馬に乗った男たちが三人、人気の無い山道を無言で走っていた。一人は他の二人とは違い、錦糸を使った上等なものを着込んでおり、二人の主人らしい。降りしきる雨は止む気配が無く、伴の男が持つ『自分』の入っている刀袋を濡らしていく。
西から微かに雷鳴が聞こえた。
「主が呼んだのか?私には関係のない事だが」
伴の男が持っている刀袋の中で石切は独りごちた。どうせ男たちの誰にも聞こえはしない。
男たちの話によれば、主は六条河原で処刑されたらしい。らしい、というのは処刑の前に主から引き剥がされ倉に入れられており、石切自身が主が処刑されたそこに居なかったせいだ。
石切は悪源太こと源義平の太刀として使われ、主が処刑された後に後白河というの者の手に預けられていた。しかし義平の首を落とした難波経房が雷に打たれ死んだことで、義平の祟りを恐れた者達は愛刀であった石切を丁重に奉納することでそれを逃れようと考えたらしい。
奉納されるのは石切劔箭神社という物部氏が建立した神社だという。
「河内は故郷になるのか。郷愁の念が有るわけじゃないが、こんな形で戻ってくる事になろうとは。」
石切は河内の有成が打ったものであり、そういう意味ではかなり縁のある場所では有るはずだが、石切にはそのような感慨は特に浮かんでいない。そういえばこれから石切が奉納される社には同じ三条の小狐丸という刀も奉納されていると聞いた。外の戦の話でもしてやろうか。
話し相手が居ないというのは此処まで暇だったか。男たちは口数少なく、顔も見飽きてしまった。最初は人のカタチを取って馬の尻に乗り外を眺めていたものの、やはり飽きてしまった。
「この男どもは私が祟るとでも思ってるのか?」
男たちは随分と義平を怖がっているようだったからな。石切自身は主人の敵討とやらをする約束もしてやしないと思っているが、やはり伝わることはない。あれは処刑の前に雷になって喉笛に食らいつくと言って、それを実行してしまったのだから、そこに己は必要ない。
石切の心に何かもやっとしたものが駆け抜けたが、無視することにした。そんなものは刀には無用だからだ。石切にとって刀とは、主のモノであり、切れと振られれば切る。命を奪えと言われれば奪う。そういうモノだった。持主の影響なのかは分からないが、いくさの事には頭が回るが、関係しないことについては考えるのが苦手だった。
物は百年経てば付喪というが、そこまで経たずとも最高の職人が作った物は魂が宿るらしい。現に石切も百年経たずとも魂から人のカタチを取る事が出来た。弱いものなので、その姿は義平にしか見えなかったが。
打たれた直後は背中まで真っ直ぐに伸びた髪を髷に結って居たが、義平に影響されてかどんどんと髪がふくら(ばらばら)になってゆき、遂には結うのを止めて鉢巻で前髪を上げるようになった。狩衣姿に大鎧の袖を着け、金具で太刀を吊り下げた姿の青年、それが石切の人としてのカタチだった。
話し相手が居ないせいで昔のことを思い出したり、ぐるぐると要らないことを考える。
「暇だ…寝よう。」
義平とともに西へ東へと伴だって戦場を駆け巡っていたので、此処まで暇なことはついぞ無かった気がするなと思いながら微睡んでいった。これから暇が解消されるかどうかなど、全く考える事無しに。
「お前が石切丸とやらか」
石切は人あらざるものの気配で目が覚めた。いつの間にか倉のようなところに入れられていたらしい。
「誰だ?私は石切丸じゃない。石切だ」
「おやおや、石切丸だと聞いていたのですが…もしやずっと寝てて命名を聞いていなかったとか?これは大物ですな!ああ、太刀ゆえに…はっはっは。」
人のカタチを取って見回してみれば、どうやら近くにおいてあった小刀が話しているようだった。
「お前が小狐丸かな?」
「おや、私をご存知でしたか。」
「名前だけは。同じ三条の派だそうだな。」
ふわりと『人のカタチ』を取った小狐丸が現れた。童子姿に浄衣を着て、左右の髪の一部が狐の耳のように逆立ち、ピクピクと動いている。
「そのようですな。まあ仲良くいたしましょう。長い付き合いになるでしょうし。」
小狐丸は『長い付き合い』をやや強調して言った。
「ああ、そうだな。」
よくよく見なおせば石切の体は禊され、鞘も柄も何もかも清いものに取り替えられたため、人のカタチを取った時の容姿も変化していた。
髪はふくらのまま無理やり髷に結われていた。狩衣は神官が纏う浄衣に。貫(軍陣用の短靴)は草履に。袖や篭手などの防具は取り払われ、腰に佩いていた太刀は金具ではなく下げ緒で吊り下げられていた。
(これじゃあ戦えない…ああ、戦う必要はないのか)
石切がぼんやりと考えていると、小狐丸がまくし立てるように言った。
「この神社の祭神こと石切大神様は社におわしますが、お前は外で血を浴びていたようですし、神気に馴染むまではお姿を見ることはかなわないでしょう。石切丸。ああ、お前についての話を立ち聞きしていたのですが、どうやら外の世界の名前のままだと縁起が悪いので改名するとの事でした。」
この小狐丸とやらは聞いても居ないことをべらべらと喋ってくる。石切は話半分で聞きながら自分の置かれた状況を少しずつ理解して行こうと考えた…が、小狐丸の話はまだ終わらない。
「まずは神に奉納されたものとしての心構えから勉強しましょう。まずは…。」
「待て、いきなり色々教えられても入るわけがない。」
石切は即座に遮った。これ以上べらべら喋られるのも面倒だと判断したのだ。
「ふうむ…確かにお前はまだ来て日が浅い…焦る必要もない、か。わかりました。」
小狐丸は一応納得したように話を切った。
ここで焦って仲が悪くなっても仕方ない。刀である我らにとって、時間はまだまだ沢山あるのだ…と判断したのだろう。
神社に来てからの石切の生活は最初こそ新鮮であったものの、百年も経てば慣れてきて非常に退屈なものに思えていた。義平の刀であったのは数年だが、目まぐるしく変わる戦がそこにあった。人の命が近くにあって、人の血と脂と骨の感触があった。
河内は畿内にして京に近く、逃亡者や亡命者も流れてくる。血や鉄の匂いは近くまで漂ってくるが、それは全て『石切をすり抜けていく』。振るう人間が居ないのだから、当然のことだった。御神刀である事が現在求められている役割であり、それは人同士の戦いの武器となることではなく、人の病を癒し、武勲を祈願することだった。
小狐丸と石切は、社の浜床の隅に並んで座り、行き交う参拝客を見ていた。
「ずっとこれが続くのか…。」
石切は誰に言うとでも無くポツリと呟いた。だがそれはしっかりと小狐丸の耳に届いていた。
「おや、神に奉仕する者としての心がけが足りないのでは?」
小狐丸は怒るでもなくニヤリと笑っている。
「まだ大神様が見えないのでしょう?」
「…。」
教えは覚えた。神の使いとしての仕事も覚えた。穢れの祓い方も覚えた。だが石切にはまだ石切大神の姿が見えないのだ。見えない神に奉仕するというのは、人ならいいのだろうが刀である石切にはどうもしっくり来なかった。
「もしかして、また以前の持ち主の事をお考えで?」
「…そんな事はない。」
小狐丸は答えを聞かずに続けた。
「私は参拝客の佩刀に色々と話を聞いたりしたんですがね…。」
「待て、いつの間にそんな事を。」
「お前がぐうぐうと寝ている間ですよ。本当に寝起きの悪いことで。」
「うう…。」
石切は社に来てからというもの、酷く寝起きが悪かった。軍場では人の殺気があれば義平が察知し、それを察知してすぐさま起きたのだが。
「まあいいです。付喪がなくとも刀同士なら霊力を共振させてある程度話が出来るようだったので、この狐の耳でしかと聞いてみたんですよ。」
小狐丸は一呼吸置き、ややゆっくりと噛みしめるように話し始めた。
「…刀という奴はどうやら一度に一人しか主と認められない質の者が多いようで。私の主は石切大神様ですが、お前は…。」
「………何が言いたい!」
石切は叩きつけるような殺気を放っている。小狐丸は初めて見る石切の姿に驚いたが、二三回深呼吸して直ぐに気を取り直した。
「それ以上は…自分でお考えになった方がいいでしょうな。」
小狐丸はすっと立ち上がり、蔵の方に消えていった。社には石切と参拝客だけが残された。
石切はその場で俯きながら、じっと地面の一点を見ていた。いつの間にか陰りだした空からぽつりぽつりと雨が降ったかと思えば、にわかに強い雨が降り出し、辺りに雷鳴が響く。参拝客は慌てて屋根のあるところに散り散り避難し、境内に石切だけが残された。
自分が何故神を見られないのか。恐らく小狐丸の言が正しいであろうことは石切にも分かっていた。分かっていながら目を背けていた…というのが正しいだろう。
義平と最後に別れる時、あれは何と言っていたのだったか。忘れていたのか。否、人ではなくモノである石切に物事を忘れる事など出来ない。義平と今生の別れの時には「俺が居なくても大丈夫だろう?じゃあ、達者でな」と言われたのだ。あれは自分の死に場所に俺を連れて行ってはくれなかった。己はあれの刀だったはずだ。だのに、最後は自分に何も、命じてくれなかった。
義平の事を思い出すたびに押し込めていたものが溢れだし、無いはずの腑が底から冷え、目頭が熱くなった気がした。石切はいくさ以外の事を考えることが苦手なのではなかった。考えないことで自分の心と対面するのを先延ばしにしていただけだったのだ。
己の時間は『石切』で止まったまま、いつになれば『石切丸』と成れるのだろう。感情を持たず付き従うのが刀であるならば、己は刀失格だ。
『足利氏の末葉兵焚に罹りて 社殿、賓庫を灰燼と成し記録由緒を失して沿革等を知るに由なし』
― 大阪府誌. 第5編 名勝,旧蹟(明36.4) 「石切劔箭神社」の項より抜粋
時は戦国時代。河内は地震や洪水などの自然災害も相まって戦乱に戦乱を重ねており、神社近くの若江城でも土一揆や河内守護の畠山一族のお家騒動などきな臭さが常に漂っていた。
応仁の乱。明応の政変。三好氏の台頭…そして織田信長の侵攻。河内全体も巻き込まれた、石山合戦。
境内に侵入した一派が放火したらしい。社は赤々と燃え上がり、脆くなった部分から潰れその形を失っていく。社に居る人間たちが大慌てで重要なものを運び出して入るが、古い由来を記したものなどは持ち出せず、どうにかご神体や霊鏡などいくばくかの物のみを持ち出せた程度だった。その「いくばくか」には石切丸や小狐丸も入っていた。
社だったものは赤々とした火がなめ尽くし、夜の空を煌々と照らしている。石切は社の正面に立ち、それを無表情に見ていた。本体の刀は社から離れつつあるので魂の方もそろそろ本体を追いかけて行かねばならないが、彼にはやることがあった。
付喪である己が帯びている刀、これも石切の魂の一部であり、霊刀でもある。普段は穢れを祓うために使っているそれを、今は抜身の状態で持っていた。
「石切丸!何をやっているのです!早く来なさい!」
遠くで小狐丸の騒々しい声が聞こえた。こちらに向かってくる足音が聞こえる。…早く、終わらせてしまわねば。
小狐丸は石切丸の本体に話しかけても返事がない事に訝しみ、慌てて追いかけてきたのだった。霊体…人のカタチを取っている魂は、あまり本体から離れることは出来ない。石切大神の加護を受けてはいるといえ、あまりにも長い間離れていると霊力が急激に衰弱して消えることもあり得る。
燃える社の前に立つ影、あれはまさしく探し人の影だ。
だがその影は抜身の太刀をゆっくりと持ち上げ…髷を、切り落とした。
「何をして…!?」
見た目は人と同じだが、付喪は魂がそのまま形を取ったもの。ゆえに、そのナリを変えるという事は、魂の形すら変わってしまうことになる。それを石切丸が理解していないとは到底思えなかった。
慌てて小狐丸が駆け寄ったが、結っても肩口ほどまであった石切丸の髪は今や耳の下あるかないかのところまで短くなっていた。
小狐丸には何が何やら分からない。駆け寄りはしたものの言葉が出ない小狐丸がそばに居る事を知ってか知らずか、石切丸は疲れ果てたような、だが真剣な眼差しで手を合わせ何かを唱え始めた。
「掛けまくもあやに畏き…
石切劔箭大神の宇豆の御前に
石切恐み恐みも白をさく
言わまくも畏けれど此れの一振に
大神の御神意に従ひ奉れり
古き『石切』取除き 新しき『石切丸』を寿ぎ祝奉り
弥代の幣帛献り平けく安けく聞食て
夜守り日守りに護り給ひ幸へ給へと
恐み恐みも白す…。」
祝詞を唱え終わるが早いか、付喪としての石切丸、いや、「石切だったもの」の形は崩れるように消え去った。恐らくは人のカタチを保てなくなり、魂が本体の方に戻ったのだろう。
小狐丸は一つ大きなため息を付き、「全く…これしか無かったんでしょうか。」と誰にも聞かせるわけでもなく呟いた。
小狐丸が聞くところによると、宮司たちが火災後に持ちだしたものを改めて見聞していると、何故か石切丸の鞘が壊れていたらしい。刀身は無事だったものの、鞘は落ち着いた後で作り直されることとなった。
小狐丸が境内の門のあたりをうろついていると、男たちに伴われて見覚えのある浄衣を纏った付喪神が現れた。
小狐丸は表情をぱっと輝かせ、駆け寄る。待ちに待った時が来たのだ。
「石切丸!石切丸でしょう!?」
石切丸は優しい笑顔で
「初めまして。」と告げた。
「…ああ、そうか。…忘れてしまったんですね。」
「申し訳ない。私はここの神刀だったとは聞いているのだけれども、どうも記憶が曖昧でね。」
本当に困ったような顔で頭を掻く石切丸は、髪を落とす前の彼と全く違っていた。同じ顔のはずなのに、どうしてこうも澄んだ目をしているのだろう。あれはもっと奥のほうで炎がぐるぐる渦巻いてるようなギラギラした目をしていたはずだ。
「刀を振るった記憶もですか?」
「?ああ、穢れを切るという意味かな?それも曖昧なものでね。」
戦刀であった記憶が消えている。小狐丸は自分が今悲しいのか安堵したのか分からなかった。
「分かりました。申し遅れましたが私は小狐丸と申します小刀です。一から教えましょう…その前に禊が終わってからですね」
「よろしくお願いするよ。」
禊に向かう石切丸の背中を見送りながら、小狐丸は思うのだった。
(ああ、石切丸…違う。石切は、主の元へと行けたのでしょうかね…)
石切丸には石切大神の御姿が見えていた。
逸話は、時には血沸き肉踊るよう、または深い悲しみに共感するよう、英雄がより英雄らしく有るよう、読者の求める所によっては勧善懲悪が存在するよう、様々な形で改変される。
「平治物語」というものも既に「物語」として現実の二次創作に過ぎないが、そこに石切は存在すれど「大太刀の石切」という情報は存在しない。江戸期かそれ以降、情報は改変されたのかもしれない。
ここは歴史修正主義者と戦うため、審神者と刀剣男士が暮らす本陣。今も新しく鍛刀された刀剣男士が儀を終えて顕現するところである。桜吹雪とともに萌黄を纏った大太刀がそこに現れた。
「石切丸という。石をも切る神刀と…おや?」
「どうかしましたか?」
途中で言葉に詰まっている石切丸に対して、審神者が問いかけた。
(私が大太刀?…うーん?…まあ、いいか)
「いや、何でもないよ。病魔を霊的に切るのが得意だけど、戦からは離れていたものでね。まあ、よろしくお願いするよ」
「おや、ぬしさまの方から小狐丸に聞きたいこととは…石切丸の事?ああ、その小狐丸は話に聞いたことがありますが、そちらは小刀、こちらは小さくても大きな…付喪神化の際の記憶データの混在…?」
「いいえ?この小狐丸には、一切、そのような記憶は…ありません。化かす気など、全く。」
雷鳴残響 了