白黒斑のヒーローソサエティ   作:Wandering2020

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EP.1 “糸紡ぎ”

人間に“個性”なんてものが生じてからずいぶん経った。

ヴィランが生まれ、ヒーローが生まれ、争い始めてずいぶん経った。

 

平和の象徴(オールマイト)とかいうおっさんが腕を振るったシルバーエイジも今は昔。

時はヒーロー飽和時代、では、もはやない。

 

いや、確かにヒーローは今でも過剰なくらいに居るんだが、この言い方は現状を正しく表せていない。

では、何時代なのか。

正しく言い表すならば、こう言うべきだろう——

 

時は、ヒーロー過集中時代(マーブルエイジ)

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 早朝、曇天の蓑州町(みのすちょう)に悲鳴が上がる。

 悲鳴の中心になっているのは一軒の貴金属店。その店内では、略奪品を詰めたリュックを背負い、店員の女性を人質にとった覆面の巨漢ががなり声をあげていた。

 

「おいこのアマッ、動くんじゃねえ! 首斬られたくなかったらな!」

 

 覆面の男の抱える女性の首には、その太い腕が回されていた。

 豪腕の表面は石のように滑らかに硬質化し、店内の照明を鈍く照り返している。

 人質が暴れたか、それとも覆面敵が粗暴なのか。女性の首からは赤い血の線が伸び、刃と化した白灰色の腕に悪趣味な彩りを加えていた。

 

「てめえらもだ、クソヒーローども! どんな個性かなんて関係ねえ、ちょっとでも怪しい動きしやがったらこの女をブチ殺してやるからなッ」

 

 そういって覆面敵は店外に向かって唾を飛ばす。

 店外でその恫喝を受け、歯噛みするのは2人のヒーロー。

 がっしりとした体格に角ばったコスチューム、杭打機のような腕部パーツが特徴的な男、“インパクトアーム”と、しなやかなボディラインが浮き出る密着型のスーツに、ロケットを思わせる流線形ヘルメットの女、“ストレイトキャット”。

 どちらもここ、蓑州町で活動するプロヒーローである。

 市民からの通報を受けて急行したはいいが、現着したときには既に覆面敵は金品を大型リュックに詰め終わった後。いよいよ店の入り口から逃亡しようとしたところでかち合った形だ。

 覆面敵はとっさに店員を人質にとり、ヒーローを牽制。ヒーロー側は迂闊な手出しができず、覆面敵としてもヒーローに入口を塞がれているから店外へは出られない。

 

 すなわち、状況は膠着状態にあった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 かつて、敵連合とかいう悪の組織が台頭し、世界のはぐれ者どもは喜び勇んで(あるいは嫌々と)そこに集まった。

 凄まじい勢いで勢力を増してゆく悪に立ち向かったのは、ヒーローと呼ばれる者ども。彼らは一致団結し、時に負け、時に勝ち、ついには首魁である死柄木 弔を打ち倒すことに成功した、らしい。

 

 正直、私には遠い話だ。幼い時分にニュースか何かでやってたのを聞いた気がする、という程度。最近の歴史の教科書じゃあ割と詳しく書いてるらしいが、私の時にはまだ書いてなかった。歴史教師がそういう内容の話をしているのを聞き流していた覚えしかない。

 

 ともかく、巨悪は倒され、世界は平和を取り戻した。

 連合に参加していた敵は軒並み逮捕され、人々の生活を脅かす悪いものは何一つなくなった……、となれば良かったんだろうが。あいにく、そうはならなかった。

 

 確かに、敵連合が解体してしばらくは犯罪発生率が激減したそうだ。

 しかし、敵連合の首魁たちがいなくなっても、連合に集った有象無象のはぐれ者(パンク)どもは簡単には消えやしない。

 そいつらは連合が潰えると、元いた暗闇に恐々と身を潜め、より深い闇に助けを求めた。

 それに応えたのは、闇を掃う光より逃れ、依然として世界にこびりつく闇ども。すなわち、敵連合に加担しなかった大物(ネームド)敵たちだ。

 

 つまり、野に放たれたはぐれ共が大物敵の傘下に入ったということ。そして、その結果起こったのは、大物敵たちの急速な勢力拡大だった。

 あわや彼らが結託して敵連合の二の舞に、と考える者は多かったそうだが、幸いにして(あるいは不幸にも)そんな事態は起こらなかった。

 なぜなら、あくまで(ヴィラン)というものは、同じ(ヴィラン)にとっても(エネミー)であったからだ。はぐれの流入で勢力を拡大した大物敵たちは、手強いヒーローより先に、目障りな連中を消すことにした。すなわち同業他者、自分以外の大物敵。

 自らの勢力圏を広げるべく、他の大物敵に対して戦争を起こしたわけだ。

 

 

 そうして、世界は一時、開闢時代(ゴールデンエイジ)に逆行した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……おっさん、アタシならいけますよ」

「……やめてくれ。君のスピードを信頼してないわけじゃないが、状況が悪すぎる」

 

 なおも怒鳴り続ける覆面敵を睨みつつ、2人のヒーローは囁きを交わす。

 自分ならいけると囁く女、ストレイトキャットは確かに高い瞬発力と突破力を持ったヒーローだ。しかし、敵の武器が完全に人質に触れているこの状態では、どのような“個性”持ちであろうと、うかつに手を出すのはリスクが高すぎる。

 

 とはいえ、この状況はヒーローに有利だ。孤立無援な覆面敵と違い、ヒーロー側は時間さえ稼げば警察の支援が得られる。覆面敵を逮捕するだけなら、この状態を維持しておけばよい。

 そう、ただ逮捕するだけならば。

 

「……うるせえぞクソアマ! 痛い目見なきゃわからねえのかッ!」

「痛っ、やめて……っ!」

 

 覆面敵が激昂し、人質にされた女性が悲痛な声をあげる。

 しかし、敵側には今も人質にされている女性がいる。突然人質にされ、首に刃を向けられ続ける苦痛はどれほど大きいか。

 

「やっぱアタシが突っ込みます!」

 

 女性の姿を見て、ストレイトキャットが短く叫び、次いで地に手をついてクラウチングスタートのような突入姿勢を取った。それを慌ててインパクトアームが引き留める。

 

「待ってくれ! 人質が危険すぎる!」

「ンなヘマしないから大丈夫っすよ!」

 

 ストレイトキャットが突入姿勢のまま間髪入れず言い返し、返されたインパクトアームは奥歯を噛んだ。こうなった彼女は何を言っても止まらない。

 

「やめろ、そういう問題じゃ……!」

 

 

その時、()()()()()

 

 

ぎい。ぎぎいい。ぎいい。

 

 日差しの陰った空から響く、何かが撓み、軋む音。

 

ぎぎ。ぎぎい。ぎい。

 

「? 何の音だ?」

 

 響く軋みを不審がる覆面敵。思わず漏れたらしい声を聞き、ストレイトキャットはぼそりと呟いた。

 

「……そう、あんた知らないんすね」

 

 いつの間にかヒーローたちは言い争うのをやめていた。

 彼らは、この音が何かを知っている。

 店を遠巻きにして騒いでいた民衆たちも、口をつぐんで静まり返っていた。

 彼らは、この音が意味するところを知っている。

 

 

この町は、この音が誰かを知っている。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 個性黎明期、あるいは敵連合台頭初期を思わせる、敵同士の戦争は激化した。それぞれの大物敵がはぐれという兵隊を使ってめいめいに暴れ回り、一時期は戦国時代よろしく大物敵の勢力図が日本に描かれたらしい。

 度重なる戦争に人々の生活は脅かされ、多くの物や命が失われた。とくれば、ヒーローが立ち上がるのは当然の話。

 敵同士の抗争にそれぞれ個人で対処していたヒーローたちは、敵連合の時のように再び集結(アッセンブル)し、各地の大物敵と戦った。時に倒され、時に打倒し、勢力図にヒーローの色(しろ)を広げていった。

 今なお続くその戦いの成果として、日本のほとんどの場所は、およそ大物敵の影のない平和を享受している。

 しかし、それでも消しきれない敵の色(くろ)がある。大物敵の本拠地やその周辺都市、こういった場所は、表向きは普通の都市のように振る舞いつつも、裏では未だに大物敵の手による支配が続いている。

 当然、ヒーローたちはそれらの都市に集結し、大物敵と日夜戦って敵の勢力図が広がるのを防いでいるわけだ。

 

 大物敵とヒーローが日夜相争うその様は、まるで個性黎明期のごとく見える。

 しかし、そんな争い()は特定箇所にだけ極端に集中し、平和()の中にぽつぽつと浮かびあがるのみ。

 

 誰が言い始めたのかは知らないが、今の時代は“白黒斑の局地戦時代(マーブルエイジ)”などと呼ばれている。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「キャット! 君は裏手から回り込め!」

「了解っす!」

 

 唐突に指示を叫んだインパクトアームにストレイトキャットが即応する。

 蓑州町の特異な構造から、この貴金属店の近辺には裏路地への入り口が無い。そのため、入口を探していずこかへ走っていくストレイトキャット。

 

 一方で、それを聞いた覆面敵も動いていた。焦った様子で人質の女性を怒鳴りつける。

 

「おい、裏口だと!? ここから“()()()”に入れるんだなッ!?」

「ひっ」

「早く案内しろッ、おれァここでてめえを殺して、自分で探してもいいんだぞ!?」

「やめてっ! わ、わかりましたから……、こっちです……!」

 

 恫喝された女性が青い顔で覆面敵を案内し、連れ立って店の奥へ向かう。

 

「おい待て!」

 

 それにインパクトアームが追いすがろうとするが、

 

「近づくんじゃねえッ! このアマ殺されてえのか、あァ!?」

 

 覆面敵の言葉に足を止めざるを得ない。インパクトアームは歯噛みして、店の奥へ消えていく覆面敵を見送った。

 彼の噛み締めた歯列の隙間から、絞り出すような声が漏れる。

 

 

「くそ、任せるしかないのか……“アリアドネ”……」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

ぎぎい、ぎい。

 

 

 ()()()軋む音が響く。ど下手が弾いた弦楽器めいたそれは、寝不足の頭にはひどく痛い。

 

 覆面を被った男が宝飾品店裏口から裏路地へと降りた。

 重そうなぱんぱんに膨れたリュック、腕に抱えた人質の女。見るからに行き詰まってやらかしたはぐれ(パンク)だ。この騒ぎの原因はこいつで間違いないだろう。

 人質に沿えた白灰色の腕、ナイフの一本も持たない様子を見るに、どうやら肉体変質系かそれに近しい個性持ち。

 

 男は口汚く罵倒しながら女を蹴倒し、倒れた女を放って、辺りを警戒しながら裏路地を駆けていく。

 

 

ぎい、ぎい、ぎぎぎ。

 

 

 ああ、軋む音がうるさい。頭に被ったフルフェイスヘルメットの内側で、反響増幅しているような錯覚を覚える。防音機能のあるメットなので、それは正しく錯覚なのはわかっているが。

 

 

 やがて、大きなリュックを揺らして駆けていた男が止まった。

 重い荷物で体力を奪われたのだろう、膝に手をついて荒い息を吐いている。しかしながら、その視線は神経質に周囲に注がれていて、何かを警戒しているのが見て取れる。

 ふと奴の腕を見ると、その色は硬質な白灰色ではなく上気した肌色で、肉体の変質が解けているのがわかる。極度の疲労で自然解除したのか、それとも全力疾走に障るのを嫌って任意解除していたか。

 さらによく見れば、腕には白灰色の粉がついている。身体変質を解除した後も残る痕跡、ということは皮膚そのものを変質させるのではなく、皮膚表面に構成する形成型か?

 

 ……どうでもいいか。今は変質してない、という事実があればいい。

 

 

 私は嘆息し、いつものように『巣』から降りた。

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 上手くいった。

 おれは大量の金品で重くなったリュックの重みを確かめ、荒い息をつきながらほくそ笑んだ。

 あのヒーロー(インパクトなんたらとか言ったか)の言葉から、とっさにこの町のことを思い出せたのは我ながら冴えていた。

 かつて、おれが大物敵の傘下にいた頃、酒の席で大物敵が話しているのを漏れ聞いた話だ。

 

 ここ、蓑州町は、マーブルエイジに入るよりも前、とある大物敵(ビッグネーム)が根城にしていたという曰く付きの町らしい。

 異様に広く、入り組んだ裏路地。そして、それを隠すために計画的に建物が配置された、敵のための町。

 全盛期には、この“目抜き通り”でクスリや人など、ヤバい物品が白昼堂々と取引されていたらしい。

 いつからかその大物敵はいなくなっちまったらしいが、今のおれにはかえって好都合かもな。

 

 おれは重たいリュックをおろし、戦利品を一掴み手に取った。

 暗がりでも眩しいこの輝き! この分だけで少なくとも数日は遊んでくらせそうだ。このリュック全部なら一体いくらになるか。

 

 そうだ。この金を元手にして、おれとおれの仲間がこの町を牛耳っちまえば、この便利な裏路地を自由に使える。この町の近辺にいる大物敵だって、この路地があればやり過ごすのも不可能じゃねえ。

 まずはそう、換金だ。酒に女、それに博打。やりたいことはいくらでもある。先立つものを用意するためにも、さっさと裏の換金屋に持っていって金に換え──

 

 

ぎい。ぎいい。ぎ。

 

 

 まただ。

 これは何だ。さっきからうるさいこれは何の音だ。

 どこから響いてくるのか探ろうとするも、音は裏路地で複雑に反響し、音源の位置が掴めない。

 

 それでも、音に紛れた微かな違和感に気づけたのは、きっと、このわずかな苛立ちと警戒が活きたからだ。

 

 

ひょう。

 

 

(風切り音!? 上!!)

 

 何か来る!

 

 とっさの回避と硬質化が間に合ったのはこれまで潜った修羅場のおかげか、それとも今日がツイているからか。

 ぎりぎりで首をひねり、代わりに肩に受けた衝撃の重みはちょうど人間一つ分。視界の端にわずかに見えるのは人の形。

 飛び蹴りか?

 がきん、という鈍い音と共に、人影がおれを足蹴にして距離をとる。

 

 音もなく、黒い人影が前方数メートルの位置に降り立つ。

 見たところ、背丈は170弱。おれより頭2つは小さく、細身だ。

 奥の見通せないフルフェイスのヘルメットと黒いライダースーツ。足元には無骨なブーツ。

 そして、黒い麻布か何かをぞんざいに巻き付けた、体格に反してやけに大きな両手。

 

 全身が、裏路地の暗闇に溶けるように黒い。

 

 

「なんだ、てめえ」

 

 油断なく黒ずくめを睨みながら問いかけ、その裏で体を硬質に石化する。正面の奴に気づかれないよう、顔や手など、露出している部分の石化はあえて避ける。

 おれの個性は『石化』だ。身体の前面に白灰色の硬い組織を分厚く構成して覆うことができる。硬度はある程度操作できるが、基本は石と同レベル。鉄よりは脆いが、この脆さと厚みが逆に衝撃を分散させるため、耐久力はかなりのモンだ。

 加えて、おれは少しの時間があれば、特別硬い石化ができる。腕の組織を鋭い刃のように構成すれば、そのまま頼れる武器となる。

攻防一体のこの個性、生来の体格と腕っぷしもあって、正面きっての喧嘩じゃあ負けたことはねえ。

 

「不意打ちとは舐めた真似してくれるじゃねえか……」

 

 身体前面の硬質化完了。これでばっちり臨戦態勢だ。

 

「おれのことを知らねえようだから教えといてやるぜ……、おれさまはなぁ……」

 

(今だ!)

 

 言葉の途中でいきなり襲いかかる。

 例え反撃してきても、前面を硬質化した今のおれは無敵! このまま体格に勝るおれが押しつぶしてしまえる。

 黒ずくめが間合いに入ると同時に、刃と化した両腕を振り下ろす!

 

「獲った!」

 

 容易く人間を切り裂き、絶命させるはずの一撃。

 しかし……。

 

 がいん。

 

 黒ずくめは布を巻いた手で両腕の刃をこともなげにいなし、受け流す。

 渾身の振り下ろしが空を切り、反動でおれはたたらを踏んだ。

 馬鹿な。いくらおれが素早いほうではないとはいえ、こうも簡単に。それに、力を流すように受けたとしても、おれの腕は鋭利な石刃だ。布を巻いた程度じゃあ貫通して、肌を切り裂き肉に食い込むはず……。

 

 その疑問は次の瞬間に驚きに変わった。

 おれの腕刃に切り裂かれ、ぱさりと落ちる黒布。その下からは異様な両手が表れた。

 

 ()()()()、と擦れる度に音を鳴らす、昆虫を思わせる甲殻。その材質は落ちた黒布よりもなお黒く、それでいて光を照り返す硬質な光沢を持っている。

 そしてその手の巨大さだ。おれより小さな体格でありながら、おれの手より一回り大きなその両手。そして、巨大な手の先端で、厚手のナイフを思わせる長大な爪が光っている。

 

「……『不意打ちとはなめた真似してくれるじゃねえか』」

 

 両腕を振り切ったまま、一瞬硬直したおれの前で、黒ずくめは鬱々と呟き、凶悪な爪で貫手を構えた。

 はっとした俺は、振り切った両腕をそのまま引き上げてガードに回し、同時に首から上にも硬質組織の形成を進める。

 馬鹿め。異様な風体に少しばかり驚いたが、そんな細腕のひ弱な攻撃がおれの鎧に効くものか。

 

 黒ずくめはおれの動きも意に介さず、その爪を突き出した。

 

「っ、なあっ!?」

 

 音は無かった。

 

 だというのに、奴の右手がおれの左腕に突き刺さっていた。

 信じがたいことに、腕の鎧にはまるでヒビが入っていない。まるで豆腐に串を突き立てたように、一切の抵抗なく爪が埋まっている。

 

(どうなってやがるんだこの爪!)

 

 肉まで爪が届いたか、腕に走る予想外の痛みにうろたえているおれに、黒い人影は左の黒爪を、今度はこちらの喉に向ける。

 

(やばいッ!)

 

 いくら首元に鎧をまとっていても、貫通するんじゃ意味がねえ。

 おれはとっさに右腕を爪の軌道に差し込んだ。直前で五指を開いたか、今度はぎりぎりと音を立てて、おれの腕と黒い爪がつばぜり合う。

 ……貫通しない?

 

「ははッ、どうやらその貫通する爪、連発はできねえみてえだな!」

 

 馬鹿め、とおれは嘲笑った。

 どれだけこの爪が強力でも、連発できないんなら次はこっちの番だ。

 おれと奴の体格差は歴然。おれは腕に力を込め、刺さった爪ごと黒ずくめを投げ飛ばそうとする。

 

「素のてめえの攻撃なんざ屁でもねえ……何!?」

 

 しかし、奴はそれを計算づくだったのか、投げるために腕に力が入った瞬間、その左手を支点に跳躍した。

 おれの左腕に刺さった奴の右手が音もなく抜けた、と考える間もなく、空中で黒ずくめの身体がくるりと回る。

 空中の黒づくめが振るった右手がおれの首を掠めた、と思ったときには、すでに首元にまとった鎧は紙切れのように切断されていた。

 

(貫通する爪!? 連発できたのか!?)

 

 そして、間髪入れず──

 

「……ぐがっ!?」

 

 衝撃が鎧を徹して顎を打ち抜いた。

 ぐらりと揺れる視界。意思に反して脚から力が抜け落ちる。

 

(顎を、蹴ら、れた……!)

 

 立ち上がろうとするが、まるで全身に力が入らない。馬鹿な、あんな細身に蹴られただけで……!

 地面に倒れたおれの視界に、歩み寄る黒づくめの脚が入る。軍隊で使われていそうな無骨なブーツだ。奴が地面を踏む度にやけに重たい音がする。まさか、鉄板でも仕込んでやがるのか?

 

 そして、ぐい、とおれの覆面が掴まれ、無理やりに頭を引き上げられる。

 無機質なフルフェイスヘルメットがおれの顔を虚ろに映していた。

 

「……『おれのことを知らねえようだから教えといてやるぜ』」

 

 路地裏に響く声。さっきとは違い、ただ聞くしかできないおれの耳は、その声をよく拾った。

 この、声の感じは──

 

「お、おんな……?」

 

 どすが利いていて低いが、確かに女の声だ。そう知ってよくよく黒づくめを見れば、ライダースーツに隠れた細身は、起伏に乏しい女の身体……。

 

「『おれさまはな』」

 

 おれの頭を巨大な手が鷲掴み、地面に向かって振りかぶる。

 

 

「蓑州の敵(ヴィラン)だ」

 

 

 ぐしゃり。

 そこでおれの意識は途切れた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ええ、そうです。犯人は店の裏口から逃走を」

 

 覆面敵が裏路地へと逃げ去ってから30分経った。

 インパクトアームこと手辺(たなべ)押出(おしだし)は犯人の外見や個性の特徴などについて、警察への情報提供を行っていた。どこか弛緩した空気を漂わせる警官とは異なり、彼の眉間には皺が寄り、内心の心配が全身からにじみ出ている。

 

 そんな彼に駆け寄る女が一人。

 

「おっさん、近辺の目撃情報ゼロっす。奴さん、たぶんまだ“裏通り”に居るっすよ」

「そうか……。ありがとう、キャット」

 

 彼のサイドキック、ストレイトキャットこと深宙(みそら)吹噴(ふぶき)だ。裏路地へと逃げ去った覆面敵が、どこか出口から出てきていないかを聞き込んできてくれたのだ。

 本来、こういう足で稼ぐ類の仕事は警察の役目だが、この町の警察はいつも最低限をやや下回る程度しか働かないのが常だ。今更、この場の誰もとやかく言うことは無い。

 

「あー、やっぱアリアドネに任せときゃいいんじゃないですか?」

 

 「どうせもう片付いてますって」などとのたまうのは、簑州警察所から現着した警官である。全身からやる気のなさがにじみ出ており、台詞からもさっさと帰りたいという副音声が聞こえるようだった。

 手辺が苦言を返す。

 

「君らはいっつもそう言うけどね、あいつは敵だよ? いくら相手がはぐれでも免許がなきゃあ傷害事件だ」

 

 くどくどと説教をする手辺だが、警察官にはまるで響いた様子がなかった。手辺の眉間の皺が深くなる。

 

「これまで何度も言ってるけどね、天下の警察が犯罪者頼りでいいの? 面子丸つぶれじゃないか」

「それを言っちゃあお終いでしょーよ。俺らも、あなたも。揃って(あれ)に人気負けてんだから」

「…………」

 

 しれっと返され、手辺は閉口する。それを見て愉快げに深宙が笑った。

 手辺がむっつりした顔で深宙を振り返った。銀河と猫のデカールが描かれたヘルメットの奥を睨む。

 

「呑気に笑ってるけどね、キャット。君もあの時の演技はどうかと思うよ」

「裏手から回り込め、つって奴を裏口に誘導した時のやつっすか?」

 

 昔からある宝飾品店の裏手が、蓑州の複雑な“裏通り”に繋がっていることは、蓑州を拠点とする手辺たちにも当然わかっている。

 あの時の指示はあえて覆面敵に聞かせ、裏路地へと誘導するためのものだ。

 

 入口が少なく、迷路のように入り組んでいるため、捜査に入り込みにくい裏路地ではあるが、その閉鎖性は裏を返せば、その分出口を抑えやすいということでもある。

 そして、あの大荷物。逃げるという一刻を争う事態に、人質という更なる荷物は許容できまい。加えて、人の目のない裏路地に逃げるならば、尚のこと人質の重要性は薄れるため、敵が人質を手放そうと考える確率はかなり高かった。

 そういうわけで、蓑州のことを良く知る手辺たちにとっては、人質を捨てて裏路地に入ってもらった方が敵を確保しやすかったのだ。

 

 ちなみに、手辺は深宙の演技に言及しているが、実際のところ、あの場での彼女の動きに特段の瑕疵がないことは手辺にもわかっている。

 ただ、人気というヒーローにとってセンシティブな話題でも、さも自分には関係ありません、というすまし顔が腹立たしく、ちょっとは突いてやり返したかったのである。

 

「そうだよ。君の『個性(ロケット)』で走っていくなんて不自然でしょ」

「えー。そんなのおっさんのあからさまに聞かせてますよ、って感じの指示よりかはマシでしょ。フツーあんなデカい声で指示出さないっすよ」

 

 しかし、深宙は依然すまし顔を崩さず、それどころか、手辺の内心を読み取ったように「アタシの人気にジェラるのはよしてください」などと言い放つ始末である。

 色々な感情で顔面をくしゃくしゃにする手辺を脇に、深宙は能天気に空を仰いだ。

 

「ま、この町のことを何にも知らないおバカさん相手に気にすることじゃあ無いっすよ。なにせ……」

 

「彼女の『巣』のことを知らなかったぐらいっすから」

 

 深宙が呟いた瞬間、ぎいぎいと空が鳴る。

 

「そら、来たっすよ」

 

 場の空気がこわばる。

 手辺の眉間の皺が深まる。深宙はお気楽な態度を崩さない。先ほどまで気が抜けていた警官は、()()の登場に明らかな緊張の気配を見せた。

 

 

 ぎいい、ぎい、ぎ。

 

 

 止まった。

 

 既に、手辺たちは頭上を見上げていた。

 灰に濁った曇り空を背景に、黒い人影が宙に浮かぶ。傍らには、意識を失い、雁字搦めに縛られて吊るされている巨漢の姿。

 注意深く観察するならば、宙に浮いているように見える人影は、暗い空に隠れるような細い糸の上に立っていることがわかるだろう。

 あの糸は鋼線(ワイヤー)だ。それもかつてこの町にいたヒーローが用いていたという特別製。強度もさることながら、特に靭性に優れ、良くしなるのにやすやすとは切れない逸品。巨漢を縛っているものも同じ品である。

 先から響いている特徴的なギイギイ音は、()()が鋼線の上を移動する際に生じるものだ。

 

 黒い人影が顔をあげ、フルフェイスヘルメットの奥から彼らを見た。

 あの影こそは、簑州町の裏路地にあの(ワイヤー)を巡らせ、その上を跳び回る町の主。一人のはぐれも従えず、たった一人でこの町を統べる、蓑州の大物敵。

 本人が決まった名前を名乗らないため、黒爪、アラクネなど、様々な名で呼ばれるかの敵だが、恐らく最も有名な名前はこれだろう。

 

 

 迷宮(裏通り)に鋼糸を巡らすその姿より、誰が呼んだか、“糸紡ぎ(アリアドネ)”。

 

 

 アリアドネが手を振ると、宙に揺れていた巨漢が重力に従い地に落ちる。手辺が近寄って検分すると、巨漢は脳震盪か何かで気絶しているようだった。本人の頑丈さゆえだろうか、特に落とされたことによる影響もない。

 手辺がそのまま警官に引き渡すと、警官は緊張した面持ちで敵用の頑丈な特殊手錠を施し、逮捕時刻を述べた。

 

 そしてその場の全員は、黙したまま、改めて町の主を仰ぎ見る。

 始終を見守っていたアリアドネは、集まった面々をゆっくりと睥睨した。

 手辺は仏頂面。深宙はお気楽。警官の緊張はいよいよ凄まじい。

 ひとしきり眺めて満足したのか、アリアドネはおもむろに鋼線の上で背を向ける。

 

 

 ぎぎい。ぎい。ぎいい。

 

 

 巣が軋む。アリアドネが去っていく。

 

「アリアドネ!」

 

 その背に、インパクトアームが声を投げた。

 

「ありがとう、助かった」

 

 

 ぎ。

 

 

 アリアドネが立ち止まる。

 

「本来、お前の、仕事だ」

 

 影は鬱々とした不吉な声を返した。

 

「次は、お前がやれ。ヒーロー」

 

 不気味な圧を感じさせる低声に、警官が身を震わせる。手辺も思わず唾を飲み込んだ。

 

 だが、それでも、なぜだろうか。

 手辺には、影がメットの奥で笑ったように見えた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 かくして、私は縄張りに入ってきたはぐれを捕らえたわけだ。

 町の平和は守られ、乱暴者は刑務所に。

 ついでに私の懐はほんの少しだけ暖かくなった。

 まさに多方良しだろう。窃盗品もあの場に置いてきたし、身分証明の類を置き去りにして無法者の財布が消えたことなぞ、誰が気にすることでもない。

 

 根城とする廃ビルの一室で、ライダースーツの下から今日の戦利品を取り出した。甲殻に覆われた手で、やけに薄っぺらい財布をもてあそぶ。

 中で硬貨がじゃらじゃらと音を鳴らすそれは、私の数日分の生活費にはなるだろう。

 毎日こんなものだ。クソッタレなはぐれを潰して、金を奪って、それで今日も飯を食っている。

 

 脱いだヘルメットを床に投げ捨てて、思わず重い息をついた。

 

 私の何もかもが終わってしまったあの日から、今日までずっとこんなざまだ。

 昨日も、そのまた昨日も。

 だから明日も、そのまた明日もこのままなんだろう。

 

 ライダースーツを脱ぎ捨て、薄汚れたベッドに身を投げる。

 スプリングが軋む音がひどくうるさい。

 せめてもの抵抗に、世界の全てを遮るように体を丸めた。

 

 私のこと。この町のこと。これからのこと。

 何もない。何も聞こえない。何も考えてはいけない。

 

 ベッドの軋みにひび割れる鼓膜と、明日への失望に腐る脳味噌を抱えこんで、目を閉じる。

 ああ、願わくば、今日こそは良く眠れますように。

 

 

 言い忘れていたが。

 これは私の物語だ。

 

 これは私が、クソッタレなヴィランになり果ててからの、物語だ。




原作キャラ一切不在のプロローグ。
二次創作の姿か? これが……
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