阿津賀志山へ出撃した一軍は、道中の敵を排除し終えて後は敵の本陣へ向かっているところだった。隊長は前田藤四郎、隊員は歌仙兼定、にっかり青江、石切丸、蛍丸、太郎太刀。いつものメンバーで練度も高く、道中も危なげなく進んでいる。
六騎が進む道中の空は鈍く重たく、雨が降っている。奇襲には最適だが、段々と雨が強まるにつれて道が泥濘となり、馬の足が滑りやすくなっていた。
騎馬で高さが有るとはいえ、泥が服に跳ねるのを見た歌仙は、「全く風流の欠片も無いね。早く帰りたいものだ。」と呟いた。
隊長として先頭に立つ前田藤四郎は「あとは敵本陣さえ叩けば終わりですので、頑張りましょう。」と、
どうにか歌仙を落ち着かせようとしていた。
雨脚は弱まるどころかどんどんと強くなり、遠くから落雷の音が響いた。石切丸はその音に酷く顔を顰める。それを横に居た蛍丸は見逃さなかった。
「石切丸さ、雷苦手なの?」
馬を寄せて話しかけて来た蛍丸に対し、石切丸は一瞬のうちに何時もの穏やかな笑みを浮かべ、返答した。
「苦手なわけじゃないよ。ただ、何というか…落ち着かないんでね。」
「ふーん…でもさ、本丸で雷鳴ってた時、そんな顔してたっけ?」
子供のようなあどけない顔をしているが、意外とこの大太刀は見るところをしっかり見ているのだ。
「…本丸でも心がざわめくような感じは、少しだけあったんだけれど、何でだろうね。」
「お二人共、雑談は後にしたほうが良さそうですよ。」
直ぐ後ろに居た太郎太刀の声で二振りは会話を止めた。本陣が近いようだ。
敵本陣が僅かに見えた頃、斥候として青江が先行し、次いで前田も後に続く。後続の者たちも馬を早足にして進む。
二回目の雷が後続隊の直ぐ近くに落ち、轟音と共に振動が地面に伝わった。雨はよりひどくなる一方。歌仙は念のため、地響きが収まってから隊をぐるりと見まわした。
その時。
「後ろだ!」
歌仙の鋭い声に、大太刀たちが慌てて後ろを振り返ると、そこには今まで居なかったはずの槍・大太刀・太刀・薙刀しめて六体が現れていた。
謎の敵は徒歩とは思えぬ勢いで迫ってくる。先頭に居た槍兵が腕を前方に勢い良くかざすと、弓・石・弾丸の嵐が歌仙たちを襲った。
「投石兵!」
歌仙の肩の上に印地打ちの装備をした刀装兵がずらりと出現する。刀装兵は投石紐を回転させながら遠心力をかけ、謎の敵に向けて一斉に石を放った。しかし石は当たっているものの、向こうの刀装兵が少々減っただけで、大したダメージを与えた様子は無い。
対して向こうから降ってきた飛び道具は、歌仙の投石兵、大太刀たちの精鋭兵、盾兵、重騎兵など大部分をあっという間に破壊していった。
異変に気づいた前田・青江が慌てて馬首を返す。しかし薄っすらと見えたのは、刀装が粗方剥がれ落ちた味方の姿だった。前田は驚きつつも主君に緊急の念話を送る。
『主君、緊急事態です!謎の勢力からの奇襲攻撃を受けました、今すぐ一軍の帰還用門の開通を要請します!』
『!?要請を受理!緊急用ゲートを開く、三分待ちなさい!』
『了解いたしました!なお、遠戦のみでこちら側の大部分の刀装が破壊された模様!』
『こちらも出来る限り急ぐ!持ち応えなさい!』
念話は審神者側から切断された。
「主君に緊急要請をしました!三分、持ちこたえて下さい!」
出来る限りの大声で、後方の味方たちに叫ぶ。
「三分…こんなに長い三分は中々無さそうだね。後ろを見てみなよ。」
青江の口調はいつも通りだが、声色に一切の余裕はない。前田が後ろを振り返ると、『今まで向かっていた敵本陣から』こちらに向かってくる敵の姿が見えた。
「…それでも、持たせなければならないのです。」
「その通りだね。」
二正面作戦になる前に各個撃破せねばならない。二振りは必死に馬を駆り、泥を跳ね上げながら味方のもとに向かう。
一番後ろに居た太郎太刀は槍に不意を突かれ、体を捻って避けようとする。しかし突出された槍が左肩の袖の下を貫通し、そのまま恐ろしいまでの力で馬から引きずり降ろされた。
(完全に不意を突かれた形ですか…!左腕は…刺さったまま。かくなる上は)
太郎太刀は体勢を崩されながらも受け身をとった。はずみで右半身が泥に塗れる。そのまま手に持っていた大太刀を右手に持ち『鞘から抜かぬまま』自分を刺している槍に向かって振りかぶった。
だがその勢いは、槍の横に居た敵の薙刀によって阻まれる。常に両手で振り回している大太刀を片手で使った上、左半身が槍に刺さったままでは上手く勢いが付かなかったのだ。
蛍丸は馬から飛び降り、太郎太刀の体を後ろ側に引っ張り、無理やり放り投げた。
「…助かりました。」
「お礼は後で!」
蛍丸は背中の大太刀の鞘を持ち上げ、そのまま抜き打ちした。槍と薙刀の刀装を破壊したものの刀剣本体を破壊するまでには至らない。敵薙刀の強い衝力により、蛍丸と太郎太刀は一撃で後方に飛ばされた。歌仙と石切丸はようやく馬首を返したものの、前には今しがた蛍丸たちを吹き飛ばした薙刀と槍、そしてその向かって右側二歩ほど離れたところにほぼ無傷の太刀や大太刀も居る。前田や青江は間に合わない。
酷く、不利な戦いを強いられていた。
また一つ、近くに大きな雷が落ちた。石切丸は、戦場に居るはずなのに、意識が自分の中に落ちていくような、引き込まれるような感覚に陥った。軍場の感覚が、近いはずなのに遠くなる。
雷の音が鼓膜の奥に反響して、自分の脈動すらその残響に思える。雷の音は何故か、甘露のように私を誘惑する。一歩踏み込めば直ぐ『武器の本分』を思い出せるのだと。
それは途方もない開放感と歓喜が訪れる事を知りながら、神が私を縛り付ける。向こう側の姿は求められて居ないのだと。否、縛り付けているのは神の名を借りた私の中のもう一人。在るべき私が理性という警鐘を鳴らしつつ、毎回此方へ引き戻す。
その警鐘は、部隊全員の破壊の危機と雷の音に塗り潰され、石切丸は今まで踏み込まなかった一歩を踏み込んだ。
今、踏み込まねば、消える。
今まで霞がかっていた思考が晴れるような、清々しい気持ちだった。
(…なんだ、簡単じゃないか。)
石切丸は馬の速度を更に上げ、首をやや左に向け、『敵の真っ只中に』突っ込んだ。
「何をやっている!」
あれでは必ず攻撃を受けてしまう。既に刀装の残っていない状態、少しでも同時に攻撃されてしまう可能性を防ぐために、槍や薙刀の方を優先撃破せねばならないというのに。
真ん中に突っ込むということは、わざわざ分かれていた敵を一手に集めてしまうという事。あれだけの強さの敵を一手に引き受けるなど、普通に考えれば正気の沙汰では無い。
歌仙は本当に目の前を駆けていく者が、自分の隊の石切丸だったのか疑いたくなった。何より、あの夥しいまでの殺気を放つ者を、歌仙は知らない。
普段の石切丸を正気とするなら、今の彼は正気では無かった。しかしあくまでも冷静に判断していた。素早く大太刀を抜きながら思考する。
(『今の自分なら』容赦無く振り抜ける。だが敵からの一撃を防げる防具は無い。纏めて倒すには…どうせ直るなら、同じだ。)
敵が集まっている真ん中で馬から飛び降りた。待ち構えていたかのように突き出される槍、振り抜かれる大太刀・太刀・薙刀。石切丸は左腕を伸ばし、それらの鋒を雨で濡れた浄衣の袖や自らの左腕、肩、更には左脇腹を含めた部分に突き刺し、掴み、巻き込みながら、敵の動きを纏めて封じる。
そしてその巻き込んだ勢いのまま、土踏まずまで泥に沈み込む程に踏み込み、裂帛の気合いと共に右手の大太刀を振り抜く。左肩が外れる音がした。
節度という無意識の枷を外した斬撃は、敵の刀装を砕き肉や骨をも切断し、五振りを一度に破壊した。
何故今までこんな事を忘れていたのか、その理由を考えぬまま、只々闘争に没頭出来るのが愉しくて仕方がない。見ようによっては遊びの没頭する子供、又は邪悪な暴力の化身にも見える笑みを知らず知らず浮かべていた。
(痛みは嫌いだが…これは悪くない。)
石切丸は頬に飛んだ返り血をぺろりと舐め取る。ああ、ここは自分の軍場だ。一振りだけ、斬撃の時に他から一歩引いた太刀が居たのは見逃さない。他は刀身が砕けて形が崩れていっているのに、それだけは軽傷で済んでいる。
「君が、大将、だな。」
敵の太刀は何も言わず間合いを詰める。成る程、大太刀は間合いが広いが懐に入られると弱い。
(生憎と、負ける積もりは無いんだよ。)
敵の太刀は顔に何かが当たり、急に目の前が暗くなった。敵が慌てて左手で顔を拭うと、落ちてきたのは泥だらけの草鞋。脱けやすさを逆手にとって、視界を遮るために投げつけたのだった。その隙に石切丸は更に間合いを詰め、敵の鼻先に柄頭を全力でぶち当てる。敵の太刀が体勢を崩した一瞬、太刀の首と腕は宙を舞った。
大将首ならば、持ち帰らねばなるまい。だが左腕は外れている上に、指が二本ほど何処かへ行っている。右腕には大太刀を持たねばならない。本人の中では自然な流れで、獲った大将首の髪を空中で銜えて口にぶら下げた。
歌仙は目の前で起きた出来事が、雷の見せた幻では無いかと思った。あそこまで暴力的に、あそこまで泥臭くも、あそこまで鮮やかに敵の散る様を見るなど刃生に有るとは思わなかったからだ。あの一瞬を目に焼き付けられたのは僥倖としか言い様がない。ましてや、『あの』御神刀があんな事をするとは。
そこで歌仙は名残を惜しみつつも、目の前の現実に戻って来た。歌に残すのは後からでも出来る。それよりも、謎の敵を味方の不確定要素により排除できたのはいいが、果たしてこの眼の前の『石切丸だったもの』は話が通じるものであるか否か?
「…石切丸、大丈夫かい。」
見た目には明らかに『大丈夫』ではないのだが、とりあえず確認の為に声をかける。目の前の大太刀が振り返るのを見て少し安堵する。
(ああ、少なくとも目の前の彼は『石切丸』だ。)
だがその安堵は振り返った顔に掻き消された。
敵の太刀の首級を銜え、返り血と泥で汚れた顔に瑠璃色の瞳はぎらぎらと輝き、獰猛な笑みが張り付いていた。
(野蛮な…いやそれどころじゃない!)
歌仙は反射的に刀を構える。いつの間にか蛍丸たちや前田たちも集まっているが、同様に刀を構えているか、いつでも抜ける状態にしている。
その一瞬、目の前にいる大太刀は急に体制を崩し、地面に突き刺した自らの大太刀に寄りかかるよう蹲って頭を抑える。そしてそのまま崩れるように気を失った。
念の為に蛍丸が確認するも、肉体は生きてはいるが意識が無い。
隊長の前田は目の前の出来事に混乱するも、後ろから別隊が来ていた事を思い出し、頭を振って気持ちを切り替えた。
「皆さん、向こう側から敵の本隊が迫っています。不確定要素はありましたが、挟撃を避けられただけ良しとしましょう。」
その言葉に同じく呆然としていた隊員たちも気持ちを切り替える。
そのタイミングで、帰還の門が開いた。風景が一部ぽっかりと切り取られたようなそこから、「皆大丈夫か!?」という審神者の心配する声が聞こえる。一軍の面々は気絶している石切丸を馬に乗せて、敵が来る前に急いで門に飛び込んだ。
『審神者室』と書かれた札が扉に下げられた六畳間。そこに中空に浮かぶ赤い金魚を囲んで、歌仙、青江、太郎太刀、蛍丸が居た。
ここの本丸の審神者は何故か人語を話し、空中を泳ぐ金魚(蘭鋳)である。疑問を持つ者は多いが、慣れとは恐ろしい物で今では特に何も言わない。審神者はぱくぱくと口を開き、話し始める。
「歌仙からおおよその話は聞きました。君たちが遭った強い敵は『検非違使』というものです。歴史の修正力の具現化のようなもの…此方側とも歴史修正主義者側とも対立する第三勢力です。今回は政府から連絡が来る前に遭ってしまったのが不運でした。政府にはその旨伝えてあります…石切丸の件を除いて、ね」
蛍丸は右手を挙げ、発言の許可を得る。
「敵本陣へ行く道中、雷が鳴った時点で何か様子がおかしかったけどねー。『本丸じゃここまでじゃなかったけど、雷が鳴ると心がざわめく。』とか言ってたかな?」
即座に太郎太刀が疑問を投げかける。
「と言うことは、本丸でも同じような現象が起こっていたという事でしょうか?」
「そういう事じゃない?よく分かんないけど。」
蛍丸は腕を頭の後ろで組んで伸びをした。特に思い当たる節は無いらしい。
歌仙は以前から『石切丸の戦う姿』に何か違和感を感じていた。一歩踏み込めない、思い切り振り抜けない。そういった何かだ。
「以前から、戦っている時に無意識に何か抑えながら戦ってる感じだとは思ってたよ。多分、あれはその抑えこむ何かを外してしまった状態だったんじゃないかな?」
皆、同じようなことを思っていたらしい。三振りもうんうんと頷いた。
その件の刀は現在手入れ部屋入りしており、手伝い札は使わずに寝かせてある。帰ってきてから半日経つが、未だに目は覚ましていない。帰ってきた直後は左手から肩にかけての損傷が酷く、小指と中指の欠落、手首から肘にかけての骨は一部が粉砕骨折、裂傷や挫創は脇腹も含め両手で足りないほど…という有り様だった。前田は様子を見に、手入れ部屋に行っている。
審神者は深くうなりながら「もしかしたら例の義平佩刀説が…か?」と独り言のように呟いた。
「ところで、彼の戦い方についてどう思いました?青江。」
審神者は急に話を切り替え、青江に話を振る。その青江はといえば、肩をすくめて首を振った。
「寄りによってさあ。それを直接見ていない僕に聞くのかい?」
「元大太刀で戦闘経験豊富。これ以上持ってこいの人選が有りますか?」
青江は頰を掻きながら溜息をつく。声に出さずに「全く…」と口が動いた。
「『あれ』は擦上前の僕でも、絶対に戦いたく無いね。六対一どころか十二対一でも嫌なくらい強いさ。だけどあの戦い方じゃ、ダメだよね」
強いのに何が駄目なのか。青江は少なくとも戦闘に関してハッタリや誤魔化しをする刀では無い。一呼吸置いた後、続けた。
「聞いた限りの事からしか判断できないけど、近くには歌仙も居たんだろう?蛍丸も。誰とも連携を取らず一人で突っ込んでボロボロになりながら首を獲ったというんだ。まるでその場に味方が自分一騎しか居ないような戦い方じゃないか。」
確かに。一騎では強くとも、連携を取れなければ勝てる敵にも勝てない時がある。一軍の面々は今迄の経験で嫌という程味わってきた。そこで青江はすっと目を細める。
「あれは『自分が愉しむ為に戦う』というやり方だよ。酷いものさ。」
青江の表情は薄く笑っているが、目は笑っていない。歌仙は、そこに僅かな羨望のような色を見た。
大太刀や薙刀ならば二、三振り、下手すれば一振りで勝利をもぎ取ることが出来る。
だが『脇差ではどう頑張っても、他と連携しなければ勝ちは望めない』。これは言わば青江が失ったものとも言えるし、逆にそうだからこそ戦闘経験の多さが生かせるというのが皮肉だが。
「僕が戦いたく無いってのはさあ、あれだけ無茶な事してボロボロになってるのに、急所には一箇所も当たってないんだよ。全く…嫌になる。」
確かに石切丸の傷は、急所を全て避けていたのだ。左腕は重症だが、肉体ダメージが多すぎて刀剣破壊に繋がるような傷はなかった。
刀剣男士たちの肉体はあくまで人間の体に近い義体であり、本体は刀剣である。しかしそれを繋ぐのは人間の体で鉄を含む『血液』なのだ。これが多く失われると、義体と本体の接続が失われ、ダメージを優先して受ける義体ではなく本体に直接ダメージが行き、破壊につながる。
太郎太刀が小さく手を上げて、青江に問いただした。
「もしや…ですが、倒れなければ私たちが襲われていた可能性も有ったのでしょうか。」
「どうだろうね。少なくとも襲うなら、僕なら歌仙が近づいた時点で不意打ちするし、切った首を銜えていたんだろう?あれが敵の大将を討ち取った首級とするならまあ…あそこで止まったのも頷けるけどねえ。」
結局のところ、味方と認識していた『かもしれない』でしか話せないのだ。まず、どうしてああなったのかもわからない。だが、審神者には何か考えがあったようだ。
「私の考えを言います。」
その発言に、四振りは一斉に金魚審神者の方を向く。審神者は基本的に政府側から刀剣男士たちの基本情報を受けている…が、多少ズレがあったり情報が足りないというのはよくある事なので、資料を元に色々と調べるのは常にあることだった。
「あれは恐らく『源義平の石切』です。実戦刀の記憶を取り返した切掛は分かりませんが、多分義平の雷伝説に関わってくるのでしょう」
「平治物語かい?だが、以前本人に聞いた時そのような事はない旨を話していたけれど。」
ここにいる刀たちは、大体が保元物語、平治物語、平家物語、太平記など軍記物を読んでいた。刀たちにとっては、単純に元の主が読んでいたので興味があるという理由や、また太平記などは軍学書としても使われていた経緯があるためにそういった方面の勉強というのも兼ねて、読む者は多かった。
「まあ、何らかの理由で記憶を封印してるか何かなんでしょう。そこら辺はよく分かりません…ん?待って下さい。前田から何か…え」
石切丸の様子を見に行っていた前田藤四郎から、念話の通信が入ったために審神者は話を中断した。しかしながらその内容が理解できない。どうやら石切丸が目を覚ましたようだ。しかし…
「『刀解して欲しいと言っている』ですって…?」
一軍全員と審神者が手入れ部屋に集まった。話題の主役は左腕全体にはギプス状の修復器具が付けられ、周囲を小人のような修復員が動き回っていた。白い寝間着のまま布団から半身を起こし、右手で顔を覆っている。
皆、布団を囲んで半月状に座っていた。審神者は入り口の扉の前に浮かび、声を掛けた。
「刀解して欲しいとは真でしょうか」
顔を隠したそのままの姿で返答があった。
「…ああ、そうだよ。刀解してくれないか。私はもうここに居られない。」
「理由をお聞きしたく。」
「…錯乱して暴れた。あの時の私は私では無かった。いつまた同じことがあるかも分からないだろう?味方を…傷つけてしまうかもしれないよ。」
一応筋は通っているように思えるが、石切丸以外の全員が何かのごまかしがある臭いを感じた。
「では質問を変えましょう。貴方のお名前は、何ですか?」
その質問に、石切丸は顔を上げた。顔には驚きの表情がありありと見える。審神者は確信した。やはり彼は『源義平の石切』なのだ。
「名前を聞いただけです。何か都合の悪いことでもおありか?」
「私は…石切…丸だ。それ以外に何が有る?」
目が鋭い。ギラギラとした瑠璃色に殺気が宿っていた。一触即発の空気に、皆が刀に手を添えた。石切丸の本体の大太刀は部屋の隅に置いてあるため、布団の上からでは手が届かない。だが、刀がなくとも膂力だけで潰すことは容易いだろう。
審神者は一際力を込め、問いかけた。
「石切丸、又は『石切、刀解して欲しいと言った本当の理由を言え』」
審神者は、自分の刀剣男士に対して強制的な命令をする事が出来る。しかし強制命令は相手が高位になればなるほど力を消費する。
暫く目に見えない力の押し合いがあるも、霊力を込めた言葉は石切丸の口を無理やり開かせた。
彼の意志に関係なく、石切丸の口から自分が義平の石切であったことから奉納、記憶を失くすまでの顛末が洗いざらい語られた。
それを皆、何も言わずに聞いていた。神妙な面持ちになる者、眉を顰めるもの、表面上何も変わらない者様々だった。
石切丸は語ることが無くなった後、疲れきったように再び顔を右手で覆い隠す。
「判っただろう…?私は主に捨てられた刀だよ?今更それを思い出した上で刃生を歩むことなど出来ない。駄目なんだよ。」
酷く、疲れきった声だった。
だが、審神者の返答はにべもない。
「君を刀解したとして、次の石切丸で同じことを繰り返すだけだろう。断る。」
「っ…貴様ァ!」
先ほどまでの憔悴とは打って変わり、吼えるような声を上げ、怪我をしているとは思えない速度で審神者に襲いかからんとした喉元や手首に、短刀・脇差・打刀の刃が一寸のところで待ち構えていた。
石切丸は爪が自分の手に食い込みかねないほど強く右手を握り、唸るように言う。
「私を壊せ!私はこんな感情など持ってしまった時に、刀としての挟持すら失ってしまったんだ!」
元々直情的ではあったが、それを普段は御神刀らしさで抑えこんでいた。今の表情には普段の穏やかさや御神刀らしさなど欠片も見当たらない。男士たちが六振り収まるにはやや狭い手入れ部屋に、溢れでた感情が充満していた。
しかし、唐突にそれは遮られる。
「話は其れだけですか!」
前田が唐突に石切丸の前髪を掴み、喉元に自らの短刀を皮一枚離れているか離れていないかの所に突き付けた。
「主君に刃を向けようとした事、許し難い愚行です!主君の手で刀解される前に、自ら死を選びなさい!喉元を二寸も貫けば良いでしょう。さあ!」
前田は物怖じする事なく真っ直ぐな目で石切丸を捉えて離さない。
石切丸は僅かに逡巡した後、前田を右手で突き飛ばした。軽く吹き飛ばされた身体を後ろ側にいた太郎太刀が受け止める。
「有難う御座います…。」
「いえ、怪我が無いようで良かったですね。」
石切丸は自分でも何をしたのか分からなかった。
だって、まだ、
太郎太刀はずっと引っかかっていた事があり、それについて帰ってきてからもぐるぐると考えていた。自分の意見は言わず、質問をしてその糸口を探ろうとしていた。そして、漸くその答えが口を突いて出た。
「ところで石切丸、現世からの消失を望むのも貴方の選択でしょう。しかし、其れではもう戦えませんが、良いのでしょうか?」
部屋の空気が一瞬止まる。それに委細構わず、太郎太刀は小首を傾げながら話を続けた。
「貴方、戦いがお好きなのでしょう。あの時もただ暴れたのではなく、首級を取るための最適な方法を取ったというならば、それは染み付いているものなのではないでしょうか?」
先ほどまでの一触即発の雰囲気が、嘘のように途切れてしまった。歌仙や青江などは含み笑いまでしている。
「そうだよねえ。自分が消えても審神者殺しちゃってももう戦えないものねえ。死にたがりが実は死ぬより戦いたいだけなんて、鶴丸も驚くだろうさ。」
酷い皮肉だ。しかし石切丸は否定することが出来なかった。何故ならば先ほどの前田藤四郎とのやりとりが、『実は自分は破壊されたくない』という事を証明してしまったから。何故だ。何故だ。
「…すまない。少し、ひとりで考えさせては貰えないか…。」
少なくとも皆、再び「刀解して欲しい」と言われるような気配も、一触即発の気配も消え去ったと感じた。審神者と一軍の面々はぞろぞろと手入れ部屋を出て行く。最後に前田だけが残った。
前田は正座をし、石切丸に頭を下げた。
「主君に手を挙げようとしたとはいえ、先程は大変失礼致しました。ご無礼をお許し下さい。」
石切丸は慌てて声を掛ける。
「いや、あれは私の未熟が招いたことだよ。頭を上げて欲しいな。」
前田は頭を上げるも、姿勢は崩さない。彼は審神者の守刀であり、そういう性質の『モノ』ゆえに、敵対するものには容赦しない。だから一度敵と見なしたものに対して礼儀正しく接する事は、珍しいことだった。
「石切丸さんの昔のお話から、一つ。私から気に掛かったことが有るのですが、申し上げて宜しいでしょうか?」
「かまわないよ。言ってくれないかな。」
「では、僭越ながら…」
前田は軽く咳払いをした。
「石切丸さんの元主君の方の感情を全て慮る事など私には出来ません。しかし…刀は人より長い時間を過ごすことが出来ます。時には持ち主の何十倍何百倍も。元主君の方は、自分だけに心を囚われてしまわぬよう、そのような言葉をお掛けになったのでは…ないでしょうか。」
前田は言葉を選びながら、慎重に慎重に紡いでいた。見捨てたのではなく、行く先を案じて突き放したのだと。
出すぎた真似を致しました、と前田は手入れ部屋を出て行った。手入れ部屋には石切丸だけが残された。
自分は大切にされていたのか?答えのない問いが胸に渦巻いていた。
いや、では何故自分はあの時記憶を手放したくて仕方がなかったのか?…義平の手を、離れてしまったから。戦が、遠く、なってしまったから。自分を、すり抜けてしまったから。
なんだ、酷く単純な話だったのだ。戦がしたくてしょうがなかったのだ。あの時、雷で『石切』の記憶を思い出した時の自分の戦いを思い出した。あそこまでではないが、敵大将の首級を狙って向こう見ずに突っ込むやり口、あれは十七騎で五百騎に突っ込んでいった義平のそれのようじゃあ無いか。
石切丸は酷くおかしくなって、笑った。何時もの『御神刀らしい』笑みでは無く、心の底から大口をあけて笑った。泣きながら、笑っていた。
審神者と四振りは本丸の廊下を歩いていた。蛍丸は審神者に問いかける。
「あれさ、もしかしてわざと石切丸を炊きつけて、憎悪でもいいから繋がりを付けて生かしておきたかったとか…考えてた?」
四振りの間をふよふよと泳ぐ赤い金魚は、ふふふと笑っただけで明確には答えない。だがその姿が如実に答えを示していた。
「全く…僕らの審神者はもう少し雅な方法を考えるべきだ。あの時、僕と前田くんと青江が止めなければ握りつぶされて血の華が咲いていたよ?」
「まあ、最終的には雨降って地固まるとなりそうだから、良かったんじゃないかな?」
三日後、手入れ部屋から出てきた石切丸は、審神者とその近侍である前田に審神者室で対面していた。
「…では、刀解処分はしないという事で。」
「正直なところ、乗せられたようで面白くないんだけどね!」
「まあ、いいじゃないですか。貴方は武器の本分を思い出して楽しく戦える。こちらとしては戦力の増強にもなる。お互いに美味しいですね。」
「君は本当に狡いんだなっ!」
前田は一言も話さず冷静に近侍を果たしているが、口の端がピクピクと微かに動いているのを、審神者と石切丸は見逃さなかった。
「…急に変わっても驚かれるだけだろうし、何より私も感情が直ぐ表に出てしまう質だからね。本丸では今までどおり、御神刀の役割を果たすことにするよ。」
「そうしてください。まー、貴方の場合、不本意かもしれませんが、御神刀だったから今まで生き残れたのかなと思う部分も有りますね。」
石切丸は小首を傾げる。
「貴方、大太刀の中でも統率…防御力低いでしょう?それであんな戦い方ばっかりしてたら直ぐ壊れますよ。むしろ高くても壊れます。」
酷く複雑そうな顔に変わった。当たりまえだろう。だが事実でもある。だから言い返せない。頭を掻きながらぽつりと呟く。
「…どうして私はこの本丸に来てしまったんだろうね?」
「また青江みたいなことを言いますね。運が悪かったと思ってください。」
違いない、と石切丸は苦笑いをした。