目的は一つだ。神崎樹の企みを止める。
ここに来てこの作品の核心的なネタバレをしてみよう。実はすべての元凶こと神崎樹のバックボーンは本編では殆ど語られないのだ。語られているのはこの男が業呪を操作することが出来、世界のすべての人間を業呪に変貌させて業呪だけの世界を作ろうというシンプルな悪役だ。
だがここに来て
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「さて、翔馬君。神崎樹を看過するわけにはいかないというのは良いですね」
改めて聖城学園高等部の生徒会室。既にほかの役員たちは寮に帰っている。残っているのは渦中の二人だけだ。
「はい…あの男とあの業呪が何をしたいのかとかは全然…分かりませんけど。それでも見て見ぬふりをしていたら取り返しのつかないことが起こる…そんな予感はします。それに何であれが俺を付け狙っていたとか分からないことだらけです」
「…そうですね、身内の不祥事…というわけでもありませんがあれが私の父親だというのならばせめてこの手で終わらせたいとそういう想いもありますが。とにかくアレを暫くは追いましょう。そのために」
必要な書類は一式用意したと言わんばかりに愛奈は机の上に書類を置いた。
「休学申請…しましょうか」
「…えっ」
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その続報は存外と早く来た。愛奈が休学し翔馬もそれに倣うように全国の情報を集めて回り始めた時から2週間ほどが経っていた。10月ももう終わり秋が深まりそろそろ肌寒くなってきた頃合いのそんな季節に例の男の続報は届いた。
「…神崎樹が現れました。…場所は特級区域…関東のではありません。関西にある本州のもう一つの特級区域です」
「それは本当…ですか?」
「ええ、間違いありません。実際に目撃されているわけではありませんが以前の関東の特級区域の時と状況が酷似しています。業呪が姿を消し続けているのです。前回の関東の特級区域のことを思い出してください。…業呪が共食いを始め一体の強力な業呪になっていました」
「…ああ。あれは強かったですね」
「そして神崎樹に付き従う『カナ』と呼ばれた業呪…あれの力は直接相対した翔馬君ならわかると思いますが飛びぬけて規格外です。そこで私の予想はこうです」
愛奈が自身のタブレットに絵を描く。相当上手いが今はそんなことはどうでもいいのだ。
「『カナ』はおそらく究極の業呪になるために神崎に作られた存在です。多くの業呪に共食いをさせて、その中で生き残った強力な個体をカナが喰らい続けてあそこまで強くなってきた…というのは推測に過ぎませんがそれでも筋は通っていると思います。今までは陰に隠れていたのか殆どその兆候は見られなかった。けれども神崎がここ最近かなりの頻度で動いていることは予測できます…何かしらが大詰めを迎えているのかそこまでの断定はできませんが…あの男の企みが完遂する前に彼を討ちます」
「…分かりました。行くんですね、今から関西の特級区域に」
「勿論です。ただ時間をかけずに行きます。手っ取り早く奇襲するために」
前回京都まで移動したのは車だったが…いつの間にか愛奈に連れられて翔馬は空港に来ていた。
「というわけで飛びます。ジェット機で」
「えっ」
本当にそこにジェット機があるのだから驚きである。しかもご丁寧にプライベートジェットだ。
「困惑している暇はありませんよ、乗って下さい。これなら時間をかけずに行けますから」
「…もう正直驚いてませんよ。冷泉寺なら何でもありだなというのはここ数か月で実感してますから。…とりあえず行きましょうか」
「順応してくれて嬉しいですよ。以前からお話ししてますが使えるものは何でも使えというのが私のスタンスですから」
実に良い笑顔で愛奈はそう笑った。
機内にて作戦の概要を説明し始める。俗にいうブリーフィングである。
「…さて、今回の奇襲ですが恐らく神崎樹を討ち取るということは正直そう難しくないです。あの男と私の間に殆ど力量差はありませんから翔馬君と私で組んでかかれば神崎樹を討つということは簡単に達成できると思いますが。ここで一つ大きな問題が出てきます」
翔馬が神妙な顔で言う。
「カナ…ですか」
愛奈が首肯し、頭を悩ませている表情を見せている。
「あの少女…あるいは業呪は私では逆立ちしたとしても勝てません。…恐らくこの世界で対抗できるのはただ一人だけ。貴方です」
名指しで翔馬を指名した。これは彼女が世界の設定を知っているからこその指名ではあるがそれでも直接あの現場を見ていたからというのもある。
「俺が…ですか…この前は正直惨敗でしたけれど…」
「それでも私は見ていました。あれと打ち合いを演じれるというだけでも対抗できるのはあなた一人だけ…ただ、何かのトリガーを引かなければ貴方は自分の1000%の力を引き出せないはずです」
「…それは…そうですが…でもそのトリガーが何かすら分かっていないですよね」
「はい。だから今回はそれに頼るのは無しにします。まずは神崎樹を確実に討ちます」
タブレットに図を描いていく。
「神崎はカナに業呪を食わせるために命令を出すでしょう。この際にカナと神崎は確実に離れます。その隙に一撃で決めます。そこを外したら終わり。…そして神崎を討ったとしてもカナがどうなるかは出たところ勝負です」
「…もし仮に消滅しなかったら?」
「全力で逃げます。指揮系統を失ったカナは自律して行動することはそう無いと予測していますがそれでも私たちは猛獣の前に姿を晒すのと同義の行為は避けます。…カナも放置するわけにはいきませんが…それでも今は相手にするべきではありません」
その判断があっているかどうか断言することはできない。だが今はそれが最善だと愛奈はそう確信していた。まずは削るだけだと。
「カナを祓うには準備を万全に整えなければいけません。貴方のトリガーも明らかにして確実に発動できる状態にしなければいけませんし…それにおそらくトリガーが発動したとしても今のままでは翔馬君はカナには勝てません。私の見立てが間違っていなければとなりますが」
言外にまだあなたの地力が足りてないと言われているようなものだが愛奈は非情にも聞こえる言葉を続ける。
「最低でも自力で本気の私を打ち負かせないとあなたはカナには勝てない。それが最低限です。あまりこういう話はしないんですが数値で表現してみましょうか。あなたもRPGゲームなどは嗜んだことがありますよね?」
「は、はい…ありますけど」
愛奈もそういうことやるのかと少々驚きながらも翔馬は例え話に耳を傾け続ける。
「私の今のレベルはそうですね。おおよそ60くらいでしょう。これは神崎樹も同じくらいと見ています。そして今の翔馬くんは45レベル程度です。半年でこれほどの腕前が上がるのですから見事としか言いようがない成長速度ですがそれでもまだ足りません。あなたにはこの60の壁を超えて欲しい。以前関東の特級区域で戦ったあの変異種の業呪は150程度でしょうかね。…そしてカナは…500」
それを予測しているのはゲーム知識を元にしたなどとは翔馬は夢にも思わないだろうが彼我の数値の差には少なからず恐怖を覚えていた。
「あなたが学園祭のあの日カナと戦った際にはおそらく半分程度の力しか出していなかったのだと思います。あなたのトリガーは間違いなくカナに対抗し得るものですがおそらくまだ不完全。だから、カナを祓うには時間が必要です」
「……分かり、ました」
自身の不甲斐なさを呪った。カナは、傷の業呪は翔馬の両親の仇なのはもはや疑いようもない事実だ。憎悪とは訣別したとしても必ず仇は取るというのは彼が心から誓っていたこと故にそれが出来ないことは口惜しい。それに自分の無力さを噛み締めさせられた。
だがここで死んでしまっては討つことも叶わない。今回ばかりは愛奈の案に乗ることにしたのだった。
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関西特級区域。関東そして北海道にある3つの地域にあるうちの一つの特級区域。ここにも定期的に駆除が入り業呪の出現をコントロールをしているのだがそのイレギュラーは関西区域でも起こっていた。
そして警備に当たっていた祓術師は今、物言わぬ骸に成り果てていた。
「脆い。こんなにも脆い生物が良くも世の支配などと言えたものだ」
そんな死体を意に介さず踏み潰しながら男は進んでいた。もう襲いかかってきた祓術師たちは全員殺した。彼の目的はその奥だとこの程度の障害など障害とも認識せずに進んでいる。
「いたか」
そして特級区域のさらに最奥にその男…神崎樹の目的のものはいた。
「関東の区域では喰らい損ねたからな。こちらでは確実に喰え、カナ」
『ええっーあれってそれなりに強いんでしょ?遊んじゃだめなの?』
神崎に付き従っていた業呪から意思を介する言葉が飛んできた。それこそが彼女…カナだ。
「時間を与えると面倒を起こすものがいる。手早くやれ」
『ちぇーっ、じゃあ食べてきますよー』
ドシンとカナが歩みを続ける。変異種の業呪がカナの存在に気づいた。
その業呪は眼の前の異質な業呪に本来覚えるはずもない恐怖を覚えていた。すべて喰らい尽くした業呪はその区域では最強だった。だがその前に現れたさらなる最強。とうの昔に失ったはずの生物の生存本能が刺激され、恐怖心を抱いた。だがそれが芽生えた最強の業呪の傲慢さが許さなかった。
変異種がカナに襲いかかる。その爪で引き裂かれれば一瞬で人間などお陀仏で真っ二つになるだろう。だがカナには傷の一つもつけられなかった。その呪いは格が違う。変異種など今はただの噛ませ犬に過ぎないのだ。
『弱いなー、良くこの程度で最強とか思えたよねー』
カナがもういいや、変異種の業呪を吹き飛ばした。一撃で散れなかった業呪には気の毒なことにそのままカナは、追撃し森の更に奥へと進む。こちらの勝敗など語るまでもないことだ。どう運命が変わろうとも変異種の業呪がカナに勝つ未来など訪れない。
だがその好機の瞬間を待っていたものがいた。
神崎樹の背後にその二つの刃が振り下ろされようとしていたのはまさにその瞬間だった。
───
「…っ!?」
獲ったとそう確信した愛奈だったが神崎樹の背後から出てきたその存在に彼は翔馬を弾き飛ばして横に転がるしかなかった。彼も彼女も刃を神崎に振り下ろせなかったその理由は一つ。
「…まじかよ、葵…!」
翔馬が力なく呟いた。神崎を守るように立ちはだかったのは他ならぬ翔馬の幼なじみであり、家族でもある少女…立華葵だった。
「絶好のチャンスを逃したな。人間というのはつくづく愚かだ」
神崎がゆっくりと振り返る。彼は分かっていたのだ。最初からその奇襲など。だからこそ支配下から逃れたと思っていた立華葵を使ったのだった。
「完璧に支配から逃れていたなどのは本当に狡猾な罠だったということですか…」
さすがに愛奈も唇を噛み潰した。ここまで狡猾な罠に見誤っていたのだった。
「冷泉寺か。貴様らは本当につまらんな」
「奇襲は失敗です!…ここで確実にこの男だけは討ちます!」
「はい!」
そうして戦いが始まった。タイムリミットがごく僅かの超短期決戦が。
神崎樹の能力は愛奈が把握している限りでは業呪を行使する能力だった。あとは本人の腕もかなりの達人で連携されると面倒だというのはこの前の学園祭でもそう実感している。だからこそ
愛奈の氷楼と翔馬の碧夜が神崎に向かってその身を斬らんとするがよりにもよって傀儡となった葵が割って入る。しかし彼女がいくら操られて強化されていたとしても…
「後で謝りますから少々…手荒くっ!!」
すれ違いざまの愛奈の拳が葵の急所に的確に入り、それだけで彼女は動けなくなった。愛奈は人体の急所というものをよく理解している。今の彼女が意思無き操り人形だろうとも体は人間のものであるためそこを突いてしまえばしばらくは動けないだろう。翔馬も幼馴染の少女が尊敬する先輩に思いっきりぶん殴られているのに複雑な思いだがそんなことを考えている余裕はない。ついに神崎への道は開けた。
しかし葵が庇ったおかげか。愛奈が神崎に到達する頃には上級業呪が召喚されておりカナの帰還時間を稼がれてしまうとなってしまいそうだがそうはならなかった。
「『氷獄』」
全力で走りながら彼女は己の術である氷の御業を披露する。あの学園祭の日にグラウンド全て覆うような氷の檻の様に周囲を孤立させる。召喚された上級業呪達は氷漬けとなり暫く動くこともままならない。駆ける。邪魔者はいない。
彼女の持てる全ての力を以て神崎に突撃する。打ち合いはやや互角。神崎と愛奈の剣戟が繰り広げられるが今の彼女は一人ではない。背後から奇襲するように翔馬が現れ加勢する。神崎もはじめのうちはいなしていたがやがて
速度が上がり始める二人の攻撃に追いつかなくなる。
愛奈が薙刀を振るい、神崎の手元を切りつけ、片腕を斬り落とした。その瞬間を見逃さず翔馬は刀を振るい、神崎の持っていた剣を弾き飛ばす。業呪を召喚しようとしていたその隙を逃すはずもなく愛奈は神崎樹の腹に蹴りを入れた。それで大きく体勢を崩す。神崎樹はこれで討ち取れたとそう確信した瞬間、死はすぐそこに迫っていた。
愛奈が追撃し、薙刀をその脳天に振り下ろすその瞬間…氷の檻はガラス細工より簡単に崩れ落ちその最悪の業呪が姿を現した。
『雑魚が死んじゃえばいいのにさああぁあぁァァァっ』
その狂った叫びと共に最強の業呪の爪が、愛奈の顔面を切り裂こうとしていた。だが彼女の首根っこを引っ張り、自身がそこに割り込むことで彼女を助けた存在がそこにはいた。それは石動翔馬ではない。彼は追撃をしていないのでまだ数メートル後ろに居た。
そんな愛奈を庇ったのはいつの日にか見た。冷泉寺の屋敷であの日助けてくれた。たった一人の温かい人。
『虚無僧』その人だった。