春。
山城の上にある本丸には梅の花がほころび始め、萌え出づるやわらかな緑との対比で、その色を鮮やかに彩っている。
歌仙兼定は鳶の声を聞きつつ、懐からメモ用の帳面と筆ペンを取り出して、この眼の前の風流を如何にして歌にしたためようかと思案していた。
…邪魔が、入るまでは。
「…折角いい歌が浮かびそうなのに…何の用だい?」
「おやおや、やっぱり気づかれてたかぁ。気付かれないように上着を捲ろうと思ってたのに。」
歌仙の後ろに立っていたのはにっかり青江。足音を立てぬようにそろりそろりと近づいたものの、気配で気づかれたようだ。
「この無作法者が…!まさかそんなことのために僕の邪魔をしたのか?」
歌仙は声を荒げるが、青江は意にも介さない。
「今は二軍の練度を上げているから、一軍はずっと暇だろう?お互い内番でもないし、『仲良く』してくれないかなぁ?」
歌仙と青江は共に一軍所属だ。だが青江は戦闘時はその索敵能力で頼りになるとはいえ、普段は意味深な、雅とは言いがたい言動で歌仙を苛立たせていた。
今回は特に、歌詠みを邪魔されたのでなおさらである。
だが普段と同じように怒るのでは、結局構うことになってしまうから向こうの思う壺。同じく一軍の前田藤四郎に「お二人は喧嘩するほど仲が良いのですね」と言われた時には、歌仙が憤死するかと思ったほどだ。
このままではいけない。なぜなら歌仙兼定は文系で雅を愛する者だから。歌仙はそう学習したのだった。
「…僕は文系だからね。ここは穏便に、君の嫌がりそうな話題をすることにしよう。」
「おやおや、穏やかじゃないね。」
「君、神剣になりたいのかい?」
珍しく、青江のやや太く形の良い眉がぴくりと上がるのを歌仙は見逃さなかった。
「立ち聞きとは雅じゃないねえ。」
「何が立ち聞きだ。石切丸が部隊に配属された頃、僕も居たのも覚えていないのか。」
まだ現在の一軍が定まっていないころ、随分前の話である。
「…やだなぁ、戯れに聞いてみただけだよ。」
「それにしては。いつもの下品な物言いが無かったようだけどね。」
口調は変わらないが、表情に隠し切れない戸惑いが出ている辺り、歌仙の話題は痛いところを突いたようだ。
歌仙は心のなかでほくそ笑む。
「まあ、誰が何になろうと思ってても僕の知ったところではない。ただ、僕個人としては、価値観を神というものに委ねるのは好まない。」
「おやおや、付喪神が神を否定するのかい?」
「勘違いしないでほしいな。僕が否定しているのは神というものの持ち物となり、大衆の望まれるように動く。それは僕の望む雅とは全くかけ離れたものであるというだけだよ。
…君に付き合っているうちに鳶の声も遠くへ行ってしまった。そろそろ僕の目の届かないところへ行ってくれないと、このツケを支払ってもらうことになるぞ」
口調にはありありと怒気が現れていた。
「ふふっ、まあ付き合って貰った事には変わりないからね。雅の邪魔者は退散するよ。」
青江は外套のように羽織っている白装束を翻し、あっという間に書庫の方へ去っていった。
再び歌仙の周囲には静けさが訪れた。鳶はどこかへ行ってしまったが、遠くから鶯の声が聞こえた。
しかし、歌仙に歌を詠ませてはくれないらしい。
「…青江は向こうへ行った。いつまで隠れてるつもりだい?」
「おや、邪魔はしないようにと、こっそり通りすぎようと思ってたんだけどな。」
近くにあった柳の影から件の石切丸がひょっこりと姿を見せた。
「君はもう少し自分の着物とその冠を考えて隠れるべきだね。だから隠蔽が低いんだよ…。」
石切丸は判っているのか判っていないのか、普段と同じ穏やかな笑みを浮かべていた。
「歌詠みをしていたのかい?鶯の たによりいづる
こゑなくは…」
否、確実に判っていない。それ程にこの御神刀はマイペースなのだ。
「春くることを たれかしらまし 雅だが、僕は今自分の風流を書き留めたいのでね。」
「おっと、そうだった。では失礼するよ。」
ゆったりと遠ざかっていく大柄な背中を見て、ふと歌仙は自身の脳裏に浮かんだ疑問を投げかけた。
「…君は先程の問答を聞いていたんだろう?」
規則的に聞こえていた足あとがピタリと止まった。振り向いた顔は、去って行く前と同じ穏やかな笑顔。
「…君は、私という存在を否定する気はあるのかい?」
「いや、僕は僕、君は君だろう?相容れないというだけで否定する気など更々無いよ。」
「じゃあ何も問題は無いね。失礼するよ。」
再び規則正しく歩き出す背中。元々ゆっくりと歩くのが癖なのか、その背中は中々遠ざからない。歌仙は思い出したかのように、石切丸の方を向かずに呟いた。
「ああ、でも一つだけ。軍場での君は悪く無いと思うよ。弾ける前の鳳仙花…いや、そんな花のように優雅なものでもない。鳥…鷹…違うね。もっと大業な…そうだ。遠く西の空から来たる、未だ雷を落とさぬ黒雲…そんな風情だ。僕として願わくば…おや、もう行ってしまったか。」
鶯は丁度目の前の梅の枝に止まって鳴いた。
「梅に鶯」といえば書かれているのは目白だが、目の前に居るのはやや緑みかかった褐色の鳥。
歌仙は再び帳面と筆ペンを手に取り、歌詠みに勤しむのだった。
優しい神さま 了