうとしていた。真斗はとっさの判断で彼女を庇った。乱暴は承知で藍を引き寄せて
そして代わりにその身に業呪の爪を深く刻み込んでしまった。
「…っ!!??」
真斗はそのまま壁際まで激しく突き飛ばされ、流血が酷かった。肝心の助けた藍は突如起きた出来事で頭が理解を拒んでいるのか動かない。
「…に、げろ……藍…」
「……マ…サト…さま…?」
業呪は一番厄介な真斗から確実に息の根を止めようと狡猾に狩りを進めた。そうして真斗の命がもう刈り取られるその瞬間、彼は藍の幸せだけを祈っていた。
しかしいつまでたってもその時は訪れない。意識が朦朧としていた真斗だったがやがて視界がはっきりしてきた。
そしてその視界には
自身が業呪の爪で深く切り裂かれながら、真斗の刀で切り裂いた張本人である業呪を串刺しにしている藍の姿であった。
彼の記憶はそこでいったん途切れている。
────────
「…さん…なさん…愛奈さん」
…彼女の目が覚めた。天井を向いていた視線がその下に向けられ石動翔馬のことを視線に捉えた。
「…起きましたか?」
「…今はどこですか?」
愛奈の寝起き直後の言葉はそれであった。翔馬も良く寝ぼけたりしないものだなと感心しながらも愛内の疑問に答えた。
「もう東京に入りました。ただ学園まではまだ距離はあると思います」
「そうですか」
それだけ言って愛奈はまた黙ってしまった。そして車外の景色を見ている。睡眠時間は結構すっかり寝ていたようで1時間半ほど睡眠を取っていったようだ。
いつもの人を食ったような笑顔はなく虚無の表情をしている愛奈。ここ数日で彼女の精神を揺さぶり続けることが立て続けに起きたせいだ。
────確かに俺は死にたくないっていう目的は達成した。けれどそれで犠牲を払って今ここにいるなら俺の存在価値は何なのか分からなくなる。
思えばこの体に記憶が戻ったのは4年前。小学校を卒業する前後のころだった。あの頃の愛奈は正直強くなかった。何かが足を引っ張るように祓術の効率も悪かったし少なくとも現状の現代最強と言われるほど強くはなかった。
それでも新寺沙耶を姉と慕っていた彼女は心が折れそうになりながらも彼女がいたからか、逃げずに立ち向かっていた。たとえ彼女が俺…冷泉寺愛奈のことを怨敵として心の底から憎んでいたとしても培ってきた年月に偽りはなかった。
だからこそ、そんな彼女の死を踏み台にして自分だけが生き残り、そんなことで目的が達成したと言えるのだろうか。
確かに本来の冷泉寺愛奈が死ぬ日は過ぎた。けれども代わりに新寺沙耶は死に、掲げていた理想すら老人たちに踊らされていたにすぎず、そして選りにもよって…すべての元凶である神崎樹が冷泉寺愛奈の父親ですらあったという。
…分からなくなってしまった。これから俺は何を目的に生きていけばいいんだ。
そんな思考に耽る中、愛奈に唐突に声が掛けられた。
「愛奈さん。愛奈さん」
声の主は言うまでもない、翔馬だ。
「…この後少々時間を貰えますか?」
「…?ええ、かまいませんが。今日はもう予定もありませんので」
「…ならよかったです、車を止めてもらえますか」
翔馬の言葉に疑問符を浮かべながらも車を止めて貰った。ここは東京の郊外の街のようだが…
「…俺とデートしてくれませんか、愛奈さん」
そんな唐突なギャルゲ主人公のようなセリフに…実際にギャルゲ主人公だが…愛奈は…
「………はぁ?」
心の底から、素の喋り方で思わず聞き返してしまったのであった。
────────
「………」
場面変わって愛奈は目先のことに全神経を集中していた。慎重にボタンを押し進めて物事を進めていく。戦闘以上に極限状態でそれに挑んでいた。
しかし彼女の集中も虚しく、それは落下していった。
「…ああ…」
彼女はポーカーフェイスを今はあまり被らず普通にがっかりしたような声音で残念そうに言った。
「じゃあ次は俺の番ですね、見ててください」
そう言って翔馬は愛奈と代わって…クレーンゲームにコインを入れた。
今現在二人がいるのはゲームセンターだった。特別な要素はない、どの町にも探せばいくらでもありそうなごく普通のゲームセンター。そんなゲームセンターに冷泉寺愛奈と石動翔馬はいた。
「……ここっ!」
何と意外なことか、石動翔馬にはクレーンゲームの才能がありました。見事猫を模したぬいぐるみをゲットした。その景品を彼は自分で所有することなく、愛奈に渡した。
「良かったらどうぞ、愛奈さんの趣味には合わないかもしれませんが…」
そこは翔馬も自覚しているのかわりと恐る恐るという感じだが
「いえ…可愛らしいものですね。思えば寮の私の部屋は飾りもなく味気ないのでちょうどいいのかもしれません。ありがとうございます、翔馬君」
そうして普通の年頃の少女のような笑みを向けられるとさすがに翔馬にも来るものがあった。
「次行きましょうか」
「そうですね、次は何をやりますか?」
普段と態度はそこまで違わないが愛奈が少々浮かれていることに翔馬も気づいた。聞いた話だと彼女がゲーセンに入るのは生まれて初めてだそうだ。ただ彼女の中身は前世にも普通にゲーセンなどでは遊んだことがあるので目新しいわけではない。ただ久しぶりの感覚にワクワクしていると言った方が正しいだろう。本当にごく久しぶりの娯楽だった。
「アレは…」
「ああ、プリクラですね。そういえば俺も撮ったことは無いですね」
プリクラを男子高校生一人では少々敷居が高い。故に翔馬も知ってはいたがやったことは無かった。愛奈はどこか楽しそうに彼の背中を押しながら言った。
「ならば挑戦あるのみです。やりましょう!」
「うわっ力強い…」
「これが『盛る』ということなんですね」
「正直愛奈さんには必要ない機能だと思いますよ」
完璧美少女は盛る必要がないほど完璧であったという写真が出てきただけだった。だがそれでもその小さい一枚ですら思い出には欠かせないものだった。
「完勝ですね」
「…完敗です…まだこんなに力の差があるのか…」
ホッケーは愛奈が危うげなく翔馬を叩きのめしただけだった。こんな所でも実力差を感じると翔馬としても別の意味でダメージを喰らっていた。
「モグラたたきは…お互いに馬鹿力だから止めておきましょうか」
「…そうですね、弁償沙汰は面倒ですから」
口ではそう言っているが愛奈のテンションは見るからに落ち込んでいた。そんなにもぐら叩きをしたかったのか。
「翔馬君、右側から来てますよ」
「うわっ本当だ…いやぁ四面楚歌ですね…ていうかどんだけゾンビいるんだよこの病院は」
その後もありとあらゆるゲーセンのアクティビティを堪能した彼女はゲーセンを出るころにはすっかり夜になっていた。
「門限には間に合いそうにもないですねこれは」
「別段気にする必要はないでしょう、どうせ今までも門限など超えてきたのですから」
「それはそう…ですけど。ただ今までのは任務とかの例外だったんで、完全に個人のプライベートを生徒会の権限でどうにかするのやっぱり俺は少し気が引けますね」
そんな心配をする翔馬を背に愛奈はいつもの飄々とした笑みのまま述べた。
「以前にもお話したと思いますが私は使えるものは有効活用する主義なんです。特に権力というのは飾りではありませんからね」
この人のそういうところは一切ぶれないと思いながらも愛奈に温かい飲み物(今自販機で買った)を渡した。
「どうぞ」
「これはどうも」
愛奈はそれを受け取るとプルタブを外して少し冷ますと飲み始めた。翔馬もベンチの隣に座り自分で買ったものを飲み始めた。そしてそのブラックコーヒーを躊躇いなく飲む愛奈を見て翔馬は以前から感じていたものを確信した。
「愛奈さん」
「…はい?」
「…やっぱり、貴方には…味覚が無いんじゃないですか?」
翔馬の言葉に愛奈は少し驚いた後気づかれていたのかという目線と共に観念したように言葉が漏れ始めた。
「…ええ、私には今このコーヒーの味すらわかりませんよ。苦みなど感じない…もしかした甘いのかもしれませんが。…今の私はこの缶コーヒーの味を楽しむ機能すらありません」
味覚の欠落、それが人間に起こることはあまり珍しくはない。多くはストレスによるものらしいが…
「…少し昔話をしましょう」
愛奈はコーヒーを飲みながら昔の身の上話を語り始めた。
「昔の私は、今の私からは想像がつかないかもしれませんが、正直弱かったです。コツを掴めば一気に昇華したのですがそれまでの私は単体では低級の業呪を祓うのがやっとと言ったところでした」
ハッキリ言って俄かには信じがたい話だ。特に翔馬は彼女の強さを良く知っているからこそ。
「出来損ないには相応の処罰が下るのですよ、あの家では。私は座敷牢に幽閉されたり正直人間扱いされたことは片手で数えるくらいです」
それが愛奈の根底の行動理念なのだろうか、翔馬は黙って聞き続ける。
「けれども、沙耶は私にとって姉のような存在でした。彼女も最初は憐れみだったのかもしれませんがそれでも彼女は私を人間として扱ってくれた少ない人物の一人でした。…私は彼女が淹れてくれる紅茶が好きでした」
それは以前も言っていたことだ。
「けれども、四年前…私は突然として祓術師としての核心を掴み爆発的に強くなりました。…強くなり始めたからこそクソみたい…おっと言葉遣いが悪かったですね。家は更なるスパルタを課してきました。その頃からでしょうか、私が味を感じなくなったのは。沙耶が淹れてくれた紅茶も正直好きではなかった山菜の味もすべてが消えました。だから今の私に食べられないものはありませんし、好き嫌いもありません…。食事を美味しく食べるという機能さえも」
それが彼女の全貌なのだろう。だから翔馬は味覚のことは触れないことにした。
「大切だったんですね、愛奈さんにとって新寺さんは」
「ええ、とても」
だからこそと愛奈は続けた
「だからこそ、私は今の自分が赦せない。たとえ彼女が裏切り者だったとしても、私を憎んでいたとしても。それでも大切だった彼女に生かされた私はよりにもよって彼女から託されたものを背負えずにいる」
いつしかまた飄々とした笑みは消え、眉間に皺が寄っていた。だがそれに待ったをかけたのが翔馬の声だった。
「俺は…背負う必要はないと、そう思いますよ」
「…何故ですか?」
愛奈の視線が突き刺さる、けれどもそれでも石動翔馬は続けた。
「それは新寺さんの願いじゃない…からだと思います」
言葉を続ける。
「…あの傷の業呪を目の前にして、父と母の意志はアレを殺せとずっとそう思ってきました…けれど最近思うんです」
彼の脳裏に浮かぶのは五年前、両親が業呪に殺されたあの夜のこと。
「仇を取れなんて思ってないんじゃないかって」
「……えっ」
「父さんも…母さんも‥ただ俺に生きていてほしかったんじゃないかって。そう思えるようになったんです…だから新寺さんもそれと同じなんだと思います」
「…私に…ただ生きていてほしいだけ…」
「勿論、俺は仇を必ず取ります。けれど…多分散っていった人たちの想いはそうなんじゃないかって…無理にその人の全てを背負う必要なんかないんですよ」
それっきり彼も彼女も黙ってしまった。愛奈は夜空を見ながらひとりごちた。
「ごめん、沙耶姉さん。私は貴方の代わりじゃなくて…私として生きるよ」
それだけだ、それだけの言葉で終わりだ。だがそれだけでいい。
「…そろそろ学園に戻りましょうか。大幅に超えても良いことはありませんし」
「…そうですね」
「帰りましょう」